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    2 か月前

2009年12月3日木曜日

路('82)      ユルマズ・ギュネイ


<フラットな「モラル」を制圧する、歴史文化的な陋習が堅固に張り付いて>




1  現代トルコのジレンマ



ダルフールで非アラブ系国民に対して民族浄化を断行した、ジャンジャウィードを配下においた虐殺によって国際世論を敵に回したスーダン政府が、最近話題を集めた、例の「ズボン裁判」(注1)における騒動で混迷を露呈した問題の顛末や、更に、スンニー派原理主義のワッハーブ派を国教とするサウジアラビアで、同国初の女性副大臣(女性教育問題担当の教育副大臣)が誕生したというニュースが、宗教警察の姿勢の変化の可能性を示すインパクトを持つものか定かでないが、女子大学の設立を含めたそれらの事例は、西欧社会で言うところの、「近代化」、「民主化」へのイスラム社会の静かな変容を示唆する向きと把握するのは極めて乱暴な議論だろう。

ここで、スーダンやサウジアラビアのような原理主義的国家のカテゴリーに含まれないであろう、トルコ共和国に眼を転じてみる。

90年間近く共和制を保持していて、世俗主義を憲法で明記するトルコがNATOに加盟しているのは言わずもがな、ISAF(国際治安支援部隊)の2代目の軍司令官を半年間務めたほどにヨーロッパ志向が強く、現在、EU加盟を申請中(1987年に、正式に加盟を申請)であるというのも周知の事実。

ところが、オバマ大統領がトルコのEU加盟を後押ししたにせよ、ギリシャとのオスマン帝国時代からのキプロス問題、アルメニア人虐殺問題(トルコは否定)、クルド問題(注2)、更に、女性の人権問題等を抱えることによって、イギリスを除く多くのヨーロッパ諸国の反発は根強く、依然としてEU加盟の障害になっている。

トルコを囲繞するそんな国際政治環境に些か苛立つかのように、EU加盟問題の棚上げ状況等への不満が、単に自分たちの国家が「反共の防波堤」として西側世界に利用されただけであると考えているのか、極右政党の民族主義者行動党の顕著な台頭(2007年7月の総選挙で71議席を獲得)に象徴されるように、近年のトルコ国民の意識を変容させつつあるように見える。

世俗主義を標榜する軍部の圧力によって、イスラム主義の色彩の強い福祉党が非合法化され、その後継と目される公正発展党を立ち上げたエルドアンが、諸々の経済政策の成功によって政権を維持する現状に大きな変化が見られないものの、ここにきて、EU加盟への意欲も相当に曲折してきているように思われるのである。

そしてここにきて、右派政党が提出したスイスのミナレット建築禁止案に対して、トルコ国務相が「イスラム教徒はスイスの銀行から撤退する」という発言をして、欧州全般に広がる「イスラム恐怖症」の表れを厳しく批判するという報道が駆け巡り、「苛立つトルコ」の現状を露わにしたと言えるだろう。(「AFP BB NEWS」2009年12月3日付)

彼らは、ヨーロッパ諸国が、女性のスカーフ着用問題などに見られる人権問題や、低賃金の移民の大量流入への懸念を口実に、結局、アンチ世俗主義であろうとなかろうと、イスラム教それ自身との共存を全く望んでいないという本質を感受しつつあるのかも知れない。

現代トルコのジレンマに、未だ終わりが見えないのだ。



2  フラットな「モラル」を制圧する、歴史文化的な陋習が堅固に張り付いて



ここから、映像の世界を簡潔に俯瞰していく。


クルド人(ウイキ)
そこではより身近に、作り手の出身民族であるクルド問題は言わずもがな、女性の人権問題が深く切実なテーマとして描かれていたのである。

中東圏で唯一、近代化を達成したはずの非アラブ系のトルコの非近代的な現実、とりわけ、民主主義を最高の政治制度と信じて止まない国民国家に呼吸する人々から見れば、女性に対する人権状況の劣悪さをまざまざと見せつけられたのが、ギュネイ監督の「路」と「群れ」(注3)。

