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2010年7月2日金曜日

ザ・コミットメンツ('91)   アラン・パーカー


<「ソウル・バンドの大騒ぎ」―― 真っ向勝負の「青春映画」の一級の「爽快篇」>



1  「大カタルシス」の映像挿入を不要にした「青春映画」の醍醐味



アラン・パーカー監督の「ザ・コミットメンツ」は、彼の作品の中で、私が最も気に入っている映画である。

直球勝負の威力において、アラン・パーカー監督を超える映像作家はいないとも思える中で、彼の作品は主に、「本格的社会派」の分野で際立つ映像を世に放ってきたという印象が強い。

時には、「ミッドナイト・エクスプレス」(1978年製作)のように、作品のステージになった国を怒らせるビンボール紛いのボールを投球するものの、観る者に多大な訴求力をもたらすアラン・パーカー監督の「本格的社会派」の作品は、真っ向勝負の唸りを上げたストレートの威力において抜きん出ている。

然るに、真っ向勝負の唸りを上げたストレートの威力が増強されればされるほど、そのことによって観る者の情感系を過剰にさせたツケを支払わねばならない。

だから、アラン・パーカー監督の「本格的社会派」の作品には、「大カタルシス」の映像挿入によって声高になった分だけ、情感系を過剰にさせたツケを、多くの場合支払うに至るのだ。

ミッドナイト・エクスプレス」や「ミシシッピー・バーニング」(1988年製作)の作品は、その典型だった。

ところが、本作のような「青春映画」という限定的なジャンルでは、アラン・パーカー監督の作品に共通する「大カタルシス」の映像挿入が不要になる。

「大カタルシス」の映像挿入が不要になった「ザ・コミットメンツ」では、唸りを上げたストレートの過剰な投球も不要となり、そこには単に、ツケの支払いを反故にした真っ向勝負の「青春映画」の醍醐味があった。

ツケの支払いを反故にした真っ向勝負の「青春映画」の醍醐味は、「裸形の自我」がターゲットに向かうときの「不具合による足掻き」、「一時(いっとき)の成功に炸裂する情感爆発」、「人間関係の尖りや不調和」などが自己運動する、「ザ・コミットメンツ」という名のソウル・バンドの曲折的な航跡を、見事に写し取った一級の「爽快篇」に結実したのである。



2  「ソウル・バンドの大騒ぎ」―― 真っ向勝負の「青春映画」の一級の「爽快篇」



「ダブリンに本物のソウルバンドを作りたい」

これは、本作の主人公であるジミー(トップ画像の後方の青年)の夢であった。

この夢を実現させるべく、本作の中で、彼だけは必死になって動いていく。

前列右から二人目がジミー
その結果、形成されたソウル・バンドの名は、「ザ・コミットメンツ」。

「ザ・コミットメンツ」とは、恐らく、「仕事」(バンド活動)や「組織」(バンドのチームビルディング化)に対する「関与」と「愛着」を意味する概念としてイメージされたものと思われる。

然るに、このネーミングは、「ザ・コミットメンツ」の実際の曲折的な航跡への存分なアイロニーとなって、物語を必要以上に騒がせて進行していくのだ。

ともあれ、「ソウルミュージック」は、1940年代にアメリカの黒人たちによる「リズム・アンド・ブルース」をベースにしたもの。

その音楽を、アイルランドのダブリンに住む若者たちが立ち上げたのである。

この立ち上げの先頭に立って、獅子奮迅の活躍を示すジミーが、仲間に放った言葉が鮮烈だ。

「アイルランド人は欧州の黒人。中でもダブリン子は、黒人の中の黒人だ。だから、胸を張って言え。“俺は黒人だ”って」

差別の前線にあるダブリン市民には、同様に差別の前線にあり、なお温存されているアメリカの黒人たちが立ち上げた「ソウルミュージック」を、声高に歌っていく価値があると言っているのだ。

「ソウルは労働者のリズムだ。ソウルは人に訴える。シンプルだが、特別なインパクトがある。ウソっぱちではなく。真実の声だからだ。人間の裸の心が発する声だ。楽しいだけじゃない。がっちりとタマを掴んで、高みへ引き上げてくれる」

これも、ジミーの言葉。

まさに、この叫びこそ、彼らのマニフェストになっていく。

と言うより、マニフェストになっていくはずだった。

しかし、レコード会社との契約の可能性が成立する辺りまで、その実力と人気が沸騰しつつあったにも関わらず、肝心の12人のバンド・メイトの心はエゴ丸出しで、その果ての仲間割れによって、結局、自壊するようにして頓挫するに至る。

最初に問題を起こしたのは、聖歌隊出身のコーラスガールに手を出す、プロの中年のトランペッター、ジョーイの女癖の悪さ。

そして、殆どプロ級の歌唱力を持つヴォーカルのデコの傲慢な態度に、仲間の反感が集中し、トラブル続きの果てに、かつての用心棒の2代目ドラマーに半殺しの目に遭わされる始末。

「くたばれ、うんざりだ!」

ジミー(右)
マネージャーのジミーは、遂にギプアップ。

そして、「爽快篇」のラストシーン。

ファーストシーンのジミーの語りが自問自答であった事実を判然とさせつつ、円環的な自己完結を遂げていく印象的なラストシーンだが、映像の中で、そこだけは些か形而上学的な括りを挿入しているのだ。

鏡に向かって自問自答しながら、回想するジミーがそこにいる。

「バンドで、一番学んだことは何だい?」
「難しい質問だな。だが、こうだ。“ファンダンゴ(注)に乗せて、くるりと回転した。めまいを覚えたが、客はもっと要求する”」

要するに、こういうことだろう。

自らの意志で立ち上げたソウル・バンドの一過的な成功の中で、一時(いっとき)、得も言われぬ快感を覚えたが、「魂の歌」を叫ぶ自己運動が、いつしか世俗の熱狂に収斂されることで自己統制不能と化し、最後は「予定不調和」の曲折的な航跡をなぞっていった。

詰まる所、ジミーは、「ザ・コミットメンツ」のマネージャーというハードワークの経験を通して、「ザ・コミットメンツ」を作ることが如何に困難であるかということを学習したのである。

しかし、思いも寄らぬその経験を「一番学んだこと」と言い切るジミーには、何より貴重な人生経験だったのである。

その人生経験が、彼の「明日」に繋がるからだ。

女癖の悪い中年のトランペッター、ジョーイ(左)
そういう、何とも爽快な真っ向勝負の「青春映画」だった。

「ソウル・バンドの大騒ぎ」 ―― これが、本作への私の簡潔な把握である。


(注)スペインのアンダルシア地方の民俗舞踊で、3/4または6/8拍子の、明るく軽快なリズムを特徴とする。(Yahoo!百科事典参照)



3  「青春挫折篇」を、「青春爽快篇」にモデルチェンジさせたマジックの力技



「気障」、「欺瞞」、「無限抱擁」、「予定調和」、「純粋無垢」、「純愛」、「連帯」、「無償の愛」、「熱き友情」、「寡黙」、「服従」、「ナイーブ」、「清貧」、「清潔」、「理屈」、「屈折」、「抑制」、「曖昧」、「禁欲」、「信仰」、「和解」、「信頼」、「親愛」、「礼節」、「援助」、「依存」、「共有」等々。

半ばジョーク含みでまとめれば、これらの言葉を完璧に、或いは、その表層に張り付くシニフィエ(ソシュールの言うところの、言語のイメージや意味内容)を希釈化させる程度において剥ぎ取ると、「ソウル・バンドの大騒ぎ」という、本作の物語に「純化」すると言えるだろうか。

とりわけ、「信頼」、「親愛」、「礼節」、「援助」、「依存」、「共有」という概念は、私が「友情」の構成要件として考えているので、これらの要件を相当程度不足させていた「ザ・コミットメンツ」に、「熱き強い連帯」など構築できようがなかったのである。

「青春映画」の「爽快篇」とは、個々の仲間が「一つのゴール」へ向かって進んでいく組織作りとしての「チームビルディング化」とは全く無縁に、未成熟な自我がその剥き出しのエゴを衝突させ、結局、本来のソウル・バンドの成功という「一つのゴール」への思いを希釈化させてしまう、低レベルの内輪喧嘩に明け暮れる愚かさを晒すだけだったのだ。

本作の中で、最初のドラマーのビリーが、ヴォーカルのデコとの不和による喧嘩を恐れて、逸早くバンドから抜けて行った理由は、「保護観察の期間中だから」というものだった。

彼の判断は正解だったのだ。

アラン・パーカー監督
「ザ・コミットメンツ」という名の元で、最後まで「ザ・コミットメンツ」を構築できない映像の軟着点に、予定調和のハッピーエンドが待機している訳がないのである。

そのような映画を、アラン・パーカー監督は迫力満点のライブシーンをふんだんに盛り込みつつ、軽快に描き切ったのだ。

観終わった後の感懐に不愉快なイメージが全く残らなかったのは、やはり作り手の映像構築力の抜きん出た秀逸さにあると言える。

数多ある「青春挫折篇」を、「青春爽快篇」にモデルチェンジさせ、映像マジックの力技を垣間見せたアラン・パーカー監督の独壇場の世界が、そこに軽やかに踊っていた。

これほど爽快な気分で鑑賞できる映像は他にないだろう。

そう思った。

(2010年7月)

2008年12月17日水曜日

ミッドナイト・エクスプレス('78)   アラン・パーカー


<「絶対敵対者」を作らざるを得ない社会派映画の過剰さ> 



序  文化を異にする者の偏見的主観が張り付いて



青春の盛りを少し越えた頃、本作を最寄りの名画館で初めて観たときの私の衝撃と興奮は、今でも忘れられない鮮烈な記憶として残っている。

全く予備知識なしで本作を観たこともあって、そこで展開される物語の重苦しく、リアルな描写に吸い込まれていって、映画が終って場内が明るくなっても、満員の席のそのほんの一角だけが催眠術をかけられたように固まってしまっていた。

固まったのは、時代の尖った動きに未だ鋭敏に反応しやすかった私の自我であった。

暫くその席を立てなくなるほどの苛烈な感情のうねりが、私の中に渦巻いていて、自分の心を鎮めるのに一苦労した記憶がある。

かつて私は、このような経験をしたことが殆どなかったので、余計、自分の中の感情の整理に困惑してしまったのである。

恐らく、そのときの私の精神状況と、その映画が私に無言で訴えてくるメッセージのようなものが見事に嵌ってしまったのだろう。

爾来、この映画を何度か観直したが、その度に初見時の滾(たぎ)るような感情を覚えることはなかったが、冷静に観賞し得る視点を確保できた分だけ、映像に幾重にも層化された情緒的なフィルターが削られて、却ってメッセージの内奥に潜む様々な問題性が、自分なりに透けてみることが可能となった。

やはりシビアな映画と真剣に付き合うには、それを繰り返し観ることの必要性を、今更ながら感じた次第である。

その作り手は、アラン・パーカー。

声高で、凄腕の表現で映像を圧倒する迫力は、いかにも社会派的な骨太の根性を見せつけて止まない映像作家。

声高の映像作家を好まない私の中で、どうやらアラン・パーカーだけは特別な存在のようであるが、本作に限っては、かなり文句の付けたい点があった。それは後述する。

「ミッドナイト・エクスプレス」

この極めて刺激的な映像は、単に自由を求める若者の苛烈な自我の記録に留まることなく、簡単に相手を理解し得ない異文化の身体と感性が、違法行為という形で劇的に遭遇したときの、その不安と緊張と確執をリアルな筆致で、印象的なまでに鮮烈に描き出した一篇だった。

本作は、主人公のアメリカ青年の手記をベースに映像化した作品であり、その原作と照合する限り、本作は一定程度実話に即しているが、しかし、それはどこまでも一篇の映像作品であるという把握を、ここでも失ってはならないだろう。

オリバー・ストーン
なぜなら、そこで描かれた異文化の了解性の困難さは、あくまでも原作者の主観の世界を反映したものであり、そこに文化を異にする者の偏見的主観が張り付いていて、更に、その手記を基にした脚本(オリバー・ストーン)と、その脚本を映像化した作り手(アラン・パーカー)の主観が多分に包含されていることを把握した上で、観る者はそれを一篇の映像作品として対峙し、批評していかねばならないことは論を待つまでもない。


