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2008年11月27日木曜日

ユリシーズの瞳('96)   テオ・アンゲロプロス


<帰還の苛酷なる艱難さ――人間の旅の、終わりなき物語>




1  マナキス兄弟の映像を求めて



「魂でさえも、自らを知るには、魂を覗き込む――プラトン」

画面の黒に、プラトンの言葉が刻まれて、映像は開かれた。

その画面が切れて、サイレントの映像が映し出された。

「ギリシャ 1905年。マナキス兄弟が最初に撮った映画。ギリシャとバルカン半島で最初の映画。それは事実か?これが最初の映画か?最初の眼差しか?」

その男の名は紹介されない。Aという記号的な名称でしか紹介されない、アメリカの映画監督である。そのAのモノローグから開かれた映像は、一転して、1954年の冬のエーゲ海の霞んだ曇天の風景に移っていく。

「マナキスの兄はここサロニカ港で、青い船を眼にした。私は彼の弟子でした。彼は青い船を撮ろうと待ち続け、ある朝、現れた船を撮影した・・・彼はその夜死んだ。死ぬ前に未現像の映画がある。3巻あると・・・今世紀初めに撮影したフィルムが、今頃、未現像のまま存在するなんて、誰も真に受けなかった」

一人の老人が、Aに語った言葉である。

その老人は、マナキス兄弟の弟子。

映像はマナキス兄のヤナキスが撮影中に、突然倒れ込む場面を映し出した。急逝したのである。テサロニキ湾には青い帆船が静かに浮かんでいて、やがて濃いブルーの色彩の中にフェイドアウトしていった。

ギリシャ正教の町フロリナに、Aは帰郷を果たした。

夜の街には、Aの作品が上映されることを知った教会と狂信派が、映画館を封鎖するという騒動が出来していて、結局、野外上映するという覚悟を持って、シネクラブの青年がAを迎えていた。

そこに、傘を差して上映を待つ多くの人々いる。

その作品の名は、「こうのとり、たちずさんで」。

その映画の音だけが場外に流されてきて、その上映を阻止しようとする正教徒の女たちの悪霊払いの声が、夜の街を異様なまでに裂いていた。

一人、郷里の変化に驚きながらも落ち着いた態度を変えないAに、アテネ博物館員は呆れている。

「君は来ない方が良かった」との辛辣な言葉に、Aは静かに応えた。

「そうらしい。でも個人的な理由もあって来たんだよ。分ってくれるかな?上手く言えない。出て行くしかない。ここが終点と思っていても、可笑しなことに、いつもいつも、終わりが始まりだ」
「君は35年も留守にしていたんだからな。35年の距離、35年の郷愁。バルカンの現実はアメリカの現実より厳しい。君は今、暗い水の上を渡っている」

アテネ博物館員の、この言葉に集約される意味の大きさは、やがてA自身が体験することになるが、果たしてAにそのとき、その覚悟があったかどうか不分明である。

―― サイレントの、「糸を紡ぐ女たち」のモノクロ映像が本作のカットの中に割り込んできて、映写機の回る音だけが響いていく。このシーンは、本作の中で度々出てくることになる。

「マナキス兄弟の話に、なぜそんなに惹かれる?それだけが理由か?言っとくが、映画博物館は旅費を出せない。予算がない」とアテネ博物館員。
「分っているだろう。僕の個人的な旅だ」

Aはそう答えて、博物館の男と握手して別れた。

そのときAの傍を、黒いコートを羽織った一人の女が通り過ぎていく。彼女はAとかつて再会を約束し、フロリナでAを待ち続けていたのだ。

「こんな唐突に君に再会するとは。一瞬、夢だと思った。過去、何年も君の夢を見てきたから。あの駅を覚えているか?君は雨の中で寒さに震えていた。風も強い日だった。僕は町を出たが、すぐ戻るつもりだった。でも道に迷って、知らない土地をウロウロした・・・手を伸ばしさえすれば君に触れるのに、昔に戻れるのに・・・どうしてもそれができない。戻ったと君に言いたいが、なぜかできない。旅は終っていない。終っていないのだ」

Aのモノローグである。

背景となった画面には、政治的に対立する集団の中に、警官隊が割って入り込んでいく物騒な描写が映し出されていた。

まもなくAは、ギリシャのアルバニア国境にまで入って行った。

Aを乗せたタクシー運転手は、「国境だ。決めたかね?行くかね?」とAの決意を促した。「行こう」とAは一言。

やがて、タクシーを下車したAは、国境の向こう側を見つめていた。一人の老女が、Aにアルバニアにまで一緒に同行して欲しいと頼み、Aはそれを了承したのである。

「内戦以来47年、妹に会えていないので」と老女。

その老女とAを乗せたタクシーは、意を決したように出発した。

「雪と沈黙のアルバニアに入った。別れた日の君の姿が、あの日の夜の中からそのまま甦る」(Aのモノローグ)

タクシーの中から映し出される風景は異様だった。雪原の地で、ギリシャへの入国を拒まれた難民が絶望的に立ち竦み、しゃがんでいる。また肩に袋を担いで彷徨するアルバニア難民たちの、その孤独な姿が印象深く映し出されていた。

黄色がアルバニア
老女をアルバニアの町で降ろしたAは、吹雪の中を進んでいたが、突然停車した。

その理由を、Aが尋ねたときの運転手の答え。

「わしは雪と25年も話をしてきた。雪は友達だ。雪が止めろと言うから止めた。雪は尊敬しなけりゃ」

そう言った後、その運転手は向こうの国境の山を指差して、語り続けていく。

「友達になろう。俺の村では友達になるには、同じグラスで酒を飲み、同じ歌を一緒に歌うんだ。いいかね、ギリシャは死ぬ。俺たちは死ぬんだ。寿命を使い果たした。何千年も、割れた石やら彫刻やらに囲まれて生きてきた。いや死んでもいい頃だ。だが、死ぬと決まったら早い方がいい。苦痛が長引けば、それだけ大声で騒ぐから・・・」

男は突然、低い石垣に上り、雪山に向かって叫んだ。

「やい!自然!お前は独りぼっちだ!」

男の傍らにAも上り、そのAに男は尋ねる。

「あんた、何か探しているのか?」
「国境で降りる。多分、まだまだ遠くへ行くだろう」

車中で、Aはそう答えたのである。

今、Aはモナスティル(マケドニア)にある「マナキス兄弟映画博物館」の扉の前に立っている。その扉はモノクロの画面に変わり、マナキス兄弟が活躍した時代を再現したのである。

「1904年、私の兄ヤナキスは、ヤニナを離れたいと言い張った。ヤニナに来て6年目、写真館の経営は苦しかった。それで、ここモナスティルに来たが、苦労は同じ。まもなく戦争になった。最初はバルカン戦争から第一次世界大戦になり、ひどい時期だった。荷物をまとめて、故郷アブデラに向かったが、道がなくなっていた。ここモナスティルに、難民と兵士が溢れた。ここの道は欧州の全ての軍隊が通った。その度に道の名前が変わった・・・第一次大戦が終わって、兄が流刑先からここへ戻って来たときに、映画館を開いた。映写技師はギリシャから呼んだ。最初の晩はフランス映画を見せた」

マナキス弟、ミルトスのモノローグの案内によって、兄弟の手による記録映像が映し出されていく。再びカラーになった映像の中枢に、真剣な眼差しのAがいる。そこで、博物館員の若い女性から声をかけられ、「マナキス兄弟の記録映画を作っています」と、Aは答えた。女はその言葉に、一瞬逡巡した。Aは畳み掛けていく。

「スコピエ映画博物館と連絡はありませんか?アテネからでは話が通じない。マナキス兄弟の未現像フィルムを探している」

女は反応しないで、戸口に向かって立ち去ろうとした。

「政治的意図はない。ご心配なく」

女の背後から、Aが言葉を投げかけた。

「・・・1939年、第二次世界大戦直前に、フィルムの引火で映画館は焼けた。最後の映画はチャップリンの喜劇だった。さらば、映画よ」(ミルトスのモノローグの断片)

