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2008年10月24日金曜日

太陽の年('84)       クシシュトフ・ザヌーシ  


<お伽話を突き抜けて―「純愛ドラマ」の究極なる括り>



 1  仄かな感情を開いたファーストコンタクト



 第二次世界大戦直後のポーランド。

 疎開先から戻る列車の中で、一人の女が母と思しき者の手当てをしている。怪我した脚から黴菌が入ることを心配した女が、懸命に老婆の足を洗浄する。
 
 「放っといて」
 「ダメよ、ママ。化膿しそうだわ」
 「いいから構わないで」
 「替えないとダメ」
 「替えても同じさ」
 「悪い黴菌が入ると大変よ」
 「入ればいい。もう生きている張りはないよ」
 「ダメよ、そんなこと言っては」
 「どうすればいいのさ。誰が頼れる」
 「神様よ」
 「イエス様だって、望んで十字架についたのよ。私だって望むときに死にたいわ」
 「元気を出して・・・」
 
 母娘の会話であった。

 娘の名はエミリア。年齢は中年に差しかかっている。母の名は紹介されない。

 そこで紹介されるのは、ナチスドイツの侵略による大戦ですっかり生きる希望を失くした母と、その母を必死に介護する娘の健気な姿である。
 
 一方、荒廃したそのポーランドに足を踏み込むアメリカ人の一団がある。その中に、ノーマンという兵士がいた。彼は戦犯調査団の運転手に応募して、敢えて大戦で最も被害を蒙った地にその身を預けている。

 「なぜ、応募した?」

 同僚の質問に、ノーマンは明瞭に答えた。

 「誰も待っていないからさ」

 どこか孤独な雰囲気を漂わす男が、偶然一人の女性と出会った。エミリアである。彼女が廃車の中で絵のスケッチをしているところに、ノーマンが下の用を足そうと近づいたことがきっかけだった。男は英語で、「失礼しました」と謝罪するが、英語を理解できない女の反応は鈍かった。
 
 まもなくノーマンは、エミリア母娘の住むアパートに訪ねて来た。

 先日の失礼を詫びるために、わざわざ絵の具を買って持って来たのだ。そのまま置いて帰ろうとするノーマンを、母は娘を促して部屋の中に呼び入れた。

 言葉が通じ合わない両者は、片言の英語を使ってコミュニケーションを図ろうとするが、なかなか意思伝達が上手くいかない。ノーマンは貧しい部屋の片隅に飾ってある男の写真を指差して、遠慮げに尋ねた。
 
 「娘の亭主。死んだの。アウト」とエミリアの母。
 「すみませんが・・・」とノーマン。

 彼には言葉の意味が通じなかった。

 「いい兵隊さんね。私が若かったら惚れるわ」と母。
 「帰らないの?アメリカへ」とエミリア。
 「誰も待ってませんから」とノーマン。

 エミリアの英語は通じたようである。 

 母娘はポーランド語で話し合っている。その中に、異国の兵士のノーマンは入れない。入れないことが分っているから、母娘の会話の中にジョーク含みの歓談が自在に飛び交っていた。それでもノーマンの内側には、このファーストコンタクトからエミリアに対する仄かな感情が湧き上がっていた。 
 


 2  交叉する思いの微妙な温度差



 ノーマンの訪問があった数日後、母娘の部屋に無断で男たちが押し入って来た。既に下見済みの男たちは、明らかに女所帯の部屋を狙って侵入して来たのだ。
 
 「出てお行き!」と母。
 「何もないから、すぐ帰るわよ」と娘。

 彼女は、ベッドから病弱な体を起き上がってきて、男たちに向かおうとする母を制止したのである。

 「ゲシュタポと同じね!」と母。

 乱暴に家捜しをする男たちに、母は我慢できずに非難の叫びを放った。

 「うるせえ!ヘンなのと一緒にするな。金はどこだ!」

 男たちは母娘を暴力的に制圧して、なけなしの金を奪い去って行った。

 「どうして、何もかも渡しちゃったの?」と母。
 「命までとられるわ」と娘。
 「その方が良かった」と母。

 最も大切なものを奪われて、悄然とする母娘のもとに、ノーマンが再び訪ねて来た。部屋の異常を察知した彼は、その理由を尋ねた。

 「これは・・・何があったんですか?一体、誰が・・・警察を呼びましょう」

 母娘はそれに反応できない。身を寄せ合ってうずくまるばかり。暫くして、エミリアはその思いを拙い英語で男に語っていく。

 「私は愚かだわ。愚かよ・・・二人とも・・・あなたも私も愚かだわ・・・悪いけど、忙しいの。明日売るクッキーを焼くのよ」

 沈鬱な空気を感じ取ったノーマンは、自分が運んで来た品物を置いて、静かにジープに乗って帰営した。

 それを黙って見守るエミリア。彼女は今、男と話す心の余裕など全くなかった。彼女がクッキーを売り捌いて貯めた、その僅かな貯金を奪われた衝撃は簡単に消えるものではなかったのである。
 
 母娘の貧しいアパート部屋への男の3度目の訪問は、若い通訳付だった。

 「君と大事な話がしたいんだ」

 クッキーを作って届けるところだと言うエミリアをジープに乗せて、ノーマンは彼女を目的地まで送った後、二人だけで話をする時間を作ってもらった。男は女にゆっくり話し出す。男の横には若い通訳がいた。