―― 以上の視座を踏まえた上で、そのあまりに重苦しいまでの実録物語を詳細に追っていく。



1  深夜特急



「1970年10月6日、トルコのイスタンブールで起きた」

この冒頭の字幕の背景に、イスタンブールのエキゾチックな風景が映し出された後、一人の青年が、その体に禁制の麻薬をアルミ箔に包んで、それを幾つもテープで体に巻きつけている。

青年はイスタンブール空港のトイレで呼吸を整えた後、税関でパスポートと所持品の検問を受け、バッグの中から“フリスビー”を取り出されて説明を求められたが、他の税官吏の説明によって無事通過した。

青年の額から汗が滲んでいたが、税官吏には特に不信を持たれることなく最終関門を突破したと考えた。

ところが、機体に向うバスから降ろされて、飛行機の前に待機していた空港警察官のボディチェックを受けることになった。

その結果、青年は爆弾犯と間違えられ、一斉に銃口を向けられ、空港に一瞬、緊張が走った。

しかし、爆弾と思われたものの正体は、ハシシ(大麻の一種)だった。

「ハシシの運び屋だ!」

警官のその一言で周囲の緊張が解け、一転して哄笑の渦。

だが、その空気に置き去りにされたかのような、青年の緊張だけが沸点に達していた。

青年は即座に取り調べられ、身元も判明した。

その名はビリー・ヘイズ。アメリカ人である。

裸にされたビリーは、自分が理解できない異国語の洪水の中で写真を撮られ、まもなく、上官の本格的な取調を受けることになった。

その取り調べの立会いに英語を話す男が同席して、通訳する。

取り調べ後、ビリーはその男から、麻薬についての特殊な状況を耳にする。

「時期が悪かったな、ビリー。ゲリラの爆破事件が増えた。4日で4機やられた。君らはあまり新聞を読まんだろうが、トルコは今、ヘロインの密輸で非難を受けている」
「ヘロインはやらん」とビリー。
「どの麻薬も、麻薬に変わりはない」
「やったのは今度が初めてで、たったの2キロだ」
「当局には、2キロも200キロも同じさ。政府は汚名挽回に必死だ」
「あんた領事館の人?」
「まあね」
「俺は売人じゃない」
「どうかな。家族はいるか?」
「両親に弟に妹だ」
「悲しむぞ。ガールフレンドは?」 
「いる。飛行機に乗った。何も知らんし、知られたくもない」

そんな会話の後で、男はビリーを一軒の酒場のような場所に連れて行って、世俗の賑わいの中の一隅に座らせた。

しかし男に連れられたその酒場は、麻薬の密売の取引場所だった。ビリーはそこで、麻薬の売人の検挙に協力させられたのである。



何か危険な空気を感じとったビリーは、そこを脱走した。

イスタンブールの町(ウィキ)
彼はイスタンブールの町を必死に逃げ回るが、男に呆気なく逮捕されることになった。


サグマルチラー刑務所。

そこが、ビリーが移送された場所だった。

“母さん、父さん。初めてこんな辛い手紙を書いた。すぐに出られれば、知らせずに済んだけど、それもダメになった。先のことは分らないので何も言えない。ごめんなさいと謝っても、取り返しはつかない。許してくれ。お願い”

これがアメリカの両親に宛てて、ビリーが書いた最初の手紙。

彼はそこで頭を刈り取られ、冷たい監房に拘置されたのである。

やがて、ビリーは寒さのため毛布を盗み出すが、それが発覚して、大男の看守長が彼の前に立ち塞がった。

「サグマルチラー刑務所へよく来た。色々教えてやる。簡単だ」
「毛布が欲しかったんだ」

ビリーがそう弁明するや否や、看守の鉄拳がビリーの顔面を殴打し、足で蹴り上げていく。素っ裸にされたビリーは、看守の容赦のない暴力の餌食になって倒れ込んだ。

まもなく、冷たいコンクリの要塞の下で倒れているビリーを、監房で知り合った二人のアメリカ人、ジミーとエリックが救い出し、介抱した。

「我慢して歩かねえと、ひどく腫れるぞ」とエリック
「頭がイカれているのか?」とビリー。
「皆イカれてるさ。ハシシで痛みを消しな」
「何日も譫言(うわごと)ばかり言ってたぞ」

信じ難い監房の世界の現実に、ビリーは震え慄くばかりだった。

そんな中でのアメリカ人との出会いは、ビリーの重い気持ちを幾分軽くしていった。回教寺院から蝋燭(ろうそく)台を2個盗んだだけで監房に収容されるジミーと、ハシシの所持の罪で収容されているエリック。

そのエリックの話によると、外国人の90%はハシシで収容されていると言う。

そのエリックの刑期が12年と聞いて、ビリーは驚愕する。そのエリックに、「高くても良い弁護士を頼め」と言われ、その周旋人として英国人のマックスを紹介され、二人は7年の刑を受けている当人のもとを訪れた。

「このトルコに、まともな弁護士はおらんよ」

マックスはそう言いながらも、一人のフランス人を釈放した弁護士である、イエシルの名を告げた後、言い添えた。

「一番いいのは、ここを出ることさ。やればできる」
「どうやって?」とビリー。
「深夜特急(ミッドナイト・エクスプレス)だよ」とマックス。
「何だ、それ?」と尋ねるビリーに、マックスは明言した。
「列車じゃない。刑務所用語でな。脱獄さ」

驚くビリーに、マックスは「だが、ここは止まらん」と加えることを忘れなかった。



2  ビリーの法廷



ビリーと父
やがてビリーのもとに、アメリカの父が訪ねて来た。

「ごめんよ、父さん」
「もういい。そのうちぶん殴る。早くここを出んとな。服をイスタンブールで買ってきた。法廷ではきちんとせんとな」

ビリーの父は、随行してきたアメリカ人領事ダニエルスと、マックスが教えてくれた弁護士のイエシルを息子に紹介した。

二人は、ビリーの早期の出所を約束してくれたのである。

父は元気に装う息子に、イスタンブールの食事の酷さを軽い口調でぼやいた後、本人にずばりと問いかけた。

「ビリー、なぜやったんだ?我々が酒を飲みように、若い者はアレを吸う。だが、アレを国外に持ち出すのは愚の骨頂だ」
「分ってる。出してね」
「約束するよ。おとなしくしてろ。ダニエルスさんや、イエシルさんがいる。必ず出してやるさ。ビリー、いいな」

ビリーは、このときだけは確信的に頷いた。

まもなく、ビリーの法廷が開かれた。

「世界に注目されるトルコは、全世界へのヘロイン提供者のように看做され、各国の新聞はもとより、テレビで報道されています。裁判長。このような誤ったイメージを変えねば我々は孤立し、全人類から追放されかねないでしょう。この印象を変えるには、わが国の麻薬密売者に厳罰を加えると同時に、トルコの文化を害する不法外国人に対し、今まで以上に厳しく処罰することを要求します。今すぐ、このアメリカ人に密輸罪の最高刑を宣告し、全世界にトルコの正義と麻薬撲滅の意図があることを示すべきです。改めて法廷に要求します。ウィリアム・ヘイズには終身刑が当然と思います。以上です」

強い弾劾口調で、担当検事はその明快な論旨をもって論告求刑した。

スーツ姿で法廷に臨んだビリーの表情は、緊張に引き攣(つ)っていた。彼には異国の言語が理解できなかったが、その検事の口調の厳しさに不安を募らせていたのである。

彼はイエシル弁護士に問いかけた。 

「検事は何だって?」

それに対して、弁護士は明らかに方便を使って、巧みに交わした。

「技術的なことを言っただけだ。我々は勝つ。君の供述が良かった。判事も気に入ってた」


まもなく判事によって、判決が言い渡された。

「被告はハシシの不法所持により、有罪と決定した。本法廷は、ウィリアム・ヘイズに対し、サグマルチラー刑務所での服役を判決する。刑期は4年2ヶ月。では閉廷する」

この判決に対して検事は異議を唱えたが、判事は取り合わなかった。弁護士は隣のビリーの父に、「4年2ヶ月なら上出来だ」と英語で判決の内容を告げた。

「4年?」と驚く父。
「上告するから大丈夫。模範囚になれば、1年は減刑される。罪状は不法所持だけだ。検事の求刑は終身刑だし、大変な違いだ。ヘイズさん、正直なところ、これは我々の勝ちだ」

イエシル弁護士は、理性を失うビリーの父を必死にフォローした。

判決の内容を知らないビリーは、そのまま身柄を拘束されて連行される現実に、ただ当惑するばかりだった。彼はすぐにでも保釈になって、自分の身が自由になることを信じていたのである。

その後、理性を取り戻した父は、意気消沈する息子を励ました。

「この先うまくいけば、1年減る。それから上告だ。それに、ダニエルスとイエシルが援助してくれる。アメリカの刑務所に移すつもりだ。ダニエルスの話だと、近く政治的な恩赦があるあらしい・・・ビリー、辛いのは分るが、必ず出してやる。約束するが、お前も決してバカな真似をするな。判決を変えるんだ。銀行に500ドル入れておく。必要なときは手紙に書け・・・」

ビリーの父はその後、刑務所で必要となる品を取り出して、息子に心の用意をさせようとするが、眼の前で消沈するだけの息子を見て、怒りを露わにした。その怒りは、何もできない自分自身にも向けられていた。

「わしは30年も保険の仕事をしてきたのに、息子も助けられん。何てこった!ビリー、できることなら、代わってやりたい」
「愛してるよ、父さん・・・」

ビリーには、それ以外の反応を示せなかったのである。息子の手を握って涙ぐむ父は、やがて看守に連行されて行く息子を見つめるしかなかった。

「息子を大事にせんと、首を叩き切るぞ!クソ野郎!」

父は大男の看守に向って、その感情を吐き出した。



3  サグマルチラー刑務所



“スーザン、とうとう1971年になった。ここでは明日のことも分らん。知らぬ間に消え去るような別世界だ。孤独が全身をひどく苦しめることに気づいた。体の一部分だけではない・・・”

アメリカで待つ恋人に出した、ビリーの初めての手紙。

“トルコ人の口癖はシューラ・プーラ。「適当にやれ」という意味だ。先が分らんから。外国人は不潔なものと思っている。ここでホモは重犯罪だ。だが、盛んにやっている。不潔なことは数え切れない。例えば、相手を襲うのは下半身で、上半身は殺意と看做される。だから必ず尻を刺す。これがトルコ式復讐だ。ここでは、誰も彼も頭がイカれている。この間、小学生がレイプされ、4人の札付きが捕まった”

それを、監房で目撃するビリー。

彼の眼前で展開された光景は、その4人の「札付き」の少年たちの足の裏を、小学生の親と思える男が太い棍棒で強く折檻している姿だった。

男は二人の息子に、「いいか、悪い事をすると、ああなるんだぞ」と言い放った。

この男こそ、当刑務所の副所長だったのである。

ビリーと関わった仲間の中で、刑務所生活に限界を訴えた最初の男はジミーだった。

彼はビリーとマックスに脱獄の計画を打ち明けたが、麻薬漬けのマックスは全く反応せず、ビリーもその無謀な計画に乗らなかった。彼はあと二十ヶ月もすれば釈放されるという希望を捨てたくなかったのだ。

結局、ジミーの計画は看守たちの知るところとなり、彼は厳しい拷問を受けることになった。

スーザンに書いた手紙によると、ジミーは拷問が原因でヘルニアになり、睾丸を失って、今は療養所に入っているとのこと。

“それに比べれば、俺の問題など小さい。しかし、あれから2年半もの間、トルコ人は俺の首を絞め続けている”(手紙より)