Aの旅は、スコピエ(マケドニア)に向かう列車に繋がれた。

その列車の中で、博物館の女と出会ったのである。

「モナスティルの映画館が39年に焼けて、兄弟は別れた。兄はサロニカへ、弟はモナスティルに残った。54年に兄が死に、弟は手元も全作品をユーゴに売った。それはやがてスコピエの博物館に渡ったが、その中に、未現像の3巻もあったんだろうか?兄弟は方々に移り住み、写真も映画も撮った。二人で新しい時代、新しい世紀を記録した。混沌のバルカンで、60年以上も人と事件を撮り続けた」

Aは女に語りかけるが、一貫して女は反応しない。

「兄弟の関心は政治でもなければ、人権でもない。敵も味方もない。興味の的は人間、崩壊したオスマン各地を歩み、全てを記録した。風景、結婚式、習慣、政治の変化、村祭り、革命、戦い、公式行事、王、首相、叛徒・・・」

Aの熱弁の途中から、女の言葉が重なり合っていく。

「全て曖昧なもの、全ての矛盾、バルカンで衝突しあう力をフィルムに撮った」

Aはここまで熱弁を振るった後、女に向かって、「私の質問への答えは?」と尋ねた。

「兄弟の全作品はあるわ、その3巻以外は」

それが女の答えだった。

列車はスコピエ駅に到着し、下車しようとする女に、Aの問いが追いかけていく。

「3巻があったら、知らせてくれるね?」
「ええ。分ったら知らせるわ」

女はそう答えた。

しかし、下車しない男に、「私の言ったこと、確かめないの?」と問いかける。Aは「君を信じる」と答えるのみ。ブカレスト行きの列車が走り出し、男は乗降口から女に語っていく。

ギリシャの世界遺産・デロス島
「2年前の夏、デロス島でロケハンをしていた・・・空っぽの風景。荒廃の雰囲気。そのとき何か軋むような音が、地の底から響いてきた。見ると丘の上のオリーブの木が倒れていく・・・孤独に、自分の死に向かって倒れていく。倒れた木の衝撃で、アポロンの彫刻の首が外れて落ち、首は獅子たちの像や男根像の間を転がって、アポロン生誕の地とされる秘密の場所に着いた・・・」

Aがここまで熱弁を振るっている間、女は列車と並走していくが、男の熱意に呑みこまれたように列車に飛び乗った。

「私はそれをポラロイドに撮った。しかし、出てきた写真を見て愕然とした。何も写っていない。角度を変えて、もう一度撮った。写らない。黒い闇しか写っていない。私が眼差しを失ってしまったのか。何度も何度もシャッターを切ったが、どれも同じ。四角いブラックホ-ルだ。やがて太陽が沈んだ。海を見捨てたかのように。自分も闇に沈んだように思えた。映画博物館からこの仕事がきたとき、救われたと思って飛びついた。それで、着手したら、とんでもない話にぶつかった。幻の3巻のフィルムの話だ。映画史のどこにもない・・・なぜか分らないが、心を激しく突かれてしまった。忘れようとしたが、どうしても心を離れない・・・多分最初の映画、最初の眼差し、失われた眼差し、失われた無垢・・・その3巻が、まるで自分の映画のように思えた。私自身の最初の眼差し。失われた眼差し」

男は言いたいことを全て話したかのような思いがあったのか、その後、二人は共感しあって、激しく愛し合った。

ブルガリア国境(イメージ画像・ブログより)
ブルガリア国境の辺り。

旅券に不備があると言われたAと女は、係官に伴われ、検問所に向かった。屋内で取調べを受けるAが、そこにいた。

その中でAは、1915年のヤナキスの旅の世界に入り込んでいく。ブルガリアの軍隊に捕縛されたヤナキス=Aは、取り調べ官から尋問を受けている。

「お前より、弟ミルトスが上手のようだな。捕まる前にアルバニアに逃げたそうだ」

取り調べ官は、ここで判決を読んでいく。

「・・・職業は写真及び映画技師なるが、兄弟の家を綿密に捜査した結果、相当量の武器ならびに爆発物を発見した。この武器がブルガリア陸軍及び、ドイツ軍に対するテロ行為のために準備されたこと。またこれがサロニカの無政府主義テロ集団、『連邦』に繋がる一味によるテロのために用意したものであることは明白にして、疑う余地なきことが明らかにされた。よって、ブルガリア陸軍第一連隊は軍事法廷を開き、審議した結果、“マナキス”または、“マナキアス”兄弟に、ここに死刑を宣告する。同時に、写真並びに映画フィルムについても、兄弟の工房で発見されたもの全てを没収するものとする」

この判決を受けて、夜の処刑場に目隠しをされたAが連行され、そこで銃を向けられたのである。

「なぜなんだ!」

Aは絶叫した。

そこに、死刑の減刑を言い渡す兵士の声が唐突に侵入して来て、自ら目隠しを取ったAは検問所へと向かっていく。

例の女が、そこに待っていた。

ヤナキスの幻影にすっかり取り憑かれてしまったかのようなAは、女と共に夜の街道を歩いていく。Aは未だ現実の世界に戻れないのだ。

Aと女は、ブカレストへ向かう列車の中にいた。Aはヤナキスの幻影を払拭できないでいる。彼の言葉は、悉(ことごと)くヤナキスの思いを代弁するものだった。

「なぜルーマニアへ?なぜ来たの?あの頃、ブルガリアの者がルーマニアに渡るなんて、国交がなかったんだから、あり得ないのよ。ルーマニアはあの頃、連合国側だったのよ。なぜここに来たの?」
「自分の足跡を辿って、ここまで来た」

Aはそう答えた。

ルーマニア生まれの彼は、自らの過去の追憶に搦(から)め捕られていたのだ。
列車は、1944年のブカレスト駅に到着した。

「お母さん、何をしてるんです?」とA。
「間に合ったわね。乗りなさい。コンスタンツァは遠いのよ。坊や、早く来なさい」

故郷のコンスタンツァに向かうために、母と子は列車に乗り込んだ。

黒海に面したコンスタンツァ市街(ウイキ)
コンスタンツァの町は、“カチューシャの歌”を大声で歌う兵士たちの群れ成すラインで繋がっていた。

実家に戻ったAは、そこに待つ家族に温かく迎えられた。英語で話すAと、ギリシャ語で話す家族が、そこに明るい夜の団欒を結んでいた。

画面は突然、1947年の大晦日に移っている。

そこに、表から二人の男が侵入して来て、Aの叔父を無言で逮捕したのである。新年の祝いの言葉を残した叔父は、そのまま新生ルーマニアの人民委員たちに連行されていったのだ。“蛍の光”のピアノの演奏に送られながら。

「こんな国にいたくないわ」

そう言って、Aの母は夫の胸に飛び込んでいく。その後、Aは母の手を取ってダンスを踊った。

時は、1950年に跳んでいて、そこでも家族がパーティを催しているが、再び人民委員の男たちが侵入して来て、一家の財産を没収したのである。この苦い追憶のカットの最後は、家族で写した写真の中枢に、少年時代のAが寡黙な表情を向けている描写で閉じていった。

ルーマニアの港に、異様な風景が展開されていた。


ドイツに運ばれる巨大なレーニン像の頭部が、それを受け入れるに足るだけの船に積まれていく場面を、Aと女は目の当たりにしたのである。まもなく二人は再会を誓って、別離の抱擁を結んでいる。Aは女の前で涙を見せていた。

「なぜ泣くの?」と女。
「だって、君を愛することができない」とA。

女と別れたAは、ドナウ川を行く船に飛び乗った。

その傍らに、一つの身体を物理的に合成した巨大なレーニン像が堂々と寝そべっている。川岸には、レーニン像と別れを惜しむ若者たちが並走しながら見送っている。ある者は葬列を見送る儀式のように、巨大なカリスマの像に十字を切って、深々と祈っていた。

夜の船上で、Aはマナキスの著書を読んでいる。

「1905年、我々はルーマニアのブカレストで、イギリスやフランスに行けば、動く写真を作る機械が買えると聞いた。私も兄も信じられず仰天した。だが信じた。以前に、動く写真を我々も見たことがあった。動く写真では、人間がギクシャクと操り人形のように動いたが、とにかく二人とも夢中になった・・・兄は魔法の機械を夢に見続けた」

船はブルガリア、ルーマニアとセルビアの3ヶ国の国境に到着した。

そこで、3ヶ国語による検問の声が、船に向かって放たれる。「目的地を告げよ」という問いかけに、船長は「ドイツ」と答え、「乗客は?」との問いかけに、「いません」と答えた。Aは、この厄介な検問に捕捉されないで済んだのである

