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2008年11月24日月曜日

丹下左膳餘話 百萬両の壺('35)       山中貞雄


<飄々たる者たちの長閑なる振舞い―「絶対英雄」の対極として>



1  源三郎の、壷捜し



柳生藩に代々伝わる「こけ猿の壷」(注1)。

実はこの壷の中には、百万両の在りかを示す絵図面が塗り込められていた。

そのことを知らずに、柳生藩主は、江戸の不知火道場に婿養子に入った弟源三郎に、婿入りの品として既に譲り渡してしまっていたのだ。

当然、藩主はその価値を知らずに渡したのだから、弟の祝いの品として、最も価値のない屑同然の贈り物をした訳である。

(因みに、封建社会では、武士階級と言っても、長男とそれ以外の息子たちの待遇には雲泥の格差があり、次男以下は「冷や飯」と呼ばれていて、多くは、その一生を並みの武士の地位の内に留まっていたのである)

源三郎には、兄のその仕打ちが許し難いものとして、いつまでも脳裏に焼きついて離れない。

二束三文の価値もない壷を見るたびに、彼は妻の萩野と不平を言い合っていた。

源三郎と妻の萩野
あまりに目障りなので、源三郎はその壷を納屋に放り込んでおくか、それとも屑屋に売ってしまうか迷っていた。


(注1)「こけ猿というのは・・・。相阿弥、芸阿弥の偏した蔵帳、一名、名物帳の筆頭にのっている天下の名器で、朝鮮渡来の茶壷である。上薬の焼きの模様、味などで、紐のように薬の流れているのは、小川。ボウッと浮かんでいれば、かすみ、あけぼの、などと、それぞれ茶人のこのみで名があるのだが、この問題の茶壷は、耳がひとつ欠けているところから、こけ猿の名ある柳生家伝来の大名物」(林不忘傑作選3「丹下左膳3 こけ猿の巻」山手書房新社より引用)


そこに柳生家から、使いがやって来た。

柳生家は弟に壷を渡してからその価値を初めて知って、壷の奪還を画策したのである。

「あの壷がどうかしたのか?」
「いいえ、あんな古ぼけた茶壷など、三文の値打ちもございませんが・・・」
「そうだろうな。お前もそう思うか。奥もそう申しておった。大体わしは、兄上の処置は気に食わん・・・・・兄上はけちんぼだ!あんなもの床の間に置くより、納屋へ放り込んでおけと言われた」
「ご不要なら、こけ猿の壷、頂戴致しとう存じます」
「あの壷を、くれと言うのか?」
源三郎と柳生家の使い
「納屋に放り込んで、もし壊れでもしたら・・・・あれでも、お家重大の宝物になっておりますから」
「・・・兄上がおっしゃったんだな」
「はい、何卒・・・」
「断る!源三郎断る!・・・・源三郎身に沁みて、あの壷を納屋に放り込んでおく」

柳生藩の使いを追い返した源三郎は、藩主でもある兄の矛盾した行動が気に入らなかった。

無論、彼は兄の企みなど知る由もない。

その不満を妻にぶちまける。

「バカにするな!・・・・こんな壷を返してやってもいいんだが、わしにも意地がある」
「本当でございますわ。失礼ね!」と妻の萩野。
「ああ、目障りだ!こんな壷、屑屋にでもやってしまえ!」

そこに、如何にも屑屋然とした二人組が通りがかって、本当に壷を二束三文で売ってしまった。

壷を二束三文で買った屑屋然とした二人組
源三郎にしてみれば、それが兄に対する意地の示し方でもあった。


江戸藩邸の家老と接見した柳生藩の使いは、今度は金で源三郎の心を動かそうとした。いよいよ、百万両の壷を巡っての醜悪な争いが展開されるのである。(この映画を初めて観る者は、この辺りでストーリーの滑稽な展開を、当然、予想することになる。そこに丹下左膳がどのように絡んでいくのかという興味も手伝って、70年以上前に作られたこの「時代劇」の傑作に抵抗なく入り込んでいくことができるだろう。既に観る者の思いは、作り手が狙おうとする世界に誘われているのである)

