<愛情対象を喪失した幼女の悲哀の儀式>
序 フランスという国の厄介さ
1939年9月1日、ナチスドイツはドイツ陸軍の戦車と150万の機動部隊、更に精鋭な戦闘機によるポーランド侵攻を開始した。第二次世界大戦の勃発である。
このとき、ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスとフランスは、直ちにドイツに対して宣戦布告した。しかし英仏はドイツの狙いが東部戦線にあると考えていたから、ポーランドの降伏によって停戦協定が近いものと高を括っていた。
ドイツもまた、「ミュンヘン会談」(注)における英仏の宥和策を目の当りにしているから、英仏軍がポーランドを助けるために派兵してくることはないと読んでいたのである。
ドイツのこの戦略は、まもなく功を奏することになった。即ち、ポーラド侵攻に成功したドイツ軍は、英仏の腰砕けの反応による長い不気味な沈黙の後、西部戦線の侵攻を本格化したのである。1940年4月には、北欧の中立国(ノルウェー、デンマーク)を急襲し、これを占領下に置いた。更にその翌月には、ベネルクス3国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ)に侵攻し、占領した。
そして間髪入れず、ドイツ軍はフランスの東部に電光石火の侵攻を果たし、一気にフランス軍を追い詰め、6月にはヒトラー宿願のパリ占領を実現した。コンビエーニュの森での屈辱的な降伏文書が交わされて、全く組織的抵抗ができなかったフランスは、ぺタン元帥によるヴィシー政権という傀儡政権を作らされるに至ったのである。これはドイツを恐れ、或いは、どこかでヒトラーの野望を甘く見たフランスの戦略的脆弱さが、歴史の中で検証された瞬間だった。
(注)1938年に、ミュンヘン(ドイツ)で開かれた国際会議のこと.英,仏、伊独の首脳が集まってヨーロッパの現状について話し合ったが、その結果、チェコスロバキアのズデーテン地方のドイツへ割譲を認めるに至った。
歴史を重要な背景とする映画を見るとき、必ず背景となった歴史の把握が不可欠であると考えているので、以上簡潔に押さえておいた次第である。
敢えて単刀直入に付言すると、傀儡政権まで作ってナチスのユダヤ人虐殺に積極的に加担したフランスは、その故をもってしても、歴史的に難詰されるべき汚点を残した黙視し難い国である、と私は考えている。
しかし、戦後フランスの厚顔さは、戦勝国としての恩恵に与かって、自ら国連の常任理事国の一角を占め、しかも、あろうことか、核兵器を所有し、度重なる水爆実験でムルロワ環礁(仏領ポリネシア)一帯に多大な被害を与えたばかりか(未だに、被災民に補償せず)、アルジェリアやインドシナに対する植民地政策の大失態を曝し続けてもなお、この国はなぜか、自国を世界で最も優秀な国民国家と考えるかのような傲慢さが未だに消えない、極めつけに喰えない国である。
更に噴飯物なのは、この国は米英の命がけの参戦なしに継続できなかった対独戦争に於ける「英雄的闘い」を、レジスタンス神話によってその栄光の戦中史を仮構した狡猾さである。
レジスタンスと言っても、対独戦に於ける大佐時代の緒戦の戦功や、アフリカ戦線での「自由フランス」軍を率いたド・ゴールの活躍や、独ソ不可侵条約(1939年)を結んだスターリンに翻弄され、初発の行動で誤謬を犯したたフランス共産党のその後の激しい抵抗運動があるにせよ、苛酷な占領下でドイツ軍と戦って命を落としたのは、ド・ゴールが嫌った一部の無名な愛国者でもあった事実を忘れてはならないだろう。彼らは党の指令によってではなく、寧ろ、個人の意志と強い信念に基づいて各地のレジスタンスを指導したのである。
「ブラッディ(血まみれの)・オマハ」
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敢えて嫌味をいえば、この国が厄介なのは、自国文化を何か最高の文化であるかのように自負しているように見える倣岸無恥さである。とりわけフランス映画は、娯楽中心のハリウッドと一線を画す固有の価値を有する自負心によって塗り固められて、しばしば始末が悪く感じられるのは私の偏見だろうか。
