<勝ち過ぎた観念によって削られた映像構築力>
1 「作り手の趣味の世界を開示したもの」という把握の内に
「不立文字」という仏教概念がある。
禅宗の根本原則で、悟りを言葉で伝えることの困難さを表していることから、禅師から弟子へ、相互の心を通して直接伝えるという方法論として、「以心伝心」という禅宗独特の概念が重視されているのは周知の事実。
しかし、この「以心伝心」という実践的方法論が厄介なのだ。
「心を以って心を伝える」という言葉は簡単なようだが、「宇宙の真理」を伝えるには、教える能力を持つ禅師と、その教えの本質を理解する弟子の能力が求められるのである。
悟りの境地を指し示す「公案」によって、弟子の思考様態による一切の先入観や、論理的な武装形態を壊さなければならないからだ。
壊す者の鋭角的な切れ味と、壊される者の恐怖支配力が対峙したとき、それを超克していく事態の困難さは、恐らく、人並みの能力による武装様態や突破力などで処理し得るレベルの何かではないと思えるからである。
そもそも達磨大師がインドから東方へ行った理由は、坐禅の実践による悟りを広めるためであった。
曹洞宗で言う「只管打坐」(しかんたざ)とは、「ひたすら座禅すること」を意味する。
この「只管打坐」による内観によって、様々な邪念を含む意識を捨て、一種の無我の境地に達することを目指す修行が容易でないのは想像できよう。
それは仏道成就の艱難(かんなん)さを示すもので、「宇宙の真理」を求め者の思考様態を破壊する「公案」の提示は、殆ど名状し難い超観念系のテーマであるという外はない。
永平寺での只管打坐の実践・ブログ
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ともあれ、リアリズムの人生態度と合理的思考を重んじる理屈っぽい私が、この映画を三度観た。
三度観ても、シンプルな宇宙観によって集約される宗教的な独白や説教の意味は理解できたとしても、そこで構築されたものがアピールするメッセージの類に振れていく何ものをも感受し得なかった。
多分、何度観ても変わらないだろう。
そう独断せざるを得ない脆弱さを、作品の内に見てしまったからである。
それでも私は、狭隘なイデオロギーを付着させた作品は例外としても、本作のように堂々と精神世界の不思議をテーマにした映像を忌避する思いは全くない。
形而上学的なテーマの映像も嫌いではないからだ。
そんな私にとって、特別な例外を除いて、「全ての生き方は趣味の問題である」と考えているので、この作品もまた、作り手の趣味の世界を開示したものだと把握する次第である。
「物質文明」の弊害や閉塞感を指摘する向きには、本作の鑑賞を通じて、「伝統文化」や「ナチュラリズム」、更には、疑似科学的な超常現象の世界を包括する様々な問題提起を受容する思いが決して少なくないだろう。
「Zen(禅)」の世界は、そのような向きにとって、或いは格好の宗教文化の一つなのかも知れない。
但し、欧米人に今なお影響を与えているとされる「Zen(禅)」は、そこで語られる内実の「非科学性」によって、カルト扱いされている現実もある。
何しろ、ベルギーの議会調査委員会によって、「Zen(禅)」はオウム真理教、創価学会、崇教真光、エホバの証人などと共にカルト団体の指定を受けているほど、その「教義」が理解されにくい宗教なのである。
そんな「Zen(禅)」の世界を、堂々と映像で立ち上げた本作の出現は、リアリズムの人生態度と合理的思考を重んじる理屈っぽさと距離を置く人々には、特段の価値であるのかも知れない。
精神世界の不思議をテーマにした映像を決して忌避しない私が把握する限りにおいて、本作のテーマや本質について、以下、主要なプロットをフォローしつつ言及していきたい。
2 「大自由の道」への艱難さ
一人の青年がいる。
彼は自分の人生の方向が定まらず、懊悩していた。魂の自由への渇望もあった。
彼の名はギボン。
その魂の自由への飛翔を束縛すると感受させるのは、盲目の母と妹への扶養意識の精神的負担感だった。