1974年6月。

ビリーの唯一の相棒であったエリックは、一足先に刑期を終えて釈放された。代わって療養所から、ジミーが健康回復して戻って来た。

丁度そのとき、刑務所に領事のダニエルスがビリーを訪ねて来た。

あと釈放まで53日を残しての訪問に、ビリーの表情は輝いていた。領事が即時釈放の報告をするために、自分を訪ねて来たと考えたからだ。

ところが、領事の表情から明朗さが見えないことを確認したとき、ビリーは彼の来訪が好ましくない情報をもたらすものであることを予感したのだ。

「言いづらいが、悪い知らせだ」
「親父かい?お袋か?」
「違う。裁判のやり直しだ」
「何だって?」
「不法所持に不満な検事に、密輸で再審することを最高裁が認めた。前例にするのが狙いだ。君は生贄だ」
「それで?」
「今までの判決は取り消すと言ってきた。最高裁の35人の検事のうち、28人の投票は終身刑だ。イスタンブール地裁は従わざるを得ん。判事は君に好意的だ。お父さんには・・・」
「なぜだ!終身刑?なぜ終身刑だ!訳を言え!あと53日なのに!」

領事の信じ難い報告に、ビリーは感情を爆発させた。

領事の首を絞め、繰り返し詰るのみ。すかさず、大男の刑務所長に身体を拘束され、ビリーは監房に連れ戻されたのである。

まもなく最高裁の法廷で、ビリーは虚しく自分の思いをぶつけていく。

「判決は終ってから勝手に下せ。まず聞くが、何の罪だ?罰とは何だ?変わるらしいな。時や場所によって。今日は合法でも、明日は突然違法になる。特殊な社会だからだ。そして昨日の違法が、突然合法になる。しかしだからと言って、全員の投獄は出来ない。正しいか、間違いかより、それがここの現実だ。俺の人生のうち、3年半の年月をここの刑務所で過ごした。犯した罪は償ったと思う。だが今日の判決で、刑期が延長されても・・・俺の優秀な弁護士はこう言う。“ビリー、腹を立てるな。冷静になれ”と。“素直にしてれば恩赦もあるし、上告もできる”と。この3年半、それを言い続けた。俺は彼の言うことを聞き、その通りにした。だがそれにも厭きた。今までの判決通りなら、残りの刑期は53日だ。俺に53日をチラつかせたのは、あんたらだ。それを突然取り上げる奴がいる。そこの男だ!ここに立って、今の俺の気持ちをたっぷり味わうがいい!」

ビリーは担当検事を指差して、叫び上げた。彼の怒りは終らない。

「今まで知らなかったことが色々分るぜ、検事さん。慈悲。分るか?どんな社会にも必要なのは慈悲の心であり、公平の精神と正義だ。あんたにはトイレで熊にクソをさせるのと同じだが・・・豚ばかりいる国で、なぜ豚を食わん?キリストは悪人を許したが、俺は許せん。俺は憎む、あんたらを!あんたらの国を!あんたらの国民を!あんたらの息子も娘もみんな豚だ!豚だ!お前ら全部・・・」

ビリーの虚しい絶叫は、閉じていった。その後、通訳により判決が言い渡された。

「最高裁の命により、ウィリアム・ヘイズはサグラムチラー刑務所にて、30年の懲役刑に処す」

ビリー・ヘイズは殆んど終身刑に均しい刑罰を受けて、刑務所に引き続き拘束されることになった。

彼にとってもはや、刑務所からの脱獄しか自由になる手段が残っていなかったのである。


彼はマックスやジミーと共謀し、脱走計画を練って、その遂行に邁進していく。

監房のコンクリのブロックを取り外し、脱走路を確保しようとしたが、それも看守の知るところとなり、呆気なく頓挫してしまった。

その後に待つのは、看守長主導による苛酷なペナルティだった。脱走の前歴があったジミーが特定され、看守長に連行されて行ったのである。

彼らの計画を密告したのは、彼らの直接の世話をする見張り役のトルコ人、リフキだった。囚人でもあるリフキに恨みを持つマックスとビリーは、彼が隠し持っていた有り金全てを盗み取ったのである。

一つの小さな復讐が果たされたが、しかし二人は、一人で罪を被ったジミーの状況を知って胸を痛めた。

ジミーは苛酷な拷問の結果、ヘルニアが酷くなり、町の病院へ送られたということだった。彼は最後まで口を割らなかったのである。

ところが、収容所内でハシシが発見され、囚人全員が一同に集められ、マックスに恨みを持つリフキの密告で、マックスが看守長に指弾されることになった。今度は、マックスが犠牲になったのである。

怒り狂ったビリーは、リフキに飛びかかり、激しく暴行を繰り返した。

リフキの眼を抉り、その舌を噛み切ったのである。

その結果、ビリーは当然の如く激しい拷問を受け、遂に「精神異常者専用地区」に収監されることになった。



4  精神異常者専用地区



7ヵ月後。1975年1月である。

そこでは、陶酔気分で歌う者、弦楽器を奏でる者、下を向いてずっと俯(うつむ)いている者、叫んでいる者、だらしなく階段を昇る者、サークルのラインを作って、地下の巨大な柱を回って信仰の言葉を繋いでいく者、様々だった。

マックスもその一種異様な空間内にあって、叫びを上げて何やら呻いていた。

そしてビリーは、その狂気の渦の中に埋もれまいと、懸命に自我を守っているように見えた。

恋人のスーザンが、アメリカからビリーに面会に来たのは、まさにそんな時だった。

「ビリー、皆元気よ。バックレー議員が助命運動を始めたわ。あなたはアメリカとトルコ外交の犠牲者よ。手紙も来てるわ。励ましの・・・」

ビリーは訳の分らないことを喋って、スーザンから確認を求められた。

「脱いで。脱いでくれ」とビリー。泣きそうな声で訴えた。
「ダメよ、ここじゃ」
「脱いでくれ。お願いだ」

スーザンは泣きながら上半身を裸になって、そのバストをビリーに露出した。ビリーはガラス越しに恋人を抱擁し、何やら呟いている。

「好きにさせてあげたいけど、できない・・・」
「スーザン・・・」とビリー。殆んど泣いている。
「何?」
「愛してる・・・愛してる」

スーザンとビリー
泣き崩れていくビリーを見て、スーザンは別れ際に、心から叫ぶようにその思いをストレートに刻んだ。

「もう限界よ。これ以上いたら、死ぬわ。どんなことがあっても頑張ってね。ここから出るのよ」


一人になったビリーは、地下の巨大な柱の周りを右廻りするトルコの人々の宗教的習慣に逆らって、一人だけそこを左回りしている。

右回りする人々の制止を振り切って、彼は精神病棟での秩序を無視するかのような態度を明瞭にしていくのだ。

ビリーは今、確信的に生きる者のように、その態度を鮮明にしていった。

彼は、病棟の一画で殆んど自我を崩されているマックスのもとに近づいて、小声でその思いを伝えたのである。

「マックス、俺は行くぞ。お別れを言いに来たんだ。ここにいたら俺は死ぬ。お前もだ。だが死ぬなよ。いいな、死ぬんじゃない。必ず助けに来る。約束だ。俺のためにも頑張れよ」

マックスはその言葉に充分反応できないでいた。

その直後、ビリーのたった一人の脱出行が開かれたのである。彼はもう後戻りできなかったのだ。

その第一関門は、所長の存在を突き抜けていくことだった。ビリーは所長に話があると言って、彼に近づいた。

「所長、お願いがある。金はこの通りだ。ここに100ドルある。これで病院へ入れてくれ。病院へ入りたい」

所長はトルコ語を話すが、どうやら商談が成立したようだった。

彼はビリーの金を受け取って、それを胸のポケットに押し込んだ。そしてビリーを連れて、病棟の鉄扉の鍵を開けて、そこを出て行った。

ところが、所長が連れて行った先は病院ではなく、精神病棟の一画にある薄明かりの差す広い部屋だった。

所長はビリーを押し倒して、言い放った。

「お前は新入りじゃない。いいか、ここで発狂するんだ」

所長はそういうや否や、ビリーを蹴飛ばし、踏みつけた。

「今から可愛がってやる、へイズ!」

所長は怯えるビリーの前で、ズボンのチャックを下ろし、脱ぎかけた。

その瞬間しかなかった。
ビリーは、所長に向って体当たりしたのだ。

所長は運悪く、塀の周りを張り巡る金具の突起に後頭部を突き刺して、即死した。

それを暫く見つめていたビリーは、所長のベルトから拳銃を抜き取って、そのまま脱出行に向って行った。

ビリーは看守の服に着替えて、彼を特定できない他の看守から鍵を受け取って、外に通じる病棟の扉を開け、そのまま戸外に脱出したのである。

脱出した喜びを、ビリーは全身を自由な空気に高々と跳躍することで表現した。


“1975年10月4日の夜、ビリーはギリシャに入り、3週間後、ケネディ空港に着いた。1978年5月18日、この映画はカンヌ映画祭で公開され、その43日後、米国とトルコは囚人交換の協定を結んだ”

これが、本作の最後のキャプション。

映像は、帰国を果たしたビリーが、両親や恋人と抱擁する場面を映し出して、閉じていった。


*       *       *       *




5  映像世界の虚構性



本作に言及する前に、少なくとも、そこで描かれた映像世界の虚構性について触れておかねばならないだろう。

本作におけるビリーの行動のラジカルな描写は原作にはなく、とりわけリフキへの暴行や、ラストシーンの所長殺害、更にその脱走行の綺麗過ぎる描写については全て虚構である。

と言うより、実際の脱出の方が遥かに困難を極めていて、小舟に乗って対岸に渡るという命懸けのアクションだったらしい。他にも幾つかの点で事実と乖離する描写があったが、しかし本筋では、一定程度の実話性を保証していたのは事実である。

然るに冒頭でも書いたが、それがどれほどの実話性を保証するものであるか否かという点に拘泥することは、殆んどナンセンスである。

それが確信犯罪的なプロパガンダ・ムービーならともかく、そこまでの事実の歪曲が顕著に見られない限り、それをどこまでも一篇の映像作品として対峙し、批評していかねばならないということであって、それ以外ではないのだ。だから私も、そのような把握を持って言及していく。

さて本作を批評するとき、作り手がどのような意図を含んで表現したかについては定かではないが、少なくとも、私は二点の視座によって本作を切り取っていきたいと考えている。

その一つは、自分が置かれた状況を理不尽なものであると捉えた若い自我が、その苛烈な状況を自力突破することで、自分が本来手に入れるべきはずの普通の自由を奪回するという基幹的なストーリー・ラインである。

そしてもう一つは、そのような状況に囲繞された自我が、その武装形態である身体が張り巡らした感覚を介して圧倒的に侵入してくる、言ってみれば、極めつけの「異文化摩擦」の、その際立って尖った反応の様態であるという視座である。



6  自立的な状況突破



―― それぞれ言及していこう。

まず、第一の点。

「自立的な状況突破」の問題である。

この点に言及するには、主人公の自我が明らかに自分が蒙った事態を、人権無視の劣悪な状況であると捉えていたことを了解しておく必要がある。

青年には自分の犯した行為の違法性の認識はあったが、しかしそれは、保釈金で解決できるレベルの犯罪のカテゴリーを逸脱していないと考えていたように見える。

逮捕から拘置に至るまでの青年の緊張感は、後述するカルチャー・ショックの心理状況と脈絡する何かであったに違いない。

ところが、法廷で下された判決の内実は、青年の認識の甘さを砕くのに充分すぎるほどの苛酷な処分であった。

興味深いのは、当法廷での担当検事の論告求刑の内容の厳しさである。

検事はヘロイン供給国と看做される国家の屈辱を訴えて、その尊厳を守るために、不法外国人に対して最大限の鉄槌を下すべく、青年に終身刑を求刑したのである。従って、そこで下された4年の服役刑の軽微さを、検事は弾劾することさえ躊躇(ためら)わなかった。

正義を信じて止まないこの検事の振舞いは、その判決内容に対してさえ不満を持つビリー父子との、決定的な意識の落差を際立たせる描写だった。

そこに国際政治の複雑な問題が絡んでいたにせよ、「息子を助けられない」と嘆く父の怒りが、息子に対してよりも、その息子の身柄を拘束する刑務所の所長に向けられていたという事実の中に、既に「異文化摩擦」の負性なる尖りが露呈されていたと言えるだろう。