 「実はプライベートなことなんだけど、大事な相談をしたいと思っている。我々二人に関わり合うことだ。とても重大な。通訳を介しては言いにくいけどね・・・」

 そこまで話して、ノーマンは通訳を促すが、若い兵士はノーマンの微妙なニュアンスを伝えられない。

 「君にも僕の気持ちは分るだろう?」

 これはノーマンが放った言葉。

 自分の感情を理解して通訳してくれと、ノーマンは切実に求めるのだ。この辺りから、この映像の一つのテーマ性が明瞭な形を現してくる。
 
 「助けてくれよ」とノーマン。
 「場合によりますよ」と通訳。
 「分らないんだなぁ・・・」とノーマン。
 「意味は分りますけど、何をお望みかは・・・」
 「見て分らないかい」とノーマン。
 「無理でしょう?だって、女性はポーランド人ですよ」
 「それが何だ?」とノーマン。
 
 彼は若い通訳の鈍感さに苦笑した。

 その苦笑に誘われるように、エミリアも苦笑する。彼女は既に最初の通訳の一言と、ノーマンの真剣な表情を察して、男の三度目の訪問の目的を理解していたのである。

 「どうしたんです?可笑しいですか?」と通訳。

 この若い兵士だけが、そこに作られた小さな状況の中で置き去りにされていた。

 まもなく、閑散な街路を歩くノーマンとエミリアが、静謐(せいひつ)な画像の中に少ない言葉を刻んでいた。

 「どうにもならないわ」とエミリア。
 「道はある」とノーマン。
 「どこに?」
 「分らない」
 「ダメなのよ。もう会いに来ないで」

 そう言って帰ろうとする女に、男は「今夜、会いに行くよ」と言葉をかけた。首を横に振って、女は黙って去って行く。


ポーランドを占領したドイツ軍幹部将校たち(ブログ・鳥飼研究室より)
しかしノーマンはその夜、母子のアパートを訪ねて行った。

そこで彼は、母娘の隣の娼婦の元を訪ねる一人のドイツ人と遭遇した。彼と話しているうちにノーマンは、自分が捕虜であったときの記憶が甦り、思わず彼に向かって飛びかかったのである。それは、ノーマンの暗い過去の一端が開かれた瞬間でもあった。
 


 3  至福に逢着した純愛の眩さ



 一人の男が、一人の女の執拗な攻勢を暴力的に壊している。

 男は先ほどのドイツ人。女は娼婦のステラ。

 彼女はその常連のドイツ人と痴話喧嘩をしているように見えた。男が帰った後、ステラは自分部屋のベッドで蹲(うずくま)っていた。

 その声を隣で聞いたエミリアは、ステラのもとに寄り添っていく。
 
 「どうしたの?」
 「何でもないわ」
 「話してよ」
 「独身だなんて言って、奥さんがいたの・・・ドイツによ。死んだかも知れないけど、私は騙されたんだわ」
 「しっかりして。もっと苦しんでいる人も大勢いるわ」
 「今度こそ、やり直そうと思ってたのよ。名前も変えて、これも焼くつもりだったわ。傷痕が残ってもね。彼に復讐してやる」

 そう言って、ステラは左腕に彫られている傷をエミリアに見せた。

 ステラは収容所に入れられていたのである。彼女は恐らくユダヤ人なのだろう。だから、こんな恨みをエミリアに吐き出したのだ。
 
 「あなた、訴えて。あいつ、元ナチス党員よ。アメリカの飛行士を、殺して埋めたと言ってたわ。そう言って訴えてよ」
 「自分で訴えたら・・・」
 「私だと彼との関係を聞かれるし、あまり都合よくないのよ。あなたなら、噂を聞いたと言えば済むわ。彼を逮捕して調べれば、何もかも分るんだから」
 「一緒に行きましょう」

 エミリアは優しく反応した。

 この二人の会話の後の映像は、土の中に埋められた遺体を掘り出す作業の描写だった。


現地の調査を行うポーランド赤十字社代表団・カティンの森事件(ウィキ)
それをエミリアは、他の見物人に混じって、固唾を呑んで見ている。遺体は既に酷く腐乱し、作業に当たる兵士も吐瀉するほどだった。作業員の中にノーマンもいて、そのノーマンに抱かれるように、エミリアは暗鬱な時間を耐えていた。

 エミリアを送って、ノーマンは彼女のアパートの部屋に一緒に入っていく。

 「どうしたの?」と母。
 「何でもないわ。寒気がしただけ」と娘。
 「早く横になりなさい。そのまま・・・」

 自分が今、目撃した凄惨な現実に堪え切れず、エミリアはベッドに沈み込んでいく。そのとき彼女の視線に、戦死した夫の写真が捉えられた。
 
 まもなく、エミリアは教会に出向いて、神父の前で告白する。

 「神父様。どうしたらいいか分りません。混乱してしまって。神父様。幸せになる権利って、誰にでもあるのでしょうか?人によるのでしょうか?」

 その難しい問いに、神父はそれ以外にない答えを持って反応する。
 
 「誰でも幸せになっていいのです。他人を傷つけず、良心にも恥じなければ・・・」

 「考えるまでもないかも知れませんけど・・・どうしたらいいか、迷うんです。今まで哀しい目にばかり遭って、運命と諦めていました。数ヶ月ですが、私には夫がおりました。戦死してしまったのですけど、まだ私は夫を愛していますし、生きてくるような気さえします。それなのに・・・自分が分らなくなりました。アメリカ人に求愛されて動揺しているんです。言葉もよく通じませんのに・・・」
 
