1 5点のうちに要約できる映画の凄さ
この映画の凄いところは、以下の5点のうちに要約できると思う。
その1 観る者にカタルシスを保証する、ハリウッド的な「英雄譚」に流さなかったこと。
その2 人物造形を「善悪二元論」のうちに類型化しなかったこと。
その3 主人公の視点による冷厳なリアリズムで貫徹し切ったこと。
その4 〈状況脱出〉の困難な制約下にあって、〈生〉と〈死〉の境界が見えない闇のラインを這い蹲(つくば)って生き延びていくことは、たとえそこに、ピアノの才能が介在したとしても、殆ど運不運の問題でしかないこと。
その5 これが最も重要な点だが、〈生〉に対する執着心が最後まで折れない、「防衛的自我」の様態を描き切ったこと。
以上の視座によって表現された映像を一言で言えば、絶望的なまでに苛酷な状況の只中で、〈生〉を繋いでいくことの圧倒的な困難さである。
この一点によって本作は、ホロコーストをテーマにした多くの胡散臭い感動譚や、独り善がりの反戦映画に張り付くセンチメンタリズムを突き抜けた言える。
この点は、センチメンタリズムの入り込む余情を意図的に擯斥(ひんせき)した、フェードアウトの多用によって明瞭ある。
以下、一つ一つ例証していこう。
2 カタルシスを保証するハリウッド的な「英雄譚」の拒絶
まず、ハリウッド的な「英雄譚」にしなかったこと。
「シンドラーのリスト」より |
物語の過半は、ユダヤ系ポーランド人である主人公のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの、〈生〉に対する執着心が最後まで折れない、「防衛的自我」の様態を主人公の視点によって記録したもので、その内実は、地下活動組織に挺身する者のサポートによって命脈を保ち、荒廃した町を彷徨(さまよ)うワルシャワでの5年間の逃亡生活を淡々とフォローするだけであった。
シュピルマンを英雄として描かなかったこと。
何よりそれは、過去のホロコーストをテーマにした映画の胡散臭さを批判するかのような、作り手のその辺りの覚悟が読み取れて、私が最も評価したい点の一つだ。
本作で、英雄に最も近接した人物造形が存在するとしたら、シュピルマンを救った独軍将校であるだろう。
しかし、あの〈状況〉を考えてみよう。
物音一つしない廃屋の中に、逃亡ユダヤ人と見られる一人の男がいた。
シュピルマンを救った独軍将校 |
しかし男の視線には、殺意が全く感じられない。
と言うより、男は怯えていて、命乞いをしていうようにも見えた。
その静寂な空間が、独軍将校の心から、明らかに殺意を奪い取っていったと思われる。
「ここで、一人殺しても何の意味もない」
そう考えたのかも知れない。
と言うのは、男はソ連軍と対峙していたワルシャワが持ち堪えられるのは、僅か3,4週間であるとシュピルマンに吐露していた。
このような物理的・歴史的・心理的状況が、独軍将校をして、シュピルマンを殺害するに至る特段の理由を醸成しなかったとも言えるのである。
恐らく、独軍将校は普通の理性を持つ、限りなくスタンダード・サイズに近い良心的な人間だったに違いない。
だからこそ、シュピルマンのピアノ演奏を聴くことで、彼を救おうと思ったのだ。
だから独軍将校は、決して「抜きん出た英雄」として人物造形されていた訳でないのである。
彼がごく普通の理性を持つ善良な一人の将校であったことの証明は、その後、彼がソ連軍の捕虜となった際に、自分が助けたピアニストの名を叫ぶことで、命乞いする振舞いに現れていたと言えるだろう。
この心理的文脈は、全く不自然でもないし、戦争という苛酷な状況下にあっても、常に、この類の理性的人間が存在することの証明である。
ただ、それだけのことだと思う。
シュピルマンを殺さなかったのは、人間が殺意を抱くような〈状況〉に縁遠かったからではないか。