ベオグラードで、Aは下船した。
そこで、旧友のジャーナリストであるニコスと再会し、その喜びを分かち合った。

「ベオグラードに来て何年になる?何が好きでここに?戦争か、危険と緊張感か?」

このAの問いに、ニコスは答えた。

「何かな?分らん。答えがない。何年という問いは答えられるよ。3年になるし、まだいるつもりだ。終戦をこの眼で見たい」

そんなニコスは、Aをベオグラードの養老院に連れて行き、そこで「生きた映画博物館」とニコスが称する老教授に会わせ、マナキス兄弟の未現像の3巻について話を聞いたのである。

教授によると、自分の手元にその3巻を持っていたが、今はそれを手放したということ。現像液の組成が解けなかったため、サラエボの同僚に手渡したと言うのである。失望するAに、教授は終戦を待って、現像の専門家を紹介するとのことだった。

「サラエボか・・・」

Aは思い詰めたように、そう呟いた。

二コスと再会の祝杯を上げた後、二人は人通りの少ない夜の道を歩いている。お互いの仕事の話を交叉させて、Aは一瞬の沈黙を破って、自分の意思を言葉に結んだ。

「サラエボに行くよ」
「気でも違ったのか?冗談だろ?いつ?」
「今すぐ」
「許可証なしに行くには、川で行くしかない。船は毎夜、サバに行くのがある。ドナウの支流からサラエボに入る。ユーゴには河が多いんだ。でも危険な道だ。用心しろよ」
「行かなきゃならないんだ」

Aは小声だが、明瞭に答え切った。

しかし彼は再び、ヤナキスの幻想の旅に取り憑かれていた。

1915年の彼の流刑の地での、ブルガリアの農婦に起こされたヤナキス(A)は、警察から免れるため、小船に乗って、二人は川を下っていく。


船が着いた村の辺り一面は、戦火で廃墟と化していた。

その女は、燃え残った家に向かって駆け出したのである。

「ヴァーニャ!」

女の叫びが空気を裂いた。夫が殺されていたのである。


悲嘆に暮れる女を見つめるだけのA。

中央同盟国(赤・ブルガリアが参戦し敗北)連合国(緑)中立国(黄)

それは、第一次大戦下のブルガリアの小村を襲った小さな悲劇に過ぎないが、しかし村に残って生きる女にとって、あまりに凄惨な出来事だったのだ。

翌朝、Aは素っ裸の姿で眼を覚ました。女の声が外から洩れ聞こえてくる。川で洗濯しながら、土地の歌を明るく歌っているのだ。

そこに大砲の音が響いて、女は家の中に逃げ込んだ。二人はそこで蹲(うずくま)って、身を潜めている。

まもなく、女は手に斧を持って、川辺に行き、そこで小船の底に穴を開けた。女には、Aの存在以外頼れる者がいないのだ。女はAの元に行き、その胸に身を沈め、「ヴァーニャ!」と、死んだ夫の名を呼んだのである。



2  霧深きサラエボの惨劇



サラエボに向かうAの船旅が始まっている。

夜の川を、Aを乗せた船は、水面に反射する光のラインに沿うように進んでいく。Aはここで、現在の時間にその存在を復元させていた。

「船底でぐっすり眠った。船が桟橋にぶつかった・・・動かなくなった。聞こえるのは漣(さざなみ)が船を叩く音だけ。遠くで爆発が聞こえた。虚ろな音。深い穴から響くようだ。運河の両岸には、砲撃で倒れた建物が並び、その黒い窓が私を見つめている。地平線に垂れ込める黒い煙」

Aは戦火の町、サラエボに降り立った。
砲撃が間断なく続き、全く人の気配のない荒涼とした風景の中で、Aは漂流しているのだ。

砲爆により火災を起こしたサラエボのビル
「ここがサラエボ?サラエボ?」

Aの呻きに、何の反応もない。彼は殆ど半壊状態の一つの建物に辿り着いた。サラエボ映画博物館である。彼はそこでレヴィという男を必死に探す。彼こそ、マナキス兄弟の未完の3巻の謎を解く人物であると信じているからだ。

一人の少年の案内によって、Aは遂にレヴィと邂逅した。そのレヴィとAは、爆音轟くサラエボ市内を逃げ惑い、焼けたトラックの影に避難した。

「遠くから来ましたよ。私が探しているものをあなたがお持ちだと。マナキス兄弟の未現像の3巻を」
「そんなことのために、ここまで?ベオグラードでお聞きになったのですな?・・・誰もがもうないと思っているのを求めて。信念のある人だな。或いは、絶望の人か?」

それが避難地での、Aとレヴィの会話。レヴィは橋を渡りながら、Aに事情を説明していく。

「3巻のフィルムを手にしたときは興奮した。挑戦だからね、昔の現像液を作るなんて。ありとあらゆる組成に、半年没頭しましたよ。組成を変えて、何度も何度も、小さなラボに篭りきりでね。夜毎、ゴボゴボと流れる液の音を聞いた。その音が歌のように響くこともあった・・・無事に進んで、あと一歩までいった。あと一つ組成を変えれば、現像にかかれる、ほんの僅かな修正で・・・そのとき戦争が勃発して、私は映画博物館を救う方が急務になった。我々の記憶の全てだからね。救えなければ、私の人生もない。たとえ現像に成功したとしても、この虐殺の中で、一体何の意義があることか・・・」

二人は半壊した博物館に、ようやくの思いで辿り着いた。

「ここが試写室だった。奥へ入りましょう」

レヴィはAを導きながら、映写室を通って、地下室に下りていった。地下室に下りたレヴィは、「これが今、私たちの映画博物館です。これが私の宝の蔵です」とAに正直な思いを結んだ、

「あなたには権利はない・・・」

心身ともに疲労しているAは、いきなりレヴィにそう切り出した。

「私も始めは、あのフィルムを夢くらいに思っていた。それが失われたものになり、今は眼差しとして、闇から出ようとして闘っている。生まれ出ようとしている。あなたに権利はない。闇の中に閉じ込めておく権利はない。戦争と、狂気と、死の、そんな時代だからこそ、それを現像しない権利はあなたにない」

疲弊するAに、レヴィは柔和に語った。

「君は疲れている。混乱している。さあ、横になって。少し眠るといい。眠らないとまいってしまうよ」
「そんな権利はあなたにない・・・」

レヴィに介抱されながら、ベッドに横たわるAの口から、そんな言葉が吐き出されていた。レヴィは自分の机に向かって、自分の声をテープレコーダーに吹き込んでいく。

「1994年12月3日、“次第に大きくなる輪を描いて私は生きる。色々な物の上に乗る輪を。最後の輪を閉じることはできないだろうが。試してみよう。最後の大きな輪を”」

レヴィはリルケ(オーストリアの詩人で、「マルテの手記」が有名)の詩に、自分の思いを仮託したのである。再び、幻のフィルムの現像を決意する老人がそこにいた。

翌朝、覚醒したAのところに、若い女が入って来た。レヴィの娘のナオミである。父親を探しに来たのだ。しかし娘の父は、半壊の博物館にはいなかった。娘は父への伝言を残して立ち去って行った。

残されたAは、現像室のドアを開け、長尺のフィルム缶を手にとって、部屋から出て来た。Aは透視台の前でフィルムを確認した。そこにレヴィが戻って来て、Aは自分の感動を率直に伝えたのである。

「このサンプルを見た。確かに、殆ど成功している。これは・・・感動で・・・言葉が・・・」

感動の余り声が出ないAに、レヴィは「震えているよ。熱があるかも知れない」と優しく包み込む。

「現像をもう一度試して。是非もう一度」とA。
「やってみよう。君が正しい。そもそも私だって、失われた眼差しのコレクターなんだから・・・」とレヴィ。

二人の思いが一つになったとき、今まで誰も為し得なかった困難な仕事が、少しでも明るい未来に開かれていく可能性を暗示していた。

セルビア人の占領下におかれたサラエヴォ郊外の街区・グルバヴィツァ(ウィキ)
しかし戦火の町は、このような思いを抱く者たちのロマンティシズムを呆気なく砕くリアリズムによって、なおその時間を無残に繋いでいた。

