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2008年12月12日金曜日

真実の瞬間(とき/'91)    アーウィン・ウィンクラー


<自己像を稀薄化できなかった男が炸裂して>



1  自己像をを崩す者との戦いの中で



「真実の瞬間」は、私にとって無視できない映画だった。

この映画に対峙するときの私の心象は、自分の置かれた不快な状況とどこかで形而上学的に重なる部分があり、大袈裟に言えば、表現された映像の一つ一つの描写に立ち竦んだり、うずくまったりしながらも凝視する思いを捨てないで、それを捨てさせないギリギリの私の心棒が、辛うじて持ち堪えられたと思わせる映画 ―― それが「真実の瞬間」だったと言えようか。

この作品は私にとって、単なる映画以上の何ものかであった。

それは、苛酷な状況に置かれた者に対する相当の想像力を必要とする映画であるが、私の場合、寧ろ、そこに過剰に入り込み過ぎてしまって、逆に感情を抑制する自我のバランスを欠いた嫌いがある。

「共感的理解」の発動が、些かオーバーフロー気味だったのである。

然るに、この作品に対する世間の評価が低すぎるのは何故なのか。

ハリウッドの評価が低いのは分る。

なぜならこの作品は、ハリウッドが最も知られて欲しくない時代の真実を描き出しているからである。

それも間接的な描写ではなく、ハリウッドそのものが犯してきた、極めてインモラルな実態を真っ向勝負で挑んだ作品だったからだ。

この作品を人間ドラマとして観ても秀逸であるのに、本作に好印象を抱かない映画ファンが多い最大の理由は、当作に描かれた時代背景と、そこでのアメリカ的状況についての無知、加えて、その状況の中で展開された「共産主義者」への弾圧などという、極めて時代の風景にマッチしない設定に対する顕著な無関心というところだろうか。

それについては、その政治的な背景に入念に言及しなかった本作にも責任の一端はあるが、しかし作り手の製作意図が政治的なものでも、或いは、アンチ・ハリウッド的なものでもないと仮定することで、本作を素直に人間ドラマの秀作として受容することは難しくないのである。

また、この映画の監督の「転び方」を揶揄(やゆ)する意見を眼にしたことがあるが、私にとって、本来、プロデューサーであるこの監督の他の製作作品など問題外であり、「真実の瞬間」というこの作品こそが、最大の関心事に他ならないのだ。

アーウィン・ウィンクラー監督
なぜ還暦近くなって、アーウィン・ウィンクラーが監督デビュー作にこの作品を選び、且つ、その脚本まで書くに至ったのかという心情を憶測すると、今まで誰もきちんと描いてこなかった、ハリウッド最大のタブーに内包される、「映画人の良心」の問題を社会的に提起したかったのではないかと考えられなくもない。

ホロコーストやベトナム戦争についての映画なら掃いて捨てるほどあるが、「マッカーシズム」が荒れ狂った時代に翻弄された良心的映画人の生きざま、屈折のさまという、最も肝心なテーマを映像化してこなかった責任はあまりに重いのだ。

然るに、私はこの映画を、そんな大上段に振り被ったテーマとして把握していない。

それよりも私は本作を、自ら定め、物語化した自己像を人はいかに守り、それを崩す者との戦いの中で、如何に鍛え上げていくかという映画であると見ている。

後述するが、それは、「状況の中で改めて確認した自己像を捨てないか、その自己像を巧みに稀薄化して自己欺瞞に逃げてしまうか」についての映画であるように思えるからである。




2  もう一つの強力な原理主義に対するアレルギー



本篇に言及する前に、この映画の時代背景について略述した文章があるので、それを引用してみよう。


「米ソの冷戦が激化していた40年から50年代に、共和党のジョセフ・マッカーシーらが中心となって行った非米活動委員会(HUAC)による極端な反共主義とこれに関連する一連の思想、言論、政治活動を弾圧する運動で、アメリカではマッカーシーの名前を取って『マッカーシズム』と呼ばれている。日本でも連合国司令部の指示によって50年の6月から行われた。

ロバート・テイラー
1947年HUACの委員長であった下院議員のJ・パーネル・トーマスによって調査委員会がワシントンで組織され、当時下院議員だった元合衆国大統領のリチャード・ニクソンも委員会のメンバーとしてその名を馳せた。

委員会にとって、ハリウッドのスターや有名人を召喚する事は、彼等の行動を一般大衆にアピールするための格好の宣伝となるために、俳優のロバート・テイラーやゲーリー・クーパーといった共産主義者及びそのシンパの疑いのある映画人たちが次々と召喚された。