結果的に、青年は服役生活を受容せざるを得なかった。

彼にとって唯一の目的は、4年の歳月を耐えること以外になかったのである。そして、青年は1年の減刑の期待もあって、その期間を耐え抜いた。

その間、刑務所で友人となったアメリカ青年の脱獄の無謀な計画にも参加せず、ひたすら時間の消化のみに全エネルギーを集中させていく。

結局、1年の減刑は実現できなかったが、それでも、あと53日すれば釈放されるという希望の只中で、青年の再審が決定されたのである。

再審と言っても、冤罪を晴らすための裁判の開始ではない。服役生活終了直前での、裁判のやり直しなのだ。これは例の正義派検事の、国家の威信を賭けたアクションによって為されたものだった。

当然そこには、対米関係を悪化させていたトルコ政府の思惑も絡んでいる。

青年はそんな国際政治のスケープ・ゴートになったという把握の下で、この決定的な局面での描写を、明らかに作り手は刻んでいる。

その真偽の程は断定しかねるが、少なくとも青年の再審と、それによる30年の服役刑の決定という事実は理不尽極まるものだった。当然、誰でもそう考えるし、青年もまたその理不尽さを、そこに自分を守る誰もいない法廷で、英語の分らぬ検事や判事に向って虚しく弾劾した。

その舌鋒は鋭かった。

「今日は合法でも、明日は突然違法になる。特殊な社会だからだ。そして昨日の違法が、突然合法になる。しかしだからと言って、全員の投獄は出来ない。正しいか、間違いかより、それがここの現実だ」

青年は長広舌を振るった後、最後に自分の中で溜まっていた感情を爆発させたのである。

「俺は憎む、あんたらを!あんたらの国を!あんたらの国民を!あんたらの息子も娘もみんな豚だ!豚だ!お前ら全部・・・」

しかし、この英語を理解できない多くの敵対者の中で、青年は孤立するしかなかった。彼は精神的に極まってしまったのである。

もはや、青年にとって残された手段は、「深夜特急」に乗る以外になかった。

そして彼は、既に、単身で「特急」に乗ることにしくじってヘルニアになった獄友と謀って、本気で「深夜特急」に乗るために房内のコンクリを砕いていくが、それにも挫折した。

挫折の後に待っていたのは、獄友の病院送りの事態と、彼を密告したトルコ人の囚人への暴力的復讐だった。

リフキと呼ばれるトルコ人の眼を抉り、その舌を噛み切る凄惨なシーンは、当然の如く映像上の創作だが、そこに至る感情の激流は心理的必然性を保証するものであるが故に、観る者の心情に訴える効果的な描写であると言えようか。

但し、その苛烈な描写が内包する「理不尽なるものへ異議申し立て」の身体言語は、壮年期を迎えた者が受容するにはあまりに過剰であり過ぎた。

その7ヵ月後、遂に青年は精神病棟に送り込まれてしまった。

その辺の描写は原作と多くの点で異なっているが、あくまでも、私たちは映像のラインでフォローしていかねばならない。

青年は病棟の中で、それまでの描写でしばしば垣間見せた、柔和な表情を完全に捨て切っている。

壮絶ですらあった。しかしその壮絶さは、その異様な環境に置かれた中で感情を置き去りにした他の囚人たちのそれと、殆んど確信的に切れていた。

青年の自我は、それ以外にないという潜り方によって、今にも壊れそうな自我を必死に繋いでいたのである。この辺りの描写は蓋(けだ)し圧巻だった。

本作は、極限状況に置かれてもなお、何とか崩されまいと必死に喘ぐ、その魂の揺動のさまを描いた一篇でもあったということだ。

そして、恋人との面会の描写。

恋人の前で泣き崩れる青年の呻きは、まさしく青年の自我が崩壊のさまを呈していないことの証明でもあったのだ。

更に青年は、恋人の乳房をガラス越しに貪って、自慰行為にすら耽った。この行為が示すものもまた、青年に人間の本来的な感情が健全に維持されていたことの検証以外の何ものでもない。この描写をおぞましく観る者がいたとすれば、それは人間性の表現様態を恐ろしく理念系の枠内で把握することを晒すものになるだろう。

まさにこのエピソードこそ、青年の人格性を素朴なほどストレートに表現した極めつけの描写であった。

青年の自我は部分的な崩落を見せつつあったが、そ芯のの部分で削り取られていなかったのである。

そして恋人との再会が、青年の自我をより武装化し、より確信的なものに変えていった。

「自分はここにいたら死んでしまう」

青年がそう確信したとき、決死の脱出行に向って走り出したのである。

恋人が青年の救済運動が母国で始まっていると告げたが、青年には既に、他者の政治的な駆け引きに利用される甘さとはすっかり切れていた。

自力突破。

青年には、それ以外の選択肢が残されていなかったのだ。

青年は、遂に決行した。

不本意にも所長を殺害するに至ったが、拳銃を奪い、看守の制服を奪うことで、自力の脱出行を果たしたのである。

そこに仮託されたメッセージは明瞭だ。

自由は自らの手で奪い取れ。

そして如何なる理不尽な状況下に置かれようとも、例えばマックスのように、その状況に呑み込まれることなく、自我の砦を頑なに守り、それを常に武装することを怠るな。

理不尽なる状況下でこそ、堅固な自我の要塞を構築せねばならないのだ。

恐らく、そんなメッセージが熱っぽく盛り込まれていたからこそ、それを観た若者たちはその魂を震わせ、圧倒的な映像的感動を享受したに違いない。

かつて、私もまた、それを享受した者の一人であった。



7  異文化摩擦



第二の点。

それは、「異文化摩擦」が惹起する極めてシビアなテーマである。

結論から言えば、青年は甘すぎたのである。

現在のヒッピー達の集会 (ウィキ)
当時、ヒッピー文化の野火の広がりのような影響下で、各地を漫遊する多くの青年たちが群れを成していた。

その漫遊を自国文化の枠内で留めておけばいいのに、あろうことか、世界を漫遊するアメリカ青年たちが多く存在したのである。

彼らは自国内の文化で、殆ど許容されていたと信じるマリファナの吸引に飽き足らず、遥か異国の地に自国の文化を持ち込んで、そのスリリングなドラッグ・トリップを愉悦する愚挙を捨てようとはしなかったのだ。


本作の主人公である青年もまた、そんな浮薄な連中の一人だった。

トルコという、その拠って立つ精神文化を異にする国でハシシを取得し、青年はそれを自国に持ち帰ろうとした。

青年は、自分の狭隘なる漫遊の成果を誇示するつもりであったと思われる。

そんな行為がどこかで是認される異様な文化が、この時代に呼吸する若者たちの間で蔓延(はびこ)っていたのである。

そのような発想にぶら下っていた青年の甘さが、彼の受難の根柢に存在していたことを看過してはならないだろう。

ところが、トルコという国家は、当時、極めて政情不安定で、左右のクーデターが度々起り、爆破テロも頻発していた。

加えて、本来NATOに加盟し、後の湾岸戦争の際にも米軍にその基地を提供し(但し、イラク戦争では提供せず)、現在EUへの加盟を交渉する異端のイスラム文化圏にあり、近代化を進める稀有な中東国家でありながらも、ニクソン政権下のアメリカとの関係は良好ではなく、先述したように麻薬供給の中枢的ルートとして国際世論の槍玉に上げられていた(注・原作の一部を引用する)。

そんな状況下のトルコにとって、ドラッグの漫遊青年たちの存在は、害悪極まる何者かでしかなかったのだ。現に、青年が収容された刑務所の中の外国人の90パーセントが、ハシシの不法所持で拘束された者たちだったのである。

とりわけ、青年の獄友となったエリックは、その僅かな量の不法所持のみで、12年の刑を言い渡されていた。だから彼は「深夜特急」に乗り込むことのみに全神経を注いだのであり、その結果、病院送りになってしまったのだ。


(注)「ニクソン政権は、阿片のもとになるケシの栽培をやめることを、トルコに対する対外援助の条件にしていた。トルコの農民はカンカンに怒った。彼らはアメリカに圧力をかけるよう求めた。アンカラの裁判所は、“国際秩序を守るため”麻薬関係の違反者に対する処罰を強化した、ということだった。私の事件の場合、裁判は“国際取り決め”に沿っていた。裁判所は、トルコでは阿片の密輸でも最高10年の刑にしかならないことを無視していた。《ニューズデイ》は私を“ケシ戦争の犠牲者”と名づけた」(「ミッドナイト・エクスプレス」B・ヘイズ/W・ホッファー原作 小関哲哉訳 ヘラルド・エンタープライズ発行)


そして何よりも重要なのは、異文化圏にあって、少なくとも、そこで明瞭な犯罪を犯したにも拘らず、青年自身の、自ら招来した事態に対する認知が著しく欠如していたという点である。

乾燥大麻
彼には明らかに行為自身の違法性の認識がありながらも、ハシシを不法に国外流出しようとしたその責任意識があまりに稀薄なのだ。

自分の逮捕、拘禁について、単に運が悪かったという認識しか持てなかった甘さは、必ずしも無知ゆえの産物ではなく、自国の尖ったヒッピー文化が世界規模で罷(まか)り通ると安易に考えたに違いない、その傲慢さの裏返しでもあった。

確かに彼は、不運な漫遊者であったのかも知れない。

しかしそれ以上に青年は、異国文化の基本的理解に欠如していたのである。

かつてフィリピンの愛国青年が、「アメリカだけが世界じゃない」という叫びを主唱していたが(「クーリエ・ジャポン」のコピーでも有名)、そのスタンダード・モデルの当のアメリカ青年の把握のうちに、「英語が通じない国は遅れている」という傲慢なる異国観がなかったと言えるのだろうか。

私が印象深い描写の中に、青年の父が息子と接見した際、息子を拘束することへの怒りを、トルコの刑務所長に口汚く罵ったシーンがあった。

この父親は明らかに息子の行為に対して批判的でありながらも、なお息子を庇い、守ろうとする態度の根柢には、英語が通じない国への苛立ちが垣間見えるのである。

異文化交流の原点が、コミュニケーションの成立にあることは言うまでもない。

相手の国の言語が分らなかったら、身振りや手振りによって何とか意思疎通を図ろうとする。当然のことである。

異国の地に足を踏み入れたら、自分がまず相手の文化を、その表層部分だけでも理解しようと努めるのが礼儀であり、誠意でもある。

そして異国の地で禁止されているものが、たとえ自国で是認されたものであっても、その国の法規範に従うのは最低限のルールであるだろう。

そのような最低限の枠組みについての基本的把握が、本作の主人公である青年に欠如していたのである。

全てトルコが悪い。だから、即時釈放せよ。そんな甘い考えの表層辺りには、以上の意識の媒介が濃密に見られるのである。

言わずもがな、そこに如何なる政治的思惑が働いていたにしても、青年が30年の拘留の延期が最終的に決定されたことは、紛う方なく、理不尽極まりないものであった。

その意味で、彼が国際政治の犠牲者になったことは否定できないであろう。

現に、この事件によって、事態が好転していった歴史的経緯がある。それはそれで好ましいことであろうが、しかしその辺りの状況の変遷と、青年の意識世界の流れ方とは全く別の問題である。

青年は明らかに自己基準で動き、恐らく、その視座を最後まで変えられないまま、「理不尽で、野蛮なる文化に拠って立つ国の司法によって、野蛮な処遇に閉縛されるようにして裁かれ、抹殺されようとした」という把握の下で、その「野蛮なる国家」の主権が及ばない場所への自力突破を図ろうとして、遂にそれを成功裡に具現したのである。

青年の自己基準の振り子は、結局、最後まで変わらなかったのだ。

青年は最後まで、異文化との表層的なアクセスすらも拒み続け、「深夜特急」に自力で乗り込んで、終着駅まで辿り着いたことによって、自らを「横暴な権力の壁を突き破った勝利者」であると自己顕示したのであろうか。

然るに、決して愚昧であると思われない青年の、極限下での心理状況を見事なまでに描写した映像の力量は圧倒的だったが故に、私としては却って、「愚弄され、罵られ、その理不尽な振舞いを捨てない醜悪さを象徴する存在であった『トルコ』という絶対敵対者」を、誇張含みで対立項に据えることで、そこに、その精神文化まで包含させた負性の城砦を、青年の自力突破によって砕かれる悪の権化としてイメージ化された感のある、この映像の声高な文脈に、正直言って、違和感を覚えているのは事実である。

