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2010年5月14日金曜日

野性の少年('69)   フランソワ・トリュフォー


<「『愛』による『教育』」の成就 ――「父性」と「母性」の均衡感のある教育的提示>



1  「アヴェロンの野生児」の発見



1797年に、南フランスの森深くで、猟師たちによって発見され、生け捕りにされた裸の少年がいた。

所謂、「アヴェロンの野生児」である。

程なく、パリの国立聾唖学院に預けられ、獣と戦った痕を示す15か所の傷を確認されたこの少年は、人々から「化け物」扱いされるばかりだった。

パリ市民の好奇の眼に晒され、この少年に対する隔離の必要を感じた、一人の聾唖教育者がいた。

後に、政府の保護下で、少年の教育を担当するジャン・イタールである。

国立聾唖学院の医師でもあった彼が、学院長のピネル教授と、少年の能力について会話した内実に、既に二人の教育者の「少年観」の相違が現れていた。

「あの子は、ビセートル治療院にいる知恵遅れの子供と変わりない」とピネル教授。
「入院させる?」とイタール博士。
「止むを得まい。その方が本人は勿論、ここの子供のためにもなる」
「ビセートルに送るのはあんまりです。バカではない。不幸にも6,7年、いや8年もの間、森で孤独に生きていただけです」
「あの子が親に捨てられ、殺されかけたのは異常だからだ。孤立のせいと言うのかね?なぜ、捨てられた?」
「私生児とか、始末するしかない子供だった」
「どうするつもりだ?」
「教育してみたい。新聞で読んだときから考えていました。パリ郊外で家政婦が世話します」
左からイタール博士、ヴィクトール、ゲラン夫人


まもなく、政府から少年の保護権を得たイタール博士による、「アヴェロンの野生児」に対する教育が開かれたのである。

なお、ここで言う家政婦とはゲラン夫人のことで、彼女もまた政府から慰労金を受けるに至るが、彼女の存在価値の大きさは慰労金の多寡とは無縁であった。




2  ヴィクトールの誕生、その教育へのアポリア




以下、イタール博士の教育の内実を、彼のレポートを通してフォローしていく。


「何でも匂いを嗅ぐが、くしゃみが出ぬように、鼻腔を塞ぐ訓練する。如何なる精神的な影響にも無反応。襲唖学校で虐待されても、泣いたことはない」

これは、少年の教育を始めたイタール博士のレポート。

イタール博士は二足歩行の訓練を開くが、靴を無理に履かせての訓練の成果は、少年の手を離すと転倒する状況を作っただけだった。

「気温に敏感になった少年に、衣服の便利さを教えようと、部屋に一人残し、窓を開け、寒さに晒し、自分から着るように仕向けた」(イタール博士のレポート)

「野原に出るのが彼の最大の喜び。近隣のラメリー家で、牛乳をもらうのが日課になった。出掛けるのと分るように、私は帽子とステッキを持ち、丘や森を見て、彼が眼を輝かせる様は見ものだ。馬車の窓は眺めるのは狭い。左右の窓を行ったり来たりし、夢中で眺めた。少年らしい好奇心で野原を歩き回る。特有の奇妙な歩き方で、靴も履かずに。私と同じ歩調ではもどかしいのか、駆け足になる」(イタール博士のレポート)

イタール博士の教育に、ラメリー家が登場して、甲斐甲斐しく世話をする絵柄が多くなっていく。

「食べ物への興味を絡めて、コップのゲームを試みた」(イタール博士のレポート)

成功報酬に胡桃(くるみ)を与えるゲームは、刺激による条件づけの行動療法である。


ヴィクトールとイタール博士
また、この時点で、少年は完全に二足歩行に成功する。

更に、手押し車に乗る遊びをラメリー家の子に教わり、それをラメリー氏に自ら求める少年の行動が眼を引く。

少年の表情から笑みが零れたからである。

「外出の回数を減らし、食事や眠る時間も削り、教育により時間を割いた。コップのゲームも複雑にした。今は鉛の兵隊で行っている。隠した物を特定する訓練である。人の言葉に反応するようになる。O(オー)の言葉に敏感に反応したことで、名をヴィクトールとした」(イタール博士のレポート)