映像は爆音で炸裂する黒ずんだ灰色の風景を映し出した後、精神病院から多くの患者が街路に出て来る異様なカットを繋ぐのだ。両手を挙げて、降伏のポーズをする人や、路傍の遺体に近づいて、十字を切る祈りをする人などが、画面の一角を遠慮げに占めていた。

その夜、レヴィの机の前で、Aは録音テープを聞いていた。そこにレヴィがやって来て、自分が取り組んだフィルムの現像を、一緒に観ることを促した。直ちに二人は現像室に入って行き、機械の作動音の中で回転するフィルムを観ることになったのである。

突然、二人は大声で笑い出し、抱き合って喜んだ。フィルムの現像の作業が成功する目処が立ったのだ

「観るにはまだ時間がかかる。さあ、外で待っていなさい」

レヴィのその言葉で、Aは試写室でレヴィを待っている。

「やった!できた!これも君のお陰だ。乾燥まで2、3時間だ」

それが、レヴィの報告だった。

レヴィは、フィルムの現像に成功したのである。二人はそれを観るまで、2、3時間待てばいいのだ。

しかし、外の爆音がしばしば部屋に漏れてきて、博物館でレヴィの手伝いをする少年が、先刻から不在の様子を心配する気持ちを、Aはレヴィに率直に伝えた。

「大丈夫。あの子はよくいなくなる。天使のようにいきなり帰ってくる。今晩か、或いは明日か。足音が聞こえた?人声も?そう言った?霧だ!匂いがする。この町では霧が人間の一番の友なのだ。不思議かね?霧がかかったときだけ、町全体が正常に戻る。以前と、殆ど同じになる。視界ゼロで、狙撃兵も撃てない。ここでは霧の日は、祭りの日なんだ。更に祝うべきは、あのフィルムだ。初めから囚われの身だった眼差しを、私たちはこの世紀末に、遂に解放するんだから!これは祝わなきゃ!」

レヴィの言葉は、大きな仕事を成した達成感に満ちていた。半壊の博物館に外の霧が立ち込めてくる中で、外から音楽が聞こえてきた。

「そう、民族混成交響楽団だよ。セルビア人、クロアチア人、回教徒。少しでも戦火が止むと集まって来て、町の其処彼処で演奏を聞かせてくれる。私たちも出て行かないか?私の家族に会わせたい。一緒に川の方へ散歩に行こう」

レヴィはAを誘って、霧が立ち込めるサラエボの町に出た。

野外舞台
休戦状態の町に集まって来た多くの人の中に、混成楽団の安らかな音楽が静かに溶け込んでいく。野外舞台では、「ロミオとジュリエット」を演じる簡素な劇が開かれていて、多くの人々がそれに見入っている。

「さようなら、さようなら。別れはこんなに甘い悲しみだから、朝までさようならを言い続けよう。あなたの眼に眠りを、胸には安らぎを。私が眠りと安らぎとなって、その胸に憩いたいが。神父の庵に行って報告をし、助言を乞わなければ」(Aのモノローグ)

まもなく、二人はその場から離れて、霧の中を散歩する。

墓地の前では、弔いの歌が聞こえてきて、遺体を担ぐ回教徒の葬列があった。更に歩いていくと、何人かの若者たちがダンスを踊っていた。その中にレヴィの娘のナオミがいて、彼女はAに踊りを誘った。霧の立ち込める林の中で、Aとナオミはぎこちないテンポで踊り出したのである。

「サラエボで踊るなんて夢のようだよ」とA。

まもなく、音楽はスローテンポの旋律に変わり、二人はいつしか、恋し合う男と女のような占有感を漂わせて、ダンスに興じていく。

「あなた、赤ん坊のように眠ってた」とナオミ。
「待っていてくれるか?」とA。

男はまた、深い追憶の世界に這い入っている。

「故郷を愛せないのは悪いこと?ここは息が詰まる。冬の雨と泥、夏の埃」

ナオミの反応もまた、男の中では、追憶の世界での繊細な言葉に脚色されている。

「戻って来る。連れに戻る。汽車の音が聞こえる」
「もう少しいて。もう少しだけ」
「汽車が来る。行かなきゃ」
「気をつけて。戻って来て。待っている」

追憶の中の女は、泣きながらAの胸に顔を埋めて、やがてロックのリズムに乗って踊り出す。追憶の時間が、そこで雲散霧消していったのである。

「分ったかね?霧の日は祭りの日だ」

霧深きサラエボの街
後ろから、レヴィの声がかかった。ここで3人は肩を組んで、霧の向こうに柔和な足取りで消えて行く。

ますます、霧が深くなってきた。

ユダヤ人のレヴィの家族はAを伴って、川辺を散策している。

川のせせらぎの音と、家族の穏やかな笑い声が、静寂なる風景の中に、そこだけは違和感なく存分に溶け込んでいた。

「不思議だ。雪の下から草が芽を出している。そうだよ。まるで早春のように」とレヴィ。
「何のお祝い?お婆ちゃん」と孫娘。
「霧と、もう一つ両方を」と祖母。
「でも、何も見えない」と孫息子。
「川の音が聞こえるだけ」と孫娘。
「風が南から吹いている。町の音楽がここまで聞こえる」とレヴィ。

そんな会話が静かに繋がっていた。

二人の孫は手を繋いで、先頭を歩いていく。やがて二人の行方が分らなくなって、父母は必死に声を上げて探していた。

「先に行ってしまった。離れ離れだ。ナオミ、様子を見て来て」

そうレヴィに促され、Aと離れるのを嫌がるナオミは、二人の元を仕方ない様子で去って行った。

「何か心配かね?君の眼の中に影が見える」とレヴィ。
「いや、疲れているだけです。長い旅でした。待ちに待って、ようやく眼差しに会える」

再び、子供たちの歌声が聞こえてきた。

そこに突然、一台の車が停車する音が聞こえてきた。レヴィは前に進もうとするAを、そこで引き止めた。

「散歩をしているだけですよ」

遠くで、誰かに弁明する祖母の声が聞こえてきた。

「何があっても動くな」

霧深きサラエボの街②ボスニア内戦の墓地(イメージ画像
レヴィはAにそう言って、自分だけ川辺に走った。異変を感じたのである。

「散歩しているだけですよ」

今度は、レヴィの声がAの耳に入ってきた。

「主なる神も結構、間違いをなさるのだよ。結構、間違われる。子供たちからだ」

聞いたこともない男の声が、Aの耳に入る。

「子供に手を触れるな!」

今度は、子供の父親の声が聞こえてきた。

明らかに、子供たちに異変が起きたことを、その言葉は伝えている。しかしAは、その場を動かない。動けないのだ。

「お前も一緒に川に放り込んでやるから」

またも男の声。明らかに異変が起きていた。

「孫たちを放して!」

今度は祖母の声。異変の尖りが、飽和点に達しつつあった。

「どこに連れて行くの!子供たちはお願いだから、どうぞ放して」

泣きながら、我が子を呼ぶ母の声の後、一発の銃丸が鳴り響いた。母の悲鳴が刻まれた。更に、4発の銃声が鳴り響いた。

「この女も、他のと一緒に放り込め・・・いつもこうなるのさ。神の間違いさ。お創りになった以上、お返しするしかない」

兵士と思われる、そんな男たちの残酷な言葉の後で、深い霧の中から、今度は何発もの銃丸が静寂を裂いた。

銃丸の前に、男たちが死体を川に放り投げる音が聞こえていた。その後、エンジンをかけて、その惨劇の場から遠ざかる車の音が捨てられたのだ。

これ以上ない悲劇が、視界を奪われたAの眼の前で炸裂し、心地よくその身を預け入れた、いとも長閑なる時間を切り裂いたのである。

Aは川岸へ走った。

依然として深い霧の中で、レヴィとその妻、更に、ナオミの遺体が置き去りにされている現実を目の当たりにして、Aは慟哭した。

動物のような呻きを刻むAの慟哭は、いつまでも深い霧の中で、惨たらしいまでに捨てられていた。

サラエボに、なお深き霧の広場が、そこだけは未だ安全地帯と信じる人々の思いを結んでいた。

その広場の中を、男は目標を失った者の空洞感をぶら下げて、ただ一人うつむいて、重い足取りを運んでいる。

民族混成楽団のコンサートが静かに繋がっている空気とは、殆ど無縁な男の重い感情が、異次元の世界を漂流しているのだ。



3  最初の眼差しを凝視して



男は博物館の映写室に戻って来た。

彼はそこで、レヴィが遂に成功した現像フィルムに観入っている。しかしスクリーンに映っているのは、白い画像の無機質な世界である。

それでも、Aはこのとき、「最初の眼差し」を凝視しているのだ。男の慟哭はここでも深々と、しかし何かにほんの少し、その身を預ける者の痛々しい思いを乗せて、小さくも、繋がりのある一つの意志によって刻まれていた。

