序 「誰かが行かねば、道はできない」 ―― 本作の梗概
「誰かが行かねば、道はできない。日本地図完成のために命を賭けた男たちの記録」
この見事なキャッチコピーで銘打った本作の梗概を、公式サイトから引用してみる。
「日露戦争後の明治39年、陸軍は国防のため日本地図の完成を急いでいた。陸軍参謀本部陸地測量部の測量手、柴崎芳太郎(浅野忠信)は最後の空白地点を埋めるため、『陸軍の威信にかけて、劒岳の初登頂と測量を果たせ』という命令を受ける。
立山連峰に位置する劒岳は、その険しさを前にして、多くの優秀な測量部員をもってしても、未踏峰のままであった。創設間もない日本山岳会も、海外から取り寄せた最新の登山道具を装備し登頂を計画しており、『山岳会に負けてはならぬ』という厳命も受ける。
前任の測量手・古田盛作(役所広司)を訪ねた柴崎は、あらためて劒岳の恐ろしさを知るが、アドバイスとともに案内人として宇治長次郎(香川照之)を紹介される。新妻・葉津よ(宮崎あおい)の励ましを受けて富山に向かった柴崎は、宇治と合流、調査のために山に入ったが、謎めいた行者の言葉『雪を背負って登り、雪を背負って降りよ』以外、登頂への手掛かりすら掴めずに帰京する。
そして翌明治40年(1907)、測量本番の登頂へ。柴崎・宇治に、測夫の生田信らを加えた総勢7人で、池ノ平山・雄山・奥大日山・釖御前・別山など周辺の山々の頂に三角点を設置し、いよいよ劒岳に挑む」(公式サイトより引用/筆者段落構成)
1 入魂の表現力のうちに隠し込んで浄化させた映像総体の力技
「昨今のチャラチャラした日本の男たちは・・・」、「金融資本主義に突っ走る、今の日本社会の荒廃は・・・」、「CGなどの表現技巧に依存するハリウッド映画の物真似は・・・」等々という説教を喰らいそうな映画だが、それでも本作が、「キャッチコピー」だけの欺瞞的なマヌーバーに堕さなかったのは、本作の基幹メッセージを、厳しく苛烈な自然に呑み込まれながらも、若い俳優たちの入魂の表現力のうちに隠し込んで浄化させたかに見える、殆ど神懸った映像総体の力技を表現し切ったからである。
ここで言う、基幹メッセージとは、以下の要約の中で把握されるように思われる。
その1 本作は映画それ自身よりも、映画製作そのものを目的としたかのようなメッセージを含んでいること。
これは、「日本の映画とは何か」という作り手の強い問題意識の反映であるだろう。
その2 「日本の男たちは誇りを持って、自分の仕事を引き受けているのか」という、曖昧模糊とする厄介な問題提起。
その3 「人間と自然の関係はどうあるべきなのか」という、些か手垢に塗(まみ)れながらも、「現代人が失った自然への畏敬の念」の復元を謳ったメッセージ。
その4 「自分、或いは、自分たちさえ良ければ、それで満足」という、「スポーツの遊戯化」に象徴される、「レジャーとしてのスポーツ登山」への批判的メッセージ。
その5 「仲間」=「和」の精神の強調である。
これが最も重要なメッセージと思われるのは、1から4までのメッセージが、この5のうちに包括されているが故に、本作を根柢において支え切っている理念であると思えるのである。
以下、これらのメッセージの含意を考えていきたい。
2 「苦行」という、極めて主観の濃度の深い「使命感」の暴れ方
まず、その1。
明らかに作り手は、CGの表現技巧(90%以上が実写と言われる)に流れる現在の映画製作の安直さに対して、本作それ自身を強力なアンチテーゼとして提示していると言っていい。
如何に本作の製作が苛酷であったかについては、そのためのメイキング映像が作られ、関連著作が上梓された事実によっても確認されるだろう。
公式サイトから引用してみよう。
そこには、「これは、映画撮影の記録ではない。人生そのものの激闘の証しである」の文字が大きく踊っていて、以下の言葉が記述されていた。
