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2008年10月26日日曜日

殺人の追憶('03)       ボン・ジュノ


<追い詰めゆく者が追い詰められて――状況心理の差異が炙り出したもの>



1  長閑な農村の連続殺人事件



「この映画は、1986年から1991年の間、軍事政権の下、民主化運動に揺れる韓国において、実際に起きた未解決連続殺人事件をもとにしたフィクションです」

この字幕から開かれた映像の内実の厳しさは、映像の展開の中で少しずつ明らかにされていく。

1986年10月下旬、農村風景が広がる小さな村でその事件は起きた。

ソウル近郊のその村の農道の用水路の溝の中に、手足を縛られ、その腐乱した体に蛆虫が蝟集(いしゅう)しているような状態で、若い女性の死体が発見されたのである。

目撃者の報を受け、その死体を最初に確認しようとする刑事は、水路が死体に遮蔽され、暗くてその中が良く見えない。

刑事は水路脇に落ちていたガラスの破片を使って、水路の奥に遺棄されていた惨たらしい死体を確認した。

刑事の名は、パク・トゥマン。地元警察の中堅刑事である。

まもなく、死体を確認したパク刑事が捜査に当り、次々に容疑者と思しき男たちを事情聴取して、それを写真に撮っていく。その写真をファイルノートに貼り付けていくが、捜査の進捗状況は殆ど手詰まりの状態だった。

その数ヶ月後に、第二の事件が発生する。

そこはまた、最初の事件の現場から1キロほどしか離れていない、収穫の終わった農耕地が発見現場になっていた。その被害者となった女性の遺体の状況は、頭にガードルを被され、手足を後ろ手に縛り上げられていて、第一の事件のパターンに似た猟奇性を示すものだった。

捜査に当ったパク刑事は、現場が既に地元の人々に荒らされている現状に苛立って、「早く立ち入り禁止にしろ」と指示するが、発見された足跡を、鑑識課が来る前に耕運機が平気で荒らしていく始末。

「鑑識課も来ないし、現場保存もなっていない」

そう嘆くパク刑事には、猟奇的な連続殺人事件の様相を顕在化しつつある事件の渦中にあって、殆ど暗中模索という状態だった。

パク刑事が、事件に関するファイルに貼られた顔写真を凝視しながら食事している。

「そんなの見てたら、飯が不味くなるだろ」と捜査課長。
「全く・・・こいつらの顔を見てると、ある瞬間に、ピンとくるんだ」
「じゃあ、いっそのこと占い師になれ」
「課長、俺は人を見る眼だけはあるんだ。だから捜査課に・・・世間じゃ俺のこと、霊媒師の眼を持つ男だって・・・」

そう言われた課長は、室内の奥に並んで坐る二人の男の内、いずれがレイプ犯か当ててみろと刑事を試した。

刑事はどちらも犯人然とする二人の男の識別がつかず、当惑するばかり。

「この年になって、とんだ災難だ」

パク刑事を試した捜査課長も、かつてない事件の捜査に当たる不運を嘆くばかりなのだ。

彼を始め、地元署の刑事たちは事件の突破口を開けずに難渋していたのである。

ソリョン
やがてパク刑事は、自分の恋人であるソリョンから意外な情報をもたらされた。彼女の話だと、「ペクさんの焼肉屋の息子」が怪しいと言う。

「あの家に、クァンホという頭の弱い息子がいるの。そいつがイ・ヒャンスクに付きまとっていたそうよ・・・ガードルを被されたまま、死んでいたんでしょ?彼女が殺された日、クァンホが彼女の後を追い駆けていたって・・・」
「見たのか?」とパク。
「そう聞いたわ」とソリョン。

その話を聞いたパク刑事は、早速クァンホを拘束して、取調べを始めることになったのである。

「男同士だ、正直に言え。可愛い女を見るとやりたくなる。俺もお前くらいの年はそうだった。理解できるよ。最初は、ヒャンスクを殺すつもりはなかったろ?ちょっと胸でも触りたくて・・・」
「触ってない」
「だから、殺してから触ろうと?」
「違うよ」

あくまでも容疑を否認するクァンホ。

そこに突然、若いチョ刑事がやって来て、静かに坐っているだけのクァンホに向かって暴行を加えていく。

「ツラを見ただけで腹が立ってくる」

左からクァンホ、チョ刑事、パク刑事
暴力刑事の「取り調べ」に対して、明らかに、知的障害者の様子を見せるクァンホは、その衝撃に対応できないでいた。

「お前本当に悪いことしてないか?俺の眼を見ろ・・・」

パク刑事の恫喝に、クァンホは怯えるばかりであった。

まもなく、ソウル市警から若い刑事が捜査の協力のためにやって来た。

その刑事とパク刑事との初対面の経緯(いきさつ)は、レイプ犯と間違えられて、若い刑事が通りがかりのパク刑事に殴打されるという、甚だ乱暴極まる因縁だった。

若い刑事の名は、ソ・テユン。

このソ刑事の加入によって、連続殺人事件の捜査の状況が大きく変化をもたらしていくことになるが、当初は、性格もその捜査の手法も、全く異なる二人の刑事の落差感だけが強調されていく。

ソ刑事とパク刑事
滑稽なのは、お互いの素性が判明した後の、車内での二人の相手評。

「喧嘩が弱くてどうする?」とパク刑事。
「人を見る眼がなくてどうする?」とソ刑事。

映像の前半は、まだそこに、このような滑稽感を内包させていたのである。



2  軍事政権下の捜査の曲折



クァンホへの追求は続いていた。

殆ど見込み捜査による直感的な判断に頼るパク刑事は、クァンホ以外に犯人(ホシ)は存在しないと確信している。

刑事はクァンホが履いていたというスニーカーを入手し、それを、殺人現場近くで撮ったその足跡の写真として捏造したのだ。

それを証拠としてクァンホに突きつけ、自供を迫った。

なお拒むクァンホを現場に連れて行き、殆ど暴力的な検証を加えていく。

「俺の顔を見て顔をしかめた奴らは、皆、殺してやる」

パク刑事は、クァンホから遂にこの言葉を吐き出させ、それをテープに録音する。

それは、左頬に大きなケロイドの痕を残すクァンホの劣等感を逆手に取った供述だった。

更に、パク刑事は追及する。

「お前は好きだったのに殺したんだ?」

この誘導的な自白の強要に屈して、クァンホは刑事たちの思惑のラインに合わせる以外になかったのである。

「線路の脇の田んぼで、ヒャンスクの首をギュッギュッて絞めた。白いブラジャーで絞めたんだ。ストッキングを・・・」

パク刑事の誘導で吐き出されてくる「殺人」の物語に、刑事は思わず、「こいつ、頭がいいぞ」とニンマリする。

「ヒャンスクのパンツを頭に被せた。帽子を・・・」
「ヒャンスクが穿(は)く、ガードルだろ?」とパク刑事。

それを認めるクァンホ。

その後、矛盾する供述をしてパクとチョ刑事を怒らせるが、「殺人犯」が誕生する物語のラインを固めようとする取調べの流れは変わらない。現場検証をシニカルに見ていたソ刑事だけが、自らの科学捜査の手法を継続させていた。

現在でも実施されている民間防衛演習

「国民の皆さん、こちらは民間防衛本部です。訓練空襲警報を発令します。これは訓練放送です。只今より、全国に訓練空襲警報を発令します。各家庭や建物、全ての官公署では、明りが漏れないように、灯火管制を徹底し、民間防衛本部の指示に従って下さい。国民の皆さん、火災の危険のある石油などを安全な場所に移し、電熱器のコードを抜いた後、地下の避難所に・・・」