ギボンは間もなく、盲目の母と妹を、都市のスラムのような破屋(はおく)に残して出家した。
「家族は私に背負わされた運命的な荷物でした。この宿命を断ち、我が道を行くのは、まさに不孝者の背徳行為です。しかし私は魂の自由に乾いていました。それにはまず、己を捨てなければ。両方を同時にはできませんでした。人生苦は積もり重なった狭い部屋を飛び出して、草原に立ちたかったのです。出家を心に決めたとき、人倫と家族への情は世欲と共に、一刀で断ち切るべき軛(くびき)でした。私は必ず真の悟りを開いて、大自由の道を手に入れて見せます」
ヘゴク禅師(左)とギボン(右) |
「昼夜を問わぬ修行の最中、睡魔に勝つため、氷壁を背に坐禅を組んでおられて、脇腹の凍傷が崩れ、傷が化膿し、治療のため、やむを得ず下山された」
これが、山麓の僧侶の話による、ヘゴク禅師の近況。
そんな禅師の世話を焼く弟子として、僧侶は「真の悟り」を求めるギボンが相応しいと考えたのである。
ヘゴク禅師が住む山寺は、天安山渓谷を登った辺りにある、まるで大自然の中枢に溶け込んだ辺境の地だった。
「始めも終わりもない。生まれも死にもしないこの存在」
その辺境の地で出会ったヘゴク禅師のもとで、「以心伝心」の教えを受ける青年僧が、大自然に抱かれて修行していく。
「心の中の月を見つけ出し、四方を照らし出せば、その光は影のない光明となろう。それ一つ究めると、万法すべてに通じ、それ一つ打てば、福音遍く響き渡り、それさえ知れば、身分の上下もない昼夜が一つになった宇宙を得る。それはこの上もなく完全で、全てが可能である。また障害物が何もないのだから、永久に自由自在である」
ヘゴク禅師が語る「永久に自由自在」の精神を得るために、ギボンは天安山渓谷の只中で修業を継続するが、その山寺には、禅師が町に出た際に、その養育を引き受けた一人の児童がいた。
ヘジン |
映像は、このヘジンのエピソードを交えて、山寺の生活を追いかけていく。
ヘジンはある日、番(つが)いの鳥の一羽に石を投げて殺してしまった。
この一件以降、ヘジンは渓谷に来た沢山の悪童たちに虐められたり、崖から滑り落ちたりして、不運続きの日々の果てに、とうとう道に迷い、生命の危機に陥った。
そんなヘジンを救ったのは、一頭の牛。
その牛に導かれていくことで、ヘジンは無事、山寺に帰還することになったのである。
後述するが、この牛は「悟り」の象徴としてイメージされた、禅宗の逸話の動物である。
一方、ギボンは渓谷を後に、町に出て行った。
托鉢した金で、禅師の傷を癒すための薬を買うためだ。
薬を買ったギボンは廃屋と化したかのような実家に戻り、自分を特定できない母の顔を見て、大きく心が動揺した。
このとき、母が毎日飲む薬の瓶を求めて弄(まさぐ)っているとき、ギボンはその薬を母の手の届くところに置き直したのである。
後ろ髪引かれる思いで、家を出ようとしたその音で、母は娘であるギボンの妹の名を呼び続けた。
この経験が、「大自由の道を手に入れて見せます」と言い放った青年の心を掻き乱し、山寺への帰郷の道は、贖罪に苛まれる魂の深い呻吟の時間に満たされてしまったのである。
「汚れた俗世の埃と垢を落として、彼岸の完全さを渇望するあまり、山に籠りましたが、本当は生の汚濁、埃、芥、わけても生の苦しみを愛さずして為し得ぬと気づかれたのです。完全の方の万有は不可欠だからです。
現実と運命への反抗は容易でも、それを愛するのは困難なことです。世の中を愛することができたら、それはどんなに美しいことか・・・世界は決して不完全なものではなく、我々の言語、思考、知識、意識が不完全なためとも思えます。『見性成仏』(注1)はただの夢かもしれません。成仏信仰のため、世を捨てられても、振り向けば、犠牲にした者全てが餓鬼の如く襲いかかり、罪悪感で奈落の底に落ちそうです。
蓮華座上仏陀 |
魂の深い呻吟の時間は、彼の自我を分裂させた分りにくい映像によって、暗鬱な画面の中に表現されていた。