今度は、百両を手にした柳生藩の使いが源三郎を再訪した。

吝嗇(りんしょく)な兄が百両もの金を出す魂胆を疑った源三郎は、その使いを門弟たちに命じて道場に連れて行かせて、兄の魂胆を白状させたのである。

百万両の価値を知った源三郎は、妻が既に屑屋に壷を売り払ったことを知って、愕然とした。

妻にその経緯を話した源三郎の、壷捜しが始まったのである。



2  左膳、お藤、そして安吉



問題のその壷は、屑屋の隣に住む子供の安吉の金魚鉢に変わっていた。

その安吉の父親、七兵衛は遊び人で、夜毎に矢場(注2)に出入りしていた。

矢場の女将・お藤
その矢場の女将はお藤といい、しばしば客の要請に応えて小唄を三味線で語り弾くことを得意にしていた。

この夜も、身分を偽って、矢場で遊ぶ安吉の父の求めで唄うことになった。

傍らには、居候の丹下左膳が横になっている。

「勝手にしろ!」と左膳。

彼にはお藤の歌が気に食わない。

別に歌が気に食わないのではなく、客の前で自分の喉を披露するその過剰なサービスが、多分嫌いなのである。

「ええ、勝手にするわよ」とお藤。

彼女は左膳に、「唄うな」と言われたから唄うのである。

二人は夫婦ではない。かと言って、特段に仲が悪い訳でもない。

恐らく、この矢場では、左膳は用心棒以上の存在なのである。

丹下左膳
ただ、その性格がどこかであまりに類似していている一方、噛み合わない部分があるのだろう。


(注2)江戸時代の遊技場の一つで、弓術を練習する場所。客が的に矢を当てる度に、矢場女と呼ばれる若い女性が、「当りー!」と声を出したと言われる。


その矢場で、一悶着があった。

七兵衛が、傍らで矢場にいちゃもんをつけてきたヤクザ者に喧嘩を売られたのである。

急を知って駆けつけた用心棒の左膳が収拾することで、ようやく事態は収まった。

しかし、事件はその後に起きた。

左膳が七兵衛を送ったその帰りに、例のヤクザに七兵衛が殺されたのである。

その矢場で彼が残した一言は、「安のこと・・・安をお願いします・・・」という今際(いまわ)の際の懇願だった。

ところで、源三郎はと言えば、奥方からの「百万両のために」という理由で、なお壷捜しを続けている。

「十年かかるか、二十年かかるか、まるで仇討ちのようだ」

本人はこのように、一応自分の壷捜しの辛さを奥方に説明するものの、その本心は、退屈な道場主の生活からの解放感を満喫できる喜びに満ちていた。

そして彼は、既に遊び場を見つけていたのである。

丹下左膳が用心棒をしている例の矢場である。

源三郎とお久
そこには、源三郎が見染めたお久という若い娘がいて、矢場の仕事を手伝っていた。その矢場に源三郎は、入り浸りになっていくのだ。

しかし彼の弓は、なかなか的に当らない。

それは、とうてい江戸の道場主とは思えない程の腕前なのだが、それでも彼は意に介さない。彼には武士としての矜持すらないようなのだ。

そんな男が藩主の兄に対してだけ、男の意地を貫き通そうとする。

ところが、それも継続力がない。

そんな脳天気な性格だからこそ、しっかり者の奥方、萩野の存在が必要でもあり、しばしば厄介に思えるのだろう。

彼にとって、矢場での遊びこそが、その本来の武士とは縁遠いキャラクターに見合っていたのである。

一方、その矢場の当主たちは、七兵衛の家を捜している。

大店(おおだな)の主人であるという七兵衛の家が、貧しい長屋の住人であることをお藤と左膳がようやく突き止めた。

安吉に話しかける左膳
その彼らの前に現われたのは、七兵衛の子供である安吉だった。

その安吉に、父親が死んだことを告げられない左膳は、通りで待っていたお藤に、「飯を食わしてやると言ったら喜んでいた」と話して、一緒に連れて帰ることを促したのである。

「ふん、あたしがあんな汚い子供を家に入れると思ってるの。あんたが嫌なら、あたしが行って、あっさり泣かして来てやるわ!誰があんな子供に、ご飯なんか食べさしてやるもんか」