 存分の思いを込めた独白に、神父は合理的に反応する。

 「連れて来なさい。英語の分る尼僧がいるから」

 エミリアは何かを覚悟したような思いで、深々と降りしきる雪の中を自転車に乗って帰って行った。
 
 やがてエミリアはノーランを真横にして、教会の人工照明の下に坐っていた。英語の分る尼僧に対して、エミリアは事情を説明する。

 「裁判所が夫の死亡宣告を出すまで、私は正式に再婚できないんです。それまで何年かかるかも知れません」

 エミリアの説明を傍らで聞くノーランは、そこでキッパリと言い切った。
 
 「時間はかかるだろう。いつまでも待とう。一生でもいい。一緒に暮らしながら待とう」

 そのノーランの言葉を、尼僧はフォローしていく。

 「あなたを出国させるお金はあるそうよ。お母さんも」

ポーランド国境の標識を破壊するドイツ軍(ウィキ)
その優しい反応に、エミリアは更に事情を話していく。

 「私たち戦争中、国もなく彷徨(さまよ)ったので、この国への愛着が強いんです。捨てたくありません。生活は当分厳しいでしょう。でも幸せはどこで暮らすかではなくて、どう暮らすかの問題です・・・これは訳さないでください」
 「彼はこっちで暮らせませんか?」と神父。
 「無理でしょう」とエミリア。

 「エミリア、僕だって苦労してきた。君だけじゃない。君は僕に光を見せてくれた。だから離したくない。君に会うまでの僕は虚ろな人間だった。人生に希望もなく、生きがいもなかった。今はある。大したことはできないが、一つだけ約束する。うんと働くよ。農業もできる。将来の姿が眼に浮かぶよ、エミリア。僕たちと君のママが、僕たちの畑で働く。幸せになろうよ。きっと幸せになれる」

 映像の中で、ノーマンが放った唯一の、しかしそれ以外にない精一杯の決め台詞らしきものがそこにあった。

 その後、二人はごく自然の成り行きで結ばれた。それは、この映像の中で男と女の純愛が一つの至福を示す、最も美しい場面でもあったと言える。
 


 4  寒風に身を晒す母の覚悟



 ノーマンの帰国が迫って、エミリアは闇のルートで出国することを決心した。勿論、彼女一人だけではない。彼女の母が随伴しなければ意味がない旅なのだ。

 だからエミリアは母の傍に寄り添って、優しく誘(いざな)おうとする。

 「ママ、一緒に来てくれる?」

 それに対する母の反応は鈍かった。

 「いや。でも、お前は行きなさい。もしかしたら、後から行くわ。年寄りは後でいいの。お前は若いんだからね。心配なら一緒に行くよ」

 娘の表情が曇ったのを見て、母は娘の気持ちに合わせるような感情を最後に乗せていった。母と娘が無邪気に微笑みを交わし、その手を握り合っている。

 ノーマンとエミリアの長閑(のどか)なドライブが映し出されて、二人の至福の時間が継続されていた。道路を塞いでいた家畜の牛にクラクションを鳴らすが、なかなか動かない。その様子を楽しむ二人。


ワルシャワのポヴォンズキ墓地にあるポーランド兵士の墓(ウィキ)
ようやく牛が動いて車を発進した直後、後方で地雷が炸裂した。一瞬、表情を硬くした二人のドライブは、未だ戦後が終焉していないことを警告するシグナルでもあったかのようだった。
 
 その頃、母娘を出国させる闇のルートの案内人が、エミリアの母に厳しい宣告をしていた。

 「足手まといだな。物見遊山とは違うんだからね。途中で一人でもドジを踏んだら、皆監獄へ放り込まれるんだ。俺だってヤバイや。娘さんだけ先にやりなよ」

 そう言われて、母は現実的な問いかけをした。

 「手数料は幾ら?」
 「一人当たり100ドル」
 「50ドルと聞いたわよ」
 「厳しくなったから上がったんだ。何しろ、こっちも命がけだからね」
 「前金は幾らいるの?」
 「勿論、全額さ」
 「明日、娘のいるときに来て。そうね、朝がいいわ」
 「分った。じゃあ明日、お大事に」

 男はそう言って、珍しく陽光が当たるアパートの部屋を去って行った。いつものようにその部屋に残された母は、選択肢が一つしかない方向に身を投げ入れようとしていた。
 
 その夜、エミリアの母は部屋の窓を開放して、外の寒風をその病弱な痩身に当るように仕向けている。ベッドの上で、薄いブランケットのみで寒風に身を晒す母は、殆ど確信的な行動の中で耐えている。隣の部屋に吹き込む風の音に反応したのか、娼婦で生計を立てているステラが慌てて飛び込んで来た。