「日本を代表するキャメラマン・木村大作を、企画の立ち上げから47都道府県全てを自家用車で廻った宣伝キャンペーンの最後まで奔走せしめた2時間19分の大作は、浅野忠信はじめ日本を代表する俳優陣が演じ切った明治の人間の気高き佇まいと、前代未聞の、200日以上、標高3000メートル級の立山連峰にこもって撮影された自然の美しさと厳しさを存分に切り取った映像美で、多くの観客を魅了した」(公式サイトより)
剱岳早月尾根(ウィキ)
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更に、公式サイトの動画では、「これは撮影ではないんですよ。苦行に行くんですよ」との木村大作監督の言葉が紹介されていて、驚かされるばかりだ。
「撮影場所へ、何時間もひたすら歩いて移動した。芝居をしているときが、唯一休めるときでした・・・厳しい登山のシーンは必死で、芝居ではなくなっていたかもしれません」(西日本新聞・2009年06月19日)
これは、柴崎役の浅野忠信の述懐。
体感温度がマイナス40度での、転落の恐怖を抱えながらの雪渓行の厳しさを語るのだ。
他にも、博多経済新聞からは、こんな記事を拾うことができた。
「木村監督は『大自然(のロケ)は、自分が思い描く理想の条件になるのを待ってから撮影した。ほぼ順撮りで進めたことは、映画で役者のひげを見ていただければ分かる』と明かした。また『黒澤明監督の言葉ではあるが』と前置きしながら、『映画はこだわり、集中、記憶が大事。その通り、リアリティーと場所、役者にこだわって撮影した』」(博多経済新聞・2009年06月12日)
「これほど理屈じゃなく感動した映画はない。自分の可能性を押し広げてもらい、最もかけがえのない、最も記憶に残る一本だった。この一本を超えるために残りの俳優人生があるとも言える」
これは、某ブログからの引用だが、「劒岳宣伝・北日本新聞特別版」のインタビューにおける、大山村(立山信仰登山の基地である芦峅に隣接)に住む強力(ごうりき)の、宇治長次郎を演じた香川照之の言葉。
柴崎役の浅野忠信と、宇治長次郎を演じた香川照之 |
本作の製作プロセスを「行」と考えている木村監督が、それまで、「日本沈没」(1973年製作)、「八甲田山」(1977年製作)、「聖職の碑」(1978年製作)、「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年製作)等々のカメラマンであった事実は、遍(あまね)く知られている話。
作り手にとって、「本物の映画」(公式サイトより)への強い拘泥が、本作のモチーフになっていることを了解できると同時に、恐らく「最後の映画人」としての自覚を持って、どうしても、この一篇だけは自らのメガホンによって作りたかったのだろう。
そこには、「日本の映画とは何か」という、作り手の強い問題意識の反映が濃厚に垣間見えるが、敢えて毒気を吐けば、「これは撮影ではないんですよ。苦行に行くんですよ」というモチーフを自己投入させる、極めて主観の濃度の深い「使命感」もべったり張り付いていて、その過剰性が「匠なる男」の独善性を、弥(いや)増す心象風景を露呈させているとは言えないか。
ともあれ、この問題意識によって指弾される数多の邦画・洋画の、その「全身情感系ムービー」の甘さを相対化させる相応の効果があるとしても、せいぜい苛酷な苦行に投資した熱量の分量以内に抑え込んで欲しい限りである。
私もまた、CGを駆使した映像を厭悪するが、しかし、それもまた、「表現の自在性」の把握のうちに認知せざるを得ないのである。
もっとも私自身が、この作り手のように、他人の前で簡単に放てない言葉を主張する、映像作家という名の「頑固居士」の存在もまた、スノッブ効果としての役割以上に、今や特段の希少価値性を持つと信じるが故に、決して、本作に対して否定的評価含みで一刀両断する者ではないということ ―― それだけは事実である。
3 堂々と駆け抜ける「純粋動機論」の独壇場
その2 「日本の男たちは誇りを持って、自分の仕事を引き受けているのか」という、曖昧模糊とする厄介な問題提起について。