軍事政権下の、当時の韓国の政情不安な状況を伝える放送である。まさに事件は、そんな社会的状況下で出来したのである。

パク刑事らの強引な捜査でクァンホが逮捕され、猟奇事件は一件落着となった。

得意げな捜査課長は記者たちから、“犯人検挙三銃士”とか、“勝利の笑顔”という見出しを予告する写真を撮られて、宴会を予約するほど有頂天になっていた。

ただ一人、ソ刑事だけはクァンホの犯人説を疑っていて、彼の障害のある両手を確認した。

「指がくっついていて、箸もろくに使えないだろ?」

その事実を確認したソ刑事は、明らかに地元警察の流れと逆行する行動に踏み出していったのである。

クァンホを連れた現場検証が始まった。

「演技が大事なんだ。記者が一杯いるから」

パク刑事のこの一言が、検証の全てを物語っている。

しかしクァンホが犯人でないことを確信するソ刑事は、検証の中断を捜査課長に求めた。

「手柄を台無しにするつもりか?」

この課長の愚かな反応に対して、ソ刑事は犯行で使われた紐が3回も結び目が作ってあることを指摘し、そんな犯行が障害者のクァンホでは不可能であると科学的に説明したのである。

その現場検証の場にクァンホの父が抗議に現れたことで、クァンホは暴力的な洗脳から解かれたように、犯行を否定するに至った。メディアの目前で荒れる現場は、クァンホの冤罪が晴れた瞬間でもあった。

まもなく新聞紙上に、事件についての記事がネガティブに踊っていた。

「警察幹部電撃解任。農村の連続殺人事件、迷宮入りか?」

代わって捜査を担当した課長は、科学捜査を重んじる合理的思考の持ち主だった。

課長はソ刑事が指摘した観点に着目していく。

かつて、ヒョンスンという若い女性の失踪事件があったことと、犯行に共通する「雨の日に、赤い服」という視点の提示に関心を持ったのである。

更にソ刑事が、ヒョンスンも既に同一犯人によって殺害されていて、犯行現場も特定できると進言したことを受けて、捜査課長は警察力を動員し、大掛かりな捜索に着手するに至った。

その結果、ヒョンスンの腐乱死体が発見されることになったのである。

第三の殺人事件が確認されたことで、いよいよ連続猟奇殺人事件の様相が顕在化していったのだ。



3  猟奇的な事件と化した捜査の迷走 



捜査が暗礁に乗り上げていた。

そんな中での、科学捜査を重んじるソ刑事に対するパク刑事の言い分は興味深かった。地元の町のバーの中での話。

連邦捜査局本庁(FBI)のフーヴァービル
「アメリカにはFBIっていうものがある。奴らの捜査方法は、ドタマをクルクル回すんだ。分析したりして。なぜか分るか?あそこは国土がとんでもなく広いんだ。だからドタマを使わなきゃカバーできない。FBIの奴らはドタマを使うしかないわけだ。だが大韓民国って国はだな。両足でちょっと歩けば、どこにでも行ける。何でだと思う?鼻くそほどの国土だからだ。だから、昔から“大韓民国の刑事は、足で捜査する”っていう格言があるんだ。お前みたいにドタマを使う刑事は、アメリカへ行け」

「チクショー!お前なんかクソ食らえ!」

ソ刑事は映像の中で、初めてその感情を激しく吐き出した。

彼には、非合理的なパク刑事の捜査手法が受容し難いのである。

それにも増して、科学捜査に頼るソ刑事の、事件解決の展望が見えない現実に焦燥感を覚えていた。このとき、パク刑事のソ刑事に対する不満が破裂して、そこで二人は胸倉を掴み合うような喧嘩を始めてしまった。

それは、二人の対立の必然的帰結だった。二人の喧嘩を止めたのは、一緒に酒を酌み交わしていた捜査課長だった。

「犯人の野郎は、また犯行を繰り返すだろう。雨のザーザー降る日に。従って、我々は先に動く。先制攻撃だ。だからお前たち、俺の前で今度喧嘩したら、この手でぶっ殺す。覚えておけ!」

それは、刑事たちの内側に抱えた焦燥感を、却って映し出すものになっていた。

暗中模索の刑事たちは、この課長の言葉を具現する以外になかったのである。雨の日の度に、ギオクという女性警官が囮(おとり)となった捜査を地道に重ねていくが、成果と呼べる何ものもなかった。

そんな中で、遂に第四の殺人事件が発生した。

映像のカメラは、雨の夜の女性の歩行を追っていく。

それは同時に、犯人の視点でもあった。サスペンス映画の王道をいくシーンのベタ性は、未だ特定できない犯人の心象世界の不気味さを強調する効果によって、描写のリアリズムを際立たせていたと言えるだろうか。

犯人はセメント工場の中で女性を捕捉し、400メートル離れた場所まで引っ張って来て、そこで犯行に及んだ。これがソ刑事の把握だった。しかしその現場には犯人の足跡が残るが、女性の傘からは指紋の痕跡を見つけ出せないのだ。

そんな状況下で、パク刑事は些か滑稽な仮説を打ち出した。

犯行現場に犯人の陰毛が残っていないのは、犯人が無毛症であると考えたのである。やがて彼は、自分の直感的判断を信じて、風呂屋通いを続ける中で、懸命に無毛症の男を捜すという行動に打って出た。当然、それが犯人に辿り着くわけがなく、銭湯代を無駄に使っただけの徒労に終わってしまったのである。

一方、女性警官のギオクは興味深い情報をもたらした。

彼女が好んで聞くFM局のラジオ放送の、毎日流される音楽番組の中で、常に特定的にリクエストされる曲があることに注目したのである。

その曲の名は、“憂鬱な手紙”。

それは雨の日に限ってリクエストされ、彼女の調べによると、事件が発生した日に、必ずそれがリクエストされていたという事実が判明したのだ。

DJが読む葉書によると、“テリョン村の寂しい男より。雨の降る日にこの曲を”。この情報に鋭く反応したのは、ソ刑事と捜査課長だった。葉書を確保し、そこから消印と指紋、筆跡鑑定するようにと課長は指示するが、葉書は既に焼却場の屑となっていた。

他方、無毛症者捜しを断念したパク刑事は、とうとう占い師にファイルの写真を見せて、事件解決の糸口を弄る始末。彼の非合理的な手法が極まったエピソードであった。当然の如く、その手段も成果なし。

その後、彼の取った行動は、犯行現場で犯人が出現するのを待つというもの。偶然そこに現れた不振な人物は、現場で変態的行動を示し、刑事たちは色めきたって当人を捕捉するが、これも徒労に終わることになった。

しかし喜劇は繰り返される。

犯人は単なる変態者でしかなかったのである。

現場で女性の下着を前にオナニーをしていただけの男を追尾して、懸命の努力の末に逮捕した変態男を、パク刑事はまたしても、犯人に仕立て上げようとするが、当然、そこには無理がある。結局、クァンホ逮捕の二の舞を犯すことになったのである。

次第に焦燥感を深めつつあったソ刑事は、捜査の中で出会った女子中学生の話を思い出した。学校のトイレに隠れた犯人が、夜な夜な出没するという話である。

彼はその女子中学生から詳細な話を聞くために、学校に赴いた。しかし詳細を知らない彼女から情報を得られなかったソ刑事は、自ら女子トイレに出向いたが、そこで痴漢と間違えられる始末。

だが、トイレの中にいた学校関係者から、ソ刑事は興味深い話を聞き出した。彼女がトイレの中にいるとき、女性の泣き声が聞こえたので外に出てみたら、学校の向こうの畑で女性が仕事の手を休めて泣いていたと言うのである。

ソ刑事が「泣いてる女」を求めて、辿り着いたのは一軒の農家。そこにいた若い農婦は、男を見て咄嗟に家の中に隠れ忍んだ。

ソ刑事が身分を明かしたことで、女はようやく反応した。

「誰かに見られたら困る」
「誰もいやしませんよ」
「帰って、お願い」

怯える女は結局、拒否反応のままだった。

まもなく、ギオクを連れて、ソ刑事は再び農家を訪れた。農婦の異常な怯え方に事件の匂いを感じたからである。女性警官の柔和な語りかけの前で、その女性はようやく自分が抱え込んでいる秘密を語り出したのである。

