<「戻るべき場所」を削り取られた者の「内的亡命」という実存への希求>
1 「決定的構図」を構築できる「イメージ喚起力」の豊潤さ
些か面倒臭いカテゴリー分類だが、本作は、「こうのとり、たちずさんで」(1991年製作)、「ユリシーズの瞳」(1996年製作)へと続く「国境三部作」の第一作であると同時に、「蜂の旅人」(1986年製作)、「霧の中の風景」(1988年製作)へと続く、「沈黙三部作」の一弾でもある。
そんな分類はともあれ、本作は、映像作家としてのアンゲロプロス監督の「主題提起力」が際立った傑作であった。
私にとって、その一点だけが重要な事柄なのだ。
因みに、「沈黙三部作」の「沈黙」とは、彼が好んで使用する「歴史の沈黙」という独自の言葉に由来する。
以下、「JANJANニュース」からの引用。
「『歴史が沈黙している』とは、監督自身の言葉を拾っていくと『瞬時に何かを感じ、印象を刻みつける事になれてしまっている現代では、例えば、喜びも凝縮された瞬間的なもの』『拡張された瞬間、息を吐き吸うまでの"間"を人々は好まない』ということになる。そして、『自律的呼吸を奪われている。自分で呼吸出来ない状態、いや呼吸という概念すら失ってしまっているのが現代』と語る」(「JANJANニュース 亀井貴也2006/12/12」)
情報過多の社会のアポリアを、「自律的呼吸を奪われている」とまで指弾するアンゲロプロスの思いは理解できる。
しかし私から言わせると、恐らくアンゲロプロスをも含めて、「JANJAN」のようなイデオロギーの色彩の強い面々の、「現代社会の荒廃の極み」を嘆き、常に「ハルマゲドンの到来」を望んでいるようにしか見えない、柔軟思考欠如の「思考停止性」こそ気になる所だが、ここではテーマと乖離するから問わない。
決して私は、アンゲロプロスの世界観・政治的スタンスに共鳴する者ではないが、それでも彼の作品が好きなのは、その映像構築力の圧倒的表現世界に敬服するからだ。
テオ・アンゲロプロス監督(ウイキ) |
その作品の内実は饒舌ではないが、「イメージ喚起力」の豊潤さにおいて抜きん出ている。
説明的会話は一切ない。
映像だけで勝負する作家なのだ。
映像の力を信じているからに違いない。
映像だけで勝負できる作家には、「決定的構図」というものを構築できる才能を持つのだろう。
本作においても例外ではなかった。
以下、その辺りを書いてみたい。
2 丘の上に凛として立つ1本の巨木、そして筏の上に晒される「無国籍者」の実存
本作の中で、私に最も鮮烈な印象を与えた構図が、少なくとも二つあった。
一つは村人たちから厄介者扱いされても、、故郷の村に拘泥する老人スピロが、自分の山小屋を放火されたとき、それを目撃するシーン。
そこに至るプロットを、簡潔に要約しておく。
32年間に及ぶソ連での政治亡命生活を余儀なくされたスピロが、ソ連の客船でギリシャに帰国して来た。
元々、映画監督であるアレクサンドロスによる、自己史に関わる映画製作の企画の具現化の中で、父スピロを演じる俳優のテストを実施するが、「私だ!」と言って帰国するスピロのイメージにピタリと合う人選に難航していた。
たまたま出会ったラベンダー売りの老人こそ、父スピロを演じる人物であると確信したアレクサンドロスは、その老人の後を追っていくが見失ってしまった。
まもなく場面は一転し、劇中劇の世界に入っていく。
シークエンスの渦中で簡単に時空を超えるアンゲロプロス映画ならではの、二重構造の映像世界が開かれるのである。
「私だ!」
これが、ソ連の客船から降りて来たスピロの第一声だった。
「怖い」
これが、故郷に入るとき、ふと洩らしたスピロの本音。
自宅で待つのは、ギリシャに残した妻のカテリーナ。
しかしスピロには、既にソ連に妻と3人の子を儲けていたのである。
その事実を知ったためか、自宅台所に閉じこもるカテリーナ。
スピロは家を去って、町の安宿に宿泊し、翌朝、故郷の村に入っていった。
旧友と共に墓地に行き、一人踊るスピロの躍動感は印象的だが、この場面でのみ、32年ぶりに帰郷した老人の豊かな感情表現が拾われていた。
しかし、スピロの躍動感は続かない。
彼は故郷の村をリゾート地にする計画を知って、村人と激しく対立し、再び追放の身になるのである。
亡命したことで「無国籍者」となったスピロには、永住するべき居場所はないのだ。
老人の非現実的な理想主義を信じる者も存在しない。
何よりスピロには、限られた在留期限の問題が横臥(おうが)しているのだ。
老人の居場所は、社会主義独裁のソ連以外に存在しないのである。
そんな中での、昔の旧敵との会話。
「俺は残る」とスピロ。
昔と全く変わらない男の頑固さを前に、旧敵は言い切った。
「お前はもう死んだ。存在しないんだ。山を駆け巡っていた時代は終わった。俺たちは内戦で敵味方だったが、俺たちは二人とも負けたんだ」
スピロの山小屋が放火されたのは、その直後だった。
私に最も鮮烈な印象を与えた構図が、そこにあった。
山小屋の放火を目撃したときの、荒寥とした丘の上に凛として立つ1本の巨木。