有名な「アルビノーニのアダージョ」(レモ・ジャゾット作曲)に代表される、バロック音楽の多用(注)による感傷の臭気が気になるものの、一貫してほぼ淡々と進行する映像の中で、「命を賭けて」という連用修飾語を張り付けてもいいほどに、このメッセージが観る者に提示するメッセージになり得ているのは、本作の主人公の柴崎芳太郎(陸地測量部測量手)と、前出の宇治長次郎の「仕事」に対する、全くぶれることのない基本スタンスが、そこだけは遠慮気に表現されているからである。
この点について、4との関連で言えば、印象深いエピソードがあった。
仲村トオル演じる小島烏水(左)
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以下の通り。
「私たちの山登りは、やはり、ただの遊びなのかも知れませんね。我々は登ること自体が目的だったが、あなた方は登ってからが本当の仕事だ」
これは、発足して間もない日本山岳会のリーダーであり、剣岳初登頂を目論む小島の言葉である。
彼は、それまで対立的なスタンスを崩さなかったが、柴崎と長次郎らとの微妙な交叉の中で、「民間に負けたら恥だ」という、狭隘で傲慢な、官僚主義丸出しの陸軍参謀本部の発想とは無縁に、「善きライバル」という関係にまで心理的に近接していたのである。
「児島さん、一つ教えてもらっていいですか?児島さんは、何で山に登るんですか?」
答えに窮しているというよりも、既に心情を吐露した小島烏水は、逆に聞き返した。
「柴崎さんは、どうして何ですか?」
自己主張が抑制的な柴崎は、この根源的発問に即答できなかった。
恐らく、彼にとっての「登山」の意味が、「仕事」の範疇を超えていなかったからだろう。
役所広司演じる古田盛作(右) |
「お手紙を拝読し、私は改めて、地図を作るということがどういうことか考えてみました。人は誰もが生まれた場所、生きている場所が、日本の中で、世界の中で、どんな所に位置しているのかを知りたいのではないでしょうか。それは自分自身が何者であるかを知ることに繋がるからです。地図とは、国家のためではなく、そこに生きている人のために必要とされているのではないのでしょうか。人がどう評価しようとも、何をしたかではなく、何のためにそれをしたか大事です。悔いなく、やり遂げることが大切だと思います。お互いに、これからも走り続けましょう」
極めて重要な含みを持つ、ボイスオーバーの内実である。
この辺りに、作り手の思いの強い基幹メッセージが読み取れるだろう。
しかし私には、「私たちの山登りは、やはり、ただの遊びなのかも知れませんね」という日本山岳会の小島烏水の言葉の含みには、「あなた方は登ってからが本当の仕事だ」と言わさしめる対象としての、柴崎をリーダーとする陸地測量部測量隊の、「栄光ある仕事」の内実によって相対化される文脈が、暗黙裡に読み取れるのである。
既にこの時点で、「初登攀の栄誉」の意義を希釈化させた日本山岳会の存在性が、「栄光ある仕事」に従事する陸地測量部測量隊の「使命感」のうちに収斂され、丸ごと吸収されていく心理の行程が透けて見えるのだ。
即ち、「仲間」という概念が、程なく、そこに雄々しく立ち上げていくに足る、それ以外にない予防線が張られていたのである。
思うに、両者が本来、対立的関係にならないにも拘らず、「遊び」としての登山の価値を、「仕事」としての登山の価値によって相対化すること自体、既に論理的過誤であると言っていい。
ここに、木村監督へのインタビュー記事があるので、それを拾ってみる。
「[編集部] 映画のスタートには、そんな逸話があったんですね。