「あの日の晩、小雨が降っていて・・・」
「それはいつ?」とギオク。
「それは、その・・・去年の9月、村で殺された女性のこと。新聞で全部読んだ。殺された方法が全く同じよ。私がされたときと。同じ・・・」
「顔は覚えてますか?」とギオク。
「男の顔を見ないように、首を下に向けてたの。眼を覆われたときも、眼を瞑ってた。顔を見てたら、殺されてたと思う。他の事は分らないけど、一つだけ覚えてる。柔らかい手だった。私の口を塞いだ手が、女性みたいにきれいで、柔らかかった・・・」

ギオクが得た証言によって確信したソ刑事は、直ちに所轄署に戻った。

そこでは、変態男がチョ刑事によって逆さ吊りにされている。変態男を未だ犯人と睨むパク刑事は、それを黙認しているのだ。

そこに戻って来たソ刑事とパク刑事の喧嘩が展開されたが、そのとき、ラジオ放送 “憂鬱な手紙”の曲が聞こえてきて、二人の喧嘩はピタリと収まったのである。

第五の殺人事件が起こったのは、その夜だった。

雨の夜に置き去りにされた女性の全裸死体。

いつものパターンだった。しかし死体の状態はいつのパターンと少し異なっていた。女性の膣の中から、桃の切れ端が9切れ出てきたのである。あまりに猟奇的な事件に慄然とする刑事たち。

「こんな奴らと、無駄な時間を過ごしちまった」

パク刑事は自分の事件ファイルを眺めながら、とうとう自らの誤りを認めるに至ったのである。



4  灯りが差し始めた状況下での最悪の顛末



放送局に問い合わせしたギオクの情報から、“憂鬱な手紙”をリクエストした男の名が判明した。テリョン村に住むパク・ヒョンギュ。

遂に判明した「真犯人」の名を確信した二人の刑事は、ヒョンギュの家に直ちに出向いた。しかし本人は、工場に出勤していて留守だった。彼らはその足で工場に向かい、その場で本人を捕捉し、署に連行したのである。

刑事たちが犯人と睨んだ男の顔は、いかにも女性的な面立ちで、凶悪犯のイメージとは随分隔たっていた。

「手を見せろ」

ヒョンギュ
ソ刑事の問いに、ヒョンギュは素直に応じた。

「柔らかい手だな。工場はいつから働いている?」
「去年の9月から」
「じゃ、最初の事件が起きる少し前だな。つまりお前が除隊して、この村の工場に来てから、次々に事件が起き始めた。そうだな?」

ヒョンギュはソ刑事のダイレクトな質問に、全く反応しない。彼が反応したのは、パク刑事が追及したリクエスト曲についてのみ。

「この曲がかかるたびに、女が殺されたのを知っているか?」

パク刑事のこの追及に、ヒョンギュはキッパリと否定した。

「死亡推定時刻の7時半から8時まで、お前は家を飛び出した」
「笑わせるな」

ソ刑事の厳しい追及に対して、ヒョンギュも挑発的に答えた。

思わず感情を露わにして、ヒョンギュの胸倉を掴んだのはチョ刑事だった。

「クソ野郎!からかう気か!」

チョ刑事の性癖のような暴力的行為を、捜査課長は厳しく制した。自分の眼の前にいる4人の刑事に対して、ヒョンギュは冷静に反応していく。

「あんた達が、拷問していることは、子供でも知っている・・・俺は絶対やられない」
「よし、ヒョンギュ、昨日の番組を最後まで聞いたんだな?当然、最後の曲を覚えているはずだ・・・言ってみろ、聞いてたんだろ?」

ヒョンギュを追求するソ刑事
ソ刑事の冷静な尋問に、ヒョンギュは「覚えてない」と答えるのみ。

ソ刑事は、録音した昨夜の放送を再生して聞かせた。“憂鬱の手紙”の曲を流しながら、ソ刑事は、犯行に及ぶまでのヒョンギュの心理を再現して見せたのである。

「止めろ!」

ヒョンギュは突然立ち上がって、相手が勝手に作る物語を自ら遮断したのである。

そこで再び暴力的な行動に及んだチョ刑事を、課長が激怒しながら制止した。結局、この夜の尋問は不調に終わったのである。

不毛な尋問の後、脱力感に襲われた二人の刑事がそこにいた。デスクの上に上半身を寝かせている、パク刑事とソ刑事である。

「気が変になりそうだ。目撃者はいない。かといって証拠もない。どうしろって言うんだ。クソ」
「目撃者だろうが、何だろうが必要ない。自白させればいいんだ。ヒョンギュを半殺しに・・・」
「お前、変わったな。どうせ恥をかくだけだ。クァンホのときみたいに・・・」
「ヒョンギュを半殺しに・・・」

思わずそう呟いたのは、パク刑事ではなく、ソ刑事だった。

彼の心もまた、相当に追い詰められている。そのとき、何かを思い出したように、ソ刑事はパク刑事に確認した。

「クァンホ・・・前から聞きたかったんだ。あいつを山に連れてったとき、あいつ、穴掘りの途中で、死んだヒャンスクのこと話したろ?」
「それが?」
「あいつに台詞の練習させたんじゃなかったのか?」
「本当に違うって」
「じゃあ、何であいつが首の絞め方とか・・・」
「そう思うだろ?」
「山で録音したテープどこにある?」

そのテープを再生し、クァンホの証言を確認した。

『ヒャンスクが体をブルブルって震わせて、死んだみたいだった・・・』
「この言い方」とソ刑事。
『・・・ヒャンスクの頭に被せた』
『何を?』とテープの中のパク刑事の声。
『ヒャンスクのパンツ、パンツだよ、帽子みたいに被せた・・・』とクァンホ。テープで証言している。
「自分のことじゃない」とソ刑事。
「だとしたら、自分で見たことを話してる」とパク刑事。

クァンホが事件の目撃者であることを確信した二人は、早速、彼の家に向かった。

彼らが焼肉屋であるクァンホの家に着いてまもなく、、思いがけない事態が出来してしまった。取調室から排除されているチョ刑事が、そのストレスから店内で暴れ回って、店の客たちとひと悶着起こしてしまったのである。

たまたま帰宅したクァンホもその喧嘩に自ら加わって、あろうことか、チョ刑事の足を強く殴打してしまった。殴打した棍棒に太い釘が刺さっていたため、チョ刑事は深い傷を負ってしまったのである。それは、チョ刑事に対するクァンホのリベンジであるようにも見えた。

身の危険を感じたクァンホは、そのまま店内を飛び出し、走り去って行く。

それを追う二人の刑事。

恐怖感に駆られたクァンホは電信柱に登って、そこから降りる気配を全く見せようとしなかった。電信柱の下で様子を窺う二人の刑事は、下から必死に説得する。

「捕まえに来たんじゃない」とパク刑事。
「殺すんだろう?」とクァンホ。
「さっきのことはなかったことにしよう。喧嘩にはよくあることだ」
「降りたら、俺を殺すんだろう?知ってるよ」とクァンホ。
「殺すわけないだろ」とパク刑事。
「よし分った。ちょっと聞きたいことがある。死んだヒャンスクのこと、覚えてるな?」

今度は、ソ刑事が用件のみを尋ねた。

「可愛いよ」とクァンホ。
「ああ、お前の好きだったヒャンスクが、雨が降ってたあの晩、殺されるのを見たんだろ?」とパク刑事。
「全部話したじゃないか。山の中で、穴を掘りながら話したのに・・・」
「ヒャンスクが殺されるのを見たんだ、ここで」
「ああ、そうだ。ここだよ。線路の脇の田んぼ・・・」