その辺りに、いつでも「絶対敵対者」を作らざるを得ない宿命を負う、数多の社会派映画の過剰さを垣間見てしまうのである。

「ラストサムライ」より
それでも本作は、「ラストサムライ」(エドワード・ズウィック監督)の褒め殺しの薄気味悪さに比べれば、「過剰さ」という隘路に潜り込んだ分を差し引いても、ある種の社会派映画が捨て切った、「絶対美学への傾倒」より遥かにマシな映像であった。

ついでに言えば、本作の圧倒的映像の表現力には脱帽する思いを捨て切れない何かが、未だ本作に駄目を押せない大きな理由になっているのである。

―― ところで異文化交流の艱難(かんなん)さについて言及した、極めて繊細なレポートがここにある。

その一文を紹介しよう。

「彼がイスラム教徒であることを知ったのは、私の薦めで注文した焼きそばがテーブルに運ばれてきたときだ。それまで温厚だった彼の顔は一変した。『豚肉が入っている』とひとこと言うと、黙ってその皿を机のはじに押しやった。みなさんも想像がつくと思うが、サラリーマンが昼食に食べる焼きそばにはそんなにたくさんの肉など入っていない。机上の焼きそばに目をやると、豚肉と思われる小さな肉片が麺と野菜の間から顔を出している。敬虔なイスラム教徒には小さな肉片でも豚肉がすぐに判別できたらしい。その日、夕方近くまでかかったシンポジウム会場で空腹を我慢して懸命に傍聴していた彼の顔を思い出すたびに申し訳ないことをしたと反省している」(JICA HP:ODAジャーナリストのつぶやき「異文化理解の難しさ」より)

このレポートで痛感するのは、異文化と日常性の次元でクロスするときの難しさである。

まず何よりも、相手を知ることが先決であることは言うまでもない。

第一に、相手の拠って立つ精神文化への最低限の理解と、その現状を把握することは殆ど初歩的なマナーであるということ。

第二に、自己基準の押し付けは決して避けること。

しかしそれは、この二点の学習を経てもなお艱難なテーマであるということだ。

当然である。長い年月を経て形成された文化への理解が、僅かばかりの異文化交流によって達成されると考えること自体、殆んどナンセンスであると言っていい。それ故にこそ、異文化とクロスするときの繊細な心構えが緊要であるということだ。

本作の主人公には、その最も重要な点が最後まで欠落していたのである。



8  突破されねばならない「絶対敵対者」の存在の必要性



―― ここにもう一つ、本作の原作となった手記について言及した小文を紹介しよう。

「これは異質の文明が衝突した時、そこに発生した火花と悲劇と人間模様の、一つの証言である。作者ビリー・ヘイズは、ニューヨーク郊外に住む信心深い、保守的なアイルランド系の家庭に三人兄弟の長男として生まれる。カトリック系の高校をスポーツ万能、成績優秀の優等生で卒業、ミルウォーキーにあるやはりカトリック系のマルケット大学にはいる。

“良い子”を絵にかいたようなこの学生でさえ、平気でマリファナを吸い、それがさして罪悪視されない昨今のアメリカ社会を知らないと、この作品の面白味は半減する。

マリファナやハシシに手を出しても、若気のいたずらと大目に見るパーミッシブ・ソサエティ(何でも許される社会)のふわふわしたムードのまま、世界放浪の旅に出たビリーは、トルコのイスタンブールでハシシを買う。アメリカと比べてバカみたいに安い。軽い冒険のつもりで飛行機に乗ろうとし、トルコ警察につかまる。(略)トルコは麻薬天国として悪名高い。

だが、ビリーの遭遇したトルコ文明は、国家の体面と宗教の戒律を重んじる、タテマエの文化圏にあった。そのタテマエは、栄光あるトルコから麻薬が密輸されるなどという恥知らずな事を絶対に認めようとしない。何とかなるだろうというビリーの甘い期待は、次々に裏切られていく。

当然だ。ビリーが育った優しい世代の文明を、トルコ文明は頭から認めていないのだから。サグマルシラール刑務所や、バキルコイ精神病院でビリーが体験した血も凍るような光景は、彼が初めて味わったカルチャー・ショックだった」(「ミッドナイト・エクスプレス」B・ヘイズ/W・ホッファー原作 小関哲哉訳/ヘラルド・エンタープライズ発行/筆者段落構成)

以上は、本作の原作となった同名著書の訳者(同上)の「あとがき」の一文である。

1978年10月の発刊時に書かれたものである。

従ってその内容は、現在のアメリカとトルコの文化事情と必ずしも一致しないことを、まず念頭に置いておかねばならないであろう。

「文明の衝突」という表現には誇張があるが、しかしこの一文で指摘された事実は、極めて重要な意味合いを持っていると考える。

本作の主人公の青年の甘さが端的に指摘されているからである。

「ふわふわしたムードのまま、世界放浪の旅に出たビリー」についての言及は、映像の中で紹介された、些か「悲劇の主人公」的イメージを払拭するのに充分な指摘になると言っていい。

―― 要するに、本稿で言及した二点についての私なりの把握を通して帰結する、一つの結論が以上の小文によって裏付けられるものであるということだ。


それを、要約すればこういうことである。

即ち、艱難な状況に追い詰められた青年が、誰の手も借りず、その状況を自力で正面突破する物語を基軸に据えてしまうと、そこにはどうしても、青年によって突破されねばならない「絶対敵対者」の存在が必要になってしまうということである。

そこでは、「トルコ」及び「トルコ人」、或いは、彼らの拠って立つ精神文化の「異常性」を強調することによって、青年の自由なる逃避行の前に立ち塞がる邪悪な壁の存在性が、より際立つ何かでなければならなくなってくるのだ。

そこにこそ、ある種の社会派映画の過剰さが生まれてしまうのである。

アラン・パーカー監督
残念ながら、本作もまた、その例に漏れなかった。

ましてや、アメリカ映画である。アラン・パーカー自身は英国人だが、物語の中枢ラインは、「艱難な状況を自力突破するアメリカ人」という枠内で押さえられていた。

従って、そこにどうしても、「絶対敵対者」を誇張的に作らざるを得なかったという訳である。

そしてもう一つ。

それは、本作には、「ハシシ所持程度の犯罪で、長期に及ぶ拘留を強いられるのは理不尽である」という思いが包含されているように見えるのだ。

何度も書くが、確かに「30年の拘留」という判決は理不尽極まりない。

しかし本作は、それが当初、「4年2ヶ月」という判決を受けた事実に対しても、異議申し立てをするような思いが見受けられるのだ。そのような「アメリカ基準」的な発想こそ、私が最も気になったところである。

(2006年9月)






ミシシッピー・バーニング('88)      アラン・パーカー


 <「近接してくる者たちへの恐怖」が暴走するとき> 



1  カタルシスを必要とする映画



私は声高で、含みの少ないダイレクトな主張する映像作家をあまり好まない。

まして、その人間が社会派系の作家となれば、一歩も二歩も引いてしまうところがある。

若かりし頃は、寧ろ、理非曲直の明快な社会派的なヒューマニズムに大きく振れていた私だが、還暦を迎えようとする典型的な団塊世代の申し子で、重篤な脊損患者でもある現在の私には、その昔、自分の心を捉えて止まない社会派的ヒューマニズムはおろか、そこに抑制を効かせつつも、気障(きざ)でスタイリッシュな演出のあざとさを少しでも感じてしまったり、興行成績の成否への配慮を過剰に感じさせたりする類の娯楽作品など、初めから確信的に蹴飛ばしてしまうような、しばしば乱暴な映画鑑賞を厭わない、些かアブノーマルなスタンスがすっかり形成されてしまっている。

だから、初見の作品を一応初めの30分間だけは我慢して観るが、自分の耐性限界を越えたと判断するや、たとえレンタルした作品も平気で強制終了させてしまったりもする。

それ故、近年の作品で、最後まで鑑賞し切る作品と出会うケースの方が、寧ろ稀有な方なのだ。

今の私には、「持ち時間が少ない」という非日常的な問題意識があることが、それらの乱暴な所業を厭わない日常的行為の心理的バックボーンにある。

それが、「映画大好き人間」を自称して止まない男の、「非日常の日常」の極めて尖った風景の真実の様態である。

そんな私だが、なぜか殆ど例外的に認知している声高で、社会派系の映画監督がいる。

アラン・パーカーその人である。

自分でも不思議なほど、この人の作品には多分に惹きつけられるものがあり、そして、その思いも若い頃から微妙な変化を見せているものの、やはり私にとって外せない映像作家なのである。

その理由の一つは、「ミッドナイト・エクスプレス」の衝撃と、その映像表現力の圧倒的な迫力である。

「ミッドナイト・エクスプレス」との出会いは、当時の私にとって、殆ど一つの文化的事件と言ってもよかった。(しかし残念ながら、今、繰り返しこの映画を観ても、全くそのときの激しいうねりのような感動がない。私自身の映画観が微妙に変化したためである。これに関しては、当該作への論考の際に言及する)

更に、もう一つ。

それは、「ザ・コミットメンツ」(1991年製作)に代表されるように、この人の作品は面白いという理由以外ではない。

日系人隔離政策を描いた「愛と哀しみの旅路」より
「愛と哀しみの旅路」(1990年製作)のような重いテーマを扱っても、グイグイと、観る者を自分の映像世界に引き摺り込んでしまうような迫力に満ちているのだ。凄腕なのである。

そして、そんな凄腕を見せつけられた作品の一つが、本作の「ミシシッピー・バーニング」であった。

この映画を観終わった後の、何とも言いようのない感情のうねり。

それは「ミッドナイト・エクスプレス」を観たときのそれに似ていて、否が応でも、アラン・パーカーという映像作家の存在を意識せずにはいられなかった。

本作を観終わった後の私の感情のうねりの正体は、正直言えば、不条理な歴史的現実と付き合わされたときの憤怒の感情以外の何ものでもなかった。

それ以前から私は、「アメリカ」という国が、「光の近代」の深部に抱えた闇の現実について深い関心を持っていて、好んでそれに言及した著作や映像に親しんでいたが、その闇の歴史の終焉しない現実を、ここまで声高に映像化した作品を観ることで、改めて、噴き上がってくる感情を時間の澱みに流し込むしかなかったほどである。

確かにこの作品は、群を抜いて完成度の高い傑作であるという評価とは無縁であろう。

最後に用意した、カタルシスなしでは済まないであろう映画鑑賞者への、過剰とも思えるハリウッド的なサービスは、シビアな問題意識で勝負し切った覚悟の前では不要であると言えようか。

しかし、この作品に限っては、最後に一定のカタルシスを予定調和的に待機させて欲しいと願わんばかりの映像であったのだ。

だから私にとって本作は、例外的にハリウッド的カタルシスに、一応、首肯し得るシグナルを出さざるを得ない類の何かだったと言えるだろう。

二人の刑事の類型的な対立型キャラクターの設定もまた安直だったが、それらの常套的な欠点に眼を瞑ることが許され得る作品、それが「ミシシッピー・バーニング」だったのである。


―― そのような一種異様で、何よりも鮮烈な作品のストーリーラインを追っていこう。



2  フリーダム・サマーの侵入



「フリーダム・サマー」
「フリーダム・サマー」と呼ばれる、1964年夏の公民権運動家たちの熱心な活動がアメリカ南部で展開された。

その中に、北部から来た若い三人の活動家がいた。

二人はユダヤ人で、一人は黒人だった。

ミシシッピー州に入った彼らは、スピード違反の容疑で拘束され、まもなく釈放された後、行方不明になった。

三人はやがて死体となったことで、この国の「闇の近代」の深部を炙り出す陰湿な事件となって、世論を大いに沸騰させた。

彼らはKKKから射殺されたことが判明したのだが、その根は深く、今世紀に至っても、なお大きな歴史的なしこりを残す事件として、係争中である。

以下、ミシシッピー州に絡む人種差別についてのブログからの記事。

「アラバマ州Montgomery(モンガメリ)の市内に、公民権運動の主な事件と犠牲になった人々の名を刻んだ記念碑があります。犠牲者は1955年に始まり1968年のキング牧師まで40人です。事件や名前の上を水が流れる水盤のようなデザイン。デザイナーはWashington D.C.のヴィエトナム戦没者慰霊碑も手がけたMaya Lin(マヤ・リン)。全40人の犠牲者を州別に数えてみると、ミシシッピ州18人がトップで、二番目がアラバマ州の13人でした。犠牲者には他の州からのサポーターたちも含まれていますので、純粋に州出身の人間ばかりではありません。しかし、二州合わせて全体の77・5%というのは、どれだけミシシッピとアラバマの人種差別が激しかったかを物語っています」(Studio Be HP:「公民権運動・史跡めぐり」より)