[木村監督] 家に帰ってから、映画を作りたいという思いはもっと強くなってね。じっくり原作を検討しはじめて、映画の構想を練っていった。そんなとき、プロデューサーの坂上順さんから、『国家の品格』という本を読むように薦められたんだ。その本の中に『悠久の自然、儚い人生』という言葉が出てきて、俺の人生はまさにこれだと思った。このときは藤原正彦さんが新田次郎さんの息子さんだとは知らなかったんだけど、『国家の品格』と『劒岳 点の記』には、相通じる精神性を感じたよ。その言葉が俺を後押ししてくれた。そこから映画づくりが始まっていったんだ」(「WEBインタビュー » 木村大作 美しさは、厳しさの中にしかない」・2010年3月26日)
何のことはない。
驚異的なベストセラーとなって、人口に膾炙(かいしゃ)した「国家の品格」(藤原正彦著 新潮社)の、米国流の「論理万能主義」を批判し、「情緒の拡大的復権」を説いたかのような著書の過剰な幻想が、本作のベースに張り付いていたということだ。
要するに、古田盛作のボイスオーバーを基幹メッセージの定点に据えて、日本人が好んで止まない「純粋動機論」が、そこに大仰に主張されているのである。
木村大作監督 |
何より、「たかが経済」(「国家の品格」)というインプリケーションが、360度の大パノラマを収めたパンフォーカスの包括力のうちに、嫌という程、撒き散らされているのである。
「成果主義」の否定である。
各個人の最適適応による努力関数のレベルにこそ、最大価値を認知することであると言っていい。
或いは、構造改革という名で遂行された、一連の経済政策が垂れ流したと信じる「成果万能主義」を、狭隘な倫理学の視点で、且つ、直接話法を介して、測量部の先達である古田盛作のボイスオーバーを、相当程度の説得力を持つかの如く嵌入(かんにゅう)させてしまうのだ。
映像構成的に言っても、古田盛作のボイスオーバーが、不必要なまでの説明的描写であることは明瞭である。
一切を、観る者の判断に任せるべき類の、中枢的シークエンスの創造的構築の瑕疵の問題でもあった。
そう思うのだ。
(注)木村監督は、「バロック音楽が200年以上残っているのは、人間の心を揺さぶるからだと思う。大自然に適う音楽だと思うし、撮影中も頭の中を流れていた」と音楽に対する強い拘りを披露していた。(博多経済新聞・2009年06月12日)
4 「仲間」=「和」の精神という中枢理念への浄化
剱御前小舎方面より(ウィキ) |
「人は寂しさに耐えながら、生きとんがいねえ」
これは、劒岳の頂上を仰ぎ見た、柴崎と長次郎の短い会話だが、既に作り手の思いが仮託されたメッセージになっていた。
「自然の美しさは、厳しさの中にしかないことが分った」
冬を間近にした柴崎のナレーションだが、これも二人の短い会話と脈絡を持つ自然観である。
要するに、以上の自然観のうちに、「人間と自然の関係はどうあるべきなのか」という、些か手垢に塗れながらも、「現代人が失った自然への畏敬の念」の復元メッセージが謳われるのだ。
この3のメッセージについて言えば、「行者」が劒岳の初登攀を極めたという物語のオチによって想像し得るように、本作が「人間もまた自然の一部」であり、その自然の脅威を知る人間の、自然に対する「怖れ」(劒岳は「死の山」という言葉に象徴)の感情が山岳信仰のベースになってきたことを裏付けるものである。
元より、剱岳は立山に籠って荒修行を実践躬行(きゅうこう)する、日本独特の「立山修験(しゅげん)」と称される山岳信仰の対象であり、その信仰性の強さから、他の山頂から参拝する山であって、登攀すること自体が倫理的に逡巡せざるを得なかったのだ。
それ故にこそ、山岳信仰の絶対的存在として対象化される剱岳を敬い、悟りを求めて、「立山修験」を実践躬行する行者の帰依の「聖地」という、宗教的読み替えによってのみ初登攀が許容されたということなのか。
「大般涅槃経」(だいはつねはんぎょう)の中枢理念である、「生きとし生けるものは、遍(あまね)く生まれながらにして仏と成り得る」という意味を持つ、「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)という有名な言葉に集約されるように、この種のアニミズム的な自然観が、本作の通奏低音となっていたことは疑う余地がないであろう。