電柱の上から、クァンホは現場近くの田んぼを指差した。

「ヒャンスクを殺した奴の顔を見たのか?」
「・・・稲妻、ピカピカ」

そう言いながら、クァンホは電柱から降りて来た。

「殺した奴の顔を見たか?」
「うん、3回見たよ」
「その顔、覚えているか?」
「男前だった。俺より男前だった」
「お前が見たのは、この顔か?」

パク刑事は、ヒョンギュの顔写真を見せて、確認を迫る。

「よく見るんだ・・・」
「火が熱いの、知ってる?」

確認を迫られたクァンホは、急に訳の分らないことを言い出した。

「ちゃんと見ろ!」とパク刑事。
「すごく熱いんだ!」とクァンホ。
「しっかりしろ!よく見てくれ!」

今度はソ刑事が荒々しく写真を取り上げ、高圧的にクァンホに押し付けた。

「熱いよ、アチチ!」
「よく見ろって!」とソ刑事。その形相は、パク刑事のそれと変わらない。
「俺が子供の頃、あの人が俺を竈(かまど)に放り投げた・・・」

クァンホが相変わらず、訳の分らないことを喋っている。

そこに更に、店内で喧嘩に巻き込まれた連中がクァンホたちのいる方に近づいて来て、刑事たちに殴りかかってきた。超刑事が惹き起こした騒動が、未だ継続されていたのである。

そんな劣悪な状況に巻き込まれてしまった刑事たちは、一瞬目を放した隙に、クァンホは恐れを感じたのか、その場から足早に離れて行った。不運にもクァンホが上って行った線路に、汽車が通過して来た。

「危ない!」とパク刑事が注意する間もなく、クァンホは汽車に跳ねられて、即死してしまったのである。

事件の解明に少し灯りが差し始めた状況下での顛末は、あまりに悲惨なものだった。



5  追い詰められた刑事たち  



パク刑事は署に戻らず自宅にこもり、ヒョンギュの顔写真を凝視している。ソ刑事は、容疑の固まらないヒョンギュが釈放され、立ち去って行くのを苦渋の面持ちで見送ることになった。

次の日、“容疑者自殺、拷問が原因か?”という見出しで、クァンホの写真入の記事が新聞の一面に大きく掲載されていた。次いで“パク容疑者、3日ぶりに釈放”と事件の経過を伝えている。

この記事について、上司と電話で遣り取りして苛立つ課長の元に、科学捜査課から電話が入った。犯人の精液が見つかったというのである。早速、刑事たちは科学捜査課に向かった。

その精液は被害者の服に付着していて、犯人がマスターベーションしているときに飛び散ったものかも知れないとの説明だった。

「この精液のDNAと、ヒョンギュのDNAが一致すると確認されたら、この事件は、解決ってことですね?」

課長が間髪入れずに質問する。

「はい、これこそ確実な物証です」と鑑識医。

しかし問題は、DNA鑑定できる設備が韓国にはないということ。結果が分るには、それをアメリカに送らなければならないのだ。

「アメリカからの書類を待てばいい?」とソ刑事。
「そうです」と鑑識医。

事件がいよいよ大団円に近づいたという希望を少し乗せて、刑事たちは今や、ヒョンギュの再逮捕に向けて突き進むしかなかった。

しかし現実の厳しさは、刑事たちの思いを確実に砕く危険性をも孕んでいた。更に追い討ちをかけるように、チョ刑事の受傷は破傷風と診断され、片足の切断の手術を余儀なくされたのである。それを知ったパク刑事の衝撃は少なくなかった。

元気のないパク刑事を、元看護婦である恋人のソリョンが河原に呼び出して、少しでもリラックスする時間を確保させようと配慮する。しかし、点滴を受けながら河原で時を過ごすパク刑事の心の中は、殆ど虚ろであった。

「私の言うことじゃないけど、他に仕事ないの?刑事止めたら?」

恋人にそう言われても、反応できない男がそこにいる。彼の心の中の空洞感は、リラックスできる種類のレベルを超えていたのである。



6  トンネルの闇の奥に消えた事件の迷妄



ソ刑事は捜査課長の命を受け、ヒョンギュを24時間監視していた。ところが迂闊(うかつ)にも、バスに乗った彼を見失ってしまったことで、若きエリート刑事はそのロスタイムに起きる事件の予感に怯えていた。

ヒョンギュを見失ったその夜、新たな犠牲者が生まれてしまったのである。

その犠牲者は、あろうことか、ソ刑事が中学校で「トイレ事件」の真相を聞きに行ったときの少女だった。

雨の中、少女の腰に貼ってあった絆創膏、それは、ソ刑事の手によって貼られたものだったのだ。

間髪入れず、ソ刑事はヒョンギュの自宅に令状なしに乗り込んで、彼を強引に捕捉し、外へ連れ出した。

「立て、このヤロウ!」
「チクショウ!」
「立て、クソったれ!」
「お前はそれでも人間か!」
「お前みたいな奴が死んでも、誰も悲しまないさ」


これらは全て、ソ刑事が吐いた言葉。


ソ刑事はヒョンギュを殴打し、暗いトンネルの闇の前で拳銃を抜いて、それを付き付けた。

「言え!お前が殺した、と言え!全部吐け!このヤロウ!」

叫び続け、殴り、蹴り、甚振ることを止めない男の暴力の前で、遂に貧弱な体格の男が吐き出した。

「ああ、俺が殺した。俺が全部殺した。この言葉が聞きたいか?そうだろう?気が済んだか?」

このヒョンギュの挑発に、ソ刑事の暴行は更に加速する。そんな異様な暴行現場が、雨に濡れたレールがトンネルの闇に入るとば口の、そこだけが異常な空間となっている尖ったスポットで、繰り返される暴力の嵐。

完全に抑制を失った自我が、情動系に支配された時間を遂に開いてしまった男がそこにいて、その男になお挑発を止めない白面の優男(やさおとこ)がそこにいる。

そのアナーキーなスポットに、血相を変えて、パク刑事が侵入して来た。

アメリカから届いたというDNAの鑑定結果を記述する書類を、彼はその手に持っていた。それを受け取ったソ刑事は、書類を開封しながら、まだその激しい感情を吐き出している。

「今に見ていろ。今までよくも嘲笑(あざわら)ってくれたな・・・俺たちを嘲笑ったろ・・・」

そう吐き出しながら、英語で綴られた書類に眼を通していたソ刑事の表情が、突然凍てついた。

「どうした?」

パク刑事にそう言われても、ソ刑事は全く反応できない。その表情からは、ほんの少し前までの確信的態度が削られているのだ。

その書類には、英語でこう書かれていた。

“DNAが一致しないため、犯人とは断定できない”

「何かの間違いだ。全部ウソだ。必要ない」

ソ刑事の茫然自失した表情が悲哀なまでに炙り出されて、彼は夢遊病者のように、今までアナーキーな状況を呈していた尖ったスポットを離れていく。

「何?何て書いてあるんだ?」

英語が読めないパク刑事は、書類の結果を相棒に必死に尋ねる。その言葉を無視して、ソ刑事はほんの少し正気を取り戻したかのような様子で、自分の拳銃を拾った。状況を察知したパク刑事はヒョンギュに近づき、彼の顎を掴み、直接尋ねた。

「お前じゃないのか?俺の眼を見ろ」

ヒョンギュはパク刑事を真っ直ぐ見据え、無言の抗議をその表情に刻んだ。そこに拳銃を持ったソ刑事の右手が伸びてきた。そこに伸ばされた拳銃を、パク刑事は上から押さえ付ける。目一杯の力で、押え付けている。

ヒョンギュの視線はなお、相手を凝視している。その表情には、冤罪を告発する者の激しい怒りと、絶望的なまでに追い詰められた者の無念さが結ばれていて、その辛さが悲哀を炙り出していた。

そこに、相手のやり場のない思いを感じ取ったパク刑事は、相手の表情に合わせるようにして、いつしか力なく言葉を捨てていく。

「ちゃんと見ろ・・・俺は、もう分からない・・・飯は食ってるか?・・・行け。行っちまえ、バカ野郎」

ヒョンギュに対するパク刑事の最後の吐露には、名状し難い無力感と同居してしまった者の遣り切れなさが張り付いていた。

そこに列車が入って来て、トンネルの中を突き抜けていく。その間、ヒョンギュは姿を消していた。彼はトンネルの闇の奥に消えていく。未だヒョンギュに対する激しい情動を抑えられないソ刑事は、彼に向かって拳銃を何発も発砲した。それを必死に止めるパク刑事は、一言放った。