相手は怯えていて、且つ、ソ連軍の侵攻によって、せいぜい自軍が後3.4週間くらいした持たない現実を認知していたので、敢えて、一人の逃亡ユダヤ人を殺す意味を持たなかった。
独軍将校が、そう考えたとしても全く可笑しくないのだ。
3 「善悪二元論」の否定と、冷厳なリアリズムによる凄惨な映像世界
次に、人物造形を、「善悪二元論」のうちに類型化しなかったことについて。
これは、以上の文脈で触れたことと重なるが、いつの時代でも、どこの国でも、「侵略国家の中の善良市民」が存在すると同時に、「非侵略国家の中の悪徳漢」が存在するということだ。
本作から、観る者が眼を背けるようなエピソードを拾ってみよう。
シュピルマン一家がゲットーに移送された際に、家族一同がが目撃したのは、向かいの棟の高い部屋のベランダから車椅子の老人を、椅子ごと下に放り投げる残忍なシーン。
放り投げられた路傍に集まって来たユダヤ人たちに、容赦なく自動小銃を浴びせて、虫けらのように殺害するナチ親衛隊の残酷さ。
夜の広場に整列させられたユダヤ人を強制収容所送りの際、「私たちはどこへ?」と聞いた子供連れの女性に対して、独兵は問答無用の銃殺を平気で遂行するシーンの惨たらしさ。
或いは、強制収容所送りの日に、「どこへ?」と聞いた女性に対して、「働きに行く。ここより条件がいい」と答える若い独兵もいた。
このように観てくると、ナチ親衛隊の残酷さが際立つが、明らかに作り手は、このような凄惨な描写を通して、ワルシャワを支配した独軍への抑えられない憤怒の感情を仮託しているように見える。
しかし、前述したように、〈生〉と〈死〉の際にあるシュピルマンの命を救った独軍将校のエピソードを挿入することで、「侵略国家の中の善良市民」にも似た存在をも描き出したのである。
そして映像は、ゲットーで配給された老婆のスープを奪おうとして、それが地面にばら撒かれ、そのスープを犬のように這い蹲(つくば)って貪り、舐める老人。
嘆きながら、帽子を手に、その老人の頭を叩く老婆がいた。
また、強制収容所行きの貨物列車に乗り込む際、独の協力者となっていた同じユダヤ人が、「地獄の釜に行くんですね」と一言。
運良く主人公は、ゲットー内のユダヤ警察に務める男に救われ、「地獄の釜行き」のラインから外されるシーンがあったが、このように、ゲットー内でも、「非侵略国家の中の悪徳漢」とも言えるようなユダヤ人が描かれていたのである。
―― 次に、主人公の視点による冷厳なリアリズムで貫徹し切った点について。
これは、強制労働からゲットーに戻る途中、元気ない者と看做され男たちが、ナチ親衛隊によって整列させられた挙句、道路の中枢に寝かされて、次々に脳天を撃ち抜かれていくシークエンスに尽きるだろう。
病人扱いされた何人かの男たちが特定的にチョイスされ、次々と、無惨に殺害されていく「死のライン」の最後の一人になったとき、親衛隊員の動きが止まった。
一瞬の「間」が、そこに生まれた。
まだ命脈を保持していたその男は、その「間」に頭を少しもたげた。
その男の脳天が撃ち抜かれたのは、まさにその瞬間だった。
親衛隊員の弾が切れて、ただ単に銃丸を装填しただけだったのだ。
このシークエンスこそ、「『銃後』なき戦場のリアリズム」の極点とも言える描写だった。
それは、〈生〉と〈死〉の危うい際にある者たちが捕捉された〈絶対状況〉を表現する、それ以外にない象徴的な構図だった。
ワルシャワ・ゲットー蜂起①(ウィキ)
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「ゲットーから出たい」とシュピルマン。
「出るのは簡単だ、生き伸びるのが難しい」
男は、そう答えた後、シュピルマンに希望を持たせる言葉を加えた。
「事態が収拾するまで、数日間隠れていよう。買収した警官が知らせに来る」
そう言って励ましていた男自身が、銃丸の餌食になったのだ。