まるでそれは、自分が生まれ育ったギリシャの郷土に居場所を持てない男の孤独をイメージする、テオ・アンゲロプロスらしい決定的な構図だった。
その直後、スピロは村から姿を消し、「無国籍者」への警察の捜索が開かれた。
スピロは実家に閉じこもっていた。
昔の友人が口笛を吹いても出てこない男に、カテリーナは「私よ!」と大声で呼びかけた。
「昔と同じね。怖いと、すぐ隠れてしまうのね」
カテリーナの言葉には、32年間の空白を感じさせない情感がこもっていた。
スピロを理解するカテリーナも、「残る」と言い切った。
彼女のこの情感が、ラストシーンの決定的な構図に繋がっていくのだ。
その構図こそが、私に最も鮮烈な印象を与えたもう一つの構図だった。
ラストシーンに繋がるスピロの状況は、いよいよ追い詰められていく。
ギリシャの港湾警察 |
ここに、印象的なシークエンスがあった。
港の倉庫で、スピロが「死」と対話するシークエンスである。
一人の老人は、「死」という観念の世界に向かって静かに、しかし存分の意志を込めて言葉を結んだのだ。
「分るぞ。お前が来るのを。お前を5回も騙してやった。戦争が5回。監獄。銃殺隊。騙してやった」
その直後、ソ連の客船が港に停泊した。
スピロは港湾警備艇に乗せられ、客船に最近接した。
しかし、スピロは「萎びた林檎」と反応するのみ。
結局、スピロは乗船を拒否され、客船は港から離れて行った。
再び陸地に戻されたスピロは、国際水域上に浮かぶ浮桟橋の上に降ろされてしまう。
それは、人間が数人乗れる程度の小さな空間だった。
そこに今、カテリーナも乗っている。
「あの人の所に行きたい」
彼女は既にマイクで訴えていて、その願いが叶ったのである。
それが、本作のラストシーンであると同時に、「国境」の問題ばかりでなく、「歴史の沈黙」に関わる「孤独」と「実存」を深々と抉る物語が、そこに収斂されていく決定的な構図だった。
そこには、ナレーションもモノローグも一切の語りをも排除されている。
説明的なカットの一切が排除されていながら、その構図が観る者に訴える力強さは抜きん出ていたのである。
3 「戻るべき場所」を削り取られた者の「内的亡命」という実存への希求
「亡命という言葉には2つの意味があります。内的な亡命と外的な亡命です。作家の方は実際に他の国に亡命しているわけではありませんが、実存的な意味での亡命者です。これはたとえば、カミュが『異邦人』の登場人物の中で描いたような内的な亡命です」
これは、「WERDE OFFICE:記者会見レポート『永遠と一日』1999.1.27」からのアンゲロプロス監督(画像)の言葉。
重要なのは、「内的亡命」というアンゲロプロス独特の概念。
まさに、本作に相応しい概念である。
本作は、自らの自我のルーツを求める「内的亡命」こそがテーマであると言えるだろう。
単に「国境喪失者」の悲哀ではなく、自我の拠って立つ安寧の基盤としてのルーツを求めるスピロの精神の彷徨は、「実存的な意味での亡命者」である証左であるということだ。
32年間の時間の空白が、スピロの精神の「戻るべき場所」を削り取ってしまったのである。
彼の精神の中で、なお時間の空白を埋めるに足る確かな「郷愁」の思いを繋ぐのは、妻のカテリーナの存在性だけだった。
従って、二人はシテール島への旅の幻想を結んでいく。
シテール島とは、ギリシャ神話に由来する、「愛と快楽の伝説の島」という含みを持つ特別な「楽園」である。
それは、18世紀のフランスのロココ美術の画家である、アントワーヌ・ヴァトーによる「シテール島の巡礼」(画像)という絵画によって知られる別天地なのだ。
愛する男女のシテール島への船出を描いたとも、シテール島からの帰還を描いたとも言えるアントワーヌ・ヴァトーの絵画は、少なくとも本作では、前者のイメージを乗せて結ばれているだろう。
故郷の姿がどれほど変貌を遂げようと、その変貌に合わせて自我を繕うことを拒む男もいるし、その男に連れ添う老いた妻もいる。
アンゲロプロス監督による二重構造の映像構成は、その映像を撮る者(=アンゲロプロス自身)の現実と、彼によって撮られる虚構を自在に交叉させ、いつしか融合させるに至るのだ。
現実と虚構のボーダーを解体させることで表現される映像世界は、どこまでも作り手自身を客観化させることによって、多くのナチ協力者と同様に、国内での複雑な政治闘争の渦中で、自ら左翼の前線にありながらコミュニストによって逮捕投獄され、死刑宣告まで受けるという辛酸を嘗めた父(本作の父親名と同じスピロ)の内面史に、映像作家としての自己史の現在を重ね、二重構造の融合という表現的達成を成就し得たのである。
ドイツ兵に悪戯して追い駆け回されるファーストシーンは、、まさにテオ・アンゲロプロス自身の少年時代そのものであった。
彼にとって、この一篇は、どうしても映像化せねばならない特別な作品だったようにも思えるのである。
(2010年9月)
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