「今度私が戻るときは、他人の衣服を着て、他人の名を名乗り、唐突に戻るだろう。君が私を見て、自分の夫でないと言ったら、印を見せよう。君に信じられるように、庭の隅のレモンのこと、月光の入る窓のことを話し、身体の印をみせよう。愛の印を。二人して昔の部屋へ戻って行き、何度も抱き合い、愛の声をあげ、その合間に旅の話をしよう。世が明けるまで。その次の夜も、次の夜も。抱き合う合間に、愛の声の合間に、人間の旅の全てを、終わりなき物語を語り続けよう」

これがAという男の、映像に映し出された最後の言葉となった。


(「テオ・アンゲロプロス シナリオ全集」池澤夏樹字幕 愛育社刊より、一部参照 )


*       *       *       *



4  映像作家としての「内面の旅」を絡めた、重厚な一大叙事詩




「ユリシーズ」とは、 オデュッセウスの英語名のこと。

オデュッセウスとは、かの有名なホメロスの作と伝えられる長編叙事詩、「オデュッセイア」の主人公の名である。

その長編叙事詩を要約すると、「トロイ(ア)戦争に勝利したオデュッセウスが、その帰途、嵐のため難破し、その後10年に及ぶ艱難(かんなん)な漂流生活を経て帰国したものの、留守の間、自分の妻に言い寄って苦しめていた男たちを討伐する物語」というところだろうか。、

海神ポセイドンの恨みによる妨害に遭って、故郷イタカで待つ妻、ペネロペ(ペネロペイア)の元に帰郷できない艱難辛苦の旅についての著名な物語は、魔女キルケの島や、単眼の巨人キュクロプスとの争いなどの様々なエピソードを含む、一つの苛酷なる流離譚を構成していた。

そんな著名な古典文学を映像化しようと念じていた作り手は、その物語を基本的モチーフにして、そこに映像作家としての「内面の旅」を絡めた、重厚な一大叙事詩に結実させたのである。


テオ・アンゲロプロス監督①
―― ここに、本人が語るインタビュー記事がある。


「舞台をバルカン諸国に設定したのはなぜですか」という問いに対して、作り手は答えている。

「『オデュッセイア』のなかでは、英雄オデュッセウスの帰還しか描かれていません。しかしギリシア神話では、オデュッセウスは一度戻ってきて、それからまたまた航海に出ます。私は、今ここに揺れ動く海があるとすれば、それは動乱のバルカン半島だろうと考えたわけです。ここでバルカン半島を舞台にした最初の図式が出来上がりました。

そこでトニーノと分かれて家に帰り、それからこの映画のなかでハーヴェイ・カイテルが辿ったのと同じような場所を旅して回りました。

そして旅から帰ると、最初の脚本を書きました。しかし私はまだ、何かが欠けていると感じました。そのころマナキス兄弟の伝記を読んでいて、3巻の現像されてない、失われたフィルムがあるという記述と出会ったのです。

そこで私は再び旅に出て、その3巻の失われたフィルムを探し始めました。それが本当にあったものかどうか、確かめたかったのです。3巻のフィルムはベオグラードのシネマテークにありました。私はすでに現像されていたそれらのフィルムを見て、そこで映画の骨格ができました」(1995 MAGAZINE HOUSE, Ltd.「『ユリシーズの瞳』テオ・アンゲロプロス インタビュー」より/筆者段落構成)

栄光の母国が生んだ長大な古典文学と、苛烈を極めた20世紀のバルカン半島、そして映像作家としての作り手が、自分の問題意識をも仮託させたであろうAという名の一人の表現者。

アンゲロプロス監督とハーヴェイ・カイテル
この三つの要素が、その独創的で、溢れんばかりの作家的想像力の中で不可分に一体化したとき、そこに作り手であるアンゲロプロスという非妥協的なる男の、時には苛烈な表現史の、一つの集大成であるかのような傑作が分娩されたのである。


―― この壮大にして、難解なる映画のキーワードについて、多くの人が多くのことを語っているが、私の見方は比較的単純である。


それを要約すると、少し長いが、以下の文脈でまとめられると考える。


自分の自我が拠って立つ安寧の基盤が崩れ始めたと感受する男が、その危機感に搦(から)め捕られた挙句、よりそれを深めてしまった厖大な不安感の中で、そこに空いた「ブラックホール」と認知する空洞を埋めるべく、時代の大きなうねりに翻弄された自己の軌跡を再体験するような、「内面の旅」と確信し得る確かな精神の軟着点にまで、その「内面の旅」を完結させることの可能性、或いは、その「帰還の、絶望的なまでに苛酷なる艱難(かんなん)さ」についての深い省察である、ということだ。

そんな男の危機感の深さが、彼の旅の艱難な歴史的背景を必要としたのではないか。


以上が、私の本作に対する基本的把握である。


現代の「オデュッセイア」をなぞった男の艱難な旅のステージは、「戦争と革命の世紀」としての20世紀の総体であり、そこで特定的に切り取られた空間は、この世紀の初めと終わりを劇的に尖らせたバルカン半島以外ではなかったということである。

栄光の古代史を誇りつつも、主人公をアルバニア国境まで乗せたタクシードライバーに、「ギリシャは死ぬ。俺たちは死ぬんだ。寿命を使い果たした」と言わしめた国であるギリシャ。

そのギリシャが生んだ抜きん出た映像表現作家、テオ・アンゲロプロスにとって、その映像表現史に於いて初めて、ギリシャという国境の枠を突き抜けて創り出した作品こそ、まさしく、この「ユリシーズの瞳」であった。

作り手が最も尖鋭な感受性によって、その自我を切り結んできた、20世紀という妖怪が撒いた苛酷な罠に対して、まるで、オデッセウスを苦しめた海神ポセイドンの罠と対決する物語をなぞるように、しかし、決して真っ向勝負の如く対決する者のようではなく、一人の映画監督の「内面の旅」の突破の可能性というライトモチーフの内に、想像力豊かに切り結んで見せたのである。


その男の名はA。

作り手の弁によると、その具象性のない記号は必ずしも、アンゲロプロスという名のイニシャルから採ったものではなく、「アルファベットのAにすべての始まりといった意味合い」を含んだものらしい。

そのAの、再生を賭けた「内面の旅」のモチーフとなった経験が、本作の中で語られている。

「2年前の夏、デロス島でロケハンをしていた・・・空っぽの風景。荒廃の雰囲気。そのとき何か軋むような音が、地の底から響いてきた。見ると丘の上のオリーブの木が倒れていく・・・孤独に、自分の死に向かって倒れていく。(略)私はそれをポラロイドに撮った。しかし、出てきた写真を見て愕然とした。何も写っていない。角度を変えて、もう一度撮った。写らない。黒い闇しか写っていない。私が眼差しを失ってしまったのか。何度も何度もシャッターを切ったが、どれも同じ。四角いブラックホ-ルだ。やがて太陽が沈んだ。海を見捨てたかのように。自分も闇に沈んだように思えた」

Aのデロス島経験
このデロス島での経験が、全ての始まりだった。

Aはこのとき、映像作家として経験したことがない不安感を感じたのである。
彼はなお、女に語った。

「映画博物館からこの仕事がきたとき、救われたと思って飛びついた。で、着手したら、とんでもない話にぶつかった。幻の3巻のフィルムの話だ。映画史のどこにもない・・・なぜか分らないが、心を激しく突かれてしまった。忘れようとしたが、どうしても心を離れない・・・多分最初の映画、最初の眼差し、失われた眼差し、失われた無垢・・・その3巻が、まるで自分の映画のように思えた。私自身の最初の眼差し。失われた眼差し」

彼の「内面の旅」は、全てここから始まったのである。

彼がこのとき経験した恐怖の内実とは、この世には映像カメラによって収められ、丸ごと把握されて、その総体を写し撮れないものが存在すること。それをまざまざと学習してしまったかのような、圧倒的な幻想体験以外ではなかったのだ。