その直後、矢場の奥座敷で、「どう、ご飯おいしい?」と優しく子供に語りかけるお藤がいた。

それを包み込むように見つめる丹下左膳。

父の死を知らない安吉は、空腹を満たした後、嬉々として他人の家で遊んでいる。

こけ猿の壷の中の金魚を掬っている安吉の傍に近づいた左膳は、何とか父の死を知らせようとしている。

「安坊、おめえ強えだろう?強えから、滅多に泣かないだろうな?」
「うん、いっぺんも泣いたことがない」
「今まで、一度も泣いたことがねえのか?」
「あ、いっぺん泣いた」
「いつだい?どうして泣いたんだい?」
「おっかぁが死んだとき、泣いた」

ここで場面が変わったが、その後映し出された風景は、安吉が縁側で泣いている小さな後姿だった。

左膳は子供に向かって、父の死を告げたのである。

「当分、家に置いてやることにしたよ」

左膳は、お藤に自らの意志を伝えた。

「何ですって・・・バカね、あんな汚い子供をあたしが好きになれると思って?あたしはねぇ、子供が大嫌いなの。早く追い返してちょうだい!」

お藤も左膳に、自らの心にもない思いを言葉に変えていた。

映像は、一ヵ月後の矢場の場面を映し出していた。

相変わらず、源三郎は壷捜しの名目で矢場で遊んでいる。

その源三郎に、子供が「はい」と言ってお茶を出した。安吉である。

安吉はこの矢場の女将の藤の元で、自分の子供のように大切にされていたのである。

「女将さんが、とってもあの子を可愛がるの」

矢場女のお久が、源三郎に話していた。

場面が転換するとき、この映画はいつもその直前の場面を裏切ってしまうのである。

竹馬を欲しがる安吉を叱る母代わりのお藤は、次の場面では、その安吉に竹馬の上手な乗り方を教えているという具合なのだ。

この映画は、万事逆説的に進行するのである。


左膳とお藤、それに安吉と源三郎の四人が金魚掬いで遊んでいた。

その楽しそうな光景を、源三郎の奥方が双眼鏡で遠方より覗いていた。

てっきり壷捜しで奔走しているはずの夫が、どこかの娘と歓談している姿が捉えられて、萩野は嘆息した。

「爺や、金魚屋で、こけ猿の壷が釣れますか?」

その金魚屋に、源三郎の奉公人から、こけ猿の壷を買い取った屑屋の居場所が分ったという連絡が入り、源三郎は直ちに駆けつけた。

しかし、そこに壷はなかった。

屑屋の話によると、壷の持ち主は安吉という子供であることを知って、源三郎は一切を了解したのである。

その源三郎は帰宅後、奥方の萩野から外出禁止を言い渡される。

理由は明白だった。源三郎は奥方の指摘に抗弁できず、結局、壷捜しを理由にする外出が閉ざされてしまったのである。

こけ猿の壷の在り処を知ったことを告げても、奥方はもう夫を信用する訳にはいかなかったのだ。

一方、矢場では、安吉の教育方針を巡って、左膳とお藤が揉めていた。

仇討ちのために道場に通わせようという左膳と、寺子屋に通わせて学問を身につけさせようとするお藤の意見の対立だった。

疑似家族の憩い
しかし次の場面では、寺子屋に通って五日も経っている矢場の団欒に変わっていた。

「これはなかなか、よう書いてるぜ」と左膳。

寺子屋通いに反対していた左膳は、安吉の学力の進歩に感心しているのである。

「それにしちゃ、なかなか手筋がいいぞ、こりゃ。弘法大師だって、子供のときは、こうは書かなかったかもしんねぇ」

左膳はすっかり、人並みの親馬鹿振りを発揮しているのだ。

寺子屋に通う安吉が苛められているのではないかと不安をもった左膳は、それを心配するお藤に、「俺は行かねえぜ」と口では言いながら、急いで安吉の後を追った。

その安吉は、案の定、いじめっ子に囲まれている。

それを疾風の如く、走り寄って来た左膳が追い払うシーンは、殆どホームドラマのそれであった。



3  道場破り―― 左膳と源三郎



柳生藩から、「壷を求む」という張り紙が江戸市中に貼り出された。

その貼り紙を見た左膳は、藩の中間(ちゅうげん=武家の奉公人)から一両の前金をもらって矢場に戻ったが、その帰途、めんこ遊びに興じている安吉に小判を渡してしまったのだ。