そこに、「娑婆世界に帰る」という感情に振れる思いと、「山寺での修行」を継続させる思いが分裂し、その分裂我を、映像は二人のギボンの深刻な対話の内に身体化したが、この構図の「芸術性」の自己顕示だけが際立ってしまって、観る者に混乱を与える効果しか残さなかったと思われる。
(注1)「けんしょうじょうぶつ」と読む。「見性」、即ち、「自己の本性」を見究めることによって悟りを得ることで、禅宗の概念。
(注2)「さいどしゅじょう」と読む。迷っている者を救うこと。
3 天安山頂に吹く、風のような自由と、風雨の中でも揺るぎない平静を得て
「娑婆世界に帰る」という感情に振れる思いで山寺に戻った、青年僧ギボンの心を忽ちのうちに見透かして、禅師の警策の棒が打ち据えてきた。
それは、ギボンの迷える心を修行僧に戻す決定的な一撃となった。
「なぜ、山にいらっしゃるのですか?」
それでもギボンは、ヘゴク禅師に問いかけた。
弟子の問いかけに対する禅師の反応は辛辣だったが、そこで語られる文脈には、「禅問答」の形而上的な含みを持っていた。
「君みたいな愚か者が、私を求めて山に来る。だから山にいなければ、火の中に入っても、握った公案を放すなと言ったはず。男が一度心に決めたからには、最後までやり遂げろ。公案を割り、真の悟りを開けば、天安山頂に吹く、風のような自由と、風雨の中でも揺るぎない平静を得て、君の今日立つ生死の場が、即ち極楽浄土だ・・・己の主人公はどこへ行くのか」
「禅 ZEN」より(イメージ画像) |
その直後、青年僧の激流での荒修行を、映像は映し出していくが、残念ながら、その表現力には普通のリアリティのレベルに届いていなかったように思われる。
映像展開は観る者の想像のラインに沿うかのように、厳しい修行で生命の危機に陥るギボンを映し出していく。
弟子の危機を救ったのは、ヘゴク禅師だった。
この禅師の行為が、禅師の持病の傷の状態を悪化させ、代りに、その禅師の看病をするギボンがそこにいた。
「私の軽率な故に、このような苦しみを・・・」
「黙らぬか。お前のせいではない。この体と、この世の縁が尽きたまでだ。儚いこの肉体は、時が来れば自ずと消え去るのみ。それより、貴様の公案の底は見えたか?」
禅師には、悟りから程遠い弟子の公案の迷妄だけが気がかりだった。
「私の行く手は、まだ闇の中です・・・門も開けず、行ってしまうのですか?道が塞がれたとき、誰に訪ねるのですか?」
弟子の究極的な問いに、禅師は自らが土に還っていくことへの覚悟と、儀式を不要とした後の手続きについて、きっぱりと指示したのである。
新緑と渓谷(森羅万象のイメージ)・ブログ「四季の花の写真集」より
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ギボン、よく聞け。この機会に言うが、間違えるな。
私がいつか世を去るとき、私の残滓は君に預けるつもりだ。これを元の場所に還す仕事を、ギボンに頼みたい。下の寺に知らせて、迷惑をかけるな。君の両手ですべき仕事だ。あらゆる儀式は全て省略し、私が着ている衣のままを葬れ・・・
山火事を出さぬよう気をつけろ。全て一夜の内に片づけてくれ。何があろうと、これだけは守るのだ。これは私が君に与える鍵であり、まさに逃れようのない仕事だ」
この遺言の後、まもなくして、ヘゴク禅師は土に還っていった。
土に還った禅師の遺言の通り、ギボンはその遺骸を山で燃やし、焼却した後の遺灰を渓谷の自然の中に撒き散らした。
以下、山寺に残された弟子のモノローグ。
「禅師さまは去り、私は残りました。深々とした森の中で冬は育まれ、裸木の枝先に夏が忍び寄ります。始めも終わりもない無量の循環で、生はまさしく死であり、死は即ち生であるとはいえ、生命は未だに残っている者の側です。絶えざる永遠の流れの中で、生も死もないと言いますが、死は残された者には解き得ぬ課題…」
熟考の末、ギボンは薄明の天安山頂に登って、大自然の眺望を180度見渡して、鋭く眼を凝らしている。
「公安を割り、真の悟りを開けば、天安山頂に吹く、風のような自由と、風雨の中でも揺るぎない平静を得て、君の今日立つ生死の場が、即ち極楽浄土だ」