彼はそこで、「眼差しと無垢」を喪失した内的危機感に襲われたのだ。映像作家としての自我の拠って立つ基盤の崩れの恐怖を、彼は感じ取ってしまったのである。

だから彼は、自分の本来の「眼差しと無垢」を奪回し、それを自我に復元させるための困難な旅を、それ以外にない自我の飢渇を埋める手立てとしての流れ方で、映画博物館からの仕事を選択したのである。

そしてその仕事こそ、マナキス兄弟の「幻の3巻のフィルム」を探し出すという、とんでもなく厄介なテーマだった。

「映画史のどこにもない」フィルムを探し出す仕事の困難さのベースには、バルカン半島への艱難な旅を強いられる状況性の厄介さにあった。

そして、そのフィルムを探す旅で逢着する現実、即ち、ギリシャ系ルーマニア人である自分が、かつて捨てたその故郷に這い入って、原点回帰を迫られていくという殆ど予約された現実。

そこで何が自分を待っているか、その想念もまた男の内面を掻き回して止まなくなる。

それらを覚悟する旅に、男は追い詰められた者の如く、這い入っていったのである。そこに這い入っていくための旅でもあったからだ

もとより、男の旅の発火点には、「マナキス兄弟の未現像のフィルム探し」というテーマが、中枢的な起動力になっていたわけではない。言ってみれば、男にとってフィルム探しとは、その本来的な「内面の旅」の目的それ自身というよりも、それを継続させるに足る最も可視的、且つ、具象的な手段でしかなかったのである。

男にとってどこまでも、自分が失った、「眼差しと無垢」を復元させることが本来的な目的ではあるが、ある意味で、それは極めて抽象的なテーマ設定である。その柔和なる軟着点の手応えを捉えにくい目的に、一つの具象的なテーマを付与したのが、「未現像のフィルム探し」という最も見えやすい行動様態だったと言えるだろう。

ところが、男の旅が幻想と迷妄の森に搦め捕られていくにつれ、男の魂の中にマナキス兄弟の幻影が乗り移ってきて、いつしか、それらが未分離の人格の様態を晒すまでに変容していくのである。

これは、心理学的にとても分りやすい流れ方である。

人間は自らが負った困難な旅程で、その困難さをほんの少し休めてくれる契機やヒントを手に入れることができれば、却って、その困難な旅の継続力を保障してしまうところがある。自分が請け負った厄介な仕事に小さな曙光が見えれば、人間はその曙光の向こうに見えると信じる幻想の安寧の罠に、容易く取り憑かれてしまうのだ。

Aの旅は、まさにほんの少し和らげてくれる幾つかの契機を手に入れることで、少しずつ、彼の旅の本来的な目的が、単に手段でしかないものへの身の預け方を変容させていくことによって、その重厚なクロスの中で内面を重視し、自己の再生についての物語を立ち上げていくという種類の、極めてセンシブルな何かであった。

では、バルカン半島を、何か約束された流れのようにして方向を繋ぐAの旅の内実とは、一体何であったのか。

もとよりこの映画は、物語をリアリズムの筆致で丹念にフォローする手法を初めから蹴飛ばしているので、それを観る者は、そこで表現された様々に印象的な描写に対して、恰も、定置網のような大掛かりな想像力を巡らせて、「表現の意味性」を捕捉する尖鋭な感覚の繊細さが求められるから、正直、腰が引けるところもある。

しかしそこに、この作り手の表現世界の独自性の魅力があると思われるので、その一種、魔性的な文脈に対する馴致もまた、作品鑑賞の醍醐味とも言えようか。

ともあれ、Aという記号的な男の遍歴が、本質的に「内面の旅」という性格を持つが故、映像は時間を自在に交錯させ、そこで出会う思いや不安や恐怖の全てを、観る者は彼の意識の旅の流れ方に、その都度、そこで開かれた絵柄に相応しい想念を繋いでいかねばならないことだけは確かである。


―― 雪のアルバニア国境から、マケドニアの小都市モナスティルにあるマナキス兄弟の博物館に行き、そこで出会った女性館員と、殆ど無媒介に男女の関係に発展したのは、デロス島でのAの経験談に反応した女が、未現像のフィルムを探し求めるAの旅の内面性を感じ取ったからに他ならない。

男は初めて、旅の同志を得るが、女の性愛を受容する男の消極的な態度の根底には、極めて観念性の濃度の濃い男の旅が、堅固な標的に向かって飛翔する者の、果敢なる身体疾駆の性格を持ち得ていないことを示唆する心理的文脈が、何かべったりと横臥(おうが)しているようにも思われる。

旅の女との肉欲の世界に立ち止まれない内面性こそが、男の旅を規定しているのである。

やがて、二人はブルガリア国境で検問を受けるが、ここで男は、死刑宣告の後流刑の身となったヤナキスの記憶の世界に潜り込む。

それは男の内面に、「未現像のフィルム探し」という観念が、明瞭な具象性を持ち始めたことを意味する描写となっていくが、二人がブカレストに到着するや、今度は故郷コンスタンツァからギリシャ移住までの、少年期の辛い回想に這い入っていくのである。

男の中の空間移動の旅は、いよいよ「内面の旅」の本質を露わにしていくのだ。

家族の受難の歴史を、その自我の記憶にべったりと張り付かせている男にとって、ルーマニアという固有名詞の存在性は、同時に、マナキス兄弟が始めて映写機の存在を知って驚嘆した歴史的事実と微妙に重なるものだった。

作り手が用意したその後の映像は、観る者に切っ先鋭く突きつけた絵柄のインパクト。巨大なレーニン像の、画像を支配し切ったような、唐突なる出現がそれである。

それは一体、何を意味するのか。

この分解された彫像と随伴する、ドナウの川下りに於ける長い描写は、本作で最も重要なシーンの一つであると言えるだろう。男はここで、博物館員の女と別れて、全く新しい旅に這い入っていくのだ。

女との別離の意味は、男の「内面の旅」に共感した女との別れであり、それは男が、この川下りの描写によって、その「内面の旅」が内包するテーマの拡大を意味するものであると言える。

それは、既にマナキス兄弟の思いと一体化した男の内側に、「時代の状況性」が不即不離に共存することを端的に表現する描写であったと思われる。男の中ではもう、「時代の状況性」から脱出困難な心境性を作り上げてしまったと推測し得る変容を見せていたのである。



5  レーニンとは、一体何だったのか



その頭部をクレーンで吊るされて、船に運ばれるレーニンの彫像は、このとき既に、ドイツのコレクターによって収集される化石的な価値しか持たなかった。

時代はここまで変貌したことを告げる、この描写の持つ意味は、大きな時代の大きな物語の終焉を告げる、あまりに象徴的であり、且つ、今や一つの彫像でしかないものに巨大な物語を作り上げた人々が、大河を並走するシーンを含めて、極めてアイロニカルでもあり、同時にそれは、柔和なる追想をそこに捨てられない人々への哀惜感を存分に塗り込ませていたという点で、決定的に重々しい何かであった。

レーニンとは、一体何だったのか。

それは逆説的に言えば、20世紀の激しい変容の歴史を典型的に表現する存在それ自身であった。

ミハイル・バクーニン(ウィキ
今思えば、空想的とは言わないまでも(バクーニン、プルードン、サン=シモン、フーリエ等のそれと比べれば)、まさか、その数十年後に本当に実現したことに驚嘆を禁じ得ない遠大にして、壮大な物語、即ち、国家と社会についての究極の理念を、その前世紀に提示した二人のユダヤ人(マルクス、エンゲルス)の哲学的・経済学的仮説を、20世紀の強盛なる封建体制的国家の解体という形で具現させた男、それがレーニンである。

スターリンやカーメネフ、ジノヴィエフがいなくても確実に成功し、トロツキーなしでもほぼ間違いなく成功させたと思われる革命だが、しかし、この男の存在なしに絶対に成功しなかったと断じていい革命、それがロシア革命であり、その男こそレーニンであった。

ロシア革命は、「レーニンの革命」だったのである。

「レーニンの革命」は、一つのイデオロギーが、一つの強大な国家を解体させ、それを根本的にシステム変換させることが可能であることを実証した革命だった。その意味で、「レーニンの革命」の影響力は決定的だったと言えるだろう。