「もういい」

全てが終わった瞬間だった。

映像はトンネルの闇の奥から、そのとば口にいる二人の刑事を黒いシルエットで映し出し、やがてフェイドアウトしていった。



7  忌まわしい過去の記憶に戻されて



2003年。

普通の家庭を持ち、ゲームに嵌った息子に説教する普通の父親がそこにいた。第二の人生を選択して、それなりの成功を収めたサラリーマンとなったパク刑事その人である。

キッチンには、食卓を囲む家族の世話をするパク刑事の女房がいた。恋人のパク刑事に、河原で点滴を施していたソリョンである。

パクは営業の仕事で、たまたまある村を車で通り過ぎた。彼は突然何かを思い出したように、そこで車を止めて、普通の生活者の感情と明瞭に切れた者の足取りを刻んでいく。

そして彼はあの忌まわしい事件の端緒となった水田脇の水路の前で足を止め、その中を深々と覗き見た。しかしそこには何もなかった。事件の傷跡をイメージさせる何ものともクロスできなかったのだ。

そのとき、道端から声がかかった。一人の小学生らしい少女が、そこに不思議そうに立っていたのである。

「その中に何か?」
「いや」
「じゃあ、どうして?」
「何となく」
「不思議だな」
「何が?」
「この前、どこかのおじさんも覗いていたの・・・その人にも聞いてみた。“なぜ見てるの”って」
「そしたら?」とパク。表情に明らかな変化が表れている。
「“昔、自分がここでしたことを思い出して・・・久しぶりに来て見た”、そう言ってた」
「その人の顔見た?」

頷く少女。

「どんな顔だった?」
「何ていうか・・・よくある顔」
「どんな風に?」 
「ただ・・・普通の顔」

少女の答えにイメージを結べないで、当惑するパク元刑事。

アップで映し出されたその表情には、意識的に忘れてきたであろう最も忌まわしい過去の記憶に戻されたときの、名状し難い戦慄感が走っていたように見えた。


*       *       *       *



8  絶望的なまでに陰鬱な暗い世相を反映して



これほどの衝撃と興奮と感動を覚えた映画は、近年全く記憶にない。

成瀬作品のように、観終わって暫く経ってから、じわじわと静かな感動が広がっていくような映画が私は一番好きだが、映像の圧倒性で持っていかれる腕力溢れる作品もたまにはいい。

私の経験から言えば、身体の震えが止まらないような興奮を覚えた映画は、二十代のときに観た「ミッドナイト・エクスプレス」だけである。「ミシシッピー・バーニング」を例にとるまでもなく、アラン・パーカーのいずれの作品も力強く、威力十分なストレートの切れ味があった。

「殺人の追憶」という圧倒的な作品は、切れ味充分なストレートの威力だけではなく、ユーモアや哀感という変化球を織り交ぜた一級のサスペンス映画に仕上がっていた。

しかし、カタルシスを手に入れられない映画である。それは、遂に連続殺人鬼を捕まえられなかった男たちの、壮絶にして苛酷な人間ドラマだからである。

映画のモデルになったのは、政局不安な80年代後半の韓国の農村で実際に起こった十件もの女性連続殺人事件。

180万人の警察官が動員され、3000人の容疑者が取り調べられた結果、たった一人(?)の殺人鬼を逮捕できずに迷宮入りとなった韓国史の「汚点」を、若き俊英の監督が鋭く抉(えぐ)り出す。


主役の二人の刑事。

一人は勘で捜査する叩き上げの男。もう一人は、科学捜査を重んじるソウルから来た若い刑事。

当然、二人は噛み合わない。叩き上げの刑事が逮捕した容疑者もいい加減な供述書しか作れず、結局、釈放する羽目になる。

一方、ソウルの刑事も犯人の核心に迫れない。苛立つ捜査員たちの焦りは、遂には易学に頼ったりするなどして、周囲への粗暴な振舞いや内輪揉めの喧嘩を日常化するのである。

そんな焦りの中から、一人の有力な容疑者が捜査線上に浮かび上がってきた。しかし決定的な証拠がないために、被疑者の逮捕までには至らない。とうとう女子中学生の陰惨な死体が出現するに及んで、ソウルの刑事が暴走した。

科学捜査の掟を自ら打ち破って、彼は凶暴なハンターに変貌するのだ。

いつしか、叩き上げの刑事も彼に歩調を合わすようになり、やがてハンターの片割れとなっていく。ずぶ濡れになった凶暴なハンターは、有力容疑者を暴力的に追い詰めて、遂に拳銃の引き金に指を掛ける。

容疑者は暗いトンネルの中を逃げ走る。それを追うソウルの刑事の表情は、殆ど犯罪者のそれと変わらなかった。

そして、遠いアメリカに依存するしかないDNA鑑定によって、容疑者が犯人でないと知った叩き上げの刑事は、激しく叩きつけるような弾丸の雨中に、一人呆然と立ち尽くすのである。

このクライマックス・シーンは、当時の暗い世相を反映して、絶望的なまでに陰鬱である。

若いポン・ジュノ監督は遂に真犯人に到達できなかった男たちのやり場のない情念を、苛酷な状況に翻弄され、次第に人格を変貌させていくさまを通して、厳しいまでにリアルに描き切っている。

そんな人間の危うさと怖さを描いて、最後まで緊張を弛緩させなかったサスペンス映画は、もう二度と出てこないような気がする。



9  「古い韓国」と「新しい韓国」の溶融化という構図



―― 本作への言及を、より緻密な問題意識によって検証していこう。

この映画では、二人の刑事が類型化された形で描かれている。

繰り返すが、パク刑事は古い韓国を象徴する前近代的な人物で、その捜査手法も旧来の陋習(ろうしゅう)をそのままなぞっていくだけの、非合理的な直感に頼る刑事。それに対して、ソ刑事はアメリカのFBI的手法を踏襲する近代的で、民主的なあるべき韓国の未来像を象徴している人物。

その二人が、初めは激しく対立して衝突するが、事件が複雑な迷宮の深い森の中に踏み込んでいくにつれて、二人がそれまで拠って立っていた、捜査に関する精神的基盤が揺さぶられ、次第にお互いのフィールドの中にクロスし合っていく。

その関係の微妙なシフトを、メタファー的なイメージとして把握することが可能であるならば、「古い韓国」と「新しい韓国」の溶融化という構図に収まるだろうか。

犯人を追い詰めていく者が、常に決定的なところで追い詰められず、次第に焦燥感を内側にプールさせていく中で、これまで自分が拠っていた捜査手法に限界を感じたとき、追い詰めていた者は、逆に自らを追い詰めていく精神状況に捕捉されてしまった。

そのとき、自分が拠っていた基盤の限界を、自分がそれまで擯斥(ひんせき)していた、別のフィールドへの自己投入によって埋めるしかなかったかのような行動にシフトしていくのだ。

それが決定的な局面で現出したのは、ラストでの真犯人捕縛の決定的な状況描写に於いてであった。遂に真犯人を追い詰めたと信じたソ刑事は、そこにもたらされたDNA鑑定の情報の現実の前に、脆くもその状況に賭けた一切が崩壊しさったのである。

そのとき彼は、どのように振舞ったか。また傍らにいたパク刑事は、そこでどう動いたか。

前者は、自分が一貫して否定してきた、非科学的な見込み捜査の迷妄の中に踏み込んでしまったのである。彼は拳銃を取出して、自分が見込んだ犯人を射殺しようとさえしたのだ。トンネルの闇の奥に逃げ込む「犯人」に向かって、拳銃を発砲したのである。彼はこのとき、「古い韓国」の世界に拉致されてしまったのか。

一方、パク刑事はDNA鑑定の現実を目の当たりにして、その場で動けなくなってしまった。寧ろ、「古い韓国」に先祖帰りしたかのような、「新しい韓国」であるソ刑事の行動を制止しようとさえしたのだ。「古い韓国」と「新しい韓国」が、決定的な局面でその機能を麻痺させてしまったのである(その辺の心理的解析は後述)。