帰宅して、安吉の金魚鉢になっている壷を持ち出そうとした左膳は、それを咎められたお藤に一両もらって、結局、中間に返すことになったのである。

ところが、めんこ遊びをしていた安吉は、両替屋の子供が持ち出した六十両分の札を勝ち取ってきてしまった。

それに驚いたお藤に命令された安吉が、両替の札を返済しに行く途中、先の中間に盗まれてしまったのだ。

まもなく、両替屋が矢場に乗り込んで来て、六十両の弁済を矢場の女将に強く求めることになった。

「騙り」と言われて怒った左膳は、その金を明日の晩までに返すと啖呵を切ったのだ。それを傍で聞いていた安吉は悄然とし、壷を抱えて家出してしまったのである。

「あの子さえいなければ、こんなことは起こらなかった」

この言葉に、安吉は子供ながら深く傷ついた。

もとはと言えば、安吉にとって矢場の二人は、本来縁も所縁もない他人でしかなかったのだ。安吉はそんなことを感じたのであろう。

橋の欄干に佇んでいた安吉を、左膳とお藤は探し出した後、優しく言い添えた。

「心配しなくてもいい」

左膳とお藤の二人は、我が子とも思う安吉を慰めつつ、矢場の家に連れ戻したのである。

しかし左膳には、六十両の当てなどない。結局、お藤の着物を質入して手に入れた金で賭場に行くが、全てを失ってしまったのだ。

その帰路、左膳と安吉は、一人のヤクザ者と出会った。

その者が安吉の父の敵であると知った左膳は、安吉に眼を瞑らせて、相手を一刀両断のもとに斬り捨てたのである。これが、この映画で唯一の左膳の人斬りシーンだった。

その決定的な場面を子供に見せない左膳の配慮こそ、紛う方なく、殆ど親心のそれと言って良かった。彼には、父の敵を討ってあげたことよりも、凄惨な人殺しの現場を見せない配慮こそ重要だったのだ。つい先日まで、安吉に道場に通わせて、仇を討たせようとした丹下左膳という男は、もうそこにはいなかったのである。この辺の心理描写は、人情喜劇の範疇に収まるものであると言えよう。

壷を挟んで、安吉とお藤が縁側に座っている。

「おばさん、この壷一両で売れるんだよ」
「そうだってねぇ」
「これ売ろうよ」
「一両ぐらいじゃ、しょうがないね」
「だって、ないよりましでしょ」
「それもそうねぇ」

何とも言えない滑稽な会話だった。その構図が、既に一つの絵画でもあった。

左膳は最後の手段に打って出た。 道場破りである。

その道場こそは、源三郎が当主の不知火道場だった。

実は、当家の主である源三郎は、前夜、屋敷を抜け出そうとして門弟たちに捕縛され、体中傷めつけられていたのだ。その惨めさに、奥方の萩野は愚痴を零すばかり。

「あたし、泣くにも泣けませんわ。仮にもあなたは道場の主じゃございませんか。それが夜中に屋敷を出ようとして、泥棒と間違えられ、その上、門弟どもに叩かれるなんて・・・」
「油断をしていたからだ」
「いくら油断をしていたところで、情けないと思いますわ。さっきも庭で、中間どもが噂をいたしておりましてよ」
「何と申しておった?」
「新陰流(注3)の免許皆伝なんて、危ないものだって、申しておりましてよ・・・」
「下郎の分際で、無礼千万、聞き捨てならん!」

一応、武士のメンツを気にする素振りを見せる源三郎だが、しかし当の本人にとって、その意識もまた、妻の前での見栄でしかない。

それが見栄であるかどうか、試される場面がすぐやって来た。丹下左膳が道場破りに現れたからである。

「どうも頭が痛い。横腹も痛くなってきた」

こんなことを言って逃げようとする夫を、妻は道場という前線の場に送り出した。

「あのような乱暴者を、あのまま帰してしまっては、ご先祖様へ申し訳ございません」

ここまで言われたら、さすがの源三郎も逃げられない。道場に頼りなげに現われた源三郎の前にいたのは、あの矢場の左膳であった。それを知って、道場主は途端に元気になった。