そして、その修験道の体現者が、柴崎らに「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ」という謎めいたヒントを与えることで、陸地測量部測量手の面々の劒岳登攀の成功に寄与した、夏八木勲演じる行者であり、更に、その精神を礼儀正しく、謙虚な人柄のうちに継承する者こそ、香川照之演ずる宇治長次郎であることは言うまでもない。
この長次郎に全幅の信頼を置くことで遂行された、柴崎の仕事の意味と価値が、まさに、その親和力の深みにこそ、眩い輝きを弥(いや)増したのである。
その5である、「仲間」=「和」の精神の強調という基幹メッセージ。
「仲間」=「和」の精神の強調する、日本山岳会のメンバーとの予定調和という友好的軟着が、本作を根柢において支え切っている包括的な理念であることは、既に言及した通りである。(最後に4のメッセージについては、映像のテーマから距離をおくので、5で後述する)
「仲間」として相互に讃え合う。
これこそが、本作の基幹メッセージの中枢理念であると言っていい。
「私はあなたの案内でなければ、頂上へは行きません。今日まで一緒に頑張って来たじゃないですか。我々はもう立派な仲間です。私はあなたがいなければここまで来れなかった。この先も、仲間と一緒じゃなければ、意味がないんですよ。長次郎さん、最後まで案内お願いします」
これは、謙虚な人柄の長次郎が、山頂の登攀を陸地測量部測量手の面々に譲った行為に対して、深く感銘した柴崎が、そこだけは、それまでの彼の寡黙な物言いとは切れて、その人格総体をもって反応した言葉。
この場面は、映像の中で、特定的に選択された選(え)りすぐりのシーンであるに違いない。
このような関係性の高度な親和力によって遂行された、彼らの劒岳の登攀(とうはん)の成功は、同時に登攀を成功させた日本山岳会との手旗信号による、熱い友情交歓を自然裡に招来させた。
無論、柴崎と長次郎の二人は無縁であったが、そこにはもう、かつて「競争登山」を争った両者の、殆ど醜悪なまでの対立の面影が全くなかった。
初登攀者が行者であった事実を知らされた参謀本部や、マスコミから冷眼視されながらも、柴崎らは、ただ黙々と、己が誇りとする測量の仕事を遂行するだけだった。
日本山岳会 高尾の森づくりの会(イメージ画像)
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映像のエンドロールで、「仲間」と記述されることで、本作を支える中枢理念が、予定調和の軟着点のうちに結ばれたのである。
何より本作は、映像を支える中枢理念を、映像総体の中で全て吐き出し切ることで、観る者に問題提起の余地すら残さないような映画の典型的な一篇でもあった。
残念ながら、その意味で、「良い映画」という印象を希釈させる、ある種の傲岸(ごうがん)さが垣間見える作品だったと言えるだろう。
閑話休題。
散々、多々文句をつけたが、映像の完成度は低くない。
とりわけ、印象深かったのは、以下の点に尽きる。
長次郎役の香川照之と柴崎役の浅野忠信 |
見事だった。
本作は、「内的表現力」の高度な親和力の理念系を体現した、この二人の演技者の映画だったのだ。
そう思った。
5 「人類」→「国家」→「組織」乃至「個人」(単独行)という観念シフトを必然化させた「近代スポーツの風景」 ―― ①
その4については、本作への批評と言うよりも、もっと一般的視座で、映像から距離をおいたテーマで私論を書きたい。
テーマは、「近代スポーツの風景」である。
ここで一言言えば、私にとって「レジャーとしてのスポーツ登山」が生まれたのは、人類のスポーツ史の必然的帰結であると考えているので、全く批判する対象にはならないのである。
以下、「スポーツの風景」という拙稿から加筆・引用する。
大衆の熱狂と、そのコインの裏側にある苛立ちの激しさが、いつの間にか、現代スポーツを変色させてしまったようだ。
