このブログを検索

マイブログ リスト

  • - 【*状況論的短言集*】(画像はスピノザ) * 虐めとは、身体暴力という表現様態を一つの可能性として含んだ意志的、継続的な対自我暴力である。 最悪の虐めは、相手の自我の「否定的自己像」に襲いかかり、物語の修復の条件を砕いてしまうことである。その心理的な甚振(いたぶ)りは、対象自我の時間の殺害をもって止めと...
    17 年前
  • 大谷翔平 ―― そのパイオニア魂に限りなし - *史上初の「シーズン50本塁打、50盗塁以上」をマークした大谷は3度目のMVPを受賞した* *同上* *1 想像を絶するプレッシャーを撥ね除けたアスリート* 大谷翔平について書くにあたって、何にも増して驚かされる事件がある。 複数の経歴について疑問を投げかけられている現在、日...
    1 年前
ラベル フェデリコ・フェリーニ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル フェデリコ・フェリーニ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年12月24日金曜日

ジンジャーとフレッド('85)       フェデリコ・フェリーニ


<「祭り」の後の「寂寞感」が映し出す人生模様>



1  「この俺を舞台に出してみろ。思い知るぞ。何もかもぶちまけてやる」



如何にも、視聴者参加のテレビ向きのコンテンツが詰まった特別番組があった。

その名は、「トピック・テレビ」。

クリスマスの特別企画である、この「トピック・テレビ」への出演のために、30年ぶりにやって来た2人男女。

すっかり禿げ上がった男の名は、ピッポ。

老いても気品を漂わせる女の名は、アメリア。

かつて、“ジンジャーとフレッド"の物真似(フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのダンス・コンビがモデル)として、タップダンス芸で業界の一隅を照らしていた芸人コンビである。

テレビ業界特有の煩雑さの中、忙しく動き回るスタッフを尻目に、出番を待つ様々な「売り」を持つ出演者たちが舞台裏で待機しているが、一人、ピッポは挑発的に気を吐いていた。

「俺たちを何だと思ってる?海軍大将なんかを盛り上げる前座じゃないぞ。そう思うだろう?」
「私もそれは気に入らないけど、仕方がないわ」とアメリア。
「許せん!どうするか見てろ。この俺を舞台に出してみろ。思い知るぞ。何もかもぶちまけてやる。6000万国民に言ってやるんだ」
「何て言うの?」
「“羊ども、追従者ども・・・俺は80万リラ欲しくて来たんじゃない。テレビが何だ!お前らはテレビばかり見てる。そんなにテレビが好きなら俺を見ろ!”」