赤狩りが映画産業を崩壊しかねないと感じた俳優のハンフリー・ボガードや監督のジョン・ヒューストンたちは、アメリカ合衆国憲法第一修正条項の規定にある思想と政治的信条の自由をHUACが侵害しているとして『第一修正条項委員会』を発足。ワシントンに乗り込んで抗議を行うが、委員会の力が強くなるに連れて反対運動は次第に衰えていった。

また、委員会の圧力を恐れたハリウッドの映画スタジオは、共産党員及びシンパの疑いがある人物や、委員会への証言を拒否した人物のブラック・リストを作成して、このリストに名前が載った映画人たちをアメリカの映画界から追放する。

1953年までには『緑色の髪の少年』(48)の監督ジョセフ・ロージーや、『ジョルスン物語』(46)の俳優ラリー・パークスを含めて324人もの映画人がハリウッドのブラック・リストに記録された。

エリア・カザン監督(ウィキ)
このハリウッドの暗黒時代の中で、『ハリウッド・テン』のように権利章典を楯に証言を拒否して委員会に敢然と立ち向かう者もいたが、監督のエリア・カザンや、俳優のリー・J・コッブのように仕事を続けてゆくために仲間を裏切る者も続出した。

喜劇王チャールズ・チャップリンも共産党員のレッテルを貼られた一人で、72年に『ライムライト』(52)が公開されるまでアメリカに再入国する事を禁じられていた。

アメリカではその狂信的で過激な行動が反発を買って、1954年12月上院の問責決議がなされて下火となるが、ハリウッドでの赤狩りの影響は50年代の終りまで続いていた」(「素晴らしき哉、クラシック映画!」HP:「クラシック映画辞典」より/筆者段落構成)


以上の文脈で注目すべき点は、1940年代後半から50年代にかけて、アメリカ社会に荒れ狂った「マッカーシズム」という名の邪悪な波が、朝鮮戦争を境に、明らかにハリケーンのような猛威を奮った経緯である。

朝鮮戦争以前の「ハリウッド・テン」の受難は、「第一修正条項委員会」に代表されるアンチ・レッドパージの支援の活動の輪が広汎にわたっていて、そこにはコミュニストではなく、それ以前に、「良心的映画人」であった彼らを救済しようとする精神的余裕が未だ健在であったという事実は見逃せない。

そこに、充分過ぎるほどの同情と共感が形成される時代背景が存在していたのである。

朝鮮戦争・破壊されたソウル市内の建物(ウィキ

しかし朝鮮戦争の勃発によって、アメリカ社会は一変した。

ほんの五年前、ナチスドイツと共に戦ったソ連の強大化によって、共産主義に対する脅威が急速に高まったのである。その前年には、中華人民共和国の誕生があり、既に東ヨーロッパでもソ連の絶大な影響力が堅固なものになっていて、更に自由主義国の国内でも労働運動のうねりが無視できなくなっていた。

朝鮮戦争は、朝鮮統一を悲願とする北朝鮮軍による南部侵略であったことは周知の事実。アメリカ軍の強力なバックアップによって、中国義勇軍に支えられた北鮮軍を38度線まで押し戻したところで休戦協定を結んだが、このとき、アメリカが感じたコミュニズムの圧倒的な脅威は、今では想像もつかないものであっただろう。

因みに、アメリカは自由の象徴のような国とされるが、その本質は、「アメリカは最も強く、偉大な国である」という物語によって、サラダボウルの如く、並立共存的に棲み分ける人々を束ね上げてきた帝国的な国家である。

誤解を恐れずに言えば、この国は、9割以上の人が宗教を信じ、3割もの人が聖書の言葉を一語一句疑うことをしないとさえ言われる文化伝統下で、近年のメガチャーチの隆盛や、インテリジェント・デザイン(「神」とも思しき知的存在が生物の進化を惹起したという仮説)にまつわる賑わい等の例を持ち出すまでもなく、キリスト教保守派のイデオロギーがなお根強い、一種の宗教的な原理主義の側面を持つ国家であるとも言えるのである。

無論、そのメンタリティが政治的な影響力を持つに至ったのは、ベトナム戦争後の社会規範の顕著な乱れの中で沸騰した、若者たちを中心とした逸脱文化へのリバウンドと無縁でなかったが、しかしその国民性は、この国が建国以来内包していた一つの文化伝統であった事実を否定することはできないだろう。

そんな強大な大国を「原理主義の宗教国家」と断じることに些か抵抗があるものの、その仮定の上で敢えて言えば、通常、原理主義、または原理主義的なる国家は、それとは違う別の原理主義の国家を恐れ、過剰なほど脅威に感じるものである。