このヘゴク禅師の遺言の一節を想起して、朝焼けの光線の眩さに、自然に溶け込んだ肢体が赤く染まっていく緩やかな時間の変化の中で、「風のような自由と、風雨の中でも揺るぎない平静」を得た者のように、天安山頂に堂々と立ち尽くす青年僧 ―― そんなイメージに相応しいギボンがそこにいた。
映像のラストシーンは、ヘジンに別れを告げて、一頭の牛を従えて、山寺を下りて行くギボンの後ろ姿だった。
山寺に残されたヘジンは、ギボンから託された禅師の形見を焼却した後、例の番いの一匹の鳥が、大空に飛翔していくラインをいつまでも見つめていた。
4 「十牛図」のイメージラインをなぞった物語
本作の物語の基幹は、禅宗で有名な、禅修行の階梯の要点を表した「十牛図」によって説明できるという宗教家の指摘がある。
以下、「十牛図」についての要約。
「十牛図とは人間が本来持っている仏性、真実の自己を牛に喩え、路頭に迷う童子がやがて『聖なる笑い』へ至る為の修行の道程を 十枚の絵に表したものです」(「石井妥師・大莫迦蓮寺」HPより)
以上、簡単に説明したように、この映画のストーリーラインも、「十牛図」をなぞっているということ。
ここに「十牛図」についての簡潔な説明があるので、「Freshペディア」から引用する。
「尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い『悟り』が少しばかり見えた状態。
得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。
騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。
人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ… 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す」
「十牛図」の中の「尋牛」(ウイキ)
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ここで言う「見跡」とは、ギボンが出家した山麓の僧侶に、山寺の禅師を紹介された件(くだり)だろう。
このことによって、禅師との出会いと悟りへの予感が開けたプロセスは、「見牛」に当たると言える。
また、「人類の希望:法話集09」の中で、「牧牛」以後の階梯について言及しているので、引用する。
「そこで、ここから次がどうしたらいいのか?
『牧牛』
この牛がたえず自分にところいるように飼いならしてみようか、という気持ちになる。牛が思い通りならないのだから飼い慣らしてみようか。迷いが来てまた逃げ出すことのないように飼い慣らそう。そこで一旦飼い慣らしたつもりになる。
そこで映画の中では、亡くなった禅師を荼毘に付すのです。一人で禅師の遺体を焼いた。そして遺骨を砕いて自然の中に散骨する。
そのあとで『わかった!』と言いました。こうして禅師について、ここで行をやったけれども、結局は人間なんだから『人間らしく生きて人間らしく死ぬ』ことが本当のものやと思った。
『騎牛帰家』
ところが”達磨はなぜ東へ行ったのか”の映画はここで終わっている」
要するに、本作は「十牛図」の中の、「尋牛」から「騎牛帰家」までのプロセスを描いていると言うのである。
思えば、本作には、「悟り」を象徴する牛が、二度にわたって挿入されていた描写が想起される。
一度目は、捨て子のヘジンが、鳥の番いの一羽を殺したことに起因する様々な受難の果てに、とうとう道に迷って命の危機に襲われたとき、このヘジンを救出したのは一頭の牛であったという件である。
この牛はヘジンの「導き手」としての役割を担って、無事に山寺へ帰還させるという見え見えのエピソード。
以降、ヘジンについての受難のエピソードは映像から消えていき、ラストシーンでは、番いの片方の鳥の飛翔の描写が挿入されることで、少年僧の「悟り」への果てしない旅程の伏線をイメージするラインとして、何とも稚拙な予定調和の映像が括られていったのである。