「アヴェロンの野生児」は、ヴィクトールという固有名詞によって呼称されるようになったのである。

「ヴィクトールという名に慣れ、呼ぶと顔を上げた。ゲラン夫人と私はO(オー)の音への注意力を鍛えた」(イタール博士のレポート)

この時点で、フォークを使った食事が可能となった。

「“レ”の音でヴィクトールが初めて言葉を発した」(イタール博士のレポート)

牛乳を注いでから発語したことに、イタールは不満を持った。

「彼が牛乳を強請(ねだ)るのを、私は辛抱強く待った」(イタール博士のレポート)

“レ”の音は喜びを表現しただけで、発語練習は困難を極める。

「彼が来て3カ月。私は急ぎ過ぎた。まず、聴力を目覚めさせねば。長年、食べ物の発見と危険の察知にしか使われていない」(イタール博士のレポート)

太鼓の音などを利用して、聴覚訓練が開始される。

またイタール博士は、ヴィクトールに一定の記憶力が機能する事実を確認した。

「ヴィクトールは水が大好きだ。飲み方で、彼の喜びが見て取れる。窓辺に立ち、野原に目を向け飲むのだ。この瞬間、野性の子は自然に同化し、勇気づけられるのだ」(イタール博士のレポート)

映像はこの直後、ヴィクトールが教育中に抜け出し、木の上に登るシーンを映し出す。

「自由への憧れが、芽生えた愛情に勝り、逃げたのだろうか?」(イタール博士のレポート)

ヴィクトールへのイタール博士の教育は、より難しい内容に進展していく。

「絵の上に、その名を表す文字を書き、文字が絵と同じ物を表していると気付くように願った」(イタール博士のレポート)

難しい教育内容に、ヴィクトールは発作を起こした。

「生徒が理解できないのは私の責任だ。絵と文字では大きな違いがある。現段階のヴィクトールには難しい。未発達の能力に適する方法が必要だ。大工に木製のアルファベットを作らせた。すぐに正しく並べたが、ズルをしていた。文字盤を逆に積み重ねていたのだ」(イタール博士のレポート)

一貫して学習を拒否する少年が、そこにいた。

ゲラン夫人の批判的アドバイスによって、イタール博士はヴィクトールの散歩の時間を増やすことになった。


ピョンピョン跳ね回る四足歩行の中で、ヴィクトールは突然の驟雨に反応し、歓喜の声を上げていた。

それは、文明への同化を頑として拒む、自然児の雄叫びでもあったのか。



3  逃亡した野性児の帰還



ヴィクトールへの教育的生活が開かれて、7か月が経った。

文字教育を拒絶するヴィクトールの反抗は、より顕在化してきた。

「ヴィクトールの怒りの爆発を優しさで鎮めるのではなく、気持ちを動揺させることで治そうとした。だが、物置での仕置きは頻繁には使えない。効果が薄れてしまう」(イタール博士のレポート)

反抗への物置仕置が効果を持たなくなってきて、いよいよ、イタール博士の文字教育は手詰まりになってきた。

それでもなお、涙を滲ませる少年に学習継続を求める教育者がそこにいた。

「初めて彼が泣いた・・・私は自分の務めを半ば諦め、彼に会ったことを悔い、彼から幸福な生活を奪った人々を憎んだ」(イタール博士のレポート)

手詰まりになった教育者は、文字教育を捨てられないのだ。

更に文字教育を進めるが、その速度に反比例するように、少年の強い反抗心が噴き上げていく。

当然の如く、文字教育における学習成果は殆どなかった。

しかし、感情を率直に表す生徒の心の変化に、教育者は満足感を得た。

「生徒は、私の言うことを理解している。噛まれた痛みが、満足感に変わった。この喜び!正しいこと、正しくないことの観念が備わっている。感情を呼び覚まし、野性の少年を“人間”に高めたのだ。気高い属性に訴えたのだ」(イタール博士のレポート)

その直後、遂に予想された事態が出来した。

ヴィクトールの逃亡である。

アヴェロンの野生児(ウイキ)
しかし逃亡した野性児は、木にも登れず、落下する始末。

鶏泥棒にもしくじり、這(ほ)う這うの体で舞い戻って来たのだ。

「二度と戻るまい。彼は全ての知覚を意のままに用い、注意を払い、記憶力を駆使する。言葉を判断し、覚えた知識を基に物事を理解できる。野性の少年は拘束に耐え、僅か9ヶ月で変化を遂げた。だが、姿を消した・・・」