映像がここで語るのは、この二つの微妙に入り組んだ国情のカオスを抉(えぐ)り出すことであったのかも知れない。

当時の韓国の社会情勢は、まさに「古い韓国」と「新しい韓国」のせめぎ合いの激動期であった。

1979年に朴(パク)大統領が暗殺(注1)されたことを機に、全斗煥(チョンドファン)将軍が軍事クーデターを起こし、この国に第五共和国と呼ばれる軍事政権下での、上からの近代化が推進されていく。

ボーイング707(大韓航空機爆発事件と同型機)
しかし1983年の「ラングーン爆弾テロ事件」(注2)、1987年「大韓航空機爆発事件」(注3)が相次いで起こり、南北関係の緊張はピークに達した。

これらの事件は、1988年に開催予定のソウルオリンピックを阻止するための北朝鮮の暴挙であったとされるが、アジアで開かれる第二のオリンピック開催に傾注する社会的機運も手伝って、経済面での高度成長の流れは無視できなくなっていた。

しかし一方、民主化を求める以前からの国民の要求は、全斗煥(チョンドファン)政権下での軍部主導の政治に対する運動が多発するに至る。

経済成長によって少しずつ豊かになった国民は、必ずや「自由と民主」=「私権の定着」を求める運動を必然化してしまうであろう。

1980年代半ばには、「光州事件」(注4)に対する暴力的鎮圧が政治問題化し、軍事独裁政治を許さないという国民世論の批判もまた、歴史的な頂点に達しつつあったのである。

5.18記念公園に立つ祈念碑(光州事件)
まさにこの時期の韓国は、近代化を進めつつも、暴力的な権力政治や、その非民主的な体質を払拭できない「古い韓国」と、民主主義の確立を希求する「新しい韓国」との相克の歴史的過渡期にあったのである。

そして、そんな時代の只中で出来した大事件が、本作のモデルとなった「華城(ファソン)連続殺人事件」であった。

この事件のアウトラインは先述したとおりだが、重要なのは、本作でもしばしば挿入されていた振れ幅の著しい社会的に不安定な状況下で、この大事件が出来したという点である。

民主化を求める運動と、それを鎮圧する政権の苛烈な相克の中で、たとえ事件に動員された警察力が過大であったとしても、果たして、それがどこまで組織的、且つ科学的に把握され、継続的な捜査能力にリンクしていったかという疑問は、本作の中でシニカルに再現されたイメージを検証するものであるかのように、今なお払拭できないでいる。

それは、「古い韓国」と「新しい韓国」の相克が、必ずしも後者の勝利に終始したと明言できない曖昧さを、依然としてこの国が内包するテーマとして継続させていることを意味するのかも知れないのである。

或いはそれこそが、本作がアイロニカルに問題提起した緊要なテーマであったのだろうか。


(注1)朴大統領の腹心であった、韓国中央情報部長の金載圭(キムジェギュ)によって暗殺されたが、自分の地位を巡る権力闘争が絡んでいたともされるが、原因の詳細は不明。金は後に、全斗煥(チョンドファン)によって処刑される。

(注2)北朝鮮の特殊工作員による全斗煥(チョンドファン)暗殺未遂事件で、韓国副首相を含む21名が爆死。北朝鮮側は当然否定するが、ビルマ(現ミャンマー)政府による捜査によって、北朝鮮の犯行と断定された。

(注3)イラク発ソウル行きの大韓航空機ボーイング707型機が、北朝鮮の特殊工作員によって仕掛けられた時限爆弾で爆破された国際的な大事件で、乗員乗客含め115名の犠牲者を出した。犯人の一人である金賢姫(キムヒョンヒ)は自殺未遂後逮捕され、北朝鮮の犯行が特定されるに至る。

(注4)1980年に、光州市(全羅南道)で起こった事件。時の軍事政権に対して民主化を求める学生、市民らの大規模な反政府デモを、軍隊が鎮圧して多数の死傷者を出した事件として戦後史の画期となった。



10  アメリカへの「絶対依存」という「科学捜査」のアイロニー



「古い韓国」と「新しい韓国」という些か類型化されたキャラ設定を、本作を通してもう少し仔細に検証していこう。

「古い韓国」を象徴するのが「古い警察」である。「古い警察」は暴力性、非合理性、非民主制という旧来の陋習(ろうしゅう)を代弁するものである。

それぞれ、具体的に言及していく。

本作の中で暴力性を体現したのが、チョ刑事である。

この男に関しては、殆ど説明の要がない。

取り調べの中で、被疑者に跳び蹴りを喰らわす刑事が滅多にいるとは思えないが、この男の暴力性は更にその先をいく。被疑者を逆さ吊りにして自白を強要するのだ。

因みに、このシーンを見て私が真っ先に連想したのは、幕末期の京都を震撼させた新撰組の凶暴な取調べの場面である。

土方歳三のリードで断行された、長州藩士の逆さ吊りの拷問がそれ。結局、この拷問の末に、「池田屋事件」の凄惨な展開に歴史の流れが繋がって、それを機に新撰組の存在価値が、良かれ悪しかれ、巷間に広まっていくことになり、幕末の転換点を開く効果を生み出したことは周知の事実。

ところが、「古い韓国」の内包する権力的な暴力性は、逆さ吊りによって、誰が見ても信用されない嘘の自白しかもたらさないのだ。暴力性の象徴であるチョ刑事が、やがてその暴力によって、片足切断という悲惨な末路に流れていく物語の展開はアイロニーの範疇を超えて、殆ど悲哀なるリアリズムと言っていい。

そして、「古い韓国」の非合理性と非民主性を体現したのが、本作の主人公であるパク刑事その人である。

人の善悪を直感で判断して、識別し得ると豪語する男の観察眼の末路が、犯人の特定を占い師に頼むという体たらく。

結局、この男は逆さ吊りで自白を引き出しても、変態男の変態的な日常性のラインを全く突き抜けられないのだ。

そんな愚かな捜査手法を批判するソ刑事と取っ組み合いの喧嘩になった末に、詰まるところ、ソ刑事の捜査情報の信憑性の高さの前で、遂に腰砕けになってしまう。

男は、自分がその直感捜査で作り上げた事件ファイルを放棄するに至ったのである。

要するに、こんな男たちがリードする地方警察の非合理的なヘッドワーク(何と、現場検証すら満足に遂行できないレベル)では、とうてい解決し得ないほどの事件の難度の高さであったということだ。

或いは、「古い韓国」の象徴としての「古い警察」の低レベルの捜査能力さえ克服されていたら、本事件は容易に解決可能な、シリアル・キラー(連続殺人犯)の猟奇事件だったかも知れないのである。

相対的にそこに生じた能力の落差の埋め難い悲惨さに対して、言葉を失う以外にない。パク刑事が、自らの捜査手法(能力)の限界を認知せざるを得なくなったとき、彼はもう自分と対極に位置する者の未知の可能性に、その身を預けるしか術がなくなった。

彼はソ刑事に丸投げしたのである。

ところが、捜査を丸投げされたソ刑事が、殆ど確信的に睨んだ「真犯人」への追及も成果を挙げられず、完全に捜査の展開が行き詰ってしまう。

彼もまた、状況証拠の積み重ねによってしか被疑者に肉薄できなかった。

この映画で興味深いのは、科学的捜査を重んじるはずのソ刑事が最終ステージに至るまで、DNA鑑定という近代捜査科学に依拠できないという捜査行程の現実である。

この映画で、「科学」が登場する場面が映像の最終局面であったということ、更に、状況を決定付けるその近代捜査科学の能力の開示がラストシーンに至るまで待機していたという、その映像展開の困難さは、このような事件を生んだこの国の、当時の社会的状況の困難さと明らかにリンクするものである。

アメリカによって安全を保障されたこの国が、そのアメリカによって鑑定の結果を待たされるという事態の困難さは、殆どアイロニーを超えて厳しいリアリティに満ちていた。

アメリカで販売開始されたDNA鑑定キット
アメリカへの「絶対依存」の屈辱を、DNA鑑定の依頼という設定(事実にあらず)のうちに端的に映像化されていたと言えるだろう。