二度目に挿入される牛のシークエンスは、青年僧ギボンが山寺を下りて行く遠景のラストシーン。
このシーンでは、「悟り」=「牛」を得たと信じるギボンの、緩やかな「帰家」=「世俗への再突入」のステップの律動に合わせるように、一頭の牛が描かれていた。
この構図が意味するものは明瞭である。
禅師から与えられた公案に対して、一定の解答を用意した青年僧が、彼なりの「悟り」を得て、世俗の世界へ帰還していくのである。
以上の仮説的説明によって、本作が禅修行の階梯の要点を表した、「十牛図」のイメージラインをなぞったものであるという把握が充分に可能だろう。
5 勝ち過ぎた観念によって削られた映像構築力
前章で確認できたように、映像の基幹メッセージは読解可能なものであった。
しかし、映像の中で小出しにされた禅問答の文脈については、一貫して作り手の観念体系を綴っていくものだったと言えるだろう。
相手の思考様態を破壊する公案の提示に関わる禅師の教えの内実は、「始めも終わりもない。生まれも死にもしないこの存在」という言葉に象徴されるように、必ずしも輪廻転生に拘泥しない禅宗の、自己の主体性を重視する能動的文脈の中で、「大自然から分娩された生命が、大自然に還元していく」というシンプルな宇宙観によって集約されると言っていい。
それは、このような観念論言辞の氾濫とも言える、その独特の映像展開の自己完結的な快走だけが強く印象付けられて、少なくとも私には、最後まで琴線に響く表現力を持ち得ていなかったように思えるのだ。
この作品のオリジナル版では、本作が3時間にも及ぶ長尺のフィルムであるらしいが、そこで連射される観念論言辞の情報群を想像してしまうことで、恐らく鑑賞持続力を失ったに違いない。
要するに、本作は「映像構築力」において決定的な何かが不足しているのである。
第一に、肝心の俳優の表現力が、映像で語られる彼らの表現の内実に追い付いていないこと。
第二に、一つ一つのカットに描写の力感と律動感がなく、「自然と人間」との普遍的関係をテーマにしたフラットなコラージュの印象が強いこと。
辛辣に言えば、映像が観る者に提示できたのは、宇宙観に関わる観念体系の「雰囲気」であって、それ以上のものではなかった。
第一の点について例を挙げれば、主人公の青年僧が激流の荒修行に打ち込んでいる描写や、ラストシーンにおける山頂での悟りの描写を見る限り、「雰囲気」を醸し出す表現という印象だけが残像として焼き付いてしまって、最も重要な描写における表現力において決定的に破綻していたと言わざるを得ないのである。
映像の勝負を賭けた描写における頓挫が、映像全体の失速を招来してしまって、結局、「人生の行方を失った者の空洞感」を感受させるに足る映像構築力の致命的な欠如を、観る者に晒してしまったのではないか。
第二の点について言えば、作り手の観念が勝ち過ぎていて、それが映像全体の均衡性を失って、テーマ言及のフラットなコラージュの印象を拭えなかったのである。
詰まるところ、独りよがりのイデオロギーが騒ぎ過ぎてしまって、一つ一つのカットにおいて描写の力感と律動感を削ってしまったように思われてならないのだ。
「生は死であり、死は生である」という生命の循環系に関わるシンプルな問題意識を、必要以上に難しく捏(こ)ねくり回した挙句、その不均衡さをそのまま映像化してしまったために肝心の構築力を壊してまったのではないか。
ペ・ヨンギュン監督 |
即ち、本作が得意分野を持つ様々な能力のアンサンブルによる結実ではないということ、そこにこそ、「勝ち過ぎた観念によって削られた映像構築力」の一つの原因子が求められるだろう。
固有名詞を持つ人間が、束の間、「スーパーマン」に化けたと信じ得たにしても、多岐でプロフェッショナルな仕事振りが求められる、長尺の映像フィルムの完成形を構築することが果たして可能なのか。
まさに本作は、そう思わざるを得ない類の作品だった。
(2009年12月)
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