現在はイスラム原理主義を恐れるかのように見えるアメリカだが、当時は共産主義という名の、新種であるが故に脅威を感じさせた、もう一つの強力な原理主義に対するアレルギーで国内は澎湃(ほうはい)していたのである。


冷戦の象徴としてのベルリンの壁(ウィキ
極めて乱暴な把握だが、しかし、このような認識なくして、朝鮮戦争直前に惹起した「マッカーシズム」の、想像以上の影響力を理解する事はできないであろう。



3  ハリウッド・テン



時は1950年2月のこと。

アメリカ合衆国上院で、ジョセフ・レイモンド・マッカーシー上院議員(共和党極右、ウィスコンシン州選出)が、「205人の共産主義者」が国務省職員として勤務していると告発したのである。

引用文で説明されているように、この「マッカーシズム」が、ハリウッドを急襲したのだ。

彼の狙いは、影響力の強いハリウッドを世論形成に利用することにあったが、ハリウッドの空気がこれで一変した。

ローゼンバーグ夫妻(ウィキ)
同年6月にローゼンバーグ事件(ソ連のスパイとしてローゼンバーグ夫妻が逮捕され、後に死刑執行される)が起き、その直後に朝鮮戦争が勃発して、「マッカーシズム」の赤狩りが加速していくのである。

1951年3月、第二回聴聞会が開かれ、ハリウッドの映画人に対する内部告発の圧力が本格化し、47年の第一回聴聞会に見られたアンチ・レッドパージの空気が一気に解体されるに至った。

人の信念の変化とは、大抵、何かある種の大義名分の傘の下に入ることで正当化されていく。

多くは自己欺瞞だが、別の強い物語にシフトすることで、少なくとも、良心の呵責からは回避されるのである。

特定的に狙い打ちにされたハリウッドでは、共産主義者でもない友人の名を吐くことで裏切りの連鎖が日常化していった。

既にそのとき、獄中で朝鮮戦争を迎えた「ハリウッド・テン」の一人は転向して、「友好的証人」になっていくのだ。

ハリウッドにはもう、リベラリストに過ぎない仲間を救う空気が雲散霧消していたのである。



4  友好的証人



ここから、クライマックスであるラストシーンの描写を中心に、映像の世界を簡潔に追っていこう。


「真実の瞬間」という重苦しい映画のファーストシーンは、元共産党員だった一人の映画人が、圧力に屈していくさまを映し出している。


カリフォルニア 1951年9月 非米活動委員会 最高喚問会 

「協力するのだ。共産党員を野放しにしたいのか?党員がバッジでも胸につけてりゃ、苦労して探す事はないんだが・・・君もこんな所に呼ばれずに済んだわけだ」
「勘弁して下さい。泥の中を這い回るような見苦しいマネだけは・・・皆、私の友だちです。友だちを売る?」

男は、ギリギリの所で信念を貫こうとしている。

そんな男の前に、反共で凝り固まった男たちが壁のように立ち塞がっている。

男たちは正義という使命感に燃えているから、脆弱なヒューマニズムでしか武装できない映画人の自我を壊すのは容易いことなのだ。

「アカなんだぞ。アカの味方をするのか? 映画やテレビで亡国思想を流している連中だぞ」
「困っている人を助けようと、入党したのです。当時は大恐慌の煽りで、数多くの困窮者が・・・“人助け”と・・・」
「君は党員だったことを告白した。過去の過ちを清めるためにも、調査に協力するのだ。そこに写ってる連中の名を言ってもらおう」
「私は密告者では・・・」
「忠誠心を持つアメリカ人は、我々に協力してくれたぞ。それで、君の名も浮かび上がったのだ」
「今でも党員なのか?」と隣の委員。
「とっくに離れました!」
「まだ党員らしい。然るべき筋に報告するぞ! 大きな声で言うのだ! 恥じることはない」

ここで、場面は一転する。

本作の主人公・デビッド・メリル(Guilty by Suspicion=疑惑による罪)
この映画の主人公であるデビッド・メリルがフランスから帰国して、彼のために用意された盛大な帰国祝いのパーティの輪の中に入っていく。

彼は売れっ子の映画監督で、ハリウッドのスタジオの社長に呼ばれているのだ。

そのパーティには、映画のファーストシーンで厳しい喚問を受けていたシナリオ・ライターのラリーの姿もあったが、彼は既に仲間の名前を売っていて、それを知った妻のドロシーに面罵されていた。