そう言い切った男は、アメリアとの簡単なリハーサルを済ますが、鼻息荒い言葉と裏腹に、すっかり息を切らしてしまった。

2人が楽屋に呼ばれたのは、その直後だった。

出番が近づいたのである。



2  「電気仕掛けの快楽装置」であるテレビの無力と、その弱点を衝いて



「トピック・テレビ」の時間が近づき、1度は逡巡し、帰ろうとしたアメリアだが、腹を括った。

「あんたの年でタップを踊るのは難しいから、本当の年を言って、喝采をもらった方がいい」

楽屋で待機するアメリアは、番組スタッフに、そんなことを明け透けに言われる始末。

それこそが、「トピック・テレビ」の「売り」とでも言うように、雑然とした楽屋に待機する出演者は、フリークの群れという印象を与える者ばかりだった。

ピッポやアメリアのように、「昔取った杵柄」で、オーソドックスの芸を披露する者は稀であった。

そんな雰囲気の中で、「トピック・テレビ」が開かれていく。

アマゾンで黒魔術を学んで、見詰めるだけで妊娠させる男や、「最高身長40㎝の世界一小さなバレリーナ」である小人のショー。

更には、聖職者の衣を脱いで純愛を貫いたカップルが、ステージの中央でキスをさせられるのだ。

食べられるパンティを発明した人や、宙に浮かぶ修道士、等々。

「狩猟は人間の攻撃本能を養うから悪い」

断食のため生命の危機にある議員を呼んで、狩猟と釣りの禁止を主張をさせる際物ぶり。

そして極め付けは、アナウンサーの紹介で登場した、英雄シルベストリ夫人なる女性。

「1か月間、受像機を封印した上、アンテナも外して、テレビ電波を全く受信できなくなりました。とても耐えられないと思いましたが」

「もう一度やれますか?」とのアナウンサーの質問に、彼女は嗚咽を交えて答えたのである。

「いいえ、決して。死にそうでした。お金を頂いたくらいでは済みません。貧乏人に残酷な実験です」

更に、アナウンサーに促された後、「もう嫌よ」という一言を、ソプラノで歌わせるヤラセぶり。

ここで、会場から万雷の拍手。

「本当にテレビなしでは生きられません」

アナウンサーの決め台詞で、欺瞞的なテレビ賛歌のパロディが自己完結するに至った。

“ジンジャーとフレッド"のステージが開かれたのは、その直後だった。

ところが、待望のステージが開かれるや否や、生放送のスタジオは停電となり、暫く、闇の時間帯が過ぎていく。

これは、「電気仕掛けの快楽装置」であるテレビの弱点を衝き、その本質的な無力を晒した目一杯のアイロニーだった。

慌てるスタッフを横目に、フレッド役のピッポは、「ずらかろう」とアメリアに促すのだ。

これは、テレビへのリベンジを企むフレッドの心象風景を映し出すもの。

「バカ!今更なによ」

アメリアの反応だ。

「テレビは砂上の城だ」

そう皮肉った後、ピッポはアメリアを脅して見せた。

「テロかも知れない。爆弾が仕掛けてあるぞ」

怖がるアメリア。

「新聞に“30年ぶりの恋人たち。死の再会"と出るから、ここにいよう」

そんな真面目なアメリアに、今度は面白半分に「恐怖突入」のプランを提示した。

それもまた、ピッポのテレビへのリベンジになるのだ。

この停電のシーンが示すものは、「電気仕掛けの快楽装置」であるテレビの無力と、その弱点を衝いて、どのようにでもリセット可能の状況を作り出すことの面白さにあるだろう。



3  「祭り」の後の「寂寞感」が映し出す人生模様



ともあれ、テレビの速いテンポに戸惑う二人が、停電となることで、初めて自分たちの本来の律動感を取り戻すのだ。

闇の中での2人の会話が、それを検証していく。

「君に逃げられてプツンときたらしい」とピッポ。
「知ってたら、駆けつけたのに」とアメリア。
「何のため?僕らの仲は、仕事と共に終わった。僕らは幽霊さ。闇から現れ、闇に消える」
「そうね。私も孫のためとか、何とか言ってたけど、本当はあなたに会いたくて来たのよ」
「ロマンティックだな。僕も君と会えて嬉しい」


時間の経過が、過去の別離を回想できる関係にまで復元していったのだ。


テレビ局に電気が再点灯したのは、闇の中での会話の後、ステージから二人で消えようとしたときだった。

再び、彼らのステージパフォーマンスが開かれた。



盛大な拍手に包まれて、 “ジンジャーとフレッド"の物真似のタップダンス芸を披露するが、途中で転倒するピッポを励ましながら、必死のステージパフォーマンスを表現し切った名コンビが、そこに眩いばかりに輝いていた。


最後まで踊り切った二人は、万雷の拍手を被浴し、一時(いっとき)の至福感に浸っていた。

 最高のステージパフォーマンスを終えた二人の別離は、30年前のそれとは違う温もりがあった。

アメリアから金の無心をして、一人寂しく酒を飲むピッポの、遠景ショットに滲む哀感が、観る者の心を捉える人生模様を映し出していた。



4  定番的な感傷を必要以上に張り付けた、軟着点への無難過ぎる括りの安直さ



厚顔にもグロテスクな企画を軽快なノリで遂行してしまう、天下無敵の俗悪趣味が全開のテレビ番組であることを知りつつも、それを逆手にとって、最高のタップダンスを披露し切って、自分たちのショーを遂行する、二人の老いた男と女。

フェリーニが描いてきたサーカスの世界が、テレビという「電気仕掛けの快楽装置」のうちに特定的に切り取られ、加工され、吸収されていく。

そんな世俗文化に対する存分のアイロニーが、「日々是祭り」の喧騒に満ちた特殊空間の卑俗性を、マキシマムにカルカチュアライズされた画面の隅々に目一杯捨てられていく。

テレビ視聴に馴染めないアメリアは、その基本文脈を了解した上で、ピッポとの再会を願って競演することに、純粋に喜びを見い出したのである。

ピッポもまた、30年前にコンビを解消し、病院に入院するなどして、零落した人生を遣り過ごしてきた後半生に対する自戒と、自分の人生の芯にあった物真似芸を壊したと信じるだろう、「電気仕掛けの快楽装置」としてのテレビに対するリベンジの情念によって本番に臨むのだ。