本作の舞台となった事件の被害者である三人の活動家も、その「殉教碑」の内に含まれていたのである。

この映画は、その三人の失踪の謎を突き止めるべく、FBIから派遣された二人の捜査官の捜査活動の物語である。

その捜査官の一人は、ルバート・アンダーソン。叩き上げの熟練刑事である。

もう一人は、アラン・ウォード。ハーバード大卒の若きエリート刑事である。

“共産主義者に、黒人にユダヤ人、仲間に伝えておけ。最後の審判の日は間近だぞ。主は天から見ておられる。人種を混ぜちゃ、世も終わり。可愛い赤ん坊、黒いのはお断りだ。そんな奴らは撲滅だ。我ら、KKK団。そんな奴らは撲滅だ。我ら、KKK団”

ミシシッピー州の現地に向う車の中で、アンダーソン刑事は助手席で、「KKK団の歌」を下手な調子で歌っている。

運転しているのはウォード刑事。

FBIに入ってから3年のキャリアしか持たない若手エリート刑事。

当然の如く、そんな二人の会話は、車中でも噛み合わなかった。

現地に着いた二人を待つのは、町の人々の冷たい視線。

保安官もまた、彼らに冷ややかな視線を注ぐばかり。

二人の捜査の始まりは難航が予想されたとは言え、全く手掛かりのない状態からのスタートだった。

アンダーソン(左)とウォード(右)
「俺も昔、こんな町の保安官をしていた・・・ウソもクソもない。ここはまるで僻地のド田舎だ。保安官がそう言うなら、そうさ」

アンダーソンは、既に悟り切った者のような覚悟を括っている。

その覚悟を括り切れないウォードとの差は歴然としていた。

彼はレストランで、平気で若い黒人に語りかけていく。

南部共同体の特有の空気を切り裂く青年刑事の振舞いに、店内にいる者たちの視線が一斉に集中した。

「話はないですよ」と若い黒人。

彼は最初から北部から来た白人刑事との接触を避けている。そうしなければ、自分の身の安全が保てないのだ。

以下、焼け跡を見た二人の刑事の会話。

「三人はこの町に、有権者登録所を作ろうとした。ところが、KKK団が焼き討ちを」
「選挙はさせずか?」
「その通り」
「事務所は何と?」
「三人は集会所を焼かれた謝罪に来たと・・・町に戻って、誰かと話しているはずだ。そこから始める」
「誰も何も言わんよ。皆、ここで一生暮らすんだ。つまらんことは言わんよ」
「それが我々の仕事だ」

二人の意識には相当の落差がある。

その落差は、ウォ-ド刑事の認識の甘さによって露呈されることになった。

三人の手掛かりを求めて黒人宅を訪ねても、誰も何も答えないのである。

「一体、なぜこんな憎しみが・・・」とウォード。
「俺が子供の頃、近所にモンローって黒人がいた。そいつは、親父より運のいい奴だ。ラバを買った。当時大変なものだった。親父は嫌っていた。モンローはラバで畑を耕している。皆が囃した。モンローの畑は、どんどんでかくなるってね。ある朝、ラバが死んでいた。誰かが毒を。以来、誰もラバの話をしなくなった。ある日、モンローの家は空になっていた。北部にでも行ったんだろう。親父の顔を見たよ。親父の仕業だった。親父は息子に気づかれて、恥じたんだろう。俺にこう言った。“黒いのに負けちゃ、おしまいだ”とね」
「言い訳か?」
「親父の話をしたのさ」
「つまり何だ?」
「黒人を憎んだ親父の本当の敵は貧乏だった」

この会話の瞬間、二人の泊まったモーテルの部屋に銃丸が撃ち込まれ、窓ガラスが砕け散った。

「これで分ったろ」とアンダーソン。
「本部に応援を送らせる」とウォード。
「そいつは絶対にまずい」
「送らせる」

焦燥の色を隠せないウォード刑事
ウォードの気負いだけが際立っていた。


まもなく北部から応援がやって来た。

ウォードの戦略は徹底した合理的捜査によって貫かれていた。

三人の活動家が乗った乗用車が沼から発見され、海軍予備隊のサポートによって、大掛かりな沼の捜索が実施された。

しかし手掛かりとなるようなものは全くなかった。

その間、フリーダム・サマーに参加した黒人がリンチに遭ったり、また黒人の集会所や教会、家屋が焼き打ちの被害に遭ったりした。

まさに、「ミシシッピー・バーニング」の世界が展開されていく。

KKKも随所に出没するようになり、北部から「白人殺し」の捜査に関心を持つメディアが押しかけて来た。

それが却って地元民の感情を逆撫ですることになったのである。

彼らの保守的な北部嫌いの感情が、一気に噴き上げていったのだ。

教会に集う黒人たちの、野外での細(ささ)やかな集まりの中に、二人の刑事は顔を出した。

そこにいた一人の少年が、「保安官事務所」という捨て台詞を残したことで、二人は保安官助手ベルの自宅を訪れた。

勿論、手掛かりは何も得られない。

ベル保安官と夫人
しかしアンダーソン刑事は、南部生まれの嗅覚から、ベル保安官の夫人が事件の真相を知っているという予感を持っていて、再び、亭主のいない留守を狙って夫人宅を訪れた。

そこで夫人が僅かに反応した心理を読んで、アンダーソンは自分の予感を確信に変えつつあったのである。

その直後、教会関係者たちはKKKの暴力の餌食になって、先の少年もまた手痛い報復を受けた。

まもなく、KKKの黒幕とされるタウンリーという実業家が、メディアの質問攻めに遭った。

そのときのタウンリーの独演は、偏見と悪意に満ちていた。

「私はミシシッピー人であり、アメリカ人だ。ミシシッピー人の姿が、マスコミに捻じ曲げられるのはうんざりだ。はっきり言っておく。ユダヤ人は認めない。反キリストだからだ。奴らの金融カルテルが、共産主義を支えている。ローマ・カトリック教徒も認めない。トルコ人も東洋人も黒人も認めない。我々はアングロ・サクソンのデモクラシーを守るのだ」



3  目には目を歯には歯を



「フリーダム・サマー」の行進があり、その直後の黒人青年へのリンチ事件が起った。

更に、ある黒人の家が焼かれ、その現場を一人の少年が目撃し、彼の勇気ある証言で四人の容疑者が裁判にかけられることになった。

「この国では“我が家は我が城”と言う。それは社会を守る秩序でもある。君たちはその秩序を乱した。だが裁判所は理解している。君たちの犯した罪は、ある意味ではよそ者のせいで引き起こされたことだ。よそ者がこの地へやって来た。彼らは道徳心も低く、非衛生的な連中だ。人々は不愉快を感じている。そこで裁判所はこう認める。罪は許さぬが、君らの犯した罪は一方において、そのよそ者どもが引き起こしたのだ。故に刑罰は軽いものとする。各々、禁固5年の刑とする。ただし執行は猶予する」

これが、この土地の裁判所の長たる者の下した結論だった。

この結論の結果、裁判を傍聴した黒人たちの不満が爆発し、小さな暴動となって町を混乱に陥れた。

しかし、この混乱のリアクションは、KKKに代表される保守派の白人たちの焼き打ちによって、いよいよ歯止めが効かなくなっていく。

凄惨な「ストレンジフルーツ」(奇妙な果実)
FBIに協力した少年の父親はKKKによって吊るされて、そこに駆けつけた息子の哀しみが映し出された。

腹を括ったアンダーソン刑事は、三度(みたび)ベル夫人を訪れた。

勿論、ベル保安官助手の留守の時間を狙った訪問だった。

夫人は町の異常な喧騒に、その不安な心を抑えられないでいた。

刑事の訪問は、その夫人の心理を測っての行動であることは自明である。

「醜いわ。何もかも、とても醜い。こんなところで暮らしているなんて。人々は、ここは人種差別者ばかりと思っている。憎しみは生まれつきじゃない。教えられたの。学校で人種差別は聖書にあると。創世記の9章27節。7歳の頃には、もうそう信じ込んでいる。憎しみを信じている。その中で息をし、生活をし、結婚する・・・あの晩、主人も車で出て行ったわ。それが聞きたかったんでしょ。3人の死体は、ロバーツの農場に埋まっているわ」

ベル夫人は、事件の核心を遂に告白したのである。

翌日、夫人の告白通り、三人の死体が農場から発見された。

「失踪事件」が「殺人事件」に変わった瞬間だった。

しかしベル夫人は、事実の真相を知った夫たちから半殺しの目に遭ってしまった。

事件の真実に近づけば近づくほど、犠牲者が増えていくのである。

そして、夫人の甚大な被害を知ったアンダーソン刑事は、意を決したかの如く、彼に同調したウォード刑事を伴って、直接犯人と目される保安官助手の下に乗り込んでいった。


一方、裁判の結果に不条理な思いを鬱積させた黒人たちは、教会に集まって、牧師の激しい演説に耳を傾けていた。


「彼らは言う。白人の若者二人もまた、我々黒人のために死んだと、彼らは言う。白人の母と共に死を悼もうと。だがこの州は、その二人の白人を、この黒人の若者と同じ墓地に埋めさせないのだ。私には、もう与える愛はない。あるのは怒りだけだ!私と共に、皆怒れ!私はもううんざりだ。皆もうんざりだろう。私はもう、白人に殺された黒人の葬式に出かけるのはうんざりだ。私はこんなことを許し続けている、この国の人々にうんざりだ。黒人の“奪われることのない権利”とは何だ。“法の下の平等”とは何だ。“万人の自由と正義”とは何のことだ!私は彼らに言う。この若者の顔は、確かに黒人の顔だ。だが、流された血は赤かった!皆と同じだ。赤い血が流れている!」


保安官助手の下に乗り込んだアンダーソン刑事の手法は、極めて強引だった。


彼は配下の黒人を使って町長を捕縛し、カミソリを突きつけて恫喝した。

KKK(クー・クラックス・クラン)
そこから、犯人たちの名前を特定して、更に、KKKグループの内部分裂を画策した。

ウォード刑事は、明らかに人権侵害のアンダーソンの手法に批判的だったが、妨害的行為だけは慎んでいた。

しかし、アンダーソンがベル保安官助手をカミソリで恫喝する現場に立ち会ったとき、さすがに堪忍袋の緒が切れた。

それでも自分の手法を貫くアンダーソン。

そのアンダーソンにカミソリを頬に当てられ、出血する自分の顔を鏡で見るベルは恐怖に慄いていた。

刑事の暴力は、バーバーの一室の中で止められなくなっていた。

それは殆ど、この土地にはそれ以外の突破を不要とする、「目には目を歯には歯を」という強引な「捜査」手法であった。

まもなく、その恫喝によって特定された犯人の一人であるレスターに向って、KKKの白頭巾を被った者たちの暴力が荒れ狂った。

そこに二人の刑事が駆けつけて、いかにも内部分裂を装った襲撃から身を守り、その保護と引き替えにレスターの証言を求めた。

KKKの白頭巾の主は、アンダーソン配下の刑事だったのだ。

やがて三人の活動家殺しの犯人たちが、FBIによって次々に逮捕された。

町長が自殺したのは、その直後だった。

全てが終った。

アンダーソン刑事は、ベル夫人の自宅を訪問した。

彼にとって、この捜査に最も協力してくれたお陰で、夫の暴力の犠牲になった夫人のことが何よりも気がかりだったのである。

部屋の中は散乱していた。

刑事は夫人がこの町を見限って、北部に移っていくであろうことを考えていたに違いない。

ベル夫人
「どこへ?」とアンダーソン。
「どこへも行かないわ。私の家よ。ここで生まれたの。きっと、ここで死ぬわ。出たければ、もっと昔に出てたわ。大丈夫よ。分ってくれる人はいるわ・・・」