 「風邪引いちゃうわ。閉めましょう」

 そう言って、窓を閉めたステラに対して、母は覚悟の言葉を刻んだ。

 「ドアは開けといて」

 その老婆の言葉に疑問を抱きつつも、ステラはその身に寒さを感じて、自分の部屋に戻って行った。

 人影が消えた部屋の中で、老婆は初めから覚悟を決めた行動を実行に移していく。ゆっくりとベッドから這い上がり、緩慢な足取りで窓際まで辿り着き、眼の前の大きな窓を開いたのである。
 
 まもなく、老婆の部屋に医師が入って来た。

 ステラが医師を案内するが、ベッドの傍らには、外出から戻って来たエミリアがいた。母が肺炎を起こして苦しんでいたのだ。ペニシリンの投与の必要があって、急いでノーマンに手配してもらった。

 娘は母にペニシリンのアンプルを渡し、それを処方しようとするが、母は「見ないで、外に出てて」と言って、二人を部屋の外に出した。そして母はそのアンプルをベッドの下に捨てたのである。部屋に戻って来たノーマンに、脂汗で蒼白な表情の母は、振り絞るように語っていく。
 
 「大丈夫よ・・・連れて行ってね・・・アメリカに。昔見たアメリカ映画を思い出すわ・・・“駅馬車”。見渡す限り大きな岩山・・・その下を馬車が走って行くの・・・」

 それが、エミリアの母の遺言になった。
 
 その夜、エミリアの部屋にいたノーマンに国外への移動命令がもたらされた。2,3日、ベルリンへ調査団が戻るということである。それを傍らで聞くエミリアは、覚悟を括るしかなかった。

 「すぐ戻る。必ず戻って来る」

 ノーマンはその足で、所属する部隊に戻ったのである。エミリアの母が死んだのは、その直後だった。肺炎による覚悟の死である。
 
 翌朝、母の簡易な葬儀が執り行われた。

 そこには、エミリアだけが埋葬の土をかけていた。ノーマンは既にいない。彼は義母となる者の死を知らないのである。
 


 5  待ち続けた男、動けない女



ポーランドで家宅捜索に出動する親衛隊情報部(ウィキ)
母の葬儀の直後、エミリアは死んだ母の代わりに、ステラに出国の機会を譲ることを考えて、本人にその旨を告げた。歓喜に咽ぶステラは、思わずエミリアに抱き付いていく。かつて収容所でSS(ナチス親衛隊)に体を売っていた過去が知られるのを恐れたステラにとって、国外脱出こそ自らの身を守る唯一の手段になりかけていたのだ。
 
 ステラと二人で国外脱出することになったエミリアは、取り付く島なく、案内人と会っていた。彼女はそこで、衝撃的な事実を案内人から聞かされたのである。

 「金は一人分しかもらっていないぜ。厳しくなったから手数料は倍に値上げしたんだ。そしたら母さんは行かないと言ってたぜ。じき、死ぬと思ってたんだな」

 母は自分の身を犠牲にしてまでも、娘を出国させようとしていたのだ。それを知ったエミリアは、もう何もできなくなってしまった。彼女は既にステラと出国の約束していたが、今や一人分しかない出国の権利を、ステラに譲ってしまったのである。
 
 そのことを、未だノーマンは知らない。

 エミリアはノーマンに話せる訳がないのだ。だから手紙を書いて、それをステラに委託したのである。

 「母の贈り物だったけど、嫌なの」

 それが、「何があったの?」と尋ねるステラへの答えだった。
 
 まもなくノーマンが戻って来た。

 事情を全く知らないノーマンに誘(いざな)われて、エミリアはダンスを踊っている。至福に充ちた別れのダンスである。

 ダンスの後、エミリアは一通の手紙を取り出した。殆どその息遣いが聞こえる場所に、ノーマンが坐っている。そのノーマンを前に、自分が書いた思いのこもった文章を読み上げた。その内容は簡潔だった。
 
 「“あなたにお礼を言いたかったの。あなたは私の全て”。私の英語分る?」

 頷くノーマンに、エミリアは残りの短い文を読み上げた。

 「“何かあったら、事故と思って・・・あなたは私の全て”御免なさい。“幸福は・・・幸福というものは・・・苦しみの中にも見出せると思うの”」
 「そういう話はベルリンで聞くよ。あさって、フリードリヒ街で待っている。待ってるよ」

 ノーマンはエミリアの手紙の朗読を打ち切って、彼女を抱きしめた。女はもう、それ以上何も反応しなかった。恐らくそれは、ステラに委託しようとした手紙の文意が含まれるものであっただろう。しかしそれでもその手紙は、最も肝心な部分についての内容に触れるものでなかったに違いない。
 
 遂に、彼女はフリードリヒ街に現れなかった。

 傷心のノーマンは駅のプラットホームで、一人でなお女を待ち続けている。しかし女は現れない。ノーマンの前に、彼を運ぶ列車が入って来た。
 
 “恐れの気持ちも 神の恵みなら 安心できるのも 神の恵み 偉大な恵みに泣けたのは 初めて神を信じた日 多くの危難や 誘惑の罠に 傷つかずに来れたのも 慈愛の神の恵みなら 私は故郷に帰れるでしょう”
 
