<「オアシス」という名の削られた日常性>
イ・チャンドン監督自身のメッセージ。
「『オアシス』は境界線についての映画ともいえます。自分と他人との間の境界、自分たちと忌むべき相手との間にある境界、あるいは『普通の』人たちと『障害をもった』人たちとの間の境界。あるいはまた、『愛』と呼ばれる幻想と現実の日常生活との間にある境界や、『映画』と呼ばれる幻想と、それが表象する現実生活との間の境界。そうしたものの間の境界線上に立つことは、心地よいものではないし、精神的にもきつい経験になるかもしれません。しかし、私たちが互いに意思を伝え合おうと思うならば、一体どうして、それから逃れることができるでしょうか?」
この監督のメッセージはとても良く理解できるし、映像の中でそれが充分表現されていたと思う。
映画の出来栄えも悪くないし、韓国映画の圧倒的な力強さに、またもや驚かされる。
しかしこの作品のように、障害者を主要なキャスティングで登場させる映画を観て、私が常々思うのは、障害者たちの厳しい生活の現実の映像化に於いて、余りに不十分であるという実感を否めないことだ。
確かに、彼ら(障害者)の果敢な精神や夢、幻想、失意、奇跡などはふんだんに描かれる。
だが、彼らの肝心な日常性の生態がそこにはない。
彼らがその疾病のために、どれだけ困難な生活を強いられているかという、最も重要な描写と出会うことがないのだ。
まして、この作品に登場する重度な脳性麻痺の主人公を描くとき、日常的に「アテトーゼ」(持続的な不随意運動)、「異常性筋緊張」や「異常性反射」、「顔面緊張」や「言語障害」などの症状で悩まされるケースの場合、常識的にバリアフリーにもなっていない普通のアパートで、単独生活などできるわけがないのである。
―― 実の妹の世話を隣の夫婦に頼んで、脳性麻痺の妹の特権的優先権で借りたアパートに住んでいる実兄は、事実上妹を遺棄している。
隣の夫婦の世話も映像から受け取る限り食事の世話のみで、明らかに、この杜撰な介護の報酬目当てに隣室の脳性麻痺者と関っているだけ。
彼女の洗髪のケアをしたり、車椅子で屋外に連れ出したりするという部分的介護を受け持つのは、この映画の主人公である、恐らく、何某かの「人格障害」の際(きわ)を生きる刑務所帰りの男。
作品は、二人の肉欲絡みの「純愛」の顛末をリアルに、且つ、無駄のない力動的なタッチで映像化したものだが、残念ながら、肝心の描写が欠落してしまった。
脳性麻痺者にとって、最も困難な排泄の問題を、この作品の女性は、その単独生活の中で、一体どう処理しているのか。
筋緊張や変性による痛みはないのか。
車椅子のない部屋のベッドで寝起きする苦労は全くないのか。
衣服の着脱や入浴はどうしているのか。
この映画には、このような日常的な描写が殆んどない。
しかし、彼女は平気で、この苛酷な条件下に於いて、単独生活をそれなりに楽しんでいるようなのだ。
PT(理学療法士)による、リハビリや食事介助を受けている様子もない。
その小さな城で様々な幻想が行き来し、「オアシス」と題する不思議な絵画に、彼女は思いを膨らませるが、その内的世界が苛酷であるはずの日常性とクロスすることはないのだ。
映像のメッセージの中で、監督が「境界」という言葉を使うなら、脳性麻痺者のその日常性の根幹と、そこからの一時(いっとき)の解放である非日常性との「境界」を、映像総体の均衡が許容し得る範疇で描き出すべきではなかったか。
やはりこの作品は、「『オアシス』という名の削られた日常性」とも呼ぶべき一篇だった。
この映画について言いたいことは、この件ばかりではない。
自分が本当の加害者ではないが故に、罪悪感を持たない刑務所帰りの男が、出所早々、なぜ被害者宅を見舞うのか。
恐らく、何某かの「人格障害」のため、誰からも相手にされない淋しさ故の行動だろうが、ここで設定されたキャラからは、この行動の必然性が見えにくいのだ。
もう一点。
自分を見舞った男が、自分の父を轢き殺した「犯人」であることを知っている脳性麻痺の女性が、強姦と紙一重の男の暴力に弄(もてあそ)ばれたのにも関らず、なぜ簡単に男を受容してしまうのか。
「可愛い」と放った男の殺し文句に反応する、女性の内的世界もまた、唯一の理解者を求める共有願望に於いて、必ずしも理解できなくもない。
イ・チャンドン監督 |
以上に述べた指摘は、少なくとも、私にとって末梢的なものではなかった。
とりわけ、障害者の実態についての拘りは譲れないものである。
それにも関わらず、私はこの力強い映画に感服した。
それは、私の拘りを払拭することが困難であっても、それを多少薄める程度に処理し得るだけの、その圧倒的な映像世界の表現力が固有な律動を刻んで、一つの屹立する者の自立性を結んでいたからである。
それだけ印象深い映画だったということだ。
(2005年11月)
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