ハリウッド的な喰えないアイロニーだったが、それは、「生き伸びるのが難しい」現実を検証するものだった。
ワルシャワ・ゲットー蜂起② |
4 「コントロールの錯覚」という幻想、或いは、「防衛的自我」の極限的な展開の様態
次に、殆ど運不運の問題でしかない〈状況脱出〉の苛酷さについて。
「コントロールの錯覚」という経済学の概念がある。
簡単に言えば、自分の力でコントロールできないのにも関わらず、それをコントロールできると幻想してしまう心理現象である。
シュピルマンに与えられた限定的な選択肢の中で、彼が選択した〈状況〉の閉鎖性は、そこからの〈状況脱出〉を決定的に困難にする自縄自縛への陥穽以外の何ものでもなかった。
その制約下にあって、〈生〉と〈死〉の境界が見えない闇のラインを這い蹲(つくば)って生き延びていく戦略は、ひたすら隠れ忍んで、息を殺していることだった。
彼は、自分の運命を自分の力でコントロールできないという、言ってみれば、〈絶対状況〉に捕捉されていたのである。
たとえそこに、ピアノの才能が介在したとしても、それを弾く余裕すら全くなく、仮に著名なピアニストとしての「特権」によって、知人からのサポートを受けていた事実を認知してもなお、彼が〈絶対状況〉下で生き延びていく可能性は殆ど運不運の問題でしかないのだ。
彼のピアノの才能が、ラストシーンで初めて功を奏するに至るが、それもまた、彼を救う独軍将校との遭遇の僥倖を得たからである。
果たして、その独軍将校が、ピアニストとしての彼の「特権」を認知したが故に、彼を救い出したかどうか、一切は不分明である。
前述したように、その独軍将校は、眼の前に完全に非武装で、攻撃性が解体された哀れな男の風貌を視認することで、「抹殺されるべき立場にある対象人格への殺意」を意気阻喪してしまったとも思えるのだ。
そのような〈状況〉の形成自体が、既に運不運の問題でしかなかったのである。
「念ずれば通じる」
これこそ、究極の「コントロールの錯覚」の心理学である。
「念ずれば通じる」ことが幻想であることを、私たちは経験的に実感しているはず。
だから私は、「芸術が命を救う」という感傷的な物語に安易に賛同できないのである。
それは、「コントロールの錯覚」と言ってもいい幻想ではなかったのか。
「どんなに訓練を受け、用心しても、生か死を決めるのは運だ。どんな人間か、タフか、そうでないかは無関係。運悪く、そこにいた奴が殺られる」
「シン・レッド・ライン」より |
それこそが、まさに「戦場のリアリズム」の証左と言えるものだろう。
少なくとも、私はそう思う。
―― 最後に、〈生〉に対する執着心が最後まで折れない、「防衛的自我」の様態を描き切ったという点についても言及しておこう。
この点こそが、最も重要なテーマであると考えるからである。
主人公のピアノの演奏で始まって、ピアノの演奏で閉じた物語であるにも拘らず、物語の大半は、ピアノとは無縁な〈生〉に対する防衛的自我の極限的な展開に終始していた。
だから、「ピアニスト(The Pianist)」という原題に込められているのは、そこに作り手の思いを乗せられているだろうが、主人公の職業が芸術家であるという意味合い以上のものではないだろう。
そう思うのだ。
思うに、シュピルマンの〈状況脱出〉の絶望的な戦いは、ゲットーから強制収容所行きの貨物列車に乗せられていく流れの中で、集合した広場において、一個のキャラメルを20ズロチで少年から買い、それを父がナイフで切って家族6人で分けるという、苛酷なリアリズムに端を発したと言っていい。
この「キャラメル分配」の構図こそが、〈生〉を繋ぐためだけに動いていく主人公の、本作での絶望的な戦いを予見させるシークエンスだった。
ゲットーでの苛酷な労役と、度重なる仲間の死の目撃。
そしてゲットーの脱出と、反ナチス地下活動組織に挺身する者らのサポートによる延命的行動の累加によって、ひたすら防衛的自我の極限的な展開を繋いでいくのだ。