 ノーマンが自分を慰めるようにアカペラで歌うこのワンカットを、本作の作り手は叙情に流されることなく、見事な心理描写の内に映し出した。

 彼にとって、この年に起こった最も思い出深い出来事は、彼の涙の内に浄化されずにはいられなかったのだろう。

 しかし彼の自我に刻まれたあまりに深い時間を流すには、更にもっと多くの時間を必要とするというイメージを観る者に与えて、この年の出来事は哀切なまでに括られていったのである。



 6  女の意識が最期に捕捉した至福のダンス  



 1964年。

 ポーランドのとある老人ホームに、アメリカからの長距離電話がかかってきた。電話を受けるシスターは、電話の主の意図が測りかねていた。相手はホームに送金すると言うのだが、それはホームで生活するエミリアに向けての現金なのだった。エミリアはシスターに呼ばれて、創作中の絵画の筆を置いて、主任の部屋に入っていく。
 
 「全部あなたのものです。喜びを分ける気持ちがあれば別ですけど、あなたへの送金ですから。アメリカへ行けますよ。行くまいと言っておきましたけど・・・」
 
 「誰からですか?」とエミリア。

 既に白髪となっていて、初老の域に踏む込んでいる女性の表情が、そこに映し出された。

 「私には分りません。領事館へ行けば教えてくれます。外貨も割り当ててくれるでしょう。行く気なら・・・」

 主任のシスターの決め付けたような言葉に対して、エミリアはキッパリと自分の意思を言葉に結んだのである。

 「行きますとも。勿論。タクシーを呼んで下さいな。ワルシャワまでいくらかしら?300ズロチくらい?」 
 「そうね」
 「行きます」

 繰り返し、自分の意思を刻んだ女がそこにいる。
 

イエローストーン国立公園(イメージ画像・ウィキ)
まもなく、一台のタクシーが老人ホームに到着した。エミリアは出発の準備に勤(いそ)しんでいた。何でも自分の力でやろうとする意志が表出されて、後はその身を移動させるだけだった。しかし、そこに突然、激しい眩暈が襲ってきて、小さな女の全体がその場に崩れ落ちていったのである。
 
 映像はその後、一転して広大なアメリカの大地を映し出した。

 そこには、あの頃のエミリアがいて、そのエミリアに一歩ずつ近づくあの頃のノーマンがいる。二人は手を取り合って、ダンスを踊っていく。そのダンスはあまりに力強く、あまりに鮮烈な表現力を刻むものだった。

 それはあのときの、二人の別れのダンスの再現であったのだ。意識を失いつつある老婆の最後のイメージの中枢に、女が最も愛した男との至福の時間が鏤刻(るこく)されていたのである。

                       
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 7  絶品の味付けの「純愛ドラマ」



 近年、邦画界で性懲りもなく吐き出されてくる「純愛ドラマ」の胡散臭く、欺瞞的で、児戯性溢れる情緒過多な氾濫の渦に、少しでも心を預けてしまった後の、あの何とも言えない空疎感が、今や、私の自我に殆ど防衛的に刷り込まれているから、その過剰な文化とのクロスを回避する他愛のない技術くらいは、身障者としての私の些か尖った自我の内に確保されている。

 それはある意味で、「学習」の成果であると言っていい。

「いま、会いにゆきます」より
だからドラマを観始めて30分も経ることなく、その空疎な鑑賞を強制終了してしまうという経験だけは豊富なのだ。「世界の中心で、愛をさけぶ」、「いま、会いにゆきます」、などという、初めから想定されたラインをなぞるドラマは言うに及ばず、キネ旬で高評価された作品の鑑賞に至っても、強制終了することなく完走できた「純愛ドラマ」は殆どないという現状である。

 考えてみれば、「純愛ドラマ」に本物の感動を求める私の感性の方がどうかしているのだ。

 始めから感動を狙って作った「純愛ドラマ」の内に、映像的完成度を期待する矛盾を認知していない訳がないのに、しばしば半睡化した自我が、どこかで甘美な旋律に心を預けたい感情の湧出のままに流れ込む時間を、合理的に抑制できなかっただけに過ぎないからである。そんなとき、己の不明を恥じるばかりなのだ。

 大体、厳しいリアリズムで固められることのない過半の映像に対して、私は悉(ことごと)く馴染めないのである。「純愛ドラマ」にそれを求めるのは、所詮、無いものねだりに過ぎないだろう。

 ところが稀に、大仰に前宣伝されることのない小品の中に、本物の「純愛ドラマ」が発掘されることがある。そんな私の映像徘徊の中で、長く記憶される作品が少なくとも二作あった。

 共に欧州を舞台にした映画である。

日の名残り」より
その一つが「日の名残り」(ジェームズ・アイヴォリー監督/イギリス)であり、もう一つが、本作である「太陽の年」。

 それらは、私の中では絶品の味付けの妙味があって、繰り返し観直す類の作品になっている。本物の作品は、本物の感動を継続的に更新させていくからである。



 8  「エゴイズムの暴走」を未然に防いだ女



 ―― さて、「太陽の年」のこと。
 
 足が不自由な老いた母がいて、その母を守るように、慎ましく生活を送る女がいた。その女には夫がいるが、出征したまま帰って来ないから恐らく戦死したに違いない。だから女は戦争未亡人であると言っていい。