当時、勃興してまもない資本制国民国家の苛烈な社会的装置が、初期の資本主義の暴力性を剥き出しに顕在化させていた不条理の状況性の只中で、「レーニンの革命」の求心力は絶大だったのである。

毛沢東、チトー、カストロ、ゲバラ、金日成、ホーチミン、更に、ポル・ポトといった著名なコミュニストたちが、自国で為した暴力革命のルーツは、近年、スターリンと同レベルの独裁者として指弾されながらも、長きにわたって、本来的には心穏やかで、ヒューマニストの側面を多分に印象づけていたレーニンその人であった。

「万人の平等と幸福」を保障すると説く社会主義思想の圧倒的求心力の内に、近代国民国家の不平等な豊かさより、絶対的に無謬であると信じ、正義と平等の実現を念じて止まないピュアな青年の情念を束ねていくのは、殆ど宗教的な浸透効果をもたらしたと言える。

「レーニンの革命」の心地良き圧倒的な物語効果によって、レーニン死後、大粛清のスターリン下にあってもなお、インターナショナルな影響力を失うことがなかった社会主義大国、「ソ連」の存在は、左翼陣営の分極化、多元化の傾向をしばしば醜悪に晒しつつも、一貫して世界の中枢的ポジションを占有していたのである。

そして、この陣営を最大の仮想敵と見立てる資本制国家の強力な立ち上げが現出し、ここに人類史始まって以来のイデオロギーの対立と、それに少なからず関与する様々な物理的戦争が出来したのだ。この世紀を特色づける、「戦争と革命の百年間」という尖った歴史的現実が、世界の隅々で渦巻き、澎湃していったのである。

そこに「レーニンの革命」を敵視しつつも、本質的にはその国家的構造性に於いて決定的な相違が見られないファシズムの台頭があり、それによって、二度にわたる凄惨な世界戦争を惹起させてしまったが、そこにも少なからず、善きにつけ悪しきにつけ、「レーニンの革命」の広義なイデオロギー的文脈の脈絡が見られたのである。まさに20世紀を典型づける人間こそ、レーニンその人だったのだ。

そのようなイメージを被されたレーニンが、カリスマの彫像と化した絶対的な時代を閉じるべく、人工的な身体が分離された挙句に、巨大なクレーンによって、いとも容易に吊るし上げられたのである。

レーニンが作り上げた国家は、その人類史的に刻んだ稀有な壮大なる実験の結果、無残にも、レーニンを生んだその国と、その国に寄生したか、或いは、その国の支配権に属化した国の人々によって、殆ど予約された流れのようにして解体されてしまったのだ。

「レーニンの世紀」と信じた多くの人々が、その世紀の名を、いま恐らく、「アメリカの世紀」と呼び変えるに違いない圧倒的な消費文明のうねりの中に、「アメリカになろう」という隠された思いがグローバルに顕在化した時代を、まさにその文明の、甘美なる蜜を被浴する大衆自身によって作り出されてしまったという現実、それは人間の欲望自然主義の、殆ど必然的な帰結点であるかのような流れ方であった。

では、「レーニンの革命」の挫折後、何が起こったか。

ウラジーミル・レーニン(ウィキ
イデオロギーの対立の解体によって、それまで内側に封印していた、本来的な人間の相克に関与する感情が劇的に噴出して、遂に、「内戦」と呼ぶ以外にない状況を炙り出してしまったのである。

単に貧富の格差の問題に留まらない、民族と宗教による摩擦と軋轢の感情噴出は、殆ど「イデオロギーの対立」が、そこだけは実験的に突出したかの如く顕在化する以前に、その土地に長く住む者たちの中で普通に出来していたであろう、本来的な人間たちの対立の構図と言ってもいい何かだったのである。

常にこの地上で、継続的な噴出を晒していたとは言え、圧倒的な無秩序を目立って炙り出す、際立って険阻な状況が世界の隅々で出来してしまったのだ。

中でも、バルカン半島を舞台にしたボスニア内戦は、民族と宗教による摩擦と軋轢の感情噴出の典型的な事態だった。


「国家の死滅」という、極めて困難な物語の末路は、新たなる堅固な国境の構築によって、そこに「敵」と「味方」という概念を、より頑なに貼り付けた爛れ方を露呈させるばかりで、社会的秩序の復元を決定的に困難にさせただけの、被膜に包まれた幻想を置き去りにしただけだった。それ以外ではなかったのだ。

サラエボ事件の暗殺犯の一人・ガヴリロ・プリンツィプ
思えば、バルカン半島で出来した、オーストリア皇太子の暗殺事件(サラエボ事件)を端に発した第一次大戦が、「レーニンの革命」を分娩し、更に、ヒトラーの帝国幻想による第二次大戦を誘発した現代世界史の流れは、「レーニンの革命」の挫折と、それによる冷戦構造の崩壊を決定的に経由することで、遂にバルカン半島での凄惨極まる内戦に、無残にも結ばれていったのである。

本作に於けるレーニン像の描写は、以上のような文脈の内に把握できるメッセージ性を含んでいたと考えられるが、少なくとも、レーニン像のモデルとなった当の本人を、恐らく、柔和な眼差しで捕捉していたに違いない作り手の思いは、もっと複雑で、幾分屈折した心情を、そこに仮託させていたであろうことが推測し得る。

従って、この描写は、一つの時代の哀切なる葬送であり、そこから開かれた、より醜悪なる時代への異議申し立てという含意を読み取ることを可能にすると言えようか。



6  最初の眼差し、失われた眼差し、失われた無垢



―― 映像に戻る。


マナキス兄弟の未現像のフィルムを求めて、このときAは、「レーニンの革命」の最終的解体を象徴する現場に立ち会って、最も醜悪なる内戦を継続する尖った国家に、殆ど確信的に踏み込んだのである。

ボスニア・ヘルツェゴビナ。

男がその身を預け入れようとするその場所は、「霧がかかった時だけ、町全体が正常に戻る」(レヴィの言葉)という非日常の日常を常態化する、まさに、苛烈なまでに凄惨な内戦を噴き上げていて、精神病院に入院する者たちの生命の保障すら存在しない状況性を炙り出していたのだ。

男はそんな危険な場所に、殆ど確信的なまでに這い入って行った。マナキス兄弟の未現像のフィルムに逢着できるからである。

しかし、果たしてそれだけだったか。

このとき男は、既に男が生きた世紀の終末の辺りで、最も凄惨を極める現場に乗り入れることによって、その「内面の旅」を自己完結させたかったのではないか。

その艱難な旅は、男を囲繞する時代の状況性と分かち難く切り結んでいて、そんな選択的な切り結びの内にこそ、男は自らの旅の完結を図ったとも考えられるのだ。

そしてAという、記号的でありながらも、決して記号性のカテゴリーに収まらない固有なる男の旅の中枢にある目的は、男を援助する一人の老人の手によって成就された。男と老人の歓喜の契りは、一つの艱難なる旅を完結させたと信じる、言葉に結び切れない感動のうねりの中で立ち上げられていたのだ。

しかし、男が選択的に入り込んだ状況の闇は甘くはなかった。

破壊された国立図書館でチェロを演奏する人(ウィキ)
男の内面には一貫して厳しいものがありながら、それでもその旅に澱むある種の甘美な幻想、即ち、自己目的的な「内面の旅」の予定調和的な帰還の達成という、もしかしたら、異文化の時間にあまりに馴致したその自我に、幾分張り付いていたかも知れない残り香のようなその物語の甘さを、「ボスニア・ヘルツェゴビナ」という世紀末の妖怪は、殆ど完膚なきまでに打ち砕いてしまったのである。

霧深き川辺の惨劇。

それは、男の旅の予定調和的な自己完結の幻想を破砕するには充分すぎるものだった。休戦の時間であったはずの霧深き日にも、厳然と国境は存在していたのだ。

三つの民族から成る「民族混成交響楽団」の叙情的な旋律の映像は、その後、「ロメオとジュリエット」という余りに有名なシェイクスピアの舞台劇を、簡易な作りの中で観劇させている。名門両家の争いの中で、無残に引き裂かれた悲恋のドラマを挿入するアイロニーは、蓋(けだ)しスパイス充分な描写だったと言えるだろう。