その中でも、幾つかのエピソードをパラレルに進行させた構成によって成る、拙くも、その直接性において抜きん出て激越なメッセージを無造作に投げ入れてくる、「路」という映像の中で描かれた、有名な雪中シーンの衝撃は終世忘れられないだろう。

リアリズムの圧倒的な力動感で押し切った腕力の前に、一瞬、逡巡するナイーブさを晒してしまうのだ。

物語は、五日間の仮出所を赦された男たちの、苛酷な帰村の現実を描くもの。

ある者は、命を落としたクルド族のゲリラの兄の意志を継ぎ、恋人と別れ、銃を持って前線に出撃する。馬に乗って、草原を颯爽と疾駆する男は、もう充分に次代を繋ぐ独立派のクルド人だった。

また、ある者は銀行強盗を犯したときに、見殺しにしてしまった相棒の家族の恨みを買って、妻の兄弟によって、その妻と共に射殺された。

そしてある者は、不貞の妻を殺すことを強いられ、愛する妻を雪中に置き去りにしたのである。

妻を雪中に置き去りにする理由は、映画製作時点で残存していた、「姦通罪」による「名誉ある殺人」(貞操を破った妻を殺害する行為の正当化)の行使であり、家の名を汚さないための「義務」でもあったという冷厳な現実である。

但し、「姦通罪」は20世紀末に憲法裁判所によって撤廃されている。


レジェップ・エルドアン・2003年以降首相(ウイキ)
その後、エルドアン政権は姦通罪の復活法案を提出したが、のち廃案となっているという事実も無視できないだろう。

何より、その背景に垣間見える世界は、「モラル」の緩やかな縛りを越えた、歴史文化的な陋習(ろうしゅう)とも言える、極めて根拠の稀薄な、家族・部族・民族の防衛戦略が横臥(おうが)していると思われる。

なぜなら、少なくともこの国の家族の絆は、保守派が言うほどに、「姦通の自由」(?)が「認知」されても崩壊しなかったという報告があるからだ(注4)。

ともあれ、映像の若き妻は、夫の入獄中に生活苦の故に「姦通」した「罪」のため、実家に戻された挙句、パンと水の「配給」のみで永く鎖に繋がれていたのである。

雪中に置き去りにされた妻は、夫に赦しを乞い、悲痛に訴える。

凄い描写だった。観ていて震えが走った。

夫はたまらずに、妻の元に駆け寄った。

赦せないが、赦したいのだ。

赦せないものは、長く人々を繋ぎ止め、支えていた封建的慣習である。赦したいものは、それでも妻への深い愛情である。

男は、この二つの矛盾した感情を、雪中で展開した。

共同体が強いる絶対規範と、個人の人格的救済への喘ぎの葛藤が破綻したとき、男は凍死寸前の、息も絶え絶えの妻を背負って、山を駆け下って行った。

結局、妻を救えなかった男の束の間の旅の向こうに、一体、何が待つのか。

この重量感が映像を貫いて、良かれ悪しかれ、拡大的に定着した私権感覚と相対思考を手放せない、我が日本の有りようとの落差に束の間、言葉を喪うが、歴史・文化・宗教・慣習の全く異なる両者の比較を、民主主義を最高の政治制度と信じて止まない国民国家に呼吸する人々の、特定的に切り取られた僅かな情報で武装する類の、その俯瞰する視線によってのみ断罪するアプローチからでは、恐らく何も生まれてこないだろう。

その類の安直な比較の怖さは、比較の対象となるものに対する総体的な把握の困難さを度外視して、情感的に反応するだけのナルシズムのゲームに流れやすいので、返す返すも慎重でありたいものである。