 その女に、米軍の戦犯調査団員の一人が恋をした。第二次世界大戦後まもないポーランドでの話である。

 心に傷を持った中年男女が、言葉と状況の厳しい壁を少しずつ乗り越えながら、遠慮げに、しかし確実に成長してくる感情を出し入れしつつ、禁断の国境越えを果たそうとする。

 女は足の不自由な母を随伴するつもりなのだが、足手まといになると考えた母は自ら肺炎に罹患して死んでいく。部屋の窓を開け、寒風に身を晒すという自殺的行為を選択することで、母は娘の幸福を叶えて上げたかったのである。

 この痛烈な映像が、中年の純愛物語に暗い影を落としていく。

 女はもう走り切れなくなって、結局、自分の幸福を断念するに至ったのである。

 このとき女は、隣室の娼婦に密出国の闇ルートの権利を譲っている。娼婦との約束を果たしたのだ。信義を厚く守る女の生き方に胸打たれる描写だったが、事はそれほど単純ではない。彼女は、「母を棄てた娘」という自己像をラベリングさせていて、既に柔和な人生を生きていくことが困難になっていたのである。

 覚悟を括った女とその母の描写から、観音の眩い光線が漏れてきて、些か綺麗過ぎる流れに彷徨う感情を持て余してしまうが、良心の疼きに立ち会う女の心情はとても良く分る。

 女は、人の犠牲の上に立つ幸福の継続力を信じないのだろう。

 目先の幸福の甘美な時間が稀薄になったとき、女をヒットするかも知れない、「エゴイズムの暴走」という封印された過去が、じわじわと自らを食(は)んでいくイメージに耐え難くなるであろうことを、女はどこかで見透かしてしまっているのだ。

 予定された苦悩をいつも先取りしてしまう女の能力が、「エゴイズムの暴走」を未然に防いでしまったのである。女にはそういう生き方しかできなかったということだ。



 9  イメージの世界で生き抜いた女



 18年後、そんな女のもとに男から金が届けられた。

サン・ロレンツォ修道院(イメージ画像・ウィキ)
修道院にあって既に年老いたが、自らの幸福を遮蔽する何ものも持たない女は、男の待つアメリカに旅立とうとした。その瞬間、いかにも初老の小さな身体が崩れ落ちていった。決定的な飛翔のとき、女にはそれを支える行動体力が備わっていなかったのである。

 債務感情から完全に解き放たれなければ駆けようとしない女の幸福は、最後までイメージの世界でしか生きられなかったのである。それもまた人生なのだ。女の愛を信じて疑わない男の、その抜きん出た誠実さと一途さは殆んど奇跡的だったが、嵌るべくして嵌った男女の求心力によって支えられた物語のラインが、一篇のお伽話を突き抜けたとも言えようか。



 10  「喪の仕事」という贖罪の時間



 また女の、覚悟の上の20年近くに及ぶ人生を、精神分析学的に「喪の仕事」(モーニングワーク)と解析することができるだろう。

 彼女は、「母を棄てた娘」という自らに被した負性の物語から容易に解放されることがなく、その物語を自己確認する人生以外を選択できなかった。

 だから彼女は修道院生活を通して、少なくとも、一度母を犠牲にするような状況に迫った自らの行為に対して、深く贖罪する必要があったのだ。贖罪とは、喪に服する行為である。自分を責めて、既に昇天した母の辛さの中に入り込まなければ、もう自我が立ち行かなくなっていたのである。
 

小此木啓吾
その辺りについて、小此木啓吾が「映画でみる精神分析」(彩樹社刊)という著作の中で簡潔に触れている。それを引用しみる。

 「二十年という歳月が長すぎるかどうかはともかく、母の死の真相を知ったときに思いとどまってから、おそらく彼女の心の中では、母の死に対するモーニング・ワーク(喪の仕事)が必要だったに違いない。自分の幸せのために母を死なせてしまった、深刻な罪悪感、そして悔やみとつぐないの気持ちが経験されていたはずである。(略)修道院に入って二十年、彼女がこのモーニング・ワークを経て、ようやく彼の愛を受け入れることができる心の状態に達したということを、この映画は言いたかったのかもしれない」

 即ち、既に老境に入った女の、ラストシーンでの決断の意味は、精神分析学的に言えば、「喪の仕事」が済み、浄化された自我が許された、それ以外にない最終到達点であったということである。映像のテーマの中枢に、「喪の仕事」という問題意識がどこまで含まれていたか疑問だが、少なくとも、そのような心理学的文脈がそこに読み取れるのは間違いないだろう。



 11  誠実、寡黙、真摯、努力家というキャラ設定の決定力



 この映画を観て、私の中で最も印象に残った点が一つある。

 主人公の戦争未亡人に恋するアメリカ人が、これまでハリウッド映画に執拗に描き出されてきたキャラクターのイメージと、何か要所要所で少しずつ隔たっているという点である。

 何よりも、このアメリカ人は映画的なヒーローのイメージとは些か違うのだ。特別に強くもないアメリカ人は、ニューシネマ以降数多く描かれてきたが、それでも彼らは、その固有の人格に見合った決め台詞を持っていた。