イタール博士がここまで記録したとき、ヴィクトールが帰って来たのだ。

「もう、動物ではない。お前は素晴らしい少年だ。未来がある」

それは、かつての野性少年を「人間」と認知する博士の、最大級の賛辞だった。

そのヴィクトールをゲラン夫人が全身で受容し、ゆっくり休ませるために、二階に連れて行くとき、後方からいつもの声が追い駆けてきた。

「夕方、また勉強しよう」



4  「発見」され、「捕獲」され、その「無能」故の人間教育 ―― まとめとして①




1797年に発見された、「アヴェロンの野生児」に関わる「『愛』による『教育』」という問題が、実話の映画化である本作の主題となっている。

1797年と言えば、フランス革命の末期的恐怖状況の只中で、テルミドールのクーデターによってロベスピエールが処刑された3年後のことだが、政治に関心のないトリュフォーには、「人権宣言」(1789年8月)を生んだ、この驚異的な出来事が出来した歴史的背景には全く触れることがなかった。

そしてその事実こそが、「アヴェロンの野生児」の「事件」を、トリュフォーの問題意識の中枢である「『愛』による『教育』」というテーマに収斂させていったことを検証するだろう。

要するに、こういうことだ。

反射を作動させる解発によって惹起する「生得的解発機構」と呼ばれる、本能という最大の能力を持つ他の動物と異なって、著しくその能力を欠く人間の場合、恐らく、前頭前野に中枢を持つと思われる自我によって、一切の生物学的、社会的行動の代行をしているので、それが人間の生存・適応戦略の羅針盤になっている、と私は考える。

問題なのは、その自我が「先行する世代」の教育によってのみ、その基本形が形成されるという至要たる現実である。

「先行する世代」とは、一般的に「親」、またはそれに準じる人たちである。

「先行する世代」の教育によって形成される次世代の子供たちの自我の様態が、決定的に歪んでいない限り特段の問題も生まれないが、しばしば親の教育遺棄か、それに近い状態に置かれた子供の自我が歪みを生じ、それが思春期過程に入っても修正されない場合、社会的適応どころか、その適正な生存戦略において致命的な瑕疵を出来させてしまうだろう。

紛う方なく、「先行する世代」の教育の決定的な重要性は、人類史を貫流する至要たる事象であるということだ。

「アヴェロンの野生児」の問題の根源には、「野生児」を生み出した親の教育遺棄があると想像されるが、しかしそれは、どこまでも充分な歴史的検証を経ない仮定に過ぎない。

少年が捕獲されたタルヌ県・県庁所在地のアルビ(ウィキ)
少なくとも、18世紀末に、「アヴェロンの野生児」が南仏に存在していて、その「野生児」を、その時代の人々が「発見」し、「捕獲」するに至ったのである。

「発見」し、「捕獲」された「アヴェロンの野生児」は、程なくパリの聾唖学院に入れられ、そこで人々の好奇の視線に晒され、甚振られていったのだ。

しかし、その聾唖学院にも適応できない「アヴェロンの野生児」の行く先は、ビセートル治療院という知恵遅れの子供の施設に強制入院させられる状況に置かれたのである。

そのとき、イタール博士が取った行動が誤謬であったとしたならば、「アヴェロンの野生児」の環境を、より劣悪な状況下に置く行動であった場合のみである。

しかしイタール博士は、「アヴェロンの野生児」を教育的に丸抱えしたのである。

自我に大きく依存して生きる人間は、教育によってしか人間に成り得ないのだ。

当時の状況下で、「発達心理学」の知見もまた、科学的な制約や限界があった。


児童心理学の権威である、ジャン・ピアジェ(スイス/画像)の「思考発達段階説」の提唱や、「アイデンティティ論」で有名なE・H・エリクソン(アメリカ)の8段階の発達心理学、更に、レフ・ヴィゴツキー(ソ連)の「発達の最近接領域」という概念の提唱などは、全て20世紀に入ってからであることを認知せねばならないだろう。