物語の過半を占める、この〈状況脱出〉の絶望的な戦いを支え切ったのは、ピアノ演奏という「芸術表現」への熱き思いでもなければ、強制収容所に移送されて絶命したであろう家族との、再会への強靭な熱意と言ったものでもないであろう。
恐らく、身内を含む他者の人格への配慮を念じる余裕すらなかったはずだ。
シュピルマンにとって、最も中枢的なテーマは、細々とした命脈を保持するために、「今、このときの、生存を延長するための食物」の獲得以外ではなかったであろう。
それが、地下活動組織に挺身する者からの食料の差し入れが困難になり、病死の危機にまで追い詰められたこともあった。
最後には孤立し、数粒の豆で飢えを凌がざるを得ないような、〈絶対状況〉に捕捉されていた者の振れゆく、普通の人間の普通の行動様態であるに違いない。
5 「私なら、そのとき、どのように生き抜いていくか」という問いかけの重さ
ワルシャワ・ゲットー蜂起③・捕虜のユダヤ人レジスタンスたち(ウィキ)
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〈死〉の記号である、強制収容所(トレブリンカ絶滅収容所)行きを拒絶したユダヤ人たちが、僅かな武器を持って、1943年4月から5月にかけて継続された武装蜂起である。
武装親衛隊による徹底的な掃討作戦によって、当然の如く壊滅された蜂起だったが、このワルシャワ・ゲットー蜂起の壊滅の惨状の一端を、隠れ家のビルの上の窓から見るだけのシュピルマン。
「よくここまで抵抗したわ」と知人女性。
「僕も残って戦っていれば」とシュピルマン。
「止めて。済んだことよ。彼らを誇りに思って。よく戦ったわ。ドイツには衝撃だったわ。想定外だもの。ユダヤ人が反撃するとは誰も思わなかった」
「でも無駄だった」
「何を言うの。誇り高く死んだのよ。そして今度は、私たちポーランド人が立ち上がるの。覚悟はできているわ」
更に、こんな会話も、映像は拾っていた。
「50万いたのに、今は6万。戦うしかない」
ワルシャワ・ゲットー内の生存者が激減した事態の理由を知るゲットー仲間に、そう督促されたシュピルマンの答えは、「協力するよ」の一言だった。
しかし彼は、結果的に、ワルシャワ・ゲットー蜂起の「前線」への自己投入を回避したのである。
以上の会話を通して、「僕も残って戦っていれば」と吐露しながら、「前線」への自己投入を回避したシュピルマンへの失望が、観る者に更に広がっていくであろう。
ロマン・ポランスキー監督 |
この映画のメタファー的な強さと凄みは、そこにあると言っていい。
何より凄いのは、本作の主人公の人格造形性のうちに、観る者が安直に感情移入させる描き方を排除したところにあるだろう。
このような文脈によって、本作はまるで長尺のドキュメンタリー映画を観るような感覚で、緊張感溢れる映像と付き合わされることになる。
そのことによって、観る者は、その後の歴史の現実を知る者の知識を前提に、映像を追い駆けるという非武装性を解体され、「私なら、そのとき、どのように生き抜いていくか」という問いかけを、それぞれの主体の内側から発することになるだろう。
即ち、その〈絶対状況〉で呼吸を繋ぐ者たちが均しく感受していたに違いない、「この苛酷な状況が永遠に続く」という、実感的リアリズムのうちに丸ごと放り投げられるのだ。
シュピルマンの「卑怯な逃亡人生」を難詰(なんきつ)する人は、果たして、自分が彼と酷似した〈状況〉におかれたとき、ワルシャワ・ゲットー蜂起の「前線」への自己投入を選択すると断言し得るだろうか。
そのような問題提起をも内包する構築力の高い映像を、アウシュヴィッツ強制収容所で母を喪った作り手が、どこまでも冷厳な筆致で描き切ったこと ―― それは殆ど、奇跡的映像と言っていい何かであった。