刑事は夫人の力強い言葉を聞いて、安心した。二人は握手して別れることになった。

刑事はその足で、黒人墓地の前でゴスペルソングを歌う細(ささ)やかな集会に顔を出した。

黒人たちは、そこで力強く未来に繋がる魂の歌を繋いでいた。


*       *       *       *



4  黒人差別の深層にあるもの



本作への論考の中枢テーマを、私は「黒人差別の深層にあるもの」という問題意識によって据えているので、そのラインで言及していきたいと考えている。

以下の言及は、ムービーラインとの絡みが殆どないが、鮮烈な映像から学習し得るその一点によって、本作が自分の問題意識だけを押さえておきたいと思わせるに足る、一種特別な作品であったという問題意識によって、本稿を開いていきたい。

まず、「差別」の問題から。

私は、観念としての差別意識と、身体表現としての差別行為を分けなければならない、と考えている。

前者は、人間である以上、何らかの形で自分が置かれた環境下で殆ど自然裡に形成されてしまうものである。例えば、「デブ」、「ブス」、「チビ」、「ノッポ」、「アホ」、「ババア」、「ジジイ」、「ショウガイシャ」、「ネクラ」、「ビンボー」、「ホームレス」、「ブサイク」、「ガイジン」、「ヤンキー」、「のろま」、「グズ」、「キチガイ」、「チンピラ」、「先公」、「痴呆」、「ボケ」、「アカ」、「淫売」、「水商売」、「中卒」、「高卒」等々、これらの言葉に被された否定的感情を多かれ少なかれ抱く者は、全てその内側に差別意識を胚胎していることを否定できないであろう。

これらの感情から、全く無縁に自我を作り得るほど、私たち人間は気高くないのである。

だから、それらの意識をできる限り外部環境に表出しないように人は努めている。

それもまた、私たち人間の自我の緊要な仕事であるということなのだ。

しかし、そこに偏見という厄介な感情形成が絡んでくると、人は内なる差別意識を肥大させ、しばしば、それを表出しやすい条件と繋がるとき、その差別意識が「身体表現としての差別行為」に結ばれてしまうのである。

私たちがよくよく注意しなければならないのは、この差別行為の発動の現実に直面したときである。

人が確信的に差別行為に踏み込んでいくのは、そこに偏見という感情が強力に媒介されるからである。

因みに偏見とは、私の定義によると、「特定の価値観に対する過剰な感情」である。

例えば偏見には、様々な様態がある。人間の感情というものは、あまりにその振幅の差が大きいからである。

例をあげてみよう。

「デブは忍耐力がない」、「B型の血液型の人間は我が儘である」、「黒人は知能が低い」、「年寄りは臭い」、「朝鮮人は怖い」等々。

これを見ても分るように、差別意識の拡大的膨張としての偏見という、人間のあまりに狭隘な感情傾向が読み取れる。

当然そのベースには、本人が自覚的に意識する、しないに拘らず差別意識が根柢にあり、そしてその偏頗(へんぱ)な感情傾向をほぼ自覚的に膨張させるとき、そこにその性質の強弱、是非とは無縁に、偏見という感情傾向が出来するのである。

ところが偏見だけでは、簡単に差別行為に結びつくことはない。

偏見を差別行為に結び付けるには、それを媒介するに足る様々な内的、外的条件が必要となるであろう。

それらの条件とは、例えば「権力関係の形成」であったり、「個別なるフラストレーションへの、耐性限界の内的情況」であったり、「特定空間に於ける集団パニックの心理状況」であったり、或いは「閉鎖的で、排他的な共同体の基盤の形成」等々である。

これらの条件が人間、或いは、共同体の内に胚胎する偏見の感情と結びついたとき、そこにモラルパニックが生まれ、しばしば言語を絶する差別行為に流れ込んでいくことになる。

ヘイトクライム(偏見に基づく差別的犯罪)である。

それは現象的には、「特定他者」に対する確信的(狂信的)迫害行為やジェノサイドとして、歴史の闇の見えにくい澱みの深部から唐突に、過剰なまでにおぞましい事態として炙り出されていくこともあるだろう。

ここに、「金髪碧眼至上主義」として、その名をグロテスクに残すKKK団の団歌がある。

本作の冒頭で、アンダーソン刑事がアイロニカルに歌った歌である。

“共産主義者に、黒人にユダヤ人、仲間に伝えておけ。最後の審判の日は間近だぞ。主は天から見ておられる。人種を混ぜちゃ、世も終わり。可愛い赤ん坊、黒いのはお断りだ。そんな奴らは撲滅だ。我ら、KKK団。そんな奴らは撲滅だ。我ら、KKK団”

この忌まわしい歌詞の根柢に流れている感情傾向は、「黒人に代表される隷僕なる者たちは人間ではない」という極めつけの偏見であるが故に、この偏見から「彼らには公民権を享受する権利など全く存在しない」という、人権抑圧の文脈が恣意的に導き出されたとしても不思議ではないのである。

それを彼らが身勝手な優生思想などに結びつけて、恰も、それが体系的な思想信条であるかのように装ったところで、そこには全く科学的根拠が存在しないので、それは出来の悪いカルト的信仰のレベルと変わるものではないのだ。

しかも、彼らの差別行為を制度的に保障する厳然たる歴史が存在した。

本作の冒頭で紹介された有名な描写を想起されたい。

トイレに入っても、「ホワイト・オンリー」と「カラード」に分けられて、当然黒人の血が一滴でも混じっている者は「カラード」用のトイレで用を済ますのである。

これは、1896年の「分離しても平等に」という最高裁判決によって制度的に保障された有名なケースだが、この制度の内実は、ホワイトとカラードの分離を前提とするものだから、誰もそれに文句を言えない暴力機構として、継続的に立ち上げられてしまったということである。

この制度が、1954年の最高裁判決によって形式的に否定されるまで、南部では普通の生活様式として堅固に定着していたのである。

差別行為が制度によって保障されることで、決定的な暴力機構の役割を果たしてしまうという典型例が、そこにある。

話を戻す。

KKK団を立ち上げた契機が南北戦争によって打ちのめされ、財産を奪われた貧しい白人たちの怨念の終結点であったことを考えれば、彼らこそまさに「憐憫なる貧困者」と形容できるであろう。

KKK団 ―― それは本質的に、敗北の事実を心のどこかで拒む者たちが作り上げた虚構のシステムであると言えるかも知れない。

しかしこのシステムは、差別行為を制度化するこの国の憲法によって暗黙裡に保障されてしまったため、本来弱き者たちの共同体が、そこに抑圧と迫害の忌まわしい歴史をどれ程刻んでも自らを弾劾し、裁いていこうとする人間の自己浄化への契機を形成することは決してなかった。

1923年に行われたリレーでの第2のKKKメンバー(ウィキ)
それが、弱き者たちの本来的な生態なのである。

しかし、彼らは決して自らの弱さを認めないであろう。

寧ろ必要以上に、その弱さを否定する儀式をこそ求めてしまったのである。

そのような儀式こそ、不埒なる黒人たちの首を大木に公然と吊るすという行為であった。

弱き者たちがその自らの弱さを否定するためには、自分たちよりも遥かに弱い者たちに対する圧迫を加え、彼らを抑圧することによって束の間手に入れる「強さ」と「誇り」を、「確信的」に信仰していく以外になかったのかも知れない。

それは、惨めで卑小な虚栄の産物だが、少なくとも彼らは、「黒人は人間ではない」という狂信的信仰をバックボーンにすることで、そこに閉鎖的な共同体の邪悪なるコミュニティの心地良さに酩酊することさえできるのだ。

そして、そんな彼らにとって、ユダヤ人やコミュニスト、更には、北部から来たFBIの捜査官などは、全て敵対者でしかないであろう。

とりわけ、公民権活動家の中にユダヤ人と黒人が含まれていることなど、あってはならないことだった。

彼らはその存在自身が抹殺の対象になるべき何者かであるが、それに加えて、ミシシッピー州に有権者の登録を推進する北部の若者の存在は、南部の伝統文化を破壊する革命的な急進派にしか映らなかったに違いない。

「フリーダム・サマー」
そして、若者たちの有権者登録運動の対象が、「人間ではない」はずの黒人の存在であったことが、保守的な南部人の逆鱗に触れないはずがなかった。

彼らはかつては「奴隷」以外の何者でもなく、形式的にその身分が保証されるようになったからと言って、自分たちの綿花のプランテーション栽培を介して、曲がりなりにも最低限の生活保障をしてあげたという「恩義」に背く所業は、絶対に許されざる何かであった。

また黒人たちにとっても、公民権運動という名の、心地良きイメージに被された薄膜を剥ぎ取られたときのリアリティの内実は、爆弾を仕掛ける者のような過激な行動の共犯にされかねない恐怖感を随伴するものだった。

そのような北部の活動家たちの「侵略的行動」の結果、少しでも北部の連中の相手をした黒人の家屋が焼かれることになり、まさに「ミシシッピー・バーニング」の世界を現出したのである。

「ミシシッピー・バーニング」―― それは、この国が建国以来抱えてきた闇の歴史の深部を露呈した、ある意味で最も分りやすい激烈な表現様態だった。

思うに、この国が抱え込んだ闇の歴史とは、「ネイティブ殺し」と「黒人抑圧」によって典型化された欺瞞なる構造的矛盾である。

それは、「デモクラシー」をセールスして止まない国が、その内側に抱えた、最もアンタッチャブルな歴史的現実そのものである。

ウンデット・ニーの虐殺の犠牲者の埋葬(ウキ)
「ネイティブ殺し」の歴史的隠蔽化は、先住民族としてのインディアンの各部族の古典的叛乱を完全制圧し、その後、彼らに「定着民」としての最低限の生活権を強制的に保障することによって、「西部開拓史の輝くべき栄光」の歴史に掏り替えることに成就したかに見えた。

しかし、「黒人抑圧」の歴史の闇の隠蔽化については、現代史に入ってもなお根深く残る南部の諸事件の連鎖や、北部諸都市での黒人犯罪、ロス暴動等で、決してそれが過去完了した問題でないことを浮き彫りさせているのである。

考えても見よう。

黒人と白人の結婚を形式的に禁止する「異人種間結婚禁止法」が、この国で厳然と存在(アラバマ州で2000年になって撤廃することで、ようやく終止符)していたという歴史的事実の持つ重みは圧倒的である。

思えば、奴隷解放宣言(1863年)に至るまで、この国には「ワン・ドロップ・ルール」(黒人の血が一滴でも混じっている者=黒人)という観念が形成されていたことで、その一滴の血の「汚れ」に対する意識は過剰に膨らまされていったに違いない。

奴隷貿易の歴史から始まったこの問題の深刻さは、現代史に至って具現した、表面的な福祉政策の充実化等(「アファーマティブ・アクション」/注1)の制度的処方によっても、なお容易にクリアし切れないテーマを内包しているということなのか。

個人的に特別な能力や才覚を持ち、周囲からの差別の視線の集中砲火にあっても、倒れないほどのパワーを内蔵するごく一握りの例外を除けば、「黒人問題」の現在的課題の克服は依然として先送りにされているということであろう。


(注1)「(affirmative action 積極的差別是正措置の問題)
ニクソン政権以後、従来、過少代表されてきた少数民族や女性・障害者などに雇用・昇進・入学などの機会を積極的に与えるよう指導するアファーマティブ・アクション政策が推進された⇒黒人の社会経済的地位の向上に貢献し、黒人中産階級も幅広く形成されるようになった。しかし具体的な数値目標を設定して少数民族を優遇するため、『逆差別』という批判も根強く起こってきた」(神戸大学・国際文化学部アメリカ文化論講座HP「アメリカ社会概論」より)


しかし、それでも現在は、西瓜を盗んだだけで、黒人たちが首を吊るされなくなったことは事実である。

「黒人は人間ではない」ということを公言する連中も殆ど存在しないだろう。

20世紀の半ばには、一応最高裁判決で、「ホワイト」と「カラード」の分離差別は制度的に否定されたが、それにも拘らず、本作の冒頭のシーンで見られる現実は消滅していなかったのだ。