私は常々思うのだが、人権感覚が拡大的に定着した21世紀の視座によって、過去の出来事の無慈悲な断罪をすることが如何に愚昧であり、傲慢な発想であるかということである。

ここに、他の映画評論でも引用した某ブログからの引用をしたい。

以下の通りである。

「現時点での価値観にもとづく過去の出来事の無慈悲な断罪である。この判断が許されるのは、罪の有限性を確認し、処罰と赦しを含めた認識と実践を未来の生活に反映することを約束する者のみである」(『小島の春』断章 池田光穂)

全く異議のない論理的思考である。

閑話休題。

ともあれ、そんな時代の制約や限界の中で遂行された博士の行動は、確信的ではなかったが、全き未知の領域に踏み込んだ者の、試行錯誤による目一杯の合理的行動であったと言える。

イタール博士は、少年を「文明」の世界に導くための努力を惜しまなかったというよりも、「発見」され、「捕獲」され、その「無能」故に、相応の施設に押し込まれそうになった少年の、あまりに不定形で、十全に把握し得ない未知の能力の「開発」に使命感を抱いたのである。


博士の、その行動モチーフの内に、仮に自分の社会的地位の向上への野心が媒介されていたとしても、それは、少年の教育を特段に歪めるプロセスを開かせるものにはなっていなかった。

そう思う。

もっとも映像は、イタール博士が遂行した、些か強制的な教育実践の是非を度外視した構成になっているので、これ以上の言及は止めよう。

以降、本篇に言及する。



5  「『愛』による『教育』」の成就 ―― 「父性」と「母性」の均衡感のある教育的提示 ―― まとめとして②



少なくともトリュフォーは、映像の中で、自らが演じたイタール博士の存在を、少年に対する「全き教育者」のイメージに近い何者かに据えていたことは否定し難いだろう。

彼の教育の内実には、必然的に試行錯誤ゆえの迷走と頓挫があったが、件の少年を、「人間」により近づけていくための問題意識で行動する教育者として、イタール博士の一連の教育的営為が描かれていたのも事実である。

その教育のエッセンスを要約すれば、「『愛』による『教育』」であったと言える何かである。

厳密に言えば、博士とゲラン夫人との二人三脚によって、この「『愛』による『教育』」を遂行させていたということだ。

ゲラン夫人(右)
イタール博士が「父」であるとすれば、ゲラン夫人は「母」であった。

少年が一度も経験したことのない「父性」と「母性」が、萌芽状態の少年の自我の奥深くに、教育的にインスパイアーされていったのである。

「人間」の感情に近い辺りに逢着した少年は、一時(いっとき)、このペナルティを随伴する強制教育への反発から情動的行動を試みるが、もう少年には野性に適応する能力を持ち得なかった。

木登りの技巧すら復元できない少年には、戻るべき場所が一つしかなかった。

野性の少年を、一人の「人間」に変容させるための場所である。

その変容が内包したもの。

それは、情感を言語に翻訳し得ない少年が、それ以外の能力の獲得によって、より「人間」に近接化させたという現象に尽きる。

「人間」により相対的に近接化させるための、この種の成果の一定の達成こそ、博士の最大の教育課題であり、目標でもあった。

博士の半ば強制的教育を、ゲラン夫人の「母性」の均衡的補完によって、未曾有の文明の氾濫の中で翻弄され、迷走する少年の心の受け皿をより包括的に準備させたこと ―― それが、この稀有なる物語の基本的テーマであったに違いない。

「『愛』による『教育』」の成就とは、トリュフォーのイメージから言えば、ここで描かれた「父性」と「母性」の均衡感のある教育的提示であっただろう。

何よりトリュフォーが望んだのは、博士に象徴される父性的アプローチに対して、充分な均衡を保持するゲラン夫人よる母性的アプローチという、それなしに成就し得なかった人間的サポートであったように思われる。