パーティに集う人々は友好的に装っているが、このきな臭いパーティの空気の中に映像の暗鬱な展開が暗示されていた。

翌日、スタジオを訪れたデビッドは、映画製作の依頼と共に、一人の弁護士に会いに行くように勧められる。

まもなくその弁護士から、デビッドもまた喚問の対象になっていて、非米活動委員会の「友好的証人」になることを条件に、映画製作に一日でも早く入って欲しいという旨を告げられる。

デビッドは仲間を売ることを拒んだが、それは、彼の長く苦難な戦いの始まりとなった。

帰宅したデビッドの前に、ラリーによって息子を奪われたドロシーが泣き崩れていた。

仲間を売ったラリーは自己の不埒な行為を正当化するために、より権力に擦り寄っていくしか術がなかったのである。

反共こそアメリカの正義であるという物語に同化していくことで、自らの裏切りをポジティブに捉える感情のシフトが必要だったのだ。

恐らく、多くの映画人はこのような自己欺瞞の戦略のうちに、巧みに自我防衛を果たしたに違いない。

しかし、デビッドにはそれができない。

ワシントンD..にあるFBIのフーバービル
だから、彼には仕事が来ないのだ。

三流映画のメガホンを撮る仕事を引き受けても、ブラックリスト入りしたデビッドの素性が知れて、彼は自らその仕事を捨てていく。

更に、彼にはFB連邦捜査局本庁の尾行が常時つくようになり、そのため映画と関係のない仕事を得ても、それをすぐに手放すことになる。

そんな彼には、離婚した妻ルースや、息子の愛情だけが心の支えだった。


まもなく、ドロシーの自殺の凄惨な現場に立ち会ったデビッドとルースは、改めて自分たちの置かれた状況の苛酷さを思い知った。


テレビではローゼンバーグ夫妻の死刑の判決が放送されていて、そこに映し出された夫妻の子供たちの表情を見たデビッドの息子は、尊敬する父のもとに寄り添って心配気に訊ねた。

「パパは死刑?」
「パパが死刑?」
「アカは死刑だって」
「誰が言った?」
「友だちだよ。テレビも、スパイのローゼンバーグは電気イスで死刑になるんだよ」
「あの二人が何をしたかは知らないが、パパたちは人助けをしたんだ・・・悪いことはしていない。本当だよ。悪いことなら、友だちのお前に打ち明けているよ」

ジョセフ・レイモンド・マッカーシー(ウィキ)
「マッカーシズム」という名の、政治色の濃厚なアメリカ原理主義の嵐は、外敵と戦う前に内部に敵を作り出し、それを標的とすることによって更に勢いを増していった。

標的とされた者たちは、内側で武装する何ものもなく、否が応でも家族の者を巻き込んでいく。

デビッドは、心配する息子を安堵させる形だけの言葉を持つが、家族の生活を保障する基盤が崩されて、いよいよ、家族に与えるパンの問題を真剣に考えざるを得なくなっていくのだ。