喪った言葉を補う何ものも、そこには不要であるだろう。

何より、そこで映像化された表現者の確信的なメッセージを、合理的に濾過し得る知的スタンスだけは確保しておきたいものだ。

政治犯としてのギュネイは、獄中からの克明な指示によって社会派ムービーの問題作を完成させ(「群れ」)たばかりか、よりラジカルなこの「路」もまた、仮釈中に完成させ、その年のカンヌを制覇したという伝説的な逸話を持つ映像作家である。

当人は41歳の若さで逝った映像作家でありながら、20年近く経た今も、「路」の突破力は一頭地を抜く劇薬であるだろう。

私には雪中シーンのみが内側に深く張り付いて、「赦しの心理学」という人間学的なテーマを恒久の主題にした次第である。

人が人を簡単に赦すというとき、人はそこに赦せない何ものも抱えていない。

赦すと言い放って、自らの優越を確認するだけの赦しのゲームも、この世に溢れている。

然るに、赦せない何ものかを背負っているから、赦しは限りなく辛いのだ。

最後にそれでも赦すと言い放つとき、人々は赦せない何ものかによる呪縛を、自ら解き放つ決断に賭けたのである。赦しはこのように重く、限りなく痛切なのだ。

雪中シーンが展開して見せた時間の重さは、赦しに向かう男の最も深遠な決断の重さであった。

ところが、この時間の重さには、上述したように、部族社会の特殊性を保持する都市圏外の地域の中において、フラットな「モラル」の緩やかな縛りを越え、それを制圧する歴史文化的な陋習が堅固に張り付いているので、民主主義の制度に補完された「モラル」感覚の強引な押し出しの内に、件の歴史文化の特殊性を考慮に入れることのない「赦しの心理学」の視座によっては、残念ながら、事態の本質に肉薄し得ないし、単に観念が空転して、いつまでも自己未完結の状態を延長させるだけであろう。

ゆめゆめ、「赦しの心理学」を拡大解釈するなかれ。それが、かつて本作と痛々しい思いで付き合った私自身の自戒の念であった。



3  「監獄の中における、『不自由性』の中の『自由性』」と、「監獄の外における、『自由性』の中の『不自由性』」



最後に、本作が発禁時代に書かれた興味深い一文を紹介する。

「監獄の中における、『不自由性』の中の『自由性』」と、「監獄の外における、『自由性』の中の『不自由性』」についての、粉川哲夫の短い言及である。

「映像は、監獄とは異質の、そして監獄では不可能な自由性の世界に属している。しかし、監獄の外でも映像の自由はトイレのような密室にしかなく、しかもそれさえもがたえず侵犯されている。ギュネイは、映像を自ら解放し、また自ら拘束しながら、フィルムの世界でフィルムを通じて観客を解放へとかきたてる。この映画がトルコで発禁なのは、その内容のためではなく、むしろそのような形式の力強さのためだろう」(粉川哲夫 「シネマ・ポリティカ」より)

右翼テロの不安のない獄中で、囚人仲間の協力を得て遂行された映画製作によって、存分に可能であった表現者としての作業が、仮釈で一歩獄外に出ることで脅かされた自由への「危険なシフト」こそ、まさに「監獄の中における、『不自由性』の中の『自由性』」から、「監獄の外における、『自由性』の中の『不自由性』」への冒険だったということである。

それ故にこそ、彼はパリ亡命を余儀なくされたのか。

それにも関わらず、そこでの47歳という夭折の原因がガン死であったというのは、あまりに皮肉であると言わざるを得ないだろう。


(なお、ユルマズ・ギュネイ監督が亡命中のパリで病死した15年後、トルコで長く上映禁止だった本作が解禁となった。1999年のことだった)



(注1)女性ジャーナリストにムチ打ち刑の判決を下した挙句、国際世論を恐れてか、罰金刑に変更され、それをも拒否した行動によって収監されたが、その後、釈放された。実情は、権力に寄り添う記者組合に罰金を肩代わりされたと言われ、件の勇敢な女性はなお闘う気概を見せていた。