プレーの主体はいつも何かに駆り立てられるようになり、空気を先取りして、それに応えるべく、超絶技巧への開拓に余念がないようにも見えるのである。
勿論、その観念の中に今、「国家」の存在はない。
そこにあるのは「個人」であり、「家族」であり、「組織」であり、「ファン」である。
仙人池から望む剱岳八ツ峰の岩場(ウィキ) |
使命登攀から、ホビー登攀でもあるフリー・クライミングへのシフトは、今や、一切の道具の使用なしに3メートルほどの岩場を登る、「ボルダリング」のような格付けの級段方式を採用したゲームスポーツの登場などによって、かつてのストイックなクライマー文化の範疇では説明できないほどに、限りなく劇的な転換であったと言えるだろう。
加えて、樹木を傷つけずに木登りするという「ツリークライミング」になると、殆ど遊びとスポーツ、更に教育(木登りの体験学習)との区別をすることが意味を持たなくなると言っていい。
アメリカの樹木医が発案したこの「スポーツ」は、我が国において、「ツリークライミングジャパン」という普及組織を持っていて、各地で活発な活動展開をしていることはニュースにもなるほどである。
国民栄誉賞の植村直己の冒険行は、このシフトの橋頭堡(きょうとうほ)でもあったのか。
このようにスポーツは、プレー主体から十字架の重量感を取り除くことに成功したが、それを埋めるべく、フィールドの興奮をより掻き立てるようなサーカスの醍醐味へのニーズが、一段と強化されるに至ったのである。
近代スポーツは大衆の熱狂を上手に仕立てて、熱狂のうちに含まれる毒性を脱色しながら、人々を健全な躁状態に誘(いざな)っていく。
この気分の流れは、「勝利→興奮→歓喜」というラインによって説明できるだろう。
まず何よりも、近代スポーツは、勝利という事実による紛う方ない躁気分の報酬を受けること。
これが、第一義的価値となる。
勝利感が興奮状態を作り出し、これが歓喜の気分を人々の脳裡に深く焼き付ける。
そして、それぞれのゲームごとに、自己完結感が届けられることになるのである。
近代スポーツが、必ずしも予定調和のラインをなぞっていかない偶然性のゲームであればこそ、勝利感が開いた快適な気分のラインを、思い入れたっぷりにステップ・アップしていくことが可能になるのだ。
近代スポーツでは、勝利という概念に含まれる意味合いこそが何より重要なのである。
思うに、敗北という事実結果から躁状態を醸し出すには、局面的な満足感を上手に切り取って、それを近未来の勝利の予感に繋いでいけるような心情操作に成功した場合に限られる。
敗北による自己完結感の中で夢が繋がれば、近代スポーツの継続力に衰弱の翳(かげ)りは見られないのである。
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相手を必要とするスポーツで、記録を残さず、ただ楽しむだけに身体を展開するゲームを観る者もまた、勝敗抜きにゲームと付き合うという世界は、殆ど前近代の何かであるか、或いは、単に社交のツールとしてのゲームでしかないであろう。
ジョギングがマラソン競技と異質なスポーツであるように、勝敗による自己完結性を持たないスポーツは、ここ百年間の間に、欧米で発明された近代スポーツのラインから逸脱するものである。
無論、そんなラインからの逸脱を歓迎しないわけではない。
それが、近代スポーツの周辺で、個々の多様な事情に即した消費を果たしていればそれでいいだけの話である。
6 「人類」→「国家」→「組織」乃至「個人」(単独行)という観念シフトを必然化させた「近代スポーツの風景」 ―― ②
然るに、ここでのテーマは「近代スポーツの風景」である。
そして、勝利こそ近代スポーツに於いては第一義的価値であった。
共同体の喪失によって手放した、人々の自己完結感の希求が近代スポーツの中で具現したとき、恐らく、それまで遊びのカテゴリーの中にあったものが、より高速化された時代に見合った特段の娯楽のうちに止揚されたのである。