追い込まれていたのはデビッドだけはない。

デビッドの最初の尋問で、シナリオライターであるバニーとの関係を聞かれて、「友人だ」と答えたことから、そのバニーもまた非米活動委員会の喚問を受けることになった。

精神的に追い込まれたバニーはデビッド家を訪れ、無二の親友に向かって哀願したのである。

「君の助けが欲しい。君の了解を得て、君の名を挙げさせてくれ。」
「密告するために了解を得る?」

バニーのあまりに直接的な切り出しに、デビッドは絶句する。

バニーは自らを守るために、友人であるデビッドの名前を喚問の場で告発することを、その当の本人に向かって哀願したのである。

「名前を挙げないと、奴らは承知してくれないんだよ」
「彼の名はもう・・・」

傍らにいたルースは、既に非米活動委員会の喚問の対象になっているので、バニーがデビッドの名を使うことの無意味さを指摘しようとした。

しかしバニーには、自分を守ることしか考えられないのだ。

自分の名を出したデビッドに対する恨みもある。

「だが裏切り合いをさせることが、奴らの狙いなんだよ・・・君が俺と友だちだと言ったからだ。君の後で俺が呼ばれた。助けてくれ」
「今さら同じだ。使えよ」

デビッドにはバニーの気持ちが理解できる。

自分もまた追い詰められていることを、ひしひしと実感しているからだ。

「許してくれ。君の名をこんなことに・・・今更、同じだろ?君はどうせもう葬り去られた人間だ・・・」

親友の最後の言葉は、バニーの自己防衛的なエゴイズムを露出させていた。 

「出てってくれ」

デビッドは抑え難い感情の中から、一言放った。

それは、友情の終焉を告げる最後通告であるように見えた。

デビッドが映像の中でバニーと次に会うのは、非米活動委員会の喚問の場だった。

赤狩りの急先鋒に立った民主党員・ロイ・コーン
そこで彼らは、彼らのその後の人生の究極の選択を迫られるのである。



5  狂乱な政治劇の最前線で



デビッドは追い込まれていた。

自分が共産党員でも、そのシンパでもないのに仕事を奪われ、生活を破壊され、そして無二の親友との友情が切り裂かれていく。

彼の自我はそのとき、殆ど極限の様相を示していた。

そんな心の一端を、ルースの前に曝け出す。

「俺はフィルム・メーカーだ。俺がアカの手先などになれるか?・・・家庭もほっぽり投げて頑張った。なのに、このザマだ・・・いっそ奴らの言いなりに・・・情熱を賭けてきた仕事のためだ。それを捨てて、一生悔やむのか?俺は、どうすれば・・・どうすれば?」

ルースもまた教師の職に戻って、生活の遣り繰りに日夜腐心している。元夫であるデビッドの苦悶が理解できるからこそ、デビッドの訴えに反応できないのだ。


1952年2月、ワシントン。非米活動委員会の公開喚問の日。

「今日さえ終われば、君は大きく返り咲く」
「片付けよう」

弁護士との短い会話。

弁護士は、デビッドが「友好的証人」になることを期待し、確信している。

中央が、デビッドとルース
ルースを含めて三人は、ジャーナリストが群がる人いきれの中を、前方のテーブルに向かって進んでいく。


デビッドはテーブルに着いて、儀礼的な宣誓を済ました。

尋問が始まっていく。

単刀直入に共産党員であることを問われ、「ノー」と答えた後、デビッドは間髪入れず本題に踏み込まれていくのである。

「1939年、共産党の集会に参加したことは?」

少し考えた後、デビッドは明瞭に答えていく。

「12年前、共和党や民主党の集会と同様に全く合法的な集会で、新しい思想を話し合うと聞いて数回出席しました」

尋問官は集会が開かれた場所に拘って、執拗に追及していく。

「場所は誰の家か」

デビッドは民家で開かれたことを認めたが、その民家の主の名を答えることに躊躇したのである。

デビッドは正念場に立っていた。

ここで、友人の名前を挙げるかどうかによって、彼の一切が問われるのである。

尋問はそこに集中して、厳しさを増してきた。

「名前を挙げに来たんだろう?」

隣に座る弁護士が苛立って、デビッドに迫った。

「クソ喰らえ!」

尋問官の嘲笑に反応して、デビッドは感情を露わにした。

次の瞬間、デビッドの強い意志を読み取った弁護士は、解雇されたことを告げるや、遅疑逡巡することなく退廷したのである。

尋問官の攻撃性は、更に厳しさを増してきた。

「もう一度尋ねる。それらの集会は誰の家で?」
「自分のことに関する以外、答えは拒否します」

デビッドはきっぱり即答した。彼は信念を貫くことを決意したのだ。

FBI初代長官・ジョン・エドガー・フーバー(ウキ)
その後、尋問官は46年4月に開かれた原子科学者大会の写真を証拠として提示して、原爆の無条件反対運動を推進する集会に、ハリウッド平和協議会の代表としてデビッドが出席していたことの確認を求めた。

それを認めたデビッドに、尋問官はFBIのフーバー長官の言葉を引用して、畳み掛けていく。

「“ハリウッド平和協議会の連中は、うるさく原爆禁止を叫んでいるが、実はソ連のために時間を稼ぎ、彼らの原爆完成を待っているのだ”アカの破壊工作員だったのでは?」

対決はクライマックスに入っている。

彼らの尋問の本質が、ローゼンバーグ事件に象徴される冷戦の時代の只中の、共産主義というもう一つの原理主義との対決への、アメリカ的正義感の強要であることが露呈されているのだ。

「私は集会の自由を保証された米国市民でした」

そのとき、デビッドが集会で出会った相手の名を尋問され、彼は「他人のことは答えを拒否する」、と重ねて突っぱねた。

この反応が尋問官の感情を逆撫でにし、いよいよ対決色がエスカレートする。


尋問官は最後の切り札を出してきた。

ドルトン・トランボ夫妻・非米活動委員会の聴聞会
「議会侮辱罪」―― これこそ、1950年にドルトン・トランボを含む「ハリウッド・テン」の面々が刑務所(1年以内の実刑)に送られた罪名である。

