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2010年10月29日金曜日

ソルジャー・ブルー('70)      ラルフ・ネルソン


<「前線離脱」⇒「銃後彷徨」⇒「前線拒絶」という流れの中で破綻した「インディアン無罪論」>



1  「厄介な国」と付き合っていくリアリズム



「アメリカという国は敵を追い詰める習癖がある。その所以は建国の事情にまで遡る。かつてインディアン(ネイティブ・アメリカン)を虐殺してそのほとんどを滅ぼし、国家を建設した。そしてそのことを正当化した。この正当化がアメリカ国家の基盤である。この正当化が崩れればアメリカは滅亡する。本質的に危なっかしいこの正当化を是が非でも維持するためには、それが正しいことを繰り返し繰り返し何度も証明しなければならない。

アメリカが敵を追い詰め虐殺するこの行動パターンを、かつての日本、ベトナム、イラクに対して強迫的に反復したのはそれなりに理由がある。

そして自分たちによって追い詰められた側のメンタリティーにはまったく無神経、無理解である。なぜなら、追い詰めた相手がいかに傷ついて苦しんでいるかを理解するなら、不可避的にかつて自分たちがインディアンに対して行った行為に罪悪感を持たざるを得なくなり、アメリカ国家を支える正当化が崩れるからである。アメリカは相手の悲惨さに対する、人間が当然持つような感受性を抑圧することで成り立っている国なのである」(『アメリカはなぜ狙われるのか』(文藝春秋臨時増刊 ‘01・10 ――「古希の雑考」岸田秀 文春文庫より/筆者段落構成)


古希が近づいても、相変わらずの岸田秀の物言いは、如何にも反米論者の面目躍如といったところだが、「アメリカが厄介な国である」とも言える疑義のフレーズについては、私も同意する把握である。

かつて、岸田秀の諸々の著作に多大な影響を受けながらも、なお私の中で、このような主観の濃度の深い仮説の主張に対して、どこかで違和感を覚えざるを得ない点があるのも事実。

それは、精神分析の視座のみで、人間が関与する政治・社会・歴史・経済の動静を論評するというスタンスが些か気になるのである。

高度に発達した物質文明下で、様々に分業化された産業社会の現実が内包する複雑で、多岐にわたって絡み合い、交叉している事象を、精神分析という手法のみで説明していくのは無理があるのではないか。

人間社会の現実は、私たちがかつて想定していたイメージよりも、いつも少しずつ先行しているという、まさにその一点において、私たち人間の発揮し得る能力の限界性と脆弱性を目の当たりにするとき、政治・社会・歴史・経済の複雑な現実を一刀両断することの困難さに逡巡するばかりなのである。

更に、「反米」を「主義」とする有りよう自体が、私には既に違和感を抱かざるを得ない何かなのだ。

たとえアメリカが「厄介な国」であっても、その国と緊密な関係を構築している我が国にとっては、「反米」とか「親米」などという安直なラベリングは、欺瞞でしかないという問題意識が私にはある。

外交はリアリズムが全てなのである。

岸田秀
それを認知することと、「アメリカは厄介な国である」という感懐を抱くことは決して矛盾するものではない。

その「厄介な国」に対して、ほぼ「絶対依存」の関係性を常態化している状況下にあっては、「厄介な国でも上手に付き合っていくしかない」というスタンスを忘れてはならないと思うのだ。

岸田秀が決して、スクェアな「反米論者」というイデオロギーの主でないことは理解できるが、私としては、巷に溢れる情感的な「反米論者」の御仁たちの発信する、箸にも棒にも掛からない「陰謀論」的な言説については閉口するばかりである。



2  寸足らずな「映像構築力」の不均衡さ



さて、本作のこと。

公開当時、私は本作を観たときに、名状し難い衝撃を受けたことを覚えている。

ラスト20分間のシークエンスに震えが走った。

観終わった後、席を立てなかったほどだ。

ウンデッド・ニー占拠事件
ごく普通の好奇心でアメリカ史を学習していた私にとって、ベトナム戦争の爛れ方に怒りを禁じ得なかった事実や、本作で描かれたシャイアン族への一定の知識があっても、「サンドクリークの虐殺」という由々しき「アメリカ史の闇」につては全く知る由もなかった。

本作が「ベトナム反戦」と脈絡を持つであろうことは感受できたが、程なく、1973年に出来した、「ウンデッド・ニー占拠事件」(注1)についての感覚的な情感的波動を胚胎させつつも、「アメリカ史の闇」というアポリアへの把握にまで、私の認知能力は届いていなかったのである。

