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2010年11月12日金曜日

仕立て屋の恋('89)     パトリス・ルコント


<「パラダイスへの旅立ち」への大いなる危うさを内包する物語の、その完璧な終焉>



1  電光一閃によって晒された「想像の快楽」という名のゲーム



この映画は、自己完結的なゲームを愉悦する男の幻想の世界に、そのゲームのヒロインである女の身体が唐突に侵入することで、「非日常の日常化」を作り出していた寡黙な男の、そこだけは充分に特化した時間がゲーム‐オーバーしたばかりか、女の身体が誘(いざな)う危ういリアリティの中に、覚悟を括って、ゲームとの境界を壊した男の身体が、歓喜のうちに丸ごとインボルブされ、恰も、「予約された悲劇」をなぞるように振れていく男の自己完結的な物語である。

ここで言うゲームとは、「想像の快楽」という名のゲームである。

それは「プロセスの快楽」という性格を持ち、限りなく「達成の快楽」を視野に入れて愉悦するゲームである。

しかし、男の「想像の快楽」というゲームの本質は、ゲームを開いた当初、「男女の睦みの至福」という、存分な「達成の快楽」を視野に入れることのない自己完結的なゲームであった。

それ故に、この物語は「予約された悲劇」に雪崩れ込む以外になかったのである。

そんな男の、境界離脱のリスクを高めるに至った、愉悦のゲームラインを把握できる会話がある。

因みに、男のゲームの内実は、男のアパート向かいの部屋に転居して来た件の女の生活を、毎晩、覗き見すること。

それだけだった。

しかし、電気も点けることなく覗き見する男の、自己完結的なゲームの破綻は呆気なかった。

雷雨の夜の電光一閃によって、男の相貌が晒されたとき、女がそれを視認してしまったのである。

以下、男と女の初対面の会話。

男の部屋を、女が訪ねて来たときのシークエンスである。

「覗きは御免よ」
「見ているだけだ」
「悪意があるのかと思ったわ」
「なぜ、怖がる。怖がられるのは哀しい」
「見られるのは嬉しいの。あなたは特別よ。優しそうに見えるから」
「私のことを何も知らないのに」

そこに、「間」が生じた。

「ずっと前から?」
「毎晩、見ていた」
「私が寝た後は?」
「何も。ただ、待っていた」
「何を?」
「さあね。私は少し眠れば充分なんだ」
「私の全てを知り尽くしているのね」
「全てではない。少しだけなら知っている・・・出て行ってくれ」

その直後、手を握って来た女に、「出ていけ!」と、男は言い放った。

無言で振り返り、男の部屋を出て行く女。


その直後の映像は、ブルーの画面に映し出されたセーヌ河(画像)を、一人見つめて佇む男の姿だった。

以上の重要なシークエンスの中で露呈されたのは、「想像の快楽」という、自己完結的なゲームを愉悦する男の幻想の世界に、そのゲームのヒロインである女の身体が唐突に侵入して来た事態に、適切に対応できない男の、大いなる当惑の感情以外の何ものでもなかったという心理である。

それ故、男にはセーヌ河畔に佇む時間が必要だったということだろう。

この時間を経ることで、混乱する男の感情が、次のステップに向かうに足るだけの熱量を自給することが求められたのだ。

その熱量を自給し得ると括ったとき、男は「一目惚れした女の身体の侵入」を受容するという、未知のゾーンの扉を開くに至ったのである。

それは、「想像の快楽」という名のゲームが、境界を離脱していく決定的な変容を遂げた瞬間だった。



2  「パラダイスへの旅立ち」への大いなる危うさを内包する物語の、その完璧な終焉



女との初対面の後、男は女に誘われ、初めてのデートに臨んだ。

そこで男は、女の身体を自分の感覚のうちに吸収してしまうのだ。


吸収された女の身体は、「匂い」であった。

そこにこそ、男のゲームの本質が炙り出されていた。

男は常に、この女の「匂い」を想像し、愉悦していたのである。

男は駅での初デートの際、女の後方から侵入し、思わず、「いい匂いだ」と漏らしたのだ。(トップの画像が示す構図)

