1 「捨てられない」ノスタルジーの対象と化していく、「甘美なる青春の、あの夏の日々」
人間は過去を振り返るとき、PTSDのような特別に辛い経験でも持たない限り、自我防衛の故に過去を封印する必要のない、多くの平凡だが、それでも自分だけの固有の経験の束を累加させて生きてきている。
その中には、誰でも、幾つかの「心地良き過去の思い出」が存在するだろう。
そして、「現在」の時間を少しでも豊潤化する技巧によって、今ではすっかり風化されている記憶や印象の束の中から、「心地良き過去の思い出」が掬いあげられて、いつしかそれは、「甘美なる青春の、あの夏の日々」というようなノスタルジーの対象に特化されていくことも決して珍しくない。
面白いことに、その特化された「心地良き過去の思い出」とは無縁な、他の記憶や印象の束が、「甘美なる青春の、あの夏の日々」のうちに集められてきて、自分でも非武装なまでに、その思い出を特化させてしまうのである。
特化された「甘美なる青春の、あの夏の日々」は、もう充分に、「捨てられない」ノスタルジーの対象と化していくのだ。
フェスティンガー(アメリカの心理学者)が提唱した「認知的不協和の理論」の中に、「甘いレモンの理論」という、人の心理メカニズムに関わる興味深い自己合理化仮説がある。
どれほど酸っぱいレモンであっても、それが「自分のもの」である限り、甘いと思い込もうとする心理のメカニズムを示すものだ。
ある意味で、この「甘いレモン」とは、「心地良き過去の思い出」の中で特化された、「甘美なる青春の、あの夏の日々」にも化ける何かでもあるだろう。
「自分のもの」は、「自分の記憶の中の心地良き過去」に変換可能なのである。
ここで、本作のこと。
何より、本作で特筆すべきは、人が誰でも持ち得るような、その類のノスタルジーを限りなく相対化することで、「それでも、自分には決して忘れれられない」、「甘美なる青春の、あの夏の日々」を大切にする思いが集約され、些か暑苦しい物語構成ではあったが、優れた映像感覚で、その時代に呼吸を繋いだ日々の生身の鼓動を、実に生き生きと伝えているところにある。
2 「チャイニーズ・ニューシネマ」の鮮度の高い感覚で突き抜けた爽快篇
シャオチュン |
「北京の変貌は目まぐるしい。あれから20年。近代的な街に変身した。今の北京に昔の面影は見られない。私の思い出も、かき消されてしまった。私の思い出も、夢か真実かはっきりしない。私の物語は、いつも夏に始まる。暑さの中で自分の欲望を隠せずに、誰もが曝け出す。夏が永遠に続くかのようだった。太陽は我が物顔で姿を見せ、苛酷なほどの陽を浴びせ、私たちの眼を眩ませていた」
これが、冒頭のモノローグ。
しかし本作は、この類の多くの映画がそうであるような、気持ち悪いほどのナルシズムで塗りたくられた情感系の暴走に流されることなく、語りの諄(くど)さが幾分目障りではあったが、しかし淡々としたエピソードを繋ぐ長尺の物語を、全く美化しない筆致で描き切ったスタンスが印象深い一篇だった。
原題の通り、「太陽が眩く輝いていた日々」という原題のイメージを崩さない、如何にも「チャイニーズ・ニューシネマ」の鮮度の高い感覚で、一気に突き抜けた爽快篇に仕上がっていたのである。
文化大革命・ブログより |
文化大革命下の北京が、物語のステージ。
そんな時代の偶発的な空洞の間隙を突いて、存分に騒ぎまくった一群の中学生グループがいた。
グループの中の主人公の名は、シャオチュン。
少年は、北京の街の王道を闊歩する不良グループの仲間に入っていて、あろうことか、合鍵を作って、人家に忍び込む極め付けの悪童だ。
そんなある日、忍び込んだ先のアパートで、シャオチュンはふくよかな顔立ちの美少女の写真を見つけた。
彼女の水着姿が、シャオチュンの視線を釘付けにしたが、閑散とした街で、少年は美少女と出会ったのである。
ミーラン |
少年と出会ったミーランは、明らかに年上で、訳ありの女性。
当初、「僕の姉さんになってよ」などと言って、暑苦しくアプローチするシャオチュンに対して、まるで歯牙にもかけなかったミーランだったが、シャオチュンの執拗な攻勢で、如何にも不均衡で不相応ながら、暇潰しの感覚で少年の相手役になっていく。
この間、不良グループの揉め事があり、思春期彷徨の只中を必死に駆け抜けるシャオチュンが、そこにいた。
しかし、シャオチュンにとって、ミーランの存在だけが全てだった。
シャオチュンは、毎日のようにミーランに会いにいく。
「私の人生で最高の一日だった。その、爽やかで鳥肌が立つほどの朝の風。燃える枯れ草の匂いも記憶にある。だが、夏に枯れ草があるだろうか。私の勘違いだとしても、あの夏は全てが草の萌える匂いと共にある」
ミーランと過ごす日々の至福を綴る、成人したシャオチュンのモノローグ。
しかし、これが少年の至福の日々のピークアウトだった。
3 怒号のような叫びを刻む豪雨の夜の出来事
文革・ブログ・依存症の独り言より
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祖父の自殺によって、シャオチュンの母の激しい落ち込みが語られるが、映像は、「恋する女」のことしか眼中にない少年の浮ついた表情を容赦なく映し出す。
この映画の中では、「大人」の存在は、一貫して重量感を持ち得ないのだ。
彼らは、主人公の少年の「仮想敵」にすらなり得ないのである。
北京に戻るや、ミーランを訪ねるシャオチュン。
しかし、「恋する女」は留守だった。
ここから、「恋する女」を巡るシャオチュンの迷走が綴られていく。
「恋する女」と、シャオチュンの兄貴分であるイクーとの最接近に、「恋する女」を「奪われた」と嫉妬する少年の心に震えが走り、感情抑制が効かなくなっていくのだ。
それを語り継ぐモノローグもまた、その辺りから迷走を深めていくようだった。
以下、成人したシャオチュンの長広舌のモノローグ。
「努力して事実を語ろうと心がけてはいるのですが、何かが入り込んで来て、私の意に反し、真相を脇に追いやるのです。記憶が私をもてあそび、時には裏切るのです。自分でも混乱し、虚実が分らない。
今ではミーランと初めて会ったのが、丘に登った時のような気がする。あの午後、イクーに頼まれ、門で彼女に待っていたのでは・・・
もしかして、写真の少女とミーランは別人?ペイペイはどこに行ったのだろう?