いや寧ろ、この映画は、ゲラン夫人の母性的アプローチの教育的提示こそ基幹的主題ではなかったのか。

少年に対する教育がより困難な内容になったとき、少年の反抗的態度に接した二人の象徴的会話があった。

「すぐ怒り出す」

イタール博士のこの嘆息を聞いたゲラン夫人は、「父」を批判したのだ。

「先生のせいです。僅かな楽しみも勉強に変えた。食事も散歩も全て。急な進歩は無理です。普通の10倍も勉強している」

このとき、ゲラン夫人は紛れもなく、一人の固有なる「慈母」であった。

ほんの少し前まで、少年が「アヴェロンの野生児」であった頃の、その数年間の「空白」を埋めるに足る最も重要なテーマこそ、ゲラン夫人に象徴される母性的アプローチであったと思えるからだ。

映像の中で、少年が「アヴェロンの野生児」と心理的距離を置くシーンには、必ずと言っていいほど、「母性」=「無限抱擁」を求める行動様態が見られたからである。

映像の冒頭に出て来た、南仏の村の親切な老人と、ゲラン夫人に対する少年の受容度は、殆ど無前提に開かれていたのである。

その一点においてこそ、実は、少年に対する父性的アプローチの形成力を保証したと言えるからだ。


トリュフォー(画像)が、この映画で加工的に再現した「歴史的事件」の最大のモチーフが、その辺りにあったと思えるのである。

この稿の最後に、「『野性の少年」に対する文明化・人間化教育で悩む「トリュフォーの自身の生の軌跡」を紹介する山田宏一の一文を掲載しておく。

以下の通り。

「『野性の少年』で少年に人間性を習得させようと試みるイタール博士に扮したフランソワ・トリュフォーは、子供を野蛮から文明にみちびくことによって、逆に肉体的にはひよわにし、精神的に苦しめるだけではないかと悩み、迷いつつも(実際、少年は人間になじむにつれて、人並みにくしゃみをして風邪をひいたり、人間的感情に流されて泣いたり悲しんだりするようになるのだが)、いや、人間になることはすばらしいことなのだ、美しいものを観たり、音楽を聴いたりすることがどんなにすばらしいことがわかるはずだ、そしてやがて本を読むことの歓びを発見し、愛することが、たとえば苦しくても、どんなにすばらしいことかがわかるだろう、と自分自身に言い聞かせるように少年に向かって言うのである。実際、トリュフォーの作品は、捨て子の記憶を背負いながらもそのくらい絶望と挫折感から立ち直って人間であることを自覚し、生の歓びを発見して、社会復帰するまでのトリュフォー自身の生の軌跡でもあった」(「トリュフォー ある映画的人生」山田宏一著 平凡社)



6  「発達の3命題」、そして「アイリス・ショット」の映像的効果 ―― まとめとして③



それにしても、私はこの映画を鑑賞して、つくづく「発達の3命題」について考えさせられた。

「発達の3命題」とは、分りやすく言えば、発達には、「順序」、「秩序」、「臨界期」が存在するという仮説のこと。

イタール博士
とりわけ、イタール博士が幾度苦労を重ねても、少年が言語機能を獲得できなかったのは、「アヴェロンの野生児」の時間があまりに長かったからである。

要するに、人間が言語機能を獲得し得る「臨界期」の存在が、少年の受容能力を越えてしまっていたのである。

思春期以降に母国言語能力を達成した例が存在することで、「臨界期仮説」に疑義を唱える研究者も存在するが、生理学的な脳の変化による説明によって、それは一般に思春期頃までとされている。

その意味から言えば、「アヴェロンの野生児」のケースは、言語機能の獲得に関わる「臨界期仮説」の適用は微妙なところだろうが、何より、少年が「野性の少年」であったという事実の重みは看過し難いものだったに違いない。

以上の問題は、映像の中では中枢テーマになっていないこともあり、これ以上の言及は避けたい。

最後に、映像の効果について、一点だけ書いておく。

「アイリス・ショット」効果である。

物語展開で、アイリス・ショット(黒い画面を円形等に切り取る手法)が多用されていたが、このサイレントの技巧を、「サイレント」の世界で生きるヴィクトールの「物言わぬ身体表現」に合わせた切り取りによって、余情を乗せた構成は奏功したと言えるだろう。

この余情こそ、本作の生命線だった。

サイレントムービーを含めて、余情を乗せた「アイリス・ショット」効果が、ここまで成功裡に運んだ例はなかったかも知れない。

(2010年5月)

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