事態に対して情感的であり過ぎたからだ。


(注1)1890年に出来した、インディアンと米国合衆国軍隊との間で、サウス・ダコタ州にある居留地のウンデッド・ニーで、スー族(北部や中西部に先住するインディアン部族)の武装解除にあたって交戦した史実である、「ウンデッド・ニーの虐殺」の現場を挟んで、1973年、先住民の正当な権利を主張するAIM(アメリカ・インディアン運動)のメンバーによって、聖心カトリック教会が占拠されるという事件。



今回、この映画を三度(みたび)鑑賞して、正直、大いに失望した。

「小さな巨人」と並び称される、「映像史的に重要な作品」である本作に対する私の評価は、前者とは比較にならほどに低いものになっている。

「小さな巨人」より
一言で言えば、当時の沸騰した政治社会状況の力学の肯定的なサポートを受けて、本作が強烈な問題意識による勢いによって作られた作品という印象を免れないのである。

もっと言えば、寸足らずな「映像構築力」の不均衡さが目に余るのだ。

「主題提起力」を補完する「構成力」が貧弱なのである。

この瑕疵が看過し難いレベルにあるので、敢えて、「映像史的に重要な作品」でありながらも、それ以上の高評価を下せないのである。

この完成度の低さが、最後まで気になった点である。

同様に、情感系の勢いで疾駆していた、若かりし頃には把握し切れなかった、「映像作品としての客観的評価」の内実が、年輪を経ることで決定的に変容した典型的な映画 ―― それが、「ソルジャー・ブルー」だった。

それでもアメリカという連邦共和国が、このような映画を製作し、一般公開できる国であること。

その認知も捨ててはならないだろう。



3  「前線離脱」→「銃後彷徨」→「前線拒絶」という流れの中で破綻した「インディアン無罪論」 



虐殺の地・コロラド州カイオワ郡(ウィキ)
この映画の狡猾なところは、「純粋」で「誠実」なキャラを持ち、「父をインディアンに殺された不幸を負う」良心的な青年兵士を主人公に設定することで、「真の良心に目覚めた青年兵士の変容」のうちに、「サンドクリークの虐殺」という歴とした由々しき史実を、観る者の感情移入を容易にしやすい物語的仮構性を安直に前提化させてしまったこと。

アメリカン・インディアン問題の本質において最低限の描写を提示することなく、ニューシネマの軽快なステップで、ユーモアをたっぷり交えた「ラブスト―リー含みのロードムービー青春譚」の基調音の物語構成を、「変容する風景」への劇的転換の効果をマキシマムにしたこと。

そこに、相も変わらず、風景の劇的変容による「驚かしの技巧」が踊っていたのだ。

何より、物語をあまりに単純化し過ぎている。

これは、「良心的二等兵」としてのホーナスの心理を追っていくことで判然とするだろう。

それを要約してみよう。

それは、「前線離脱」→「銃後彷徨」→「前線拒絶」という風な流れで把握することができるだろう。

「前線離脱」とは、自分が所属する騎兵隊が全滅することで、婚約者に会いに行くクレスタと二人だけの状態になって、その役割を担うために阿修羅の前線を離脱する行程である。

それを私は、「逃げた」という言葉で簡潔に表現したい。

ホーナスの戦い
次に「銃後彷徨」とは、クレスタを婚約者の元に送り届ける使命を持ちながらも、その行程の本質が、その日を満たすに足るミニマムの「食」の問題や、インディアンからの奇襲のリスクを負う性格から見れば、まさしく、「銃後彷徨」と表現するのが相応しいと思われる。

それを私は、「聞いた」という言葉でまとめてみた。

この「聞いた」という意味の内実は、2年間、シャイアン族との決して不愉快ではない共存を強いられていたクレスタの口から、ダイレクトに「インディアン無罪論」を聞くことによって、かつて、自分の父をインディアンに殺害され、瞋恚(しんい)の炎(ほむら)に燃えていた自我のうちに、クレスタに対する否定的感情含みの反応によって自我武装する防衛機構が、内的に要請されていく心理を示すものである。

これについては、クレスタとの重要な会話があるので再現してみる。

シャイアンと銃の取引をする男と、二人が出会ったときの会話。

「銃を売った?」とホーナス。
「シャイアンに?」とクレスタ。
「我々が殺されるのを、なぜ、止めない」
クレスタ
「私にはできないことよ」
「仲間だぜ」
「仲間はニューヨークにいるわ」
「自分の国だ」
「どこが?ここはインディアンの国よ!」
「じゃあ、なぜシャイアンと一緒にいない?」
「それなら言うわ。言葉も服も食べ物も違うからよ。私はシャイアンに生まれたんじゃないわ。だけど、シャイアンはね、血に飢えた兵隊よりも、ずっと人間らしいわ」
「君は反逆者だ」
「そう思えばいいわ」