11  ソ刑事の抑制不能な振幅の激しさ



近代警察=民主警察のシンボルのようなソ刑事の限界性は、当時の韓国の社会状況的限界でもあった。

FMラジオ局の歌謡番組に、特定曲をリクエストするその日に事件が起きるという程度の状況証拠によってしか、被疑者を追い詰められないソ刑事が、自らの限界を最初に嘆息する印象的なシーンがある。

パク刑事と投げやりになって会話する中で、彼は呟くのだ。

「目撃者だろうが、何だろうが必要ない。自白させればいいんだ。ヒョンギュを半殺しに」

犯人を追い詰めていくべき者が、逆に自分を追い詰め始めている重要な場面である。

それは、ソ刑事の警察民主主義の内化の限界を示すものと言ったら大袈裟だが、しかし自分の能力を超える事件と遭遇したときの人間の焦燥感や、その本来的な脆弱さの描写に於いて、抜きん出て重量感溢れるリアリティを持っていた。

ソ刑事はこの辺りから、明らかに変わっていく。

その相棒に殆ど丸投げしつつあったパク刑事もまた、自らの限界を悟った者の悲哀を炙り出していく。彼らを囲繞する困難な状況の中で、共に変容していかざるを得なくなるのである。

そしてクライマックス。

繰り返すようだが、事件捜査のラストシーンでの、二人の刑事の状況心理について詳細に言及してみる。それは、本作で最も重要な描写であるからだ。

観る者は、後半に入って、映像展開が急速にシリアスな描写を重ねていく流れに、追い詰めていた者が、逆に追い詰められていく者の焦燥感を際立たせていく、その心理的文脈を共感的に読み取ることで、そこで開かれた圧倒的な映像世界を緊張含みで受容していくに違いない。

ソ刑事
まず、ソ刑事。

遂に、情動系を抑制できずに暴走した彼の状況心理を読解するには、4つの要因がリンクしているものと私は考えている。

その一。

合理的な捜査手法の稜線を伸ばした末に、ようやく辿り着いた被疑者に対して、あまりに稀薄な状況証拠しか突きつけられなかったことへの苛立ちと焦燥感。

その二。

それでも真犯人と確信する被疑者の態度が、追い詰められた者の不安感ではなく、寧ろ、追い詰めていく者の挑戦的振る舞いに終始しているように見えたことに対する、ある種の自尊心の過剰防衛反応。それは、自分の捜査手法に対して、確信的に抱いていたはずの自信と誇りが傷つけられた者の屈辱感であると言い変えてもいいだろう。

その三。

自分の捜査の突破口を開く原因となった、一人の女子生徒が犠牲者になってしまったこと。自らがその女子に貼った絆創膏のうちに繋がる一定の情感の記憶が、事件によって過剰に噴き上げてしまったのである。

その四。

自分が四六時中監視していたはずの被疑者を見失った直後に発生した、忌まわしき殺人事件に対して自責の念を感じていたこと。更に、自らの感情を逆撫でするかのような被疑者の、許し難き挑発的行為と受け止めてしまった心理が、そこに重厚に媒介されていたこと。

以上の心理の抑制不能な振幅の激しさに、ソ刑事の自我は、一過的にその機能を削られてしまったのである。

彼は自らが拠って立つ、科学的捜査の結実であるDNA鑑定を無視して、ヒョンギュに向かって拳銃を乱射した。

これが人間であり、人間の自我の限界であるだろう。

人間の自我が苛酷な状況の中で一時(いっとき)機能不全となって、一気に情動系が解放されていく一つの典型的なパターンがそこにある。彼だけは、決定的な局面で否定された状況に対して、最後まで戦線離脱できなかったのである。心理学的に言えば、それ以外ではないのだ。

しかし、その文脈をメタファー的イメージで括れば、「新しい韓国」の「新しい警察」の象徴であるべき彼の内面世界に、尚どこかで、「古い韓国」の「古い警察」の悪しき伝統が蜷局(とぐろ)を巻いていたと言えようか。



12  パク刑事の状況心理の振れ方



パク刑事
一方、パク刑事の場合はどうだったか。

その状況心理を構成する要因。

その一。

既に彼の中で直感的捜査の限界を認知せざるを得なくなっていて、半ば捜査の内実をソ刑事に丸投げしていたということ。このことは、自分の能力を遥かに超える事件の出来に対して、彼の自我が翻弄されていたことを意味する。

その二。

相棒のチョ刑事が本人の不始末から破傷風になり、足を切断する事態に激しい衝撃を受けていて、その心労と進捗しない捜査の疲労感によって、その心がどこかで空洞化されていたことも手伝って、いつしか刑事の仕事を辞めることまで考えていたであろうということ。

以上の二つの心理的要素が、彼の中で事件に対する相対的な冷静さを継続的に保証してしまったのである。これは、自分の合理主義的な捜査手法が暗礁に乗り上げた不安感を、より確信的に被疑者を特定化し、そこに向かって全エネルギーを過剰に傾注することで、ある種の内面的危機を打開する心理行程を辿ったソ刑事のパターンと、極めて対極的な心情世界であったと言えるだろう。

その三。

捜査の後半の状況から変容を露呈しつつも、常に冷静だったソ刑事が拳銃を抜いて、それを発砲させる行為を目の当たりにしたこと。

人間とは実に不思議な生命体だ。

自我という厄介なものを作り出してしまったばかりに、絶えずどこかで均衡を図ろうとする所がある。それ自体結構なことだが、その機能がしばしば卑屈なる自己防衛に駆動されることもある。

パク刑事の場合、それは良好な結果を生み出した。

自分の感情が過剰なときには、それを誰かが抑制して欲しいと思う程度の理性を持っていたから、刑事を辞めた後、普通の勤労者として生計を立てていくことが可能だったのだろう。

自分の捜査を否定するソ刑事に、結局、その捜査判断を委託するだけの自己認知能力があったと言えようか。

しかしこの男の自我の内に、比較的冷静な時間が馴染み出したとき、あろうことか、より冷静だった男が拳銃を抜いて、発砲を止めないのだ。

こういうとき、却って人は自己を相対化できるから、対極的な視座を持っていたはずの相棒の、信じ難き暴走を食い止められる能力をリザーブできたのである。

以上の三つの心理的要因が、この決定的な状況下での各自の振る舞いを決定付けたと言っていいだろう。



13  追い詰めゆく者が追い詰められて―― 状況心理の差異が炙り出したもの  



DNA鑑定の結果を待って、一方は戦線を決定的に離脱した。

このパク刑事は、彼の捜査手法と対極にあった科学捜査の結論に対して、あっさりと白旗を揚げたのである。

しかし他方は、最も信頼すべきデータを無視して、暴走を止められない。ソ刑事はいつまでも戦線に囚われていて、そこから決定的に離脱できなかった。それは彼の限界というよりも、そのような苛烈な状況に置かれた者の、あまりに人間学的な悲哀であると言っていいだろう。

戦線を決定的に離脱できた者と、そこから離脱できなかった者の差異は、実はその人格が抱えた状況心理の微妙なる差異でしかなかったということだ。

要するに本作は、様々にメタファー的なイメージを被せつつも、そこに、「追い詰めゆく者が追い詰められて―― 状況心理の差異が炙り出したもの」というテーマを中枢的に切り取った、殆ど類例を見ない最高のサスペンスドラマであると同時に、何よりも秀逸なる人間ドラマであったのだ。



14  「古い韓国」の、「古い警察」がそこに晒されて



それにしても、事件捜査のラストシーンで、異様なまでにその存在を際立たせた巨大なる闇のトンネル。

それは事件に関わる者たちの心の闇であり、やがて迷宮化していく事件それ自身が内包する闇であり、更に言えば、常に「民間防衛本部」による「訓練空襲警報」を発令して止まないこの国の、当時の社会情勢の、未だ明瞭な光の見えない時代の闇であるのだろうか。