或いは、彼女とミーランは同一人物なのか。
これ以上は考えたくない。誠実に話したつもりが、いつの間にか嘘を語っていたようだ。
止めるべきか?それはできない。皆さんに悪い。お約束した以上守らねば・・・辛いところだ。人間、どこかで嘘をついてしまう。ほら、聞こえます?ある音や匂いが、時には過去へと誘(いざな)ってくれる・・・
私の頭もすっきりしてきた。真偽のほどには気にせず、話を続けよう。
私の誕生パーティでは何も起きなかった。
イクーと私はミーランのため、杯を重ねる。ミーランは優しかった。鋭いあの目つきで私を見つめる。皆でしこたま酔った」(筆者段落構成)
胡同ツアーの三輪車(ウィキ) |
「ミーラン!」
「恋する女」が外に出て来て、少年に近づいていく。
「好きだ!」
少年の「恋の告白」も、叫びに近い何かだった。
その声が聞こえず、少年を抱擁する女。
「それ以後は、何事もなかったように過ぎた。彼女に水を向けても素知らぬ顔。愛想はいいが、よそよそしい。あの夜の出来事は幻だったのか?」
これが、激しい豪雨の夜の、幻の如き出来事の直後のモノローグ。
そして、真夏の炎天下、自転車を繰り出して、ミーランの部屋に行き、レイプしようと飛びついていくが、拒絶されるシャオチュンが、そこに立ち竦むのだ。
「彼女との仲は終わった。苦い思いの中で日々を過ごした」
「甘美」なはずのラストモノローグは、最も苦い言葉のうちに括られた。
4 鮮度の高いシャープな筆致で特化して切り取った、「甘美なる青春の、あの夏の日々」
最後まで郷愁のナルシズムに溺れることなく、且つ、鮮度の高いシャープな筆致で、「甘美なる青春の、あの夏の日々」を特化して切り取った映像であった。
限りなく相対化しても、それでも捨てられない「甘美なる青春の、あの夏の日々」。
それは幻想かも知れない。
しかし、幻想であってもいいと思える何かが、そこにある。
そこにあるものに熱量を自給し、駈け抜けた日々の記憶が、現在の自分の人生にどこかで繋がっている。
それは、現在の自分の拠って立つ人生の養分となっているのだ。
嘘かも知れない。
嘘であってもいい。
「記憶が私をもてあそび、時には裏切るのです。自分でも混乱し、虚実が分らない」
そうかも知れない。
でも所詮、過去の甘美な記憶とはそんなものだ。
皆、多かれ少なかれ、そんな曖昧な過去の時間を食って生きていることを認知した上で、「あの時代があったから、今の自分がある」と幻想し、どこかでそれを巧みに切り取って、相応に起伏に富んだ人生の呼吸を繋いでいるのだ。
そうでもしない限り、「現在の辛さ」と向き合えない脆弱さがある。
それが普通の人間の、普通の適応戦略であろう。
それは、「甘いレモン」でなかったかも知れぬ。
それでもいい。
「甘いレモン」の芳醇な香りを、遠い記憶に張り付けた自分の現在を信じてもいいのだ。
そんなスタンスで、「甘美なる青春の、あの夏の日々」があった。
大切なのは、それが現在の自分にとって、「特別な何か」であると信じる心が生きていて、その心が束ね上げる自給熱量によって、それを対象化し、表現し、このような映像に繋いでいくという時間が、決して自分にとってマイナスではないことを認知していることだ。
チアン・ウェン監督・MY J:COMより
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最後に、「甘美なる青春の、あの夏の日々」という定番的なフレーズについて。
言わずもがなのことだが、それがいつでも「夏の日々」であるのは、少年時代にとって「夏休み」の前後の季節には、特段の価値があるからだ。
思えば、成瀬巳喜男の「秋立ちぬ」(1960年製作)で描かれた、「削りとられた夏休み」のような作品は例外として、思春期の少年時代の只中にあって、裸形の自我が弾ける「夏休み」には、多くの大人が大切にしたいと願う、ノスタルジーの対象となるエピソードが詰まっているのだ。
「夏休み」こそ、ノスタルジーの宝庫なのである。
ついでに言えば、少年が屋根に上るのが好きなのは、多くの青少年が「下放」された文革期の圧倒的な制約の中で、中学生の少年にだけ与えられた「自由への飛翔」のイメージが、その構図のうちに仮託されているからだろう。
(2010年12月)
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