クレスタを「反逆者」とラベリングすることで保持される「認知の継続」によって、自我を再武装する防衛機構が内的に要請されていく心理が、そこに垣間見えたのである。

最後に「前線拒絶」とは、クレスタを婚約者の元に送り届ける困難なプロセスのうちに、この「良心的二等兵」がアイバーソン大佐指揮下の騎兵隊に吸収されていく行程の後に出来した、「サンドクリークの虐殺」という由々しき前線への自己投入の拒絶を意味する。

二人がそこで見たのは、シャイアン族への襲撃計画であった。

その情報を婚約者から聞き知ったクレスタは、自分が世話になっていたシャイアン族のキャンプに報告に行くが、時既に遅く、騎兵隊の襲撃は開かれていった。

このラスト15分間の凄惨な殺戮の状況は、まさに「地獄の前線」だった。

「敵はこの世で最も忌むべき輩だ。心して闘いに臨め。殺害、強姦、拷問、彼らの毒牙にかかった同胞は数限りない。その彼らに慈悲は無用だ。それを忘れるな!」

これが、アイバーソン大佐の殺戮の号令。

この殺戮の号令を遂行する騎兵隊の将兵たち。


ホーナスはそこで、阿鼻叫喚の地獄絵図を視界に収め、彼の中の「騎兵隊正義論」は一気に破綻し、立ち所に自壊していくのだ。

それを私は、「見た」という言葉で把握してみた。

これは、まさに「銃後彷徨」のキーワードであった、クレスタから聞いた「インディアン無罪論」が事実であることを見せつけられて、「良心的二等兵」は「前線拒絶」を身体化するのだ。

「バカ野郎!」とホーナス。

二等兵の「青二才」に屈辱的な一言を浴びせられたのは、本隊の指揮官であるアイバーソン大佐。

「反逆罪」を決定付けたこの一言が、彼の「前線拒絶」を集約する叫びとして刻まれたのである。

「全部隊の将校、及び兵士に心からの尊敬と信頼を持って、任務を完遂したことを称賛する。諸君は本日、アメリカには新たなる安住の地をもたらし、インディアンには忘れ得ぬ教訓を与えた。諸君は終生、今日という日を誇りに思うがいい。アイバーソン大佐の指揮下で戦ったことを」

この言葉は、「サンドクリークの虐殺」を終焉させるものとして、指揮官から放たれたものだ。

そして、「反逆罪」に問われたホーナスが、引き立てられて行くラストシーンの構図に、それを見守るクレスタの肯定的ストロークが放たれて映像は閉じていく。

シャイアン
「1864年11月29日。700名のアメリカ騎兵隊は、コロラドのサンドクリークのシャイアンの村を襲った。インディアンは降伏の白旗を掲げたが、騎兵隊は攻撃を開始。500名を虐殺した。その大部分は女子供だった。100名以上は頭皮を剥がされ、手足を切り取られ、女は犯された。陸軍参謀総長マイルズ将軍(注2)は、この虐殺をアメリカ史上最も嫌悪すべき犯罪とと指摘した」

これがラストナレーションである。


(注2)アメリカの軍人であるネルソン・マイルズのことで、「南北戦争、インディアン戦争および米西戦争に従軍したアメリカ合衆国の軍人」(ウィキペディア)



4  「驚かしの技巧」による、「初発のインパクト」で勝負する凡作



以上、ホーナスの心理の変化に即して本作を要約してみたが、私はここで当惑せざるを得ないのだ。


なぜなら、「逃げた」→「聞いた」→「見た」という心理の流れは、どこまでもクレスタを介して間接的に入ってきた情報の検証以上のものではなかったからだ。

本作の決定的な瑕疵がここにある。

「インディアン無罪論」によって「騎兵隊正義論」を相対化するには、インディアンのコミュニティの内側からの習俗や文化、そして、彼らが最後まで拘泥していた自分たちのフィールドである大地への深い愛着への破壊行為、即ち、彼らを一区画に閉じ込める「保留地」という、最も重要な問題への映像化が欠落され過ぎていた。


詰まる所、本作は、単にラスト15分間に持っていくまでの、ハリウッド特有の「驚かしの技巧」による、「初発のインパクト」で勝負する凡作以外のものではなかったのだ。

(2010年11月)

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