ともあれ、〈絶対状況〉から運良く生還したシュピルマンが見た、廃虚と化したワルシャワの傷痕(画像)は、紛れもなく、〈絶対状況〉からの解放感を随伴する、痛ましくも、〈状況脱出〉の絶望的な戦いを抜け切った、それ以外にない構図だったのだ。
6 「憎悪の共同体」の爛れ方、或いは、「決定論」の解体
「アーリア人の民族的純血を厳守するために、『劣等民族』たるユダヤ人を絶滅させよ」という、「憎悪の共同体」を作り上げた国民国家があった。
自分がある人間を嫌うには、当然の如く、嫌うに足る充分な根拠があると確信し、その確信を他者と共有することで、特定他者に対する意識の包囲網を形成せずにはいられないようだ。
この意識の包囲網を、私は「憎悪の共同体」と呼ぶ。
人々の憎悪が集合することは、個人の確信を一段と強化させるから、仮想敵に対する攻撃のリアリティを増幅させていく。
そこに集合した憎悪は何倍ものエネルギーとなって、大挙して仮想敵に襲いかかる。
そこに快楽が生まれる。
この快楽が共同体を支え切るのだ。
だから、この負性の展開に終わりが来ないのである。
自分が嫌う相手を自分と一緒に嫌い、自分と一緒に襲ってくれる者を人は仲間と呼び、味方とも呼び、しばしば同志と呼びさえもする。
この仲間たちと共有する一体感は、感情が上気している分だけ格別である。
それは、快楽以外の何ものでもないのだ。
同志とは、敵の仮構によってのみ成立する相対的概念である。
敵を作ることによって同志が生まれ、その同志の連帯の強化は、強大なる敵の実在感によって果たされる。
この実在感は、我々が憎悪し、警戒し、身構えるという期待された反応を示すことで、敵の意識の中で集中的に高まっていく。
中央が親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラー(ウィキ)
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共同体の同盟性の推進力は、仮想敵の反応こそを、そこに作り出してしまうのだ。
この「憎悪の共同体」を、国民国家のレベルで構築したのがナチスドイツである。
ナチスドイツがターゲットにしたユダヤ人たち。
多くのユダヤ人たちが拠っていた、ポーランドという国民国家は既に解体されていて、寄る辺なきユダヤ人たちが取り得る選択肢は限定的だった。
それは、本作でも描かれたワルシャワ・ゲットー蜂起に自己投入して、皆殺しの運命に遭うことを選ぶか、それとも運命のままに流され、絶滅収容所の中で悶絶の果てに息絶えていくか、どちらかであるかも知れない。
しかし、僅かながら、もう一つの選択肢があった。
それは、運良く地下活動組織に挺身する者たちにサポートされながら、いつ到来するかも知れない「平和と安寧の日々」への希望に対して闇雲に縋ることなく、ただひたすら、「その日、そのとき」を生き延びていくという稀な選択肢である。
ワルシャワにあるシュピルマンの墓(ウィキ)
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彼の〈生〉が独軍将校によって救われたのは、彼のピアニストとしての才能であったという実話に違いないが、前述したように、それもまた、そのような将校に出会った彼の運不運の差でしかないとも言えるのだ。
人間の自由意志を含む、一切の事象が必然的に動いていくという「決定論」は、本作では悉(ことごと)く解体されている。
そこがいい。
そのような、人間と人間社会の真実の様態に肉薄した映像の圧倒的な凄み ―― それが本作であった。
ショア(ホロコースト)をテーマにした映画に、カタルシスを保証するハリウッド的な「英雄譚」は似合わないのだ。
(2011年1月)
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