「おい、萩野、新陰流の極意だ。よく見ておけよ」

驚いたのは、左膳の方だった。

源三郎が道場主だと知った左膳は、立会いをしながら、「おい、負けてくれ」と懇願する相手との間に、結局、金で決着を付けたのである。


柳生新陰流・ 厳島神社における演武の様子(ウィキ)
その金は六十両。かくして、左膳の金策は成就したのである。彼はまた、源三郎からこけ猿の壷の価値を聞き知った。早速帰って、その壷を柳生藩邸に持ち込もうとした安吉を危うく留めて、百万両の価値を手にしたのだ。

それは、この不可思議なる滑稽譚の大団円が近づいたことを告げる、一件落着のシーンでもあった。


(注3)上泉伊勢守秀綱を始祖とする剣術の一派。近世初期にが陰流が生まれ、その中から柳生石舟斎が「柳生新陰流」を興し、徳川将軍家を始め、諸大名の剣術指南役を務めたことで世に知られている。



4  一時の人生遊戯の対象



映像の大団円は、あまりにも呆気なかった。

その壷を左脇に抱えて、左膳は矢場の中枢で悦に入っている。

源三郎はその壷に眼もくれずに、弓矢ゲームを愉しんでいる。

隣には、矢場女の娘、お久がいる。彼には矢場で愉しむことしか関心がない。

その源三郎から壷を預けられた左膳もまた、その壷への関心の継続力を明らかに失いつつあった。

矢場でコミュニティを作る連中には、百万両の価値の大きさが、明日からの人生の転機になるような特段のエネルギー源としての存在感を持ち得ないようだった。

「百萬両の壷」とは、彼らにとって、それを手段とすることで得られる一時(いっとき)の人生遊戯の対象でしかなかったのである。

容易に予想され得る軟着点とは言え、そんな潔くも、多分にメッセージ性を伴った映像展開の括り方によって、この古くて新しい人情喜劇の一幕が下ろされたのである。


*       *       *       *



5  面白過ぎる映画の不思議



以下、この傑作喜劇に対する私の感想的な把握を記す。

「丹下左膳余話 百萬両の壷」は、観る者を飽きさせない面白い映画だった。面白過ぎる映画だった。

この、70年前に作られた僅か90分の映画が、なぜ、これ程面白いのか。面白過ぎるのか。不思議といえば不思議である。

その理由を即答するのが難しいという点に於いて、これは何とも不思議な映画なのである。

しかし、よくよく考えて見れば、この映画の面白さの根拠は瞭然とするであろう。

―― その辺りから書いていく。



6  細密な心理描写と人物造型の確かさ



この映画が面白い理由には、大きく分けて二つあると私は考えている。

その一つ

それは、細密な心理描写と人物造型の確かさである。

例えば、取るに足らないような会話の中に見え隠れする、日常性のナチュラリズムや心情風景の機微の描写が、その人間性の奥にある見えない不安や苛立ち、安堵感といった感情を鮮明に浮き上がらせていて、観る者の共感感情に強く振れてくるのである。

このような細密な心理描写の成功によって、映画は人物造型の確かさを保証したと言っていい。それはキャラクター描写の見事さに繋がって、それぞれの人格像が映像展開の内に、全く埋没することのない一種独特で、その飄々(ひょうひょう)とした存在感を際立たせていたのである。