―― 以上、本稿のテーマから逸脱して、余計なことを書き散らしてしまったようだ。
1 「絶対反戦」の無敵なる映像展開
閑話休題。
そんなフランス映画の中で、「反戦映画のバイブル」ともされる映画が登場した。「禁じられた遊び」がそれである。
本作のストーリーラインの言及に入る前に、この映画と付き合うに際して重要な視座を持たねばならないと考えている事柄がある。
それはこの映画が、幼児を主人公しにした「絶対反戦」のメッセージをもって語られることで、全く文句の付けようがない見地に立って力強く表現されていることだ。
しかも大戦前夜の対独関係に於いて、醜態を曝したフランスを母国とする一人の映画人が、本国内部の農村を舞台にして、ナチの爆撃機による大量殺戮の犠牲になった、一人の孤児の心象世界をテーマとする映画を、「絶対反戦」の「絶対的表現」によって固めようとしたのである。
「ベネチア映画祭金獅子賞受賞。これはベネチア映画祭の最高の賞である。純粋な叙情性と力強い表現力で無垢な子供を描き、戦争の悲劇を訴えた作品である」
これが「禁じられた遊び」の導入となって、その「絶対反戦」の無敵なる映像展開が開かれていく。
しかし、一種のプロパガンダ性の強い本作のような名画と対峙するには、限りなく客観的な歴史的認識と幼児心理学による解析、更には映像によるメッセージ性の認知条件などの問題意識を必要とするように思われる。
本作のように無敵な反戦映画と付き合うには、このような把握と覚悟が求められるのだ。
以上が、私の独断と偏見に基づいての蛇足的見解だが、このようなある種の特殊性を持った映画と対峙するとき、その作品の完成度が高い程、観る方もまた相当の武装を強いられるということである。
* * * *
2 ミシェルとポーレット
1940年6月、パリ陥落で南仏に移動するフランス難民たちに向って、ドイツの爆撃機が何十発もの爆弾を投下した。
恐怖で引き攣(つ)る難民たちの中にパニックが起り、彼らの命がけの移動は、なお続く爆撃機の機銃掃射の恐怖に繋がった。
そのとき、一人の幼女が抱えていた小犬が、爆音に反応して、幼女の庇護から離れて路傍の中枢に飛び出して行った。幼女は愛犬を必死に追い駆ける。
「ポーレット!」
娘を追う両親の叫び声が発せられた。
女が小犬を抱きとめたとき、そこに爆撃機の機銃掃射が直線的なラインを描いて、幼女の両親の身体に降り注いでいく。母の影に隠れて難を逃れた幼女は、動かない母の顔をまじまじと眺めて、状況の意味を呑み込めないでいた。
まもなく幼女は愛犬を抱いて、難民の家族の台車に救われる。
しかし「死んでるよ」と言われて、愛犬を川に捨てられた幼女は、単身その家族から離れて、流されていく愛犬の死骸を追った。
愛犬を川から何とか取り戻した幼女は、森の中を彷徨(さまよ)っていく。
そこに牛を追った少年が現われて、一人ぼっちの幼女に事情を尋ねた。
幼女は少年に、犬と両親の死を告げた。しかし幼女には、死の観念の形成が不充分である。だから悲しみよりも、動かない愛犬に対する寂しさの方が優先的であった。
「一緒に来いよ」と少年。
「犬は?」と幼女。
「別のをやるから捨てな」と少年。
幼女は愛犬を傍らに置いて、少年について行った。
二人は子供らしい自己紹介をして、名前を確認し合った。幼女の名は、ポーレット。少年の名はミシェル。
明らかに、小学生の中学年くらいのように見えるミシェルは、ポーレットを農家である自宅に連れて行った。
3 屋根裏を劈く嗚咽
ポーレットが農家に着いて最初に見たのは、隣家との諍(いさか)いの風景だった。
ミシェルは父にポーレットを紹介し、家に置いてくれるように頼んだ。
「お前の兄貴が大怪我だぞ」と父。
ミシェルの兄は、先刻、馬に蹴られて重症を負っていたのである。
「じゃあ、隣に頼むよ」
ミシェルは父の心を測るようにして、言い添えた。
「入りな。話を聞こう」
この父の言葉で、全てが決まった。
ミシェルの父の名はドレ。農業を営んでいるが、隣のグアール家とは犬猿の仲。そのグアール家の長男が出征し、その活躍が新聞に載っていた。