その観劇をAと老人が束の間の慰安の中で堪能した心境には、老人を挑発してまで未現像のフィルムの再現に成就したAと、その挑発に反応すべく、恐らく、最後の生の炸裂を賭けたであろう老人との、深々とした歓喜の契りが固く張り付いていたのである。

マナキス兄弟の表現に関わる苛烈な軌跡の中に、その身を全人格的に預けていくプロセスを顕在化させるAの「内面の旅」は、思えば、映画100年の歴史の中で少しずつ、そして確実に失われてしまったであろう「無垢なる眼差し」を、自己史の実感的立ち上げの中で奪回する旅でもあった。

「最初の眼差し、失われた眼差し、失われた無垢」―― いつしか、消費文明の過剰なまでの蕩尽の時間の中で喪失した何かについて、根源的な省察を余儀なくされ、そして遂に、このキーワードに逢着するに至ったのだ。

彼はそれらを、自分の内側に固く復元させなければ立ち行かない心境下にあって、殆ど追い詰められた者のように、必ずしも安寧の帰還を約束されない艱難な旅に、自らを全人格的に預け入れたのだった。

以上の把握が、私の本作に対する基本的視座である。



7   迷妄の森の入り口に立ち竦む者の慟哭     



―― 最後に、以上のテーマ言及で漏れた、幾つかの緊要な描写について補筆していこう。

その一つ。

「霧深き川辺の惨劇」のリアリティを予感したレヴィが、勇み足で進もうとするAの歩行を止めた振舞いに見られる、切実なまでの重量感溢れる描写。

レヴィはこのとき、明らかに、川辺の向こうで出来したであろう家族の危難を感じ取っていた。

殆どパニック心理に囚われて、理性的行動が選択し難い状況下にあって、レヴィは危難に巻き込まれる確率の高いAの行動を、瞬時の判断で支配したのである。

レヴィは川辺にその身を運ぶことによる最悪の事態の出来の予感の中で、覚悟を括った者のようにして、家族の救出に向かったのだ。

家族を救えなくても、Aだけは救おうという括りが、このときAの心情の内側に張り付いていたに違いない。レヴィは決定的な局面で、決定的な選択をしたのである。

思えば、レヴィにとって、Aの救済は自己救済にもなっていた。

“次第に大きくなる輪を描いて私は生きる。色々な物の上に乗る輪を。最後の輪を閉じることはできないだろうが。試してみよう。最後の大きな輪を”

オーストリアの詩人・リルケ(ウィキ
リルケの詩の一節を借りて、その日記に思いを託したレヴィは、Aによる、以下の挑発的な言葉に大きく振れてしまったのだ。Aはそのとき、戦火を生き抜く老人に、こう言い切ったのである。

「私も始めは、あのフィルムを夢くらいに思っていた。それが失われたものになり、今は眼差しとして、闇から出ようとして闘っている。生まれ出ようとしている。あなたに権利はない。闇の中に閉じ込めておく権利はない。戦争と、狂気と、死の、そんな時代だからこそ、それを現像しない権利はあなたにない」

Aのその言葉に反応したレヴィは、恐らくそこに関与するモチーフの違いを認知しつつも、「最初の眼差し、失われた眼差し、失われた無垢」の復元を求めるAの思いを自分なりに汲み取って、そこで人生最後の燃焼を果たそうとしたのである。

その結果、成就したフィルム現像だが、まだそれは乾燥中であった。だからそれを見ずに、レヴィは果てることになる。しかしその思いをAに繋ぐことはできるのだ。失われた文化の復権という大仕事を、それを為すに最も相応しいと思う男(A)によって果たすこと。

それがレヴィの、最後の選択的行為の意味の背景に存在したということだろう。

そしてもう一つ。

同様に、霧深き河畔での描写である。

小さな秩序の回復を祝って、人々が思い思いに束の間の解放感を表現していた。

その中で描かれた、Aとナオミのダンスの描写がある。この描写が持つ意味は決して小さくないだろう。Aは殆ど初対面に近いナオミとの柔和なダンスの中で、恋人の如く語ったのである。

「待っていてくれるか?・・・戻って来る。連れに戻る。汽車の音が聞こえる・・・汽車が来る。行かなきゃ」

明らかに、この言葉は、かつてギリシャを去るときに、青年Aがファーストシーン近くで見た幻想の恋人の前で語ったに違いない、切ない思いのリフレーンである。

それは、「愛の帰還」を求めるAの一つの「内面の旅」が、なお未完であることを示唆するものであると思われる。

難破したオデュッセウスを救った王女ナウシカア(ウィキ
オデュッセウスが、郷里で待つ愛妻ペネロペの元に辿り着けない辛さの心情が、またしても回想の中に入り込んだ、「内面の旅」を継続するAの内面描写によって映し出されていたのである。

このAの艱難な旅からの帰還は、未現像のフィルムの現像化に成就したことで、より自己完結点に近づいたことを意味するだろう。しかし、オデュッセウスの帰還が途方もなく苛烈であったように、Aの帰還もまた、その前に立ち塞がる時代状況の巨大なバリアによって、なお困難を極めることを暗示しているのだ。

それでもAは言葉を刻んでいく。

「今度私が戻るときは、他人の衣服を着て、他人の名を名乗り、唐突に戻るだろう・・・人間の旅の全てを、終わりなき物語を語り続けよう」

一体ここで、Aは誰に向かって語っているのか。

Aの帰還を待つのは、Aにとって、夫の帰還を待ち続けた「ペネロペ」的存在性と同義の何者かであるに違いない。しかし果たして、そのような帰還は可能であろうか。

「主なる神も結構、間違いをなさるのだよ」と兵士に言わさしめる、時代状況の巨大なバリアの恐怖の存在を否定しない作り手の中では、Aを待つ愛に満ちた柔和な世界の虚構性をも、そのリアルな視界に捕捉されているはずである。

人間の旅の、終わりなき物語を生きねばならないAの時間の先には、冥闇(めいあん)なるイメージしか待つことのないペシミズムが、どこかで張り付いているように見える。

果たして、「魂でさえも、自らを知るには、魂を覗き込む」(プラトン)という人間存在の根源に関わる深淵なる問いに、誰が今、痛々しいまでに誠実な態度の継続力を持って、少なくとも、そこに一切の記号性を払拭した固有なる存在性によって答えられるというのだろうか。

Aの苦悩は、いよいよここから深まっていく迷妄の森の入り口に立ち竦む者の慟哭によって、決定的に吐き出されていたような気がするのである。



8   終わりなき物語を語り続けようという言葉の重量感   



また、本作に対する、こんな把握も可能であろう。

テオ・アンゲロプロス監督②
最も尖った時代の最前線で、そこに身を置けば、恐らく、ごく普通の確率で出来するであろう、単に一つの惨劇に立ち会ったことによる、男の自我の裂傷の代償として、そこで手に入れた「最初の眼差し」の身震いするほどの価値が、「内面の浄化」を求めた男の旅の向こうに待つ、来るべき時間を力強く立ち上げることなしに、男の旅をいつまでも、「終りなき旅」の苛烈さの中に閉じ込めてしまうかの有無について、映像が何も語らないという括り方。

或いは、男の艱難なる旅の帰還に、何か一縷(いちる)の希望を仮託させるようなメッセージとも思える、ラストシーンでの男の独白への受容についても、観る者の感性に委ねる括り方がそこにあったということ。

それは結局、「人間の旅の全てを、終わりなき物語を語り続けよう」という言葉の重量感が、それを捕捉し得る者の感性だけが決定する何かでしかないことを、言わずもがなに語っているのだろう。

切にそう思った。

それが、分らないなりにも、この極めて厄介なる提起に対して、自分の中で出した一つの思いである。それ以外に、私は適切に反応し得る言葉を今、確信的に持ち得ないのである。

それにしても、エレニ・カラインドルー(ドロウ)の作り出す哀愁に満ちた旋律は、その後の作品である、「永遠と一日」のときのそれに似て、ここでもとりわけ、作り手の些か過剰なる情緒と優しく睦み合っていて、激しく胸を打つものがあった。

決して叙情に流さない映像の中で、そこだけは、一服の安寧を保証するかのような見事な均衡性に於いて、まさに、総合芸術としての映像表現の圧倒的な力感を見せ付けられた思いであった。

(2007年2月)

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