とりわけ、三人の主要登場人物、即ち、丹下左膳とお藤、源三郎の人物造型の微妙な差異と類似性の描き分けは見事だった。

主役の丹下左膳は、自分のことに関しては太っ腹で腕が立つ割に、いざ子供の問題になると、滑稽なまでにその心配性の性格を露呈する。

自分の心理を読まれることを恐れる見栄の強さもあって、とても時代劇のスーパーヒーロー像には似つかわしくないのである。

それは明らかに、戦後作られた丹下左膳像のスーパーマン性と一線を画すものだ。

だから、「余話」なのである。

原作者の林不亡も納得のいかない丹下左膳像であったことは、論を待つまでもない。

また、丹下左膳が居候する矢場の女将、お藤の造型も見事だった。

彼女は金の心配をする割には、いつも泰然と構えていて、如何にも太っ腹な女将のイメージと重なっている。

一番愉快なのは、「子供は嫌いだ」と言ったその舌の根が乾かない内に、安吉の面倒を見ることになるエピソードだろう。

そして、一度面倒を見たら、簡単に子供への感情移入を果たしていく人の良さは、まさに江戸っ子気質そのものと言っていいかも知れない。


お藤
そんな女将の泰然自若とした振舞いは、丹下左膳の心配性のそれと対極をなしていて、その飄々とした個性を鮮やかに映し出していた。

そして次に、源三郎の人物造型。

ある意味で、このキャラクター設定が一番面白いかも知れない。

この男の面白さのエピソードは、ふんだんにある。

「十年かかるか、二十年かかるか、まるで仇討ちのようだ」といった台詞を繰り返す、この道場主の滑稽さが映画の喜劇性を十全に補完する役割を果たしていて、このサービス精神旺盛な映像に、寸分の空洞をも与えることはなかったのである。

この源三郎と、前二者の性格の違いは明瞭である。

胆力、気力がなく、道場破りが来ても愛妻の前で仮病を使う程の臆病者。

道場主としての誇りどころか、武士としての気概すら、この男には欠けているのである。

腕力に自信がないからである。そんな男が、江戸の道場主に治まる神経を疑うばかりなのだ。

当然の如く、この源三郎には江戸っ子の気概などない。武士であるからと言うよりも、それ以前のキャラとして存在しないのだ。

前二者との性格の差異は、このちょっぴり見栄を張る江戸っ子気質の有無によって明らかである。要するに、この男は全く凡俗なる「冷や飯」の典型なのである。

では、この源三郎と、前二者との性格の類似はどこにあるか。

それを一言で言えば、「飄々たる人の良さ」という点に尽きる。

三者ともに特段に声高でなく、何か特別な執着心を持っている様子もない。

粘液質ではなく、あっさり型なのである。これが恐らく観る者に、絶大な親近感と安堵感をもたらすに違いない。

執着心の欠如に関して言えば、「百萬両の壷」に対する彼らの行動を見れば、とても分りやすい。

壷を手に入れた彼らが、そこで爆発的な歓喜の世界に酩酊したであろうか。

源三郎に至っては、目的と手段が映像途中であっさりと逆転してしまったのである。

彼にとって壷の存在は、兄に対する意地はおろか、奥方を喜ばせる目的にすらならずに、最終的には矢場で遊ぶ手段としてそれを利用したに過ぎないのだ。

この可笑しさが、映像全体を貫流していて、観ている者も、彼の淡白な人柄の良さにどこかで共感してしまうのである。

「百萬両の壷」という大袈裟な題名の滑稽さは、「ここに宝があるぞあるぞ」と見せたその宝の輝きが、最後に意外なまでに稀薄化させてしまった、その落差感の内に集約されていたということか。



7  ストーリー展開の意外性とテンポの速さ



その二つ目

この映画が面白いもう一つの理由は、ストーリー展開の意外性(逆説性)と、その展開のテンポの速さである。

「百萬両の壷」を巡る貪欲な人間たちの物語を予想させる展開の、些か滑稽じみた導入に合わせるかのようなストーリー濃度の脱色性は、存分な刺激性を含んだ予定調和の場所に辿り着く訳でもなく、また、波乱万丈の劇画性に流れる訳でもなく、言ってみれば、「擬似家庭劇」としか表現できないイメージの内に表現されているように思えるのだ。

従って、途中まで観ていくと、この映画が必ずしも、「百萬両の壷」を巡る娯楽時代劇ではないことが了解されてくるのである。

しかし、「百萬両の壷」の存在は、最後まで映像展開の重要なツールになっている要素を捨てないで、そこにほんの少し劇的スパイスを振り掛けてはいる。

源三郎
それにも関わらず、源三郎の意地から端を発した壷騒動の顛末はあまりにあっさりとしていた。

源三郎が、その目的を果たすべき手段が逆に目的化するに至り、源三郎という、徹底的に「冷や飯」的なキャラクターが矢場の団欒に参画することで、そこにホームドラマ風のコミュニティが形成されてしまうのだ。