以下、その直後の会話。

「駅が好きだ。夢が広がる。45分も早く着いて、暇を持て余す男。ホームを探す老婦人。婚約者との再会を待つ娘。恋人と分れた娘かも。若い女は分りにくい。観察が趣味だ。何でもないことだが、人生を楽しんでいる・・・会おうか迷ったが、今、話している」


既に、この言葉の中に、「想像の快楽」という名のゲームを愉悦する男の、その幻想マニアの世界の様態が露呈されていた。

更に男は、女の部屋で惹起した女性殺人事件を目撃した事実を告白したのだ。

事件の情報の秘匿の有無を探るために、自分に接近して来た女の意図も、男には分っていて、それについても告白したのである。

「今は違う。君が向かいに引っ越して来たせいだ。君から眼が離せなくなった。娼婦と寝ない理由は、君に恋をしたからだ。愛してる。だから警察に届けなかった」

これは、娼婦との触れ合いを楽しんだ過去を告白した直後の、男の言葉。

恫喝の物言いではない男の異様な告白であるが故にか、女の顔が引き攣った。

その後も、男の異様な告白が本音を吐露したものであると理解し得た女にとって、男との関係形成の目的はただ一点に尽きた。

事件の情報の秘匿を、継続的に保証することの確信を得ること。

それだけだった。

そんな女の心理を見透かしている男は、ひたすら、女の変化を「待つ」覚悟を括っていた。

事件の直接の犯人である女の恋人のストレスが昂じて、女との関係の亀裂を見せる状況を認知する男は、女に自分の真情のみを開いていく。

「私と逃げるべきだ。初めは愛さなくていい。待ち続ける。君を守り切って見せる。私の人生を捧げる。私は約束を必ず守る」

そう言って、男は女に「パラダイスへの旅立ち」のための列車の切符を渡すのだ。

駅で、女を待つ男。

しかし女は、遂に現れなかった。

駅の構内で、旅行鞄を持って、女を待ち続ける男の中で、「パラダイスへの旅立ち」の幻想が破綻した瞬間だった。

帰宅した男に待っていたのは、事件の担当刑事の前で、証拠のバックを男の部屋に忍ばせることで、自分に罪を被せる女の裏切り。

そんな状況下で、男は女に吐露するのだ。

「笑うかも知れないが、君を恨んではいないよ。ただ死ぬほど切ないだけだ。でも構わない。君は歓びをくれた」

女の複雑な視線を受容した男の眼に、微かに涙が滲んだ。

男の逃亡と、転落死。

男が逃げたのは、裏切りによる逮捕劇の否定感情、即ち、「女の裏切り」を恨まないが、それでも事件の犯人にされる理不尽さへの、徹底した拒絶感情が反射的に働いたことに尽きるだろう。

「切ない」という女への吐露は、「想像の快楽」というゲームが境界を離脱した後に待つ、「パラダイスへの旅立ち」への大いなる危うさを内包する物語の、その完璧な終焉の認知であると言っていい。

「私たちは、一生いられるだけで幸福です」

これは、「パラダイスへの旅立ち」に際し、刑事に宛てた、事件の真相を書いた手紙の最期の言葉。

かくて、「予約された悲劇」をなぞるように振れていった、男の自己完結的な物語が終焉していったのである



3  本質だけを抉り出す映像構築力の優れた作家




パトリス・ルコント監督(画像)は、映像構築力の優れた作家である。

マイケル・ナイマンの甘美なBGMの挿入が有効な、僅か80分の映像のうちに、明瞭な主題提起の提示と、全く無駄のないシークエンスを巧みに構成することで、本質だけを抉り出す。

本作の本質の結晶点とは、物語を時系列的に把握していけば、「自己完結的なゲームの愉悦」→「雷雨の夜のゲームの破綻」→「女の身体の侵入と、一時的受容」→「覚悟の中の幻想の破綻」→「敗北の認知と幻想の決定的破綻(女が駅に来なかったこと)」→「愛の告白の中の幻想の終焉」、という流れの中に収斂される構築的映像に尽きると言っていい。

蓋(けだ)し逸品であった。

(2010年11月)

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