当時、人々の生活風景は、本作で異様に映し出されるセメント工場に象徴される高度成長の只中にあって、 「豊かさと自由」、「民主化と私権の拡大的定着」を求めつつある人々の必然的な欲望のうねりが、軍事政権下で威圧的に操作されていく時代の過渡的な流れの中で、それでも確実に蠢動(しゅんどう)するときの息吹を、それぞれの世俗的な時間の内に繋いでいたに違いない。

こんな描写があった。

犯人を目撃したクァンホから、決定的な情報を取ろうと必死になっている刑事たちに向かって、焼肉屋で暴れていた学生連中が襲い掛かってきたときの遣り取り。

「俺たちは警察だぞ」と刑事。
「なら俺たちは、情報部だ」と学生。

事件を追う刑事たちの社会的ポジションの相対的な低さを、この短い遣り取りは見事に再現していたのである。

元々、喧嘩の原因になったのは、テレビで拷問の容疑で起訴された元刑事の公判の模様が放送されていて、そこで店内の学生たちが刑事を馬鹿にするのを聞いたチョ刑事が、そのテレビを壊した挙句、学生たちと乱闘したのが始まりだった。

それは、情報機関が政治の中枢に関与していた時代の中で、警察権力の位置付けの軽量感を端的に示す事例だったと言えるだろう。まさにそんな時代の警察が、かくも厄介な連続殺人事件の捜査を担当していたという訳だ。未だ市民警察としての組織力を体現できていない「古い韓国」の、「古い警察」がそこに晒されていたのである。

そんな時代の警察に所属する刑事たちのリアルな実態を伝える映像は、その力技に於いて、見事にそれをフィルムに鏤刻(るこく)させていた。

そこでは、まさに喜劇と悲劇が重厚に束ねられていて、困難な時代の中で苦闘する人間ドラマの濃度を深める活写は、殆ど群を抜いていたと言っていいだろう。

そのような重厚な出来栄えがあればこそ、「闇のトンネル」とか、「雨の中の殺人」とか、「殺人者の不気味な視線からのカメラフォロー」といった、言わば、定番的なサスペンスドラマのベタ性すらも素直に受容できたのである。



15  それ以外にない時代の自然なシフトの流れの律動に、丸ごと嵌っていくリアリティ



そして、映像それ自身のラストシーン。

恐らく、忌まわしい事件を機に、その職を辞したと想像されるパク元刑事が、偶(たま)さか通り過ぎた震源地となった村で、営業車を降りた。彼はその足で、水田脇の水路を覗く。それこそ事件の発生点となった場所である。

その水路の中を凝視しても、そこには当然何もない。蛆虫の蝟集(いしゅう)する若い女性死体の障害物が除去された風景は、開かれた視界の届く無機質の造形のシンプルなラインであった。恰もそれは、相対的に風通しの良い、「新しい韓国」をイメージさせる風景であるかのようだった。

しかし男がそこでクロスしたのは、明らかに思い出したくもない過去の記憶の生々しい残像だった。通りがかりの少女からの驚くべき情報に、男の表情が凍てつく。しかし少女の目撃情報の内実は空疎なものだった。最近、同じようにして水路を覗いた男のイメージは、「普通の顔」でしかなかったのである。

この言葉が意味するのは、事件がなお、迷妄の森の中で彷徨(さまよ)っているという事実以外ではない。 時代がシフトしているのに、時間が動かないエリアがこの国に存在する事実に、男は戦慄するばかりだった。

男が第二の人生をそれなりに成功していたという事実は、あの忌まわしき事件が、男の自我を壊すほどのトラウマになっていないことを充分に想像させる。

思えば、男は事件の最大のクライマックスの状況下で、半ば戦線離脱の状態であったのだ。男の自我は、刑事としての能力を既に自己否定した分だけ、そこに深い傷跡を刻むことがなかったのであろう。だからこそ、半ば忘れかけていた陰鬱なる村の、陰鬱なる現場にその身を束の間預け入れたのである。

この男に始まって、この男に終わった物語。

それは、ガラスの破片で反射させなければ、その中が見えないような長く伸びた水路で始まって、今やそこに、どのような遮蔽物をも見出せない見通しの良い水路で終わった物語。

そこには、「古い韓国」と「新しい韓国」を分ける、17年間にも及ぶ時間が内包した歴史の重みが存在するであろう現実が、具象化されたイメージの内に瞭然と検証できるのであろうか。

しかしそんな物語の括りの中に、事件で最も傷ついたであろう若い合理主義の刑事の後日譚は不要であった。

若い刑事は、事件捜査のラストシーンでの暴走の中で、彼の中の固有の世界を自壊させてしまったのである。彼の人格の内に表現されていた、「新しい韓国」の「新しい警察」の、その不定形なイメージラインは、既に2003年のこの国の中で、一応の形を整備させて、弱々しくも立ち上げられていたということであろうか。

何かが閉じて、何かが開かれた。

開かれた世界の中に、直感捜査を重んじる刑事が上手にその身を預け入れることができたのは、元々、この男の人生観、価値観の基盤が濃密な世俗性と切れていなかったからであろう。

では、合理主義を重んじる若い刑事が、開かれた世界にどのようにその身を預け入れ、自らの生活ゾーンの内に、確かな充足感をもって立ち上げられていったかどうかについて全く不分明だが、本質的にその詮索は不要であると言えるだろう。

なぜなら、それは映像の作り手の架空のキャラクター造形であって、この際立って創作的なオリジナル・ストーリーの中で、あくまでも「、追い詰めゆく者が追い詰められてー状況心理の差異が炙り出したものというテーマ性に合わせた人格イメージの具象化でしかないからである。

それ故に、どこまでも本作の人物造形の中で中枢的な役割を担うのは、映像の最初と最後を繋ぐ凡俗なる男以外ではない。この男こそ、メタファー的なイメージで言えば、「古い韓国」の「古い警察」の心理的基盤が空洞化されたことで、「新しい韓国」の普通の市民生活者としての変化を見せた、まさに典型的な人物像であると言えるからである。

あの若いソウルから来た刑事の人物造形は、この国が社会のあらゆるステージで苦闘していた時代の、一種の純化された象徴的イメージであったのに対して、地元署の丸ごと世俗的な刑事の振幅の記録こそが、それ以外にない時代の自然なシフトの流れの律動に、丸ごと嵌っていくリアリティを体現したものであるということだ。

そのように読解することで、私は本作を丸ごと受容した次第なのである。



16  「無念さ」と「やり場のない哀しみ」



―― 最後に尚、本作に拘る私の感懐を記しておく。


ボン・ジュノ監督
その人間の最も肝心な心情世界を、決定的な場面でしっかりと描き出し、それを演じる役者たちが、作り手の狙いを内化させた表現をほぼ正確に刻んだ映画は、間違いなく、一級の人間ドラマとして成就している。

本作のクライマックスシーンで、三人の男たちが激しくも、哀切なまでに身体化した世界は、紛れもなく、その固有なる状況心理下で追い詰められた者たちの、殆どそれ以外にない表現世界であった。

そのキーワードは、「無念さ」と「やり場のない哀しみ」である。

その象徴的な描写は、DNA鑑定の結果を最悪のイメージで把握しつつも、被疑者の顎を掴んで迫るパク刑事と、刑事を睨むように凝視するヒョンギュの身体的対峙の構図であった。

「俺の眼を見ろ」と叫ぶ刑事は、最後に再び先祖帰りしたように、直感刑事に戻っていた。しかしその眼に捉えられたヒョンギュの表情は、犯人と特定されて暴行を受けた者の怒りと恐怖と辛さが、無言の視線の内に訴えかける悲哀を濃密に炙り出していた。

その後、「飯は食ってるか?」と思わず吐き出す刑事は、相手の表情から「やり場のない哀しみ」を感じ取ってしまったのである。刑事たちはもう、そこで「無念さ」だけを表現する以外になくなったのだ。

凄い映像と思わず唸る決定的な構図が、そこに刻まれていた。

(2006年12月)

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