そして、そのストーリーの内実は、このホームドラマの瑣末な日常描写によって固められてしまうのである。「擬似家庭劇」の中枢には安吉という子供がいて、この子供を巡って右往左往する、左膳やお藤の描写が印象深く描かれていくという具合である。

そして圧巻は、「百万両」を手に入れた矢場のコミュニティに歓喜の爆発が表現されず、「そんなものはどうでもいい」という括りを見せる逆説の描写の見事さだった。

このドラマは、最後まで観客を裏切るという、作り手の娯楽映画の手法によって遊ばれ続けた感のある、一級のコメディの粋を極めた稀に見る傑作であったと言えようか。

この映画の面白さを補完した要素に、そのストーリー展開のテンポの良さにもある。映像を通して貫流されている作り手の意志というものが、そこには濃密に感じられた。

私が最も印象深く思うのは、暴力性と感傷性、叙情性の徹底的な排除の意思を、まさにその描写の欠落を通して感じた点である。

大体、この映画には、大立ち回りのシーンが不在なのだ。

「一代のスーパーマン=丹下左膳」の映画とは思えない程のその「欠落性」に、この映画の重要な特色がある。

確かに、一つの殺人シーンと道場破りのシーンが、そこにはあった。

しかし、後者は喜劇仕立てのやらせの殺陣であり、前者に限っては、この仇討ちシーンがなければ観客が納得しないと思われることへの儀礼的な描写のように思えるのである。

実際、安吉の父親が殺害される場面や、冒頭近くでの柳生藩の使者を吊るし上げる場面などは完全に省略されている。替わって、場面転換の描写の裏切りは実にテンポ良く進んでいて、それは、この映画が本質的にはホームドラマの変種であることを示しているのである。

そんなホームドラマ性を象徴するシーンがある。

安吉を含めた四人が金魚掬いをするシーンや、その安吉の教育方針を巡って、左膳とお藤が対立するシーン、更に、寺子屋に通うようになった安吉を、いじめっ子から左膳が守るシーン等々。全て、安吉の存在感の大きさを物語るシーンである。

親子の情愛を本質とするホームドラマの擬似性が、そこに濃密に映し出されていたのである。


以上、この映画に対する私の雑感を書いた。



8  「絶対英雄」否定の映像を作り続けた表現者



最後に、このような娯楽時代劇を作り続けた山中貞夫という映像作家の拘りについて簡単に言及しておく。

山中貞雄について、私は殆ど知らない。

何しろ三本のフィルムしか現存していないのだ。

彼について書かれた本も少ない。そんな中で、私たちが僅かに知り得ることは、京都生まれの彼が時代劇に関心を持つと同時に、アメリカ映画に相当の影響を受けていたという事実である。その二つのものに喜劇性を持ち込めばどうなるか。

彼はアメリカ映画のヒーローを、もっと等身大に近い、言わば、庶民性を持った主人公として描くことを好んでいたらしい。そんな主人公が、庶民の生活感覚を失わずに、世俗性と情愛の心情を抱えて、日常性を自在に生きるキャラクターとして映像化されるとき、それは、「鞍馬天狗」や「宮本武蔵」のような、確信的にストイックな「絶対英雄」であっては断じてならなかったのであろう。

もともと彼は、そんな英雄豪傑を描くことに無関心だったと思われる。ストイックな英雄豪傑像に強い関心があるならば、当作のような映像が生まれるとは到底考えられないからである。

ここに、興味深い論稿がある。

著名な映画評論家である、佐藤忠男氏による一文である。それは、アメリカ映画に影響を受けた山中貞雄の映像世界を分りやすく分析した推論になっていた。


「山中貞雄が、『チョイと嬉しい』男たちを好んで描いていたということは、彼のアメリカ映画に対する好みと関係があるかもしれない。なぜなら、アメリカ映画では、どんなすごいアクションものであってもラブシーンなしではすまされないが、日本の時代劇映画では英雄豪傑であればあるほど、ラブシーンとは無縁になるからである。儒教文化の精華としての立派な武士たちは、恋愛などは武士の魂を軟弱化するものであるとして退けてきたからである。