これを恐れて、多くの映画人は図らずも自らの良心を売り渡したのだ。

この切り札に屈しない態度を見せるデビッドに、尋問官は彼のフランス帰りの歓迎パーティを「アカの集会」に捏造して、更に攻勢を強めてきた。

彼らは何がなんでも、他者の名を挙げさせようとするのである。

それが彼らの、議員としての最低限の職務であるからだ。

彼らは次に、デビッドの元妻であるルースが原水爆禁止の集会に参加したときの写真を持ち出して、攻撃の対象を広げていく。

「原爆反対が罪なのか!」

デビッドは声を荒げた。

「君は非国民なのだよ」
「憲法の教えを説くことが?」

教師であるルースの教育姿勢を、デビッドは守ろうとする。

デビッドとルースは、今や元夫婦ではなく、良心で繋がれた同志であると言っていい。

「ルースが党員であったかどうかを答えろ!」
「“ノー”だ!絶対に、あくまでも“ノー”だ。」

続いて尋問官は、自殺したドロシーが党員であったかどうかを追及する。

「それでも人間か」
「知っているだろうが、ドロシー・ノーランはアル中で、母親としての資格にも欠ける女だ」
「あんたたちのせいで、彼女は仕事と子供を奪われた!」
「共産主義が彼女の頭を狂わせた」
「あんたたちが殺したんだよ!・・・死人に対して恥を知れ!」

デビッドは今やもう、戦うリベラリストであった。

「アカは一人たりとも許してはおけん!」

尋問官は、殆ど狂気の中にあった。


「模範的市民とは言わないが、俺は自分の信念のために立ち上がり、それを貫く人間だ!それが真のアメリカ人でなきゃ、この国は滅びる!」

狭隘なる政治的空間を、怒号が暴れ回っていた。

「恥を知れ!」

これが、映像でのデビッドの最後の言葉だった。

それは、人間の尊厳を冒瀆するような欺瞞的な政治劇を作り出した者たちと、彼らを生んだ過剰なまでの狂気の時代への絶縁宣言でもあった。

デビッドの激越な叫びには、作り手にこのような映画を作ることをタブー視してきた者たちへの、作り手の最も簡潔な感情が結ばれているに違いない。

デビッドの次に、彼の親友であったバニーの査問が開かれた。

デビッドが作り出した沸騰した空気の中に、バニーの意志が呑み込まれていた。デビッドとルースは廷内の出口で立止まって、バニーの後姿を凝視する。

バニー
「処罰を覚悟で、その質問には答えを拒否します・・・」

バニーはそう宣誓した。

バニーにそう言わせた空気が、そこに残っていたのだ。

バニーもまた、戦う映画人の一人として、その後の苦難な人生を歩むことになるだろう。

彼にその覚悟がどれだけあるか、映像は一切語らない。


まもなく、バニーの意思表示を心に留めたデビッドは、ルースを伴って、その狂乱な政治劇の最前線の場を静かに去って行った。

映像は、彼らのその後20年に及ぶ苦難の人生を伝えて、この苛酷な物語に余情を乗せて閉じていった。


*       *       *       *



6  自己像を稀薄化できなかった男が炸裂して



「真実の瞬間」は、胸を抉(えぐ)るような感動を私に残した。

デビッドは実在の人物ではない。しかし、彼のような人生を選択した数少ない映画人の集約された表現として、思いの丈を込めたフィルムに生々しく記録されたとき、そこに明瞭な意志を持った歴史の証人が鮮やかに映し出されたのである。

ハリウッド・ブールバード(ウキ)
この映画をハリウッド好みの英雄物語などと括ってしまうのは、あまりに傲慢すぎる。

彼のどこがスーパーマンなのか。

公開喚問の直前まで精神的に追い詰められた男のリアリィティこそが、この映画の真骨頂ではないか。

彼が喚問の場で、他者の名前を挙げず追い込まれたとき、尋問官が示した嘲笑的態度や、苦悶の末に自殺した女性に対する言われなき中傷や、罵倒を重ねた彼らの非人間的な態度に接して、彼は初めて全人格的な表現者になったのである。

このとき、必ずしも彼は信念によってのみ意志を固めあげたのではない。

人間の尊厳を平気で冒瀆する者たちの、衆を頼みとする抑圧的な態度に、信念で生きる男の感情が炸裂し、それが強固な意志となって、もはや揺らぐことがない男の表現がそこに屹立したのである。