(注2)「・・・トルコでも、クルド人を巡る環境は大きく変化しています。湾岸戦争のあと、それまでクルド民族の存在すら否定してきたトルコのオザル大統領が、『私にもクルドの血が流れている』と発言して、タブーを破ったのです。その後の政治的な取り組みには波がありましたが、現政権のもとで大きな前進をみせています。背景には、EU加盟をめざす政府が、民主的な改革に力を入れている、ということもあります。クルド人の政治活動や文化活動の自由が、着実に、認められるようになってきています。

そうしたなかで、最近、トルコとイラクの国境で軍事的な緊張が高まりました。イラクのクルディスタン地域に拠点をもつトルコのクルド武装組織PKKを攻撃するために、トルコが大規模な越境作戦を行う構えをみせたのです。トルコに自制を求める外交努力もあって、当面の危機は避けられそうです。

しかし、トルコはイラクのクルド指導者がPKKを直接・間接に支援していると批判し、軍事力だけではなく、経済的な締め付けも検討しています。

クルディスタン地域は『イラクの中の別天地』と言われるように、比較的治安もよく、復興も進んでいますが、肝心の電力や燃料、建築資材から日用品まで、多くをトルコからの輸入に頼っています。国境を越えて物資を運んでくるトラックの運転手は、多くがトルコのクルド人です。彼らの間には、トルコの国民、イラクの国民といった違いより、むしろ同じクルド人という同胞意識が強く、言葉も同じクルド語ですから、それだけに商売もスムースです。


トルコ革命の指導者・ケマル・アタテュルク(ウイキ)
こうしたクルド人の連帯意識は、トルコにとって非常に危険な民族主義と映ります。それは、クルド人を内包するイランやシリアにとっても同じです」(NHK「視点・論点・クルド人とは」ジャーナリスト 勝又郁子/筆者段落構成)


(注3)「東トルコの広大な砂漠地帯。そこで牧畜を営むハモ家の長男シバンは、反目し合うハリラン家の娘と結婚。彼女が病弱で子供も産めない体とあって、彼ら若夫婦に対する家族の態度は冷たい。ある日、彼ら親子は羊370頭を売りさばくため、汽車で首都アンカラに向かう。シバンは街の医者に連れて行くため妻を同行した。途中、貨車に残留していた毒薬DDTのため幾頭もの羊が死に、しかも山賊の襲撃に遭い、また何頭かは盗まれる。やっと街に着いた時、父親は羊の数が足りないとシバンに約束した報酬を支払わないうえ、最愛の妻は医者の所に運んで間もなく息絶えた。トルコ社会に現存する封建的家長制度を痛烈に批判。権力によって自由を束縛され続けるギュネイの、怒りと哀しみに満ちた心の叫びなのだ」(「eig.com」HP・「群れ : 映画情報」より)


(注4)「かつて刑法にあった姦通罪は、8年前に憲法裁判所によって撤廃されたんですが、これによって、トルコでは家族の絆が崩壊したとでも言うのでしょうか? また、姦通が罪ではなくなったと言って、トルコの夫婦たちは8年間にわたり、ずっと姦通を繰り広げていたんですか? 人々は道徳的な価値を見失ってしまいましたか? そんなことは全くありませんでした。トルコにおける家族の絆は、保守的な人たちが言うように、姦通が行われたといって崩れやしません。そもそも近年見られる離婚の殆どは、経済的な困窮が原因となっています。彼らは、『姦通罪をアナトリアの女性たちが望んでいる』なんて言ってるけれど、実際、彼女たちがそんなものを望むでしょうか?」(「メルトバ通信 『姦通罪』が社会へもたらすもの【ラディカル紙】【2004.09.10】」参照)


(2009年12月)

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