 しかし本作のアメリカ人は、気の利いた台詞を全く表出できないのだ。眼の前に言語の壁が立ち塞がっているからであるが、映像を観る限りそればかりではなかった。

 シャイなのである。

 シャイなアメリカ人も、ニューシネマ以降のハリウッドで映像化されてきたが、しかしそれらの映像の内には、作り手の明瞭なテーマ性の枠内で規定された、言わば、アンチ・ヒーロー的な「作り上げられたキャラクター」であるように思われた。

 ところが本作のアメリカ人は、極めて等身大のサイズを自然に表現するキャラクターであって、そこには殆ど理念的な設定によるイメージ化が乏しく、極めて日常的で、普通の感覚で振舞うキャラクター像であったのだ。

 こんな描写があった。

 ポーランド語を話せないノーマンが、若い通訳付きで、エミリアにプロポーズするときの場面でのこと。自分の思いをダイレクトに告白できないノーマンは、通訳を介して自分の心情を伝えることを促すが、若い通訳には、直接的な言語を結ばない大人の恋の微妙な心理が理解できない。

 ハッキリものを言うことに馴染む文化に棲む若いアメリカ兵は、「(言葉の)意味は分るけど、何をお望みかは分らない」と答える始末なのだ。ノーマンは苦笑するばかりであった。

 その苦笑にエミリアも反応するが、そこには既に、言語を超える感情交歓を可能とする関係世界が開かれていることを意味しているが、ここで注目したいのは、このようなシャイなアメリカ人が、殆ど等身大のサイズで描かれていることの驚きである。

 私たちが知っているアメリカ人は、若い通訳のキャラ・イメージの方に近いから、余計ノーマンのキャラ設定が新鮮に映るのである。
 
 更に、その後の描写は印象深かった。

 ノーマンの気持ちを知ったエミリアが、二人の散策の場面で、「どうにもならないわ」と言ったとき、「道はある」と答えながら、「どこに?」と聞かれると、ノーマンは、「I don’t know」と答えたのである。

 エミリアとの結婚を切望して止まないノーマンは、女の決定的な問いに対して、決定的に答えられないのだ。何とも奇妙なヒーロー像であるが、それこそが実は、スタンダードサイズのアメリカ人であることを検証するキャラ設定であると思わせるような、不思議な説得力がそこにあったのである。

 又、この「ヒーロー」は常に煩悶し、戦争の後遺症に囚われてもいた。

シン・レッド・ライン」より
戦場下にある将兵たちの「絶対孤独」の心理に捉われたアメリカ人については、テレンス・マリックが「シン・レッド・ライン」で容赦なく描き出してしまったが、しかし、それはどこまでも極限状況下での心理の振幅を記録したものであって、大戦が終わって、普通の日常性が戻りつつある本作の背景とは異なっている。

 ノーマンは戦争のトラウマを抱え込んでいたかも知れないが、彼が今真剣に悩むのは、恋する女との、極めて世俗的な問題の次元に於いてであった。

 要するに、彼はあまりに誠実な人柄なのだ。寡黙であり、真摯であり、努力家であるが、それも普通の人格の範疇に収まる普通の性格様態であると言えるのである。

 この映画で、以上のノーマンのキャラ設定が、実はとても重要な役割を果たしていたことは間違いない。

 なぜなら、決して美男でない孤独な普通のアメリカ人が、切実に異国の女に恋をして、そしてその女の心を揺さぶる心理的文脈が、まさにそのような誠実な男だからこそ、観る者に深く説得力を持って伝わってくる表現が、そこに刻まれていたからである。

 本作で描かれた男女の恋の心理の中に、観る者が容易に踏み込んでいけるシンパシーを作り出したという、その映像的表現力こそが、まさに本作の生命線であったということだ。

 

 12  似た者同士の親和力 



 ―― 今度は、その辺りに言及してみよう。
 
 先ず、戦争未亡人であるエミリアの視線の中に入っていくと、そこに何が見えるか。

 職も無く、毎日安アパートの光の乏しい部屋でクッキーを焼いて、それを売りに行くことで、彼女の家計は辛うじて支えられていた。

 家に戻れば足の不自由な母がいて、自分の存在の故に娘の幸福を奪っていると考えるあまり、常に死を望んでいる。しかし娘の視界に入る母の存在は、大戦下での苦労を共にした同志であって、精神的な紐帯も強い。そんな厳しい生活ではあるが、貧しいのは自分たちだけではないのだ。

 隣の部屋の娼婦は体を売って生計を立てていて、しかも結婚を約束したドイツ人に裏切られ、途方に暮れている。

 このように、誰もが均しく貧しかった時代下であるが故に、日々の辛さも相対化できてしまうのである。この「ヒロイン」が、余暇を利用して絵画に勤(いそ)しむ精神的余裕すらあったことを、観る者は忘れてはならないだろう。

 そして、その絵画が縁になって、エミリアの精神世界にアメリカ兵という、全く異質の文化が侵入してきてしまったのである。ここから、全てが変わっていく。何かが動いていく。「純愛ドラマ」の幕が開かれてしまったのだ。

 エミリアの視界に捉えられるノーマンという人格が、あまりに誠実な人柄であったということ。

 これが彼女の気持ちを深々と揺さぶって止まなくなったのである。言語が通じなくても、自分を思う男の気持ちが切実なまでに伝わってきてしまうと、もう彼女の記憶から男の存在を消せなくなってしまった。