そんなグアール家への対抗意識もあって、ドレはポーレットを引き取ったのだ。ポーレットの身の上を知って、家族は強い同情心を抱くが、長男の大怪我でドレ家の内情も厳しいものがあった。
「可愛そうに」とドレ。
「まだ幼いのに・・・」とドレ夫人。
「今日も橋で17人死んで、棺桶が足りない」と次男。
「聞いたか?死んだら棺桶もないぞ」
ベッドで寝込んでいる長男に向って、父のドレは含みを込めて言い放った。
「埋葬は?」と長男。
「穴に埋めてる。犬と同じさ」と次男。
「不吉な話はよせ」とドレ。
ドレに抱かれたポーレットは静かに眠りに就いて、屋根裏部屋の粗末なベッドに運ばれた。
「真っ暗だから怖い」
覚醒したポーレットは、他人の家の知らない家族の中で、ミシェルに不安を訴える。ミシェルもまた、幼女にとっては、先刻知り合ったばかりの年上の男の子でしかないが、このときの幼女には、ミシェル以外に頼れる者が存在しないのである。
「呼べば来るよ」とミシェル。
「ミシェル!ミシェル!」
階段を下りていく少年に向って、ポーレットは叫ぶばかり。
叫びを止めない幼女を案じて、ドレはミシェルを屋根裏に赴かせた。話し相手になって、早く寝かせという含みである。
ミシェルは、ドイツ空軍の照明弾に怯えるポーレットの気持ちを和らげようと話しかける。
「終ったよ」
「こんな所は嫌い」
「じゃ、どこに行く気?」
「ママとパパがいる橋に行く」
「もういないよ」
「どこにいるの?」
「穴の中さ」
「穴の中?」
「そうだよ」
「犬みたいね」
「ああ、そうだ」
「雨が降っても、濡れないから、穴の中なの?」
「たぶん、そうさ」
「でも、私のワンちゃんは濡れちゃう」
「寝た?怖くないね?行くよ」
ポーレットの寝顔を確認して、静かに階下に降りて行った。
暫くして、屋根裏から泣き声が聞こえた。負傷のベッドに横たわる長兄の命令で、再びミシェルはポーレットの元にやって来た。
「なぜ泣くの?怖い?」
「いいえ」
「じゃ泣かないで」
「泣かない・・・」
こうして、ポーレットにとって、最も辛くて重い一日が過ぎていったのである。
4 「禁じられた遊び」が開かれて
翌日、ポーレットは死んだ愛犬の元に行って、近くに穴を掘っていた。
そこに村の神父が通りかかり、ポーレットの事情を聞き知った神父は、両親を喪ったポーレットに祈りの意味を教えた。
「“天国に導きたまえ”“父と子と聖霊との御名によりて”」
神父はポーレットに十字の切り方を教えて、そのやり方をミシェルに聞くといいと促したのである。
「あの子は、教会の教えを良く守っている」
そう言って、神父は去って行った。
入れ替わるようにミシェルがやって来た。
ミシェルは、廃屋になった水車小屋の中に犬の墓を掘るポーレットの作業を見て、自ら代わって穴を掘っていく。
ミシェルの掘った穴に、ポーレットは愛犬を葬り、そこに土を被せていった。幼女の口から、今教わったばかりの祈りの言葉が出てきて、胸の十字をぎこちなく切る姿が印象的に映し出されたのである。
そこに、ミシェルがモグラの死骸を持って来た。
どこまでも子供の遊びの中で、二人は動物の名を言い合っていく。
秘密性を持った約束の世界が、自然に形成されていくようだった。その世界のとば口を開いたのは、年長のミシェルだった。
「全部の生き物に十字架を立てよう」
ミシェルはそう言って、土を掘り返していく。
「十字架?」とポーレット。
パリで育った5歳の幼女は、墓に十字架を立てる意味を、未だ両親から教わっていなかったのである。
「親に教わらなかったのか?」
ミシェルは「見てろ」と言って、ポーレットの前で小枝を縛った十字架を作ってみせた。
「神様?」とポーレット。
「ああ、そうさ」とミシェル。
それを見た幼女は、壊れた自分の首飾りを十字架に掛けてみせた。
「きれいだ」とミシェル。
「壁の十字架よりきれい」とポーレット。
「そう思う?作ってやるよ。釘を使った立派な十字架を」とミシェル。
二人だけの、「禁じられた遊び」が始まったのである。
二人は水車小屋を離れても、この遊びを継続させていく。