明瞭な勝敗の導入によって勝者と敗者が作られて、そのときのゲームの括りの中に、そこに思い入れ深くアクセスする人々の自己完結感を紡ぎ出した。
近代スポーツは、近代が壊してきたものの甘美なエキスである自己完結的な日常感覚を、人工的に仮構するものとしても有効だったのだ。
近代スポーツが勝敗主義を捨てられないのは、至極、当然なことなのである。
勝敗によるゲームの括りなしにそれは成立する訳がなく、よしんば、近代スポーツが勝ち負けに拘泥しなかったと仮定したら、エンドレスな身体の転がし運動を誰も止められなくなって、祭礼の無礼講のように壊れる者が出て来るまで蕩尽し続けるだろう。
勝利し、興奮し、歓喜すること。
結局、近代スポーツはこのラインを目指す外にないのだ。
これを一定のタームごとに消費する。
自己完結感を手に入れて、明日に臨む自己の〈生〉の更新を図り、そこに少しばかりの熱量を含んだ時間を継続させていくのだ。
この継続力が近代スポーツを支えていると言っていい。
熱狂が仕立てられ、其処彼処(そこかしこ)で巨大な渦を作って、時代をいつも印象的に彩っていく。
私たちの近代スポーツは、私たちの夢の欠片を代償的に満足させながら、なお進化を止めないでいる。
近代スポーツが、勝者と敗者を作り出す飛び切りの娯楽であるという現実は、もう否定しようがないのだ。
勝つか負けるかというところまで流れ着かないと、多くの人々の自我が落ち着かないのである。
クロード・レヴィ=ストロース(ウィキ) |
前近代社会では、ビッグマンと呼ばれる長老を頂点とする、「秩序づけられた平等主義」というものが共同体のコアにあって、たとえスポーツと言えども、この原理を壊しかねないような勝敗の決着は付けられないのである。
人々を動かす原理が異なる社会では、スポーツの受容の仕方も異なるのということだ。
と言うより、前近代社会には、「スポーツ」という概念そのものがなく、それに似たものは悉(ことごと)く「遊び」の概念のうちに収まってしまうのである。
それらは、身体を動かすゲームという意味において、確かに「身体運動文化」という範疇に含まれるだろう。
しかし、ロジェ・カイヨワの言う、「競争」と「偶然」という要素(彼は「遊び」を、「模擬」、「眩暈(げんうん)」→「競争」、「偶然」という流れで定義した)が稀薄で、近代スポーツに特徴的な偶発的熱狂というものが、そこにはない。
それは、気晴らし以上の何かではない。
それらは関係的秩序を維持する手段でもあるから、当然の如く、共同体社会に深々と依拠する彼らが、敗者を作り出す危険を敢えて冒す訳がないのである。
この違いが、両者を決定的に分ける。
近代スポーツでは、敗者の創出を不可避とする。敗者の創出によって、勝者は初めて価値を持つ。
敗者の創出こそ、近代スポーツの本質であるとも言えるのだ。
―― 本稿の最後に、本作への正直な感懐を添えておく。
「人類」→「国家」→「組織」乃至「個人」(単独行)という観念シフトの中で、「大きな物語」に張り付いていた「使命感」という心地良きモチーフが、堂々とアイデンティティを持ち得た時代の物語として把握しない限り、本作の「時代限定」の物語の本質が了解し得ないであろう。
だから私は、本作の意味を、「『仲間』=『和』の精神という中枢理念への浄化」という、些か手垢の付いた文脈のうちに認知する以外なかったのである。
厭味を言えば、殆どアナクロ的な「武士道精神」の復元を主唱した「国家の品格」の基幹メンタリティである、「世界で唯一の『情緒と形の文明』を持つ日本」(ウィキ)の「本来的な有りよう」を決定的に喪失したと信じる、「快楽装置」としての都市で呼吸する日本人の多くの心に、映像表現を介してインスパイアーしたかったのか。
映像総体としては、「良い映画」であることを認めつつも、そう思わざるを得ないのだ。
(2011年2月)
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