 なぜ、彼女がノーマンを愛するようになったか。

 それは紛れもなく、彼の包容力のある優しさの故である。

 強盗に入られて、なけなしの金を必死に守ろうとする母の強気の性格と異なって、彼女はあっさりと金を渡すことで危難を回避した描写があったが、一貫してこの女性は、暴力的な空気を厭悪して止まない温和な性格であることが読み取れるのである。優しい性格の彼女が、同様に似た者性を持つ、際立って優しい性格のノーマンに魅かれたことは瞭然とするだろう。

 映像を観る者は、彼女のこのような心理的文脈の内に、殆ど抵抗なく自然に入り込めるのである。彼女にそのような思いを形成させるノーマンの誠実な人柄の映像化に於いて、本作は決定的に成功したということだ。
 


 13  お伽噺を突き抜けた果てに括られた、究極なる「純愛ドラマ」



 次に、「ヒーロー」であるノーマンの内面世界を覗いてみよう。

ワルシャワ蜂起記念碑(ブログ・ポーランド現地調査より)
彼は戦争で負ったトラウマに近い感情を引き摺っていた。そんな男がアメリカという、絶対的な心の故郷を持っているのに拘らず、戦地にリターンするかのようにポーランドにやって来た。最も戦争の傷跡が凄惨な国土に、その身を預け入れたのだ。その名目は、「戦犯調査団員」。

 それは彼の中で、ドイツ人に対する抜き差しならないルサンチマン(怨恨)の感情が消失していないかのようでもあった。しかし、ほんの少し前まで戦場だった土地にシフトできた分だけ、彼のトラウマは軽微なものだったのかも知れない。それは、ヒューマニズムのカテゴリーで処理されるレベルの心の傷であったのだろうか。

 映像は、その辺の事情を詳細に語らない。

 観る方も想像の域を出ないが、映像の中で本人が同僚とエミリアに対してポーランドに来た理由を、「故郷で自分を待つ者がいないから」であると語っている描写は、案外、ノーマンの本音であるようにも思われる。

 恐らく彼は、寂しい心情世界に棲んでいたのだ。

 彼の過去に何があったか知り得ないが、明らかに彼は、自分の心の空洞感を埋めるべき何かを捜していたに違いない。彼は、自らの心を癒すべき人格的対象を求め続けていたのだろう。

 彼は本来的に朴訥で、穏健で誠実な人柄である。恐らく彼の母は、そんな柔和な自我を育てた優しい心根の人物であったと考えられるのである。

 エミリアは、優しさの中に女性としての色気をも同居させていると、ノーマンは感じ取っていたと思われる。男はそういう柔和な色気に弱いのだ。エミリアの優しさは、彼女の母に対する態度の内に集中的に表現されていた。繊細な感性を持つ男は、それを忽ちの内に感じ取っていて、その柔和な世界に、身も心も預け入れたという欲望を一気に高めてしまう自然な感情の流れを、自分の内側に作り出してしまったのだろう。

 要するに、エミリアとノーマンの人格を繋ぐ関係世界の文脈は、それを半ば意識的に求める者(ノーマン)と、それを顕在化させなかった者(エミリア)たちの自我の内に、静かに築かれていたハードルの高みを、一気に越えていくような嵌り方をしてしまったということなのである。

クシシュトフ・ザヌーシ監督(ウィキ)
私の仮説だが、恐らく、自分の母の中にモデルを見出していたであろうノーマンにとって、その愛情対象となる異性の存在は限定的であったはずだ。だから初めてのアパート訪問で心を動かされたノーマンの心情世界は、たまたまそこに、自分の単発的な欲情を埋めるに相応しい異性が存在したから相手に惚れ込んだという文脈では当て嵌まらないであろう。

 この二人の邂逅は、ある意味で、そこに自分のモデルとするイメージを髣髴させる異性が、「今、まさに立ち現れたこと」による偶然の産物であったのだ。言わば、二人は運命的に出会ってしまったのである。そうでなければ、二人の愛のお伽噺のような継続力の説明がつかないのだ。

 従って本作は、「お伽噺を突き抜けた果てに括られた、究極なる『純愛ドラマ』」であると考えた方が観る方としても安心するだろう。厳しいリアリズムと、ほど良い叙情が上手に溶融して、本作に昇華したということなのである。そんな感傷が受容されるような、必要なだけのバランス感覚に満ちた、丁寧な出来栄えの作品であったということだ。



 14  言語を超えた心と心のクロスの時間がうねりを上げて澎湃して



 ―― 最後にもう一言。

 この映画は二人の演技者の、殆どそれ以外にない圧倒的な表現力によって映像を支配した一級の人間ドラマであった。

 彼らの抑制された表現の内に、様々にプールされた感情が溜められていて、それがラストのダンスの場面で爆発する括りは、一つの最も重要な描写に繋がっていく、言語を超えた心と心のクロスの時間が集中的に束ねられ、遂にそれが、うねりを上げて澎湃(ほうはい)する決定的な構図であったと言えるだろう。

 観る者の脳裏には、決定的な勝負を制した映像の眩い輝きが、いつまでも残像として張り付いて止まないのである。


(2006年12月)

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