この映画をどう観るか。

それは、ハリウッド史の最大のタブーとされる、「赤狩りへの協力」という汚点を白日の下に曝し、それを告発するための映画だったのか。

では、告発する者の拠って立つ正義とは何か。

或いは、告発される者の犯罪性や不道徳とは一体何か。

ラリー・パークス・「ジョルスン物語」より
果たして、ドルトン・トランボが正義のシンボルであり、エリア・カザンやラリー・パークス(注)が不正義のシンボルであると言い切れるか。

恐らく、カザンやパークスの行為は無前提に許容できるものではないだろう。

それ故、赤狩りに関わった映画人の全てが被害者であるという見方に、私は賛成できない。

人間が人間を告発するとき、その不道徳性ではなく、告発される者の犯した行為それ自身によって判断され、評価されねばならないと思う。

だからその作業は、今後、ハリウッドそれ自身が自らの責務によって遂行せねばならないだろう。

少なくとも、「真実の瞬間」のような映画が製作されたとき、それについての真摯な議論が闊達(かったつ)に行われることを受容する誠実さが求められる。

多くの映画人が未だ、エリア・カザンが受けたアカデミー生涯功労賞に異議申し立てする態度を崩さないのは、ハリウッドそれ自身が自らの大いなる膿を剔抉(てっけつ)していないからである。

ハリウッドは未だ、「真実の瞬間」に向き合っていないのだ。


(注)「ジョルスン物語」(1946年/アルフレッド・E・グリーン監督)に主演したハリウッド俳優。非米活動調査委員会による「赤狩り」によって役者生命を事実上絶たれ、本作の主人公のように全く仕事にありつけない日々を送ったが、一度は「私は他人の名を挙げたくない」と拒みながらも、後に「友好的証言」を余儀なくされることによって批判の対象にもなった。                           


「真実の瞬間」という映画を、私は優れた人間ドラマとして把握したい。

それは一人の人間の中で、自我が描いた自己像に対して如何に誠実に関わっていくかについて、その自我を苛酷な環境に置くことによって検証した、徹底して内面的な人間ドラマである、と私なりに些か強引に解釈してみた。

従ってそれは、男の人生の選択のリアルなさまを、その自己像の振れ方のうちに描き出そうとした作品なのである。

そんな見方もあり得るのだ。

では、男が自らの内部で迫られた選択とは何だったのか。

以上の文脈から言えば、それは単に、「信念を貫くか、生活を確保するか」とか、「友情を守るか、その友情を裏切るか」などというよりも、「状況の中で改めて確認した自己像を捨てないか、その自己像を巧みに稀薄化して自己欺瞞に逃げてしまうか」というレべルの問題であったと言っていい。

このとき、男が描いた自己像とは何だったか。

私なりに考えれば、それはこんなイメージだろうか。

儀礼的な宣誓をするデビッド
即ち、自分はコミュニストではなく、人並みの良心的アメリカンであり、それ故に社会の矛盾にそれなりの関心を持ち、自分が可能な限りそこに関わって、できればサポートする。

実際、デビッドは左翼の集会に好奇心をもって参加し、そこで議論を吹っかけて追い出されたという程度の反体制のレべルなのである。

また、原爆の無条件反対運動を推進する集会に、ハリウッド平和協議会の代表として出席していたが、それも明らかに左翼のスタンスで関わったものではない。

言ってみれば、彼の社会意識の枠組みは、ごく人並みのヒューマニズムの範疇で捉えられるものに過ぎないのだ。

こんな素朴な社会的スタンスを持つ男に、マッカーシズムの嵐が切っ先鋭く襲いかかってきた。

男は寧ろ、このような事態に遭遇して初めて、自分の意識構造とか仲間意識、家族への思い、更に性格傾向などを含む自分なりの自己像を把握し、それを確かめていったのではないだろうか。

自分とは何かについて問うたとき、彼は少なくとも、自分は友情を裏切るような人間でも、元妻子の生活の保障を放棄する無責任な者でもないことを自己確認したはずだ。

しかしこの二つの自己像が、本来の映画製作の仕事を維持する上で矛盾が生じたとき、彼は信念を貫き続けることの難しさを実感し、それが喚問直前での煩悶に繋がったと考えられるのである。

まさにデビッドという、模範的市民ではないが、しかし、人並みの良心的アメリカンの人並みの自我は、公開喚問に当って究極の選択を迫られたのだ。

抜きん出た圧倒的なスーパーマンではない男が、その公開喚問の場で、「俺は信念を貫く男だ!」と叫ぶほどのスーパーマンもどきに自らを立ち上げることができたのは、傲慢で、権力を傘に着た尋問委員の非人間的な振舞いに、彼の良心とヒューマニズムの社会意識が鋭く反応したからである。