ポーレットの寝室がある屋根裏部屋で、木の十字を作るミシェルの大工仕事が続けられた。その物音に気づいた父は、屋根裏に上って、いきなりミシェルの頬を打った。
「お祈りを教えていただけだ!」とミシェル。
「祈りだと?病人がいるのに十字架作りか」
父はポーレットの腕を掴んで、強引に階下に連れて行った。ミシェルに対しては、飯抜きのペナルティを与えたのである。
その直後、長兄の具合が突然悪くなって、家族は心配な面持ちで看護する。ベッドに横たわる長兄が血を吐いたのである。
父は屋根裏に閉じ込めたミシェルを呼んで、祈りを捧げさせた。ドレ家では、ミシェルだけが信仰に熱心なのである。兄に対するミシェルの祈りが始まった。
「“天にまします我らの父よ。日々の糧を与えたまえ”“祝福されたイエス様。罪人のために祈りたまえ”“御名が尊ばれ、恩寵に満たされる”“我が父よ。聖母よ。糧を与えたまえ”」
ミシェルの祈りも虚しく、長兄はその日のうちに逝ってしまった。
「死んでしまったのね・・・」とドレ夫人。
「死んだ・・・」と次男。
「死んじゃったの?」とポーレット。
この幼女だけは、まだ死の観念が理解できないでいる。だから傍らのミシェルに向って、笑みを浮かべながら、「穴を掘る?」と聞いてみせるのだ。
「止せよ。兄貴だぞ」とミシェル。
この子だけは、自分たちの十字架作りの「遊び」の意味が理解できている。僅か5歳の年齢の違いが、死の観念の受容度を決定的に分けてしまうのである。
まもなく、隣家のグアール家の息子、フランシスが軍を脱走して帰宅して来た。
それは如何にも、当時の無秩序なフランス軍の士気の低さを象徴するエピソードである。フランシスは恐らく、レジスタンスのグループにも主体的に参加せず、ドイツに対して殆ど無抵抗なフランス国民の感情を感じ取って逃亡したに違いない。
そのフランシスは、ドレ家の娘ベルトと恋仲だった。しかし両家は依然として犬猿の仲。二人はこの時代の、「ロミオとジュリエット」だった。
5 「禁じられた遊び」が砕かれて
ミシェルは、遂に罪を犯してしまった。
ポーレットのために、葬式の馬車の十字架を盗んでしまったのだ。
ドレはその罪をグアール家に擦り付けて、両家の対立はいよいよ深まっていく。
一方、罪の意識を感じ取ったかのようなミシェルは教会に行って、その罪を神父の前で告白した。
「なぜだ?」と神父。
「贈り物です」とミシェル。
「誰に?」
「秘密です」
「十字架を返して、懺悔の祈りを5回唱えろ」
ミシェルは神父の前で、更に教会内で祈りを唱え続けた。
しかしミシェルの罪悪感は底の浅いものだった。少年はその教会の十字架を盗もうとしたのである。
神父に怒られて、少年は殊勝な態度を示すが、その思いに変化はなかった。ミシェルとポーレットの「禁じられた遊び」は、いよいよ本格化したのである。
二人は墓場から十字架を盗んできて、次々に死んだ小動物の墓を作っていく。
やがてこの行為は、グアール家を疑うドレ家の怒りに火をつけた。
両家の主は、遂に殴り合いの喧嘩をするに至ったのである。その喧嘩の場所は、あろうことか墓穴の中。両家の対立が極まった瞬間だった。
ところが、そこに神父が現われて、事件の真相を明らかにしたのである。父の逆鱗を恐れたミシェルは、一目散に逃げ去った。
ミシェルの姉ベルトは、ポーレットに問いただす。
「ミシェルの仕業ね?十字架を盗むのはいいことだと思う?」
「いいえ」とポーレット。顔は涙で濡れている。
「泣かないで、場所を教えて。十字架は玩具(おもちゃ)じゃないのよ」
「知ってる」
「聞いて。黙ってると、私の父にお尻をぶたれるわよ。私だけに打ち明けて。私が取ってくれば、誰にも叱られないわ。分るわね?」
「分る」
「じゃ、どこなの?」
「知らない」
「どうして手押し車を取りに来たの!父に言うわよ」とベルト。
その口調には、荒らがった感情が乗せられていた。
ベルトはミシェルに気づいて、怒りの矛先を変えていく。ミシェルは姉の密会現場を見ているから、それを口実に秘密を相殺しようとした。十歳ともなれば、それ位の知恵は充分に働くのである。
結局、ミシェルはその晩、父の追及を恐れて納屋で寝ることにした。
翌朝、ポーレットは納屋に寝ているミシェルを起こしに行った。