したがって、アメリカ映画のように、強いヒーローが同時にラブシーンも演じるというふうにするためには、その主人公をあまりりっぱな侍にするのは考えものである。むしろ、あまり儒教の精神に忠実ではない、多少いい加減な、しかしそれなりのモラルというものは持っている、侠客とか、義賊とか、侍でもそろそろ武士道に疑問を持ちはじめた腹の減った浪人者とか、そういう連中にしたほうが、強いくせにラブシーンを演じてもおかしくない。侍であるのに恋をする男は、封建時代の日本の常識からすれば、悪く言えば武士の風上にもおけない者であり、よく言えば粋なさばけた男でもある」(「日本映画の巨匠たちⅡ 山中貞雄」佐藤忠男著 学陽書房より/筆者段落構成)


この一文は必ずしも当作の解説として書かれたものではないが、しかし山中ワールドの全体を把握していると思われる評論家の分析として、素人の私には、一定程度首肯できる内容にはなっている。

それにも拘らず、どうしても引っ掛かってしまうところがある。

 山中貞雄監督
それは、山中貞雄の映像世界が、恰も、アメリカ映画を日本の時代劇に移植する上での、極めて技巧的な方法論で拠って立っていたという印象を受けてしまう点である。

果たして、そうなのだろうか。

「アメリカ映画が先に在りき」とは断定していないが、私にはそのように思えてしまうのである。しかし、「丹下左膳余話 百萬両の壷」という稀有な傑作を読み解いていく限り、私には、作り手が殆ど確信的に「英雄豪傑主義」を否定する意志を持って、当作の映像化に向かったようにしか思えないのである。

彼が男女の微妙な恋愛描写を自然に見せるために、原作と離れた左膳像を作り出したというよりも、まさに作り手の内側では、このような等身大に近い人物像を描くことに問題意識が傾注されていたのではないか。

「人情紙風船」でもそうだったが、山中貞雄の表現意識のコアには、「絶対英雄」の否定という観念が深々と根づいていたのではなかったのだろうか。私にはそう思えて仕方がないのである。

「絶対英雄」の否定によって露わになった、日常世界の清濁混交された有りようを、声高に叫ぶ必要のない軽妙な筆致で描き切った作品こそ本作だった。少なくとも、私はそう考えている。

彼にとって、時代劇とは、それなしに済まない不可欠なステージだったとは到底思えないのである。彼は単に、時代劇というフィールドが好きだっただけであり、その大好きなフィールドを利用して、「絶対英雄」否定の映像を作り続けた表現者だったとは言えないか。



9  飄々たる者たちの長閑(のどか)なる振る舞い



―― 余稿として一言。

注釈でも簡潔に記したが、当作の舞台となった「矢場」は、江戸時代の庶民の遊興場としてかなり普及していたようである。ここでは、矢場女という女性が重要な役割を果たしている。彼女たちはゲームを終えた庶民の矢を数えて、彼らに景品を渡す仕事に従事していて、この一大ゲームセンターの進行係を担っていたらしい。

お藤
本作では、お藤という矢場を仕切る女将がいて、その女将の元で矢場女としてのお久が、直接、このゲームセンターに遊びに来る男たちの相手をしていたことが描かれている。

その客の一人が源三郎であり、この「冷や飯」に思いを寄せられたお久との淡い恋愛のエピソードが、矢場のコミュニティの枠組みの内に挿入されていた。

そしてこの矢場で、時々揉め事を起こす客たちを鎮める役割を担う存在として、丹下左膳という腕の立つ飲兵衛が絡んでくると、そこに滑稽な「擬似家庭劇」をなぞるコメディの一篇が成立したという具合であった。

まさに江戸庶民の典型的な遊技場を舞台に、ホームドラマ仕立ての世俗世界を描いた作品こそ、「丹下左膳余話 百萬両の壷」だった。

丹下左膳の「絶対英雄」性は、初めから削られてしまっていたのである。「絶対英雄」の対極として、飄々たる者たちの長閑(のどか)なる振る舞いが、そこでは存分に踊っていたのである。

(2006年4月)

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