このようにフェリーニの映像世界には、過剰なまでに異界的なサーカスの全面展開という陽気さの内奥に潜む、人間の孤独や陰翳が常に張り付いている。

突き抜けるが如き「祭り」の喧騒と、その後に残されて浮遊する、名状し難い「寂寞感」の映像構成に見られるように、この「陽」と「陰」の相互補完の関係力学が、フェリーニの映像宇宙の中で常に微妙な均衡を保持しているのだ。

フレッド・アステア
本作もまた、フレッドを演じ切るピッポの孤独の陰翳に象徴されるように、その例外に洩れなかった。

しかし、本作を評価するとき、私にはある種の戸惑いを隠せないのだ。

要約すれば、こういうことである。

欺瞞と偽善に塗り固められた「電気仕掛けの快楽装置」としてのテレビを、「グロテスクな悪」に見立てた映像構成の軟着点が、そのテレビによって、オールドファッションのシンプルな芸を奪われたと信じる男と、時代状況への適応力のある女が、老いの境地にあるが故にこそ、その「希少価値」を認知するビジネスライクなテレビを利用し、そこに存分の哀感を込めて、必死のステージパフォーマンスを表現し切るのだ。

すっかり疲弊し切った男と女は、過去の関係の蟠(わだかま)りを溶かすに足る時間を共存することで、ほろ苦くも甘美なノスタルジーのうちに、情感的な再会を果たし、余情を残して別れるというヒューマンコメディが、そこに括られていった。

ヒューマンコメディが豊饒に内包する、定番的な感傷を必要以上に張り付けた軟着点への落し所は、それまで毒気を巻き散らしてきた、フェリーニらしくない人情ラインのあまりに無難過ぎる妥協点ではなかったか。

無難過ぎる妥協点への括りは、些か安直過ぎなかったか。

結局、この映画は超絶的技巧を披露した、二人の名優の表現力に凭(よ)り掛かることでのみ、そこだけは光芒を放った映像であった。

フェデリコ・フェリーニ監督
「フェリーニ映像の集大成」という、あざとくも底の浅い、取って付けたような褒め殺しは、ここでは不要である。

そう思うしかなかった。

それでも、随所にフェリーニらしい眩さを放つ個性の出色の輝きは、最後までフェリーニという、一代の映像作家の表現宇宙の支配のうちに踊っていたと言えるだろう。

かくも類例を見ない独自の表現宇宙を構築し続けたフェリーニには、どだいテレビ批判という社会派的なメッセージは似合わないのだ。

それが、私の率直な感懐である。

(2001年1月)

2010年3月2日火曜日

81/2(‘63)    フェデリコ・フェリーニ


<ラスト7分間によって変容する映像風景の突破力>



1  ユング心理学を必要とした芸術家の立ち上げ



ユング心理学の重要な概念の一つに、「アクティヴ・イマジネーション」、即ち、「能動的想像法」と呼ばれるものがある。

「リビドー」を「性」に還元するフロイトの思想と決別した後、カール・グスタフ・ユングが自らの病的体験を癒す方法として摂取した方法論、それが「能動的想像法」である。

要するに、「無意識世界」から生まれた様々なイメージを、自分の内側で観察・記録・対話していくことで、それまでにない新しい自己を発見するという、人生に対する能動的な関与の戦略であると言っていい。

夢から啓示を得る、アメリカインディアンの伝統儀式として有名な「ビジョンクエスト」の有効性は、彼らの生存・適応戦略であるが故に何の不都合もないが、夢を抑圧された性的願望の発現と捉えるフロイトの把握を論外とする私などは、夢の働きとは、人間の欲望、願望や不安の表出を含め、過去に埋もれた様々な記憶の処理であると割り切っているので、特段に「能動的想像法」を必要としない人間である。

自分の夢を分析することは多々あるものの、多くの場合、一過的な時間限定の分析処理で終わってしまうから気楽なものである。

「ユング心理学に深入りする者は、一度は悪魔や天使が棲む世界にほんとうに足を踏み入れて、生身の体でもう一度この世界に出て来たい、と思うときがある」(樋口和彦・日本ユング心理学研究所所長・書評より)

非言語的な「箱庭療法」を導入した河合隼雄の尽力もあって、その包容力のある思想故か、日本人に人気があると言われる、ユング心理学の魅力を言い当てた一文だ。

そのユング心理学の中枢概念として