それでも簡単に黒人を殺せない代わりの手段が求められた結果、秘密のリンチや「バーニング」という、彼らの生活権の解体を迫る抑圧を活発化させたのではないかと思われる。

即ち、公民権運動が吹き荒れた1960年代、それに対するバックラッシュとして、「ミシシッピー・バーニング」という分りやすいが、しかし、際立って尖ったテロルが横行したのである。

ブログより
そして、そのテロルの主体となったKKKの思想の内に、今も変わらぬ極めつけの偏見がべったりと張り付いているということだ。

21世紀の現在、その偏見を差別行為に繋いでいく様々な条件の目立った形成は見られないかも知れない。

しかし、そこには上辺だけの取り繕いによって、一見、その闇の深部を見えなくさせる巧妙な仕掛けがバリアとなって、共同体を囲繞させているようにも思われる。

確かに差別行為を誘発する様々な条件の尖った展開が少なくなることで、制度的暴力、または私的暴力という行為それ自体は目立たなくなるものの、その根柢にある差別意識や偏見は決して乗り越えられてはいないのである。

「アメリカ」という「サラダボウル」(注2)の中で、自分が拠って立つアイデンティティを求めるとき、そのメンタリティが自分の出身の民族や宗教の内に収斂されていくであろうから、人々はそこに自らが拠って立つものが表出する価値観の優位性を確認し、保障するために何某かのランキングをそこに作り出していくであろう。

そのとき、最も対極的な構図として際立つ関係は、「アングロサクソンV.S黒人」という分りやすい図式に落ち着くことになる。

即ち、明らかに前者に拠って立つ者たちの価値観の極北として、「黒人」の存在それ自身が特定されることになるに違いない。

黒人差別をテーマにした秀作・「アラバマ物語」 より
「黒人」はどこまでも、身分のヒエラルヒーの最底辺に存在する何者かでしかないのである。

差別行為は相対的に減少しつつも、差別を支える意識や偏見には大きな決定的な変化が見られないのだ。

「黒人は人間ではない」という極北的な偏見の存在は、個々人の意識の奥深くに隠されてしまっただけで、それが噴き上がってくる条件さえ形成されれば、いつでも差別行為の噴出には終りが来ないと見ていい。

人間の意識から、差別感情や偏見が消滅する日が来るとは到底考えられないからだ。


(注2)かつてアメリカは、「様々な人種が、何でもそこに溶けて混ざり合ってしまう」という意味の「人種の坩堝」という用語で説明されることがあったが、今は「それぞれの人種、民族の価値観や伝統文化を尊重して、それらが多元的な価値を持つ「サラダボウル」という言葉で説明されることが多い。



5  近接してくる者たちへの、得体の知れない恐怖



人間は必ずと言っていいほど、自分の生活圏、及び意識圏の安寧の確認を果たすために、他者との間の境界を構築しようとする。

そこで構築された世界の内側に、自分の拠って立つ安寧の基盤を設け、それを守るために、その境界に最近接する他者の侵入に対して、不必要なまでに神経を消耗せずにいられない。

境界の向こう側にいる者たちの価値観の差異に対しては、常に敏感に反応してしまうから、その近接度が高いほど、却ってその反応はシャープになってしまうのだ。

そこで生まれた緊張感を解消するために人間が発見した知恵は、特定の生活圏で協同作業を必要とする条件下で自然に育まれた、より緊密な近接性を拠り所にした地域共同体の形成であったと言っていい。

その共同体に身を預けることで価値観の多少の尖りを削り取って、限りなくフラットなものにしていく。

共同体こそが、人々の人生基盤と緊密に繋がることで、その内側に、家族という最小単位のミニ共同体を作り上げ、そこに二重の防衛線を張り巡らせていくのである。

家族というバリアと、その安定的存在を継続的に保障する、共同体というバリアの中で生じたトラブルの多くは、自浄作用によって処理されていくので、そこでの定着にしくじらない限り、変化の乏しい日常性の恒常的安定感だけは手に入れられるという理屈になるであろう。

ところが、そこに綿花の広大なプランテーションが生まれ、その労働力として、アフリカから大量に黒人奴隷が組織的に移入されてくるようになって、南部の社会風景は、19世紀半ばには400万人にも及ぶ数の奴隷労働者たちの存在を無視できないものに変貌する。

黒人奴隷の綿花栽培
約60年間で、300万人以上の黒人奴隷が増強されてしまったのだ。

その理由は、産業革命を経たイギリスの綿花の需要が飛躍的に拡大したためである。

しかし、奴隷としての黒人たちと白人たちとの近接度は決定的に乖離していたから、白人プランターの意識裡に、黒人の存在は、殆ど動物的価値以上の何かを持ち得なかったに違いない。

昔読んだ本の記憶によると、「黒人を人間と考えなければ、何も気にならないのだ」という、当時の白人の正直な思いが紹介されていた。

まさに黒人の存在は、納屋で藁を集めて寄食するだけの待遇で充分な何者かであった。

ここで重要なのは、アメリカ黒人の存在価値は、一介の奴隷としての価値以上のものではない現実の認知からスタートしたということである。

「黒人は人間ではない」―― これが、南部白人の対黒人観のスタートラインにあった。

このラインが恒常的に維持される限り、そこに白人と黒人の対立など成立しようがないし、ましてや、両者の近接度が深まるなどという事態が生まれようがないのである。

これが産業革命から数十年も経った時代の、アメリカ南部という、特有の空間の下で形成されていた日常的な観念であったのだ。

しかし、歴史が動いた。

南北戦争と、この国の、その後の激烈な展開が、黒人差別を却って拡大する結果を招き、そのことで耐えかねた黒人の度重なる暴動が頻発したのである。

更に、歴史は動いた。

キング牧師
20世紀に入ってからの公民権運動の南部への波及は、キング牧師に象徴される黒人自身の意識の覚醒と、その覚醒した意識を身体化する様々なデモンストレーションによって、黒人たちはその内側から変化の波を作り出したのである。

これらの尖った運動は、とりわけ保守的で、南部のプアー・ホワイト層に看過できない刺激を与えることになったのである。

黒人の公民権の獲得という事態は、プアー・ホワイトにとっては、自分たちの生活圏の境界辺りに、いよいよ近接してくる「黒い家畜」のイメージを醸成することになったと思われる。

かつて奴隷であった者たちのその人間的行動は、プアー・ホワイトの拠って立つ価値観を揺るがすほどの恐怖感を作り上げてしまったのである。

それは、「近接してくる者たちへの、得体の知れない恐怖」と言っていい。

醜悪なる暴力の根柢には、この感情が横臥(おうが)していたと私は考えている。

恐怖感はしばしば、信じ難いほどのエネルギーに転化するのである。

大量虐殺などの人間の残酷さを曝す様態を心理学的にアプローチしていくと、そこには、人間の基本感情の一つである恐怖感のリアリティと出会うことがあまりに多い。

恐怖感が防衛意識のバリアを作るとき、それが、とんでもない暴力の発動を生み出してしまうということである。

南部のプアー・ホワイト層にとって、黒人は近接することすら許されない存在であった。近接することが禁じられた者たちが、あろうことか、SNCC(注3)などの過激な思想をバックボーンにして、その権利の拡大運動を果たそうと言うのだ。

公民権の獲得は、近接の度合いを一歩進める何かであった。

歴史の流れ方を客観的に俯瞰すれば、プアー・ホワイト層の暴走は、奴隷としてこの国に送られて来た「人間ではない者たち」が、人権という名で近接の歩を進めていく一連の行為への、彼らなりの正義の行使であったと言えるだろう。

「ミシシッピー・バーニング」の根柢にある感情ラインの深部には、このような極め付きの偏見がマインドセットされていたということ ―― これに尽きるのである。


(注3)学生非暴力調整委員会の略。(1960年2月1日、ノースカロライナ州グリーンズボロの4人の大学生が、人種隔離の行われていた地元のランチ・カウンターで座り込みを始めた。これに呼応して各地の学生が同様の座り込みを始め、運動は南部全域に広がった。SNCCはこの運動から派生した草の根的団体であり、その後も参加型民主主義の原則が守られた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの市民権運動に精神的影響を受けていたSNCCメンバーは、すべての民族が手を取り合って生きていく「友愛の共同体(Beloved Community)」の理念と非暴力直接行動に伴う急進性をキングより受け継いでおり、このことがさまざまなバックグラウンドの人々をこの団体に引き寄せた。そしてSNCCは社会に対する多様な変革要求を取り入れて萌芽を生じさせる温床という特質を持ったのである。(ネットサイト・soturon-iida.html - 9k - 2005年06月03日・「アメリカ市民権運動とブラック・ナショナリズム」より)

ストークリー・カーマイケル
―― しかし、カーマイケルの出現により、「ブラック・パワー」の提唱がなされ、次第にその活動は急進化していった。


以上の言及は、本作の社会的背景についての私的見解をまとめたものである。

正直言って、私には本作に関わる言及は、このようなテーマ設定によってしか特段の関心を寄せ得る何ものでもなかった。

その意味で、この論考は言葉の真の意味で、「映画評論」というジャンルの内実からは、大いに逸脱するものであったと考えている。

それにも拘らず、このような言及に終始したのは、この映画が「差別」の問題、とりわけ「アメリカ」という、様々に際立って過剰な国家それ自身が内包する根源的問題について、殆ど抑制の効かないような流れ方の内に真っ向勝負の尖り方で、挑発的なまでの表現世界を、何か確信的に作り出してしまったと思われて仕方がなかったからである。

だから限定的なテーマ設定の中で、私なりの問題の切り取り方で、以上のような論述に終始した次第である。



6  吐きたいものを吐き、叫びたいものを叫び切る



―― 稿を括るに当って、そんな本作への率直な批評を簡単に記しておく。


本稿の冒頭でも触れたように、映画は一貫して、FBIのスーパーマン的活躍を中心に描いた、予定調和のハリウッド的アクションムービーの内に流れ込んだ娯楽作の欠陥を、精緻な映像表現力によって払拭した作品ではなかった。

北部育ちの理屈っぽい若きエリート刑事と、南部育ちの経験豊富な叩き上げの中年刑事という、この種の映画に典型的なキャラ設定の基本的枠組みが、ここでも「危うい対立と、葛藤を経ての和解」という常套的な文脈の内に集約される簡便さは、紛れもなく、ハリウッド・ムービーのカテゴリーを逸脱するものではなかったと言える。


それは、映像が開かれて5分も経てば、観る者に了解可能なラインとして捕捉されるだろう。

そして、そのシンプルなラインをほんの少し登りつめて、視界が開かれた稜線に辿り着く頃には、映像展開の炸裂するリアリズムによって、観る者をグイグイと引きずり込んでいくパワーを持ち得るか否か、映像は唯、その一点のみで勝負する以外になくなっていくことが分ってくる。


まさに、映像表現者としての本来的な力量が、そこで裸にされてしまうのである。

アラン・パーカーという極めて個性的な映像作家は、この一点勝負において無残な犬死だけは免れたと言えるだろう。

ハリウッド的ムービーの映画文法の枠内で、この作り手は存分に吐きたいものを吐き、叫びたいものを叫び切ることで、映像作家としての全人格的身体表現をそこに刻んだのである。

そして、そこに刻まれたものの圧倒的なカットの熱量が、挑発的言辞と巧みな折り合いを見せて、ここに、鮮烈なる問題提起の一篇が記録されるの至ったのだ。

パワフルな作家による、パワフルな作家の映像が、相応の継続力を手に入れたことで、本篇はフラットな刑事ドラマの凡俗さを強(したた)かに乗り越えていったと思われる。

いつまでも忘れることのない印象的な映像が放つ魅力の源泉は、カタルシスなしに済ませないほどのプロット展開の凄みに尽きると言えるだろう。

それ以外ではない。

―― 言わずもがなのことだが、最後に、史実誤認してはならない一点を指摘しておきたい。

実際は、この忌まわしい事件の渦中で、KKKと命を賭けて戦ったのは天下のFBIではなく、SNCCなどの黒人活動家団体であったということである。

彼らにとっては恐らく、そこで出来した事件それ自身が格好の政治的テーマを含むからと言うより、そこに曝された事件の凄惨な内実が、遥かに切実な、まさに「生存」と「実存」に関わる由々しき事態であったが故に、逃れられない者の括りの中で、その冷厳な時間の内に身を預けていったに違いないであろう。

(2006年7月)