二人は、墓のある秘密の場所に行くことを決めていたのである。そこにミシェルの父がやって来て、息子を散々に折檻した。「ミシェル!ミシェル!」と叫ぶばかりのポーレット。ここでも少女は、叫ぶことしかできないのだ。
6 幼女を突き動かした叫び
まもなく、そのポーレットを引き取りに、二人の憲兵がドレ家を訪ねて来たのである。
ドレ夫人は嫌がるポーレットを抱いて、外に連れ出した。憲兵の目的は、ポーレットを施設に入れるためだった。
抗うミシェル。二人で集めた十字架を全て渡すから、「ポーレットを連れて行かないで」と、少年は必死に懇願する。更にミシェルは両親に、水車小屋に十字架を隠してあることを白状した。
そのミシェルが、両親を水車小屋に案内しようとしたとき、納屋に二人の憲兵がやって来た。
「名前は?」と憲兵。
「嫌」とポーレット。
「パパとママは、空襲で死んだのかい?」
「違う」
「違う?」と憲兵。
「空襲のはずだ」とドレ。
「思い出してごらん」とドレ夫人。
「そのうち思い出す・・・記憶喪失かな」と憲兵。
憲兵に苗字を聞かれたポーレットは、「ドレ。ミシェルと同じ」と答えた。
「意地らしいね」とドレ夫人。
「連れてってくれ」とドレ。
この一言で、ポーレットの施設行きが決まった。
怒ったミシェルは、一人で水車小屋まで走って行く。小屋に着いた少年は、そこにある十字架を次々に川に投げ捨てた。
そのとき、ポーレットを運ぶ車の音がミシェルの耳に入ってきた。ミシェルはポーレットの首飾りを手に取って、それを小屋にいるミミズクに向かって、「100年持ってろ」と語りかけて、杭に架けたのである。その瞳は、涙で溢れていた。
首に名札を付けられたポーレットが、最寄の駅にいた。傍らには、赤十字の修道女が付添っている。
「聞いてちょうだい、ポーレット。いい所へ行くの。あなたのような女の子が大勢いるのよ。皆一緒で楽しいわ。ここを動かないでね」
修道女はそう言って、その場を離れた。
そのとき、ポーレットの耳に「ミシェル」と呼ぶ人の声が聞こえてきた。
ポーレットはその言葉に反応し、「ミシェル・・・ミシェル・・・」と何度も呟いたのである。
その声は次第に涙声になって、幼女を突き動かした。幼女は今度ははっきりと、「ミッシェル!」と叫んで、人の群れの中を分けて、足早に走り去っていく。
その言葉は、突然、「ママ、ママ」という声に代わり、やがて再び、「ミッシェル!ミッシェル!」という叫びに戻っていった。
* * * *
7 欲や見栄を張り合う大人たちの、抑制の効かないエゴイズム
反戦という、些か赤面するようなメッセージを冒頭で堂々と謳い上げた上で、「これが本物の反戦映画である」という作品を世界に向けて配給してしまう、その度胸の良さと言うか、厚顔さと言うか、何とも形容し難い「反戦映画」が生まれたものだが、果たして、そんな時代が幸福だったのか、それとも、そのような作品が待望された時代こそが不幸であったのか、判断の分れるところである。
しかし正直なところを言えば、やはり、後者の指摘こそが正鵠(せいこく)を射ていると言えようか。
「反戦映画」を必要としない時代が、最も幸福な時代であることには変わりがないからだ。
しかし、そんな時代が未だかつて存在したことがあっただろうか。
いつの時代でも戦争や内乱があり、それに付随して人間を冒瀆するような陰湿で、卑劣な振舞いや蛮行が繋がってきたのが、少なくとも、私たち人類のこれまでの歴史の真実である。
従って、そんな認め難い真実に向き合って、それを映像化した本作の価値は決して貶められるものではないであろう。
それにしても、「純粋な叙情性と力強い表現力で無垢な子供を描き、戦争の悲劇を訴えた作品である」という配給元(?)、或いは、製作者(?)のあまりにダイレクトなメッセージは何とかならなかったのか。それを許可したに違いない監督自身の涼しい顔を想起するとき、フランス文化に若干の偏見を持つ私にとって、その臆面のなさは座視し難い何かだったのである。
ともあれ、私がこの映画を「絶対反戦」の作品であると考えるのは、本作で描かれた内実が、「戦争」についてのリアルな描写であるというよりも、寧ろ、しばしば、ドイツの空軍機が襲来して来るに過ぎない長閑(のどか)な農村の日常性であり、その「非日常の日常」の枠内で、「禁じられた遊び」に興じる子供たちの生態だったからである。
そして、その長閑な農村の中で、隣り合う農家が諍(いさか)いを起こし、そこに「ロミオとジュリエット」が存在してしまうという古典的な悲喜劇が媒介されるとき、まさにその二つの隣り合う農家の諍いの瑣末さにこそ、「戦争」に向う人間の愚かさや、底知れぬ醜さが収斂されると把握したであろう、作り手のメッセージを嗅ぎとることができるのである。
戦争の原因は、つまらぬことで欲や見栄を張り合う大人たちの、抑制の効かないエゴイズムのうちに存在する、と作り手は考えたのだろう。
従ってそこには、「侵略戦争」や「民族防衛戦争」の是非論を超えた、言わば、「絶対反戦」のメッセージが仮託されていると把握すべきなのである。
私は「絶対反戦」を振りかざす幼児的ヒューマニズムや、「ダメダメ主義」(為政者の政策は、何もかもダメとする思考様式)に象徴される、思考停止状態の表現の一切を認知する者ではないが、本作の映像表現のレベルの高さだけは否定し難いところである。
8 愛情対象を喪失した幼女の「悲哀の儀式」
―― 次に、その映像表現のレベルの高さを検証してみたい。
そのテーマは「愛情対象を喪失した幼女の『悲哀の儀式』」である。
つまりこの映画は、ある日突然両親を喪った5歳の幼女(少女=乙女ではない)が、その現実の意味を、未成熟な自我によるギリギリの了解ラインのうちに受容し、そこに逢着するまでの物語であるということだ。恐らく、この映画の映像表現的価値はそれ以外にないであろう。
その点が、ポーレットを少女として描いたフランソワ・ボワイエの原作には欠如していた文脈だったのである。
因みに、ここに本作を心理学によって解析した著名な文章がある。
題して、「子どもの対象喪失」(森省二著)。
その中に、「対象喪失と悲哀の儀式」(第5章)という記述があり、そこに「禁じられた遊び」についての言及があるので、些か長いが、それを引用してみる。
「幼いポーレットは戦争という悲惨な状況の中で母親やかわいがっていたペットの小犬を失う。幸い彼女は砲火をまぬがれて農家で育てられ、ミシェルと巡り会い友情を深めるが、母親や小犬が目の前で狙撃されたという事実は受け入れがたく、未処理のまま心の中に残っていたのである。
それは病死とはまったく違う、急激で残酷な愛情対象の喪失である。大人でさえ受け入れがたい。ましてや、まだ数歳のポーレットは精神的にも身体的にも親への依存が強く、それを失う悲しみは想像を絶するであろう。
戦争で親を失ったときの子供の悲哀反応については(略)、その心の修復には代理が登場すれば済むものでは決してない。心を整理するには、それなりの時間と手立てが必要である。
したがって、ポーレットが母親を失うという事態は、ミシェルや農家の人々がやさしくても置き換わり得ない何かがある。
(略)人が死んだときには葬式が必要である。葬式は残された人々が死者に別れを告げ、その人に寄せていた思いを整理する儀式である。ところで、映画はのどかな田園風景を映し出すが、戦火の中、葬式はあるかなしかで、簡単に済まされてしまった。
それでも大人たちは状況が許さないと諦め得るだろう。
しかし、そういった現実を十分把握できない子供では、強い愛着心を整理することができずに未解決のまま、いつまでも泣き続けなければならなかったのである。
そこで、幼い少女ポーレットは自分でかわいがっていた小犬の墓を作ることで、しかも繰り返し作ることで、自分なりに最愛の対象を喪失したという事実を受け入れようとしていたのである。もちろん、小犬は母親の象徴的代理物である。ポーレットは小犬の墓を作り弔うことで、実は母親への思いを整理しようとしていたのである。
何が禁じられた遊びかは説明に及ばないであろう。
お墓の墓標(十字架)を引き抜くなどということは、世の中の常識として悪、タブーなのである。確かにそれは常識を逸脱した行為であったが、ポーレットにとっては決して悪でも遊びでもない。まさに『悲哀の仕事』だったのである。
孤児ポーレットがこれからの、恐らく苛酷な現実を生きていく上で、弔いの行為は不可欠であったのである。もしそれが(禁じられて)なされないと、ラストシーンに見るように親の幻影にとりつかれ、いつまでも悲哀の世界から脱し得ないのである。
(略)孤児院に連れられていくとき、ポーレットはまた、ミシェルという愛情対象を失わなければならない。『悲哀の仕事』を十分なし終えていない彼女は、孤児院でもまた、人知れず墓作りをしなければならないだろう」(「子どもの対象喪失」森省二著、創元社刊より/筆者段落構成)
この説得力のある心理分析によって、幼女であるポーレットの内面世界の揺動が理解できると思われる。
ポーレットにとって小犬の埋葬は、最愛の愛情対象だった母親の象徴的代理物であり、幼女は愛犬を弔うことによって母親への思いを整理していた、と著者は指摘するのである。
ここで重要なのは、ポーレットが母親の死をどこまで認知していたかという問題である。
それについて書いていく。
確かに映像の中で、ポーレットはミシェルとその家族に「両親の死」を話していた。しかしその理解は、どこまでも言葉の次元での枠を越えたものではなかった。ポーレットは5歳の幼女なのだ。5歳の幼女に、「観念としての死」の本当の意味に辿り着くことは困難である。
心理学の知見によると、「死の不可逆性」(死んだら生き返らないということ)の理解に達するのは、児童期に入ってからであるとされている。「死の不可逆性」についての理解が可能になるから、親しき者の死に接する際に、深く哀しむという感情表現を具現化するのである。
従って幼児期には、「死の普遍性」(全てのものが死ぬということ)や、「死の不動性」(死んだら動かないということ)の理解が不足して、その感情表現も限定的であるということだ。
つまり、自分には死が訪れないと感じたりするケースがあることで分るように、これは他者の死を特別な現象と考えてしまう、認知能力の未成熟さを示すもの以外の何ものでもないのである。
以上の死の認知がリアリティを持つのは、せいぜい小学校中学年以降であると言われている。即ち、10歳のミシェルに可能である認知能力が、5歳のポーレットには不可能であるということなのだ。
私たちは本作を、このような児童心理学の最低限の把握によって観ていかない限り、とんでもない見当外れの評価や感懐を、そこに寄せてしまうだろう。ゆめゆめ、大人の視線と感情のフィールドで子供の心理を安直に勝手読みして、何もかも分った気にならないことである。自戒すべきところである。(心理学総合案内「こころの散歩道」/子どもの死生観と教育より参照)
本作の冒頭で、ポーレットが母親の死体の傍らにあって、身動きしない母の身体の不自然さを感じ取っても、それが「死」の認識に至ることがない故に、激しく嘆き哀しむ感情表現を露呈しなかったのはあまりに当然のことである。幼女には、自分の胸に抱く愛犬の動きの消失という事態の方が、より気がかりな問題だったのだ。
動かない両親から離れて、単独行動を余儀なくされた幼女の思いの最優先テーマは、川に捨てられた愛犬を取り戻すことだった。
愛犬を取り戻した幼女が、やがてミシェルの手を借りて埋葬行為に入り込んだのは、喪いたくないものを喪ってしまったという説明しにくい感情を、無意識的に整理するためであったとも思われる。
その行為を繋げていかないと、この幼女にとっていつまでも、「少し前まで生きていた生命」との別れの儀式が終らず、その幻想を追いかける行為から解放されないのである。
例えば、刑事事件の被害者となった者がいて、そこに幼児が一人取り残されてしまったら、この幼児は不幸にも何某かの別れの儀式を経験できない限り、既に死者となった愛情対象の幻想を追いかけて、「会いに行きたい」という思いを持ち続けて生きていかねばならないことになる。
取り残された幼児にとって、最も大切な愛情対象を喪失することによって生まれた空洞感を、いつまでも埋められず、やがてそれが深刻な心的外傷となって、幼い自我に刻まれていくに違いない。その幼児は、例えば、「お母さんは星になったんだよ」と身内の者に夢を繋ぐような物語を与えられてしまえば、幼児は毎晩、夜空の星を眺め続ける行為を止められなくなるかも知れないのだ。
それが強迫的行為となって日常性の中枢を支配してしまったら、幼児にとって、現実を受容し得る自我の発展的階梯を形成できなくなってしまうであろう。
返す返すも、幼児にとっての別れの儀式は、「悲哀の仕事」(モーニング・ワーク)という把握によって説明される何かであると言えるのだろうか。これは、精神分析学を疑似科学と考える識者が存在することを了解しつつも、なお重要な指摘であると考えざるを得ないところである。
ポーレットがミシェルと一緒に墓作りを止められなかったのは、幼い彼女の自我の中で、「悲哀の仕事」の継続が、殆どそれ以外にない表現的行為として無自覚的に強く必要とされたからに他ならない。それなしには、5歳の幼女の拠って立つ安寧の基盤が崩されてしまうのだ。このときの、この状況下での幼女の為し得る「遊び」は、それ以外になかったのである。
その遊びは、本来の普通の子供が関わる「遊び」の本質より、遥かに深刻な意味合いを持った、一種の儀式であった。
つまり、ミシェルはともかく、ポーレットにとってその「遊び」は、「非日常の日常」下に置かれたあまりに未成熟な自我が唯一、そこに向って反応し得る極めて限定的な時間だったのである。そのように考えない限り、本作の幼児心理の振れ方を把握するのは困難であるだろう。
そんな危うい時間に身を預けるしか術がない5歳の幼女が、その「非日常の日常」下で繋いだ「遊び」を、大人の常識の力学によって剥がされたとき、それ以外に向えない幼女の時間は、一方的に閉ざされていく。
幼女が孤児院に預けられることになったのは、時代と状況の制約下に於いては必然的だったと言えるのだろう。
それは、このような歴史的環境の条件に決して背馳(はいち)するものではないし、非人道的な対応であるとも言い切れないのだ。その現実こそが、数多の戦災孤児が、有無を言わさず引き受けざるを得ない宿命なのである。
しかし単に、「戦災孤児の悲劇」を、その戦災状況のリアリズムによって正直に映し出すだけだったら、安直な反戦メッセージを上滑りさせるだけで終始してしまったに違いない。
しかし本作は違っていた。そこに勝負を賭けた決定的な描写を、ラストシーンに待機させていたのである。
「遊び」を取り上げられた幼女が孤児院に収容されることは、ミシェルとの別れを意味していた。ミシェルの存在こそがポーレットにとって、決定的な愛情対象の喪失を経験したその時間の空洞を、束の間埋めてくれた対象媒体だった。
その対象媒体の喪失を実感的に受け止めたとき、幼女の中で封印されていた「絶対対象」の記憶が噴き上がってきたのである。
僅か5年間にしか及ばないパリでの裕福な生活環境下にあって、その身を全面的に預け入れ、そこで形成されつつあった幼い自我の安寧の基盤の幻影が、幼女の自我の回路を抜けて、決定的に映像化されてしまったのである。
この描写こそ、作り手の勝負をかけた映像だった。
それは、原作の浮薄なヒューマニズムを越えた瞬間だったからである。
ポーレットは蘇生させてしまった幻影を追って、孤児院生活を強いられるのである。心理学の知見に符合するラストシーンの流れ方は、恐らく本作を、珠玉の「絶対反戦」の一作としての評価を不動のものにした決定的な文脈だった。
思うに、「9歳の少女」であるポーレットを主人公にした原作と分かれるところは、主人公の存在性を、「死」の観念の本来的な意味の理解に、なお届き得ないであろう「5歳の幼女」という設定に、恐らく確信的に差し替えた映像の洞察力にあった。
それは、ファーストシーンとラストシーンが悲劇的に繋がっていく描写の、その圧倒的インパクトを合理的に導く仕掛けとして、一歩抜きん出た見識であったと言わざるを得ない。
因みに、本作のシナリオのダイアローグ部門に原作者が参画している事実を確認する限り、それはまさに納得付くの映像表現であったとも言えようか。
(2006年7月)
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