特に、苦悩の果てに自殺したドロシーへの理不尽な侮辱と中傷に対して、男の中で大切にしているであろう倫理観が、一つの攻撃的な身体表現となって炸裂したのだ。

その倫理観こそ、彼の自己像の中枢を占める何かだったのである。

彼は自己像を巧みに稀薄化して、自己欺瞞に逃げてしまうというもう一つの選択を、このとき確信的に捨てたのである。

この映画は、苛酷な状況が図らずも炙り出した自己像を遂に守り切った、一人の男の魂の物語なのだった。



7  難しい時代が強いる生き方



リリアン・ヘルマン・「ジュリア」のヒロイン
最後に、映画とは直接関係ないが、この稿を括るにあたって、「赤狩り」と戦った勇敢なるヒロインとされるリリアン・ヘルマンについて簡単に言及したい。

彼女の回想録として有名な、『眠れない時代』(小池美佐子訳 ちくま文庫)の中の有名な一文をここに紹介する。

「しかし、ひとつだけわたしにも理解できる原則があります。それは、私との過去のつき合いにおいて、不誠実とか破壊的であるような言動のまったくなかった人たちに災いをもたらすようなことは、いまもこの先もしたくないということです。破壊活動や不誠実は、いかなるものであれ、わたしは好みません。もしそういうものを見つけたら、当局に届け出るのがわたしの義務だ、と考えております。しかし、自分を救うために、何年も昔の知己である無実の人たちを傷つけるなどということは、非人間的で品位に欠け不名誉なことに思われます。わたしは、良心を今年の流行に合わせて裁断するようなことはできませんし、したくありません」

「良心を今年の流行に合わせて裁断するようなことはできません」という、つとに知られる言葉に象徴される本文を読む限り、彼女の不屈な精神の気高さに、多くの人は心を打たれるに違いない。

しかし、彼女についての思わしくない風評も多くあり、回想録での偽善性や誇張性を指摘する声もある。

遂に議会侮辱罪に問われることなく喚問を終えたヘルマンが、「友好的証人」でなかったことは間違いないが、しかし様々な証言によると、その日の彼女の動揺ぶりは激しく、その喚問の内容も弁護士のサポートなしに済まない混乱振りを示していて、体の震えが止まらなくなるほどの脆弱さを晒したらしい。

「彼女の回想録は、堂々と立派に振舞ったような印象を与えるものになっていて・・・・・自分と読者の双方に対して著しく誠実さに欠けているといわざるをえない」(『ハリウッドとマッカーシズム』陸井三郎著 現代教養文庫 より)

ヘルマンの偽善性を責めることで、彼女の当時の「良心を賭した戦い」を否定するつもりは毛頭ないが、やはり回想録の内容の不誠実さは、彼女を尊敬する多くの読者を裏切ることになるだろう。

しかし私が指摘したいのは、その点ではない。

要するに、リリアン・ヘルマンのような「信念の作家」と言われる者の心でさえ、大きく揺さぶられ、傷つき、しばしば、その自我を破壊するような尖った時代の巨大なうねりの中では、個々の良心の散発的な抵抗など殆ど無力であり、せいぜい「自分なりには精一杯戦った」とか、「自分には、あれ以外取り得る方法はなかった」などという自我の退路を確保することで、身を守るしか術がなかったに違いないのだ。

そういう時代の中にリリアン・ヘルマンが生き、エリア・カザンが生き、そして「真実の瞬間」の主人公が生きていた。

当時に比べて、多少は民主化が進んだ現代日本の、豊かで自由な時代の空気を呼吸する私たちは、相当の想像力と問題意識なしにその時代を語り、そこで図らずも「友好的証人」に成り下がった者たちを、声高に指弾することは傲慢ですらあるだろう。

難しい時代には、その難しい時代が強いる生き方というのがある。

その制約から私たちは、簡単にその身を解き放つことはできないのである。

もし、私がその時代に生きていたらどうしたか。

どのように生きたか。どのように闘ったか、或いは、闘わなかったか。

私は常にそれを考えながら、この映画を観た。

私がデビッドのような生き方を選択する強靭さを持ち得るだろうか。

正直、自信はないが、どうしても、彼のような時代の走り方に魅かれてしまうのもまた事実である。

恐らく、相当に困難な時代状況下にあると思われる、今日の日本にあって、そのような想像力の再生産へのエネルギーを枯渇させないこと。それだけを肝に銘じて、これからも真っ向勝負の映画を鑑賞し続けたいと思っている。           

(2006年1月)

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