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2011年3月12日土曜日

告白('10)     中島哲也


<ミステリー性に富み、比較的面白く仕上がったエンターテインメント>



 1  「女性教諭」の衝撃的な告白



 欺瞞的な「愛」と「癒し」で塗り固められた「お涙頂戴」の情感系映画が、もうこれ以上描くものがないという沸点に達したとき、その目先を変えるニーズをあざとく嗅ぎ取って、この国の社会が抱える様々なダークサイドの〈状況〉を描くことで、恰も、「これが本物の映画」と言わんばかりのメッセージを張り付けたような映画が、ここにきて少しずつ揃い踏みするに違いない。

 良かれ悪しかれ、この目先を変えるという常套的な手法は、商業映画のコンテンツの商品価値を維持するための戦略として、殆ど必然的な現象であると言っていい。

 まさに本作こそ、そんな作品の一つだった。

 「愛美(まなみ)は、このクラスの生徒に殺されました・・・あなた方の命を守るのは親ですか?武器ですか?あなた方の命を守る頼もしい味方。それは少年法です」

 既に退任を決意したシングルマザーの担任教師(以下、「女性教諭」か「元女性教諭」)による、この衝撃的な告白で開かれる本作は、いきなりの「驚かしの表現技巧」を観る者に提示することで、本作がミステリー性に富んだ物語であることを印象付けていく。

 中学校1年目の3月のことだった。

 「女性教諭」による、この衝撃的な告白は、37人の生徒たちが集合する1年B組の、3学期最後のHRでの退任挨拶でのこと。

 ボール投げで遊ぶ者、携帯でメールを打つ者、トイレを理由に教室を抜け出す者など、「学級の無秩序性」(注)を露骨に映し出す「学級崩壊」の構図が、昨日もそうであったような普通の風景として描写されていて、そんな生徒たちを前に、「女性教諭」は衝撃的な告白を繋いでいくのだ。

 
そして、件の「女性教諭」は、その場で、愛児を殺したと断定する二人の名を半ば特定した上で、彼らへの個人的な復讐を宣言し、学校を去って行ったのである。

 冷徹な復讐劇の始まりだった。

 以下、物語の梗概を省略して、映像に関わる本質的な言及に終始したい。


(注)ドイルは、「学級の無秩序性」の構成要件として、「多様性」、「同時性」、「即時性」、「予測困難性」などを挙げて説明した。



 2  ミステリー性に富み、比較的面白く仕上がったエンターテインメント



 「娘を生徒に殺された教師の復讐劇」という基幹的ストーリーのうちに、「親に捨てられた少年の悲哀と渇望」、「ドメスティック・バイオレンス」(DV)、そして、そこで生まれた、トラウマを抱えるナイーブな自我の空洞を埋めるための「歪んだ悪意」が語られ、「モンスターペアレント」と「マザコン少年」という問題がセット付きで語られ、更に、「HIV」や「少年法の壁」などという現代的な問題が大仰に語られていく。


 そして極め付けは、「いじめ」や「学級崩壊」という由々しき現実が、そこだけは、極めてリアルな切り取り方で語られることによって、この映画は、一見、「社会派的なメッセージ」を内包する深刻な問題提示が為されているという印象を、観る者に与えて止まないのだ。

 このように、間髪を容れず、畳み掛けていく初発のインパクト効果抜群の捩(ねじ)れ切った展開に見られる刺激情報満載の表現技巧によって、既に目先を変えられている観る者に対して、「衝撃的で圧倒的な映画」というイメージを存分に張り付けるインパクトだけは揃い踏みしているから、このような「初頭効果」(第一印象で形成されるイメージによる効果の大きさ)の求心力によって、賛否両論渦巻く中で、商業映画としての商品価値の獲得には成功するだろう。

 しかし、よくよく見れば何と言うことはない。

 単に、変転著しい局面展開の表現技巧の妙や、登場人物たちの情感的な「言語交痛」の不在を象徴するであろう、「告白」という自己基準のうちに変換された、無機質な交叉等による巧みな映像構成や、オリジナリティーに富む映像と奇抜な演出に見られる、些かスタイリッシュな映画技法の強力な補完も手伝って、表現作品としての訴求力だけは保証されている。

しかし、これは本作の狡猾な手法の範疇に殆ど収まる何かであって、ここで拾われているダークサイドな問題提起などは、「少年法の壁による生徒への完璧な復讐劇」というストーリーラインを面白く見せるための装飾品でしかないだろう。

 「間接正犯」(第3者を利用して犯罪を実行すること)の手口によって復讐を遂行する、「元女性教諭」の犯罪行為の心理学的文脈の求心力のうちに、観る者の好奇心が搦(から)め捕られていくのである。

 
だから、人間が抱える複雑な問題性の一切を単純化・矮小化する人物造形に象徴されるように、この映画から提示された問題提起を、私たちは特段に深刻ぶって、真剣に拾い上げる必要もないのだ。

 「告白が、あなたの命につきささる」

 こんな見え透いたキャッチコピーに搦(から)め捕られるまでもないのだ。


 まして、ここで描かれた、R-15に指定されるような刺激的な描写などに文句をつけて、倫理的視座のうちに説教を垂れる類の映画ではないということである。(画像は、主演の松たか子と中島哲也監督)

 更に、虚実取り混ぜて観る者の読解の先取りを切断する手法が有効なのは、どこまでも、冒頭の「女性教諭」による告白が訴求力を保持し続けているからだ。

 従って、本作の本質を一言で言えば、「ミステリー性に富み、比較的面白く仕上がったエンターテインメント」以上の作品でも、それ以下の作品でもないだろうということ。

 それが、本作に対する私の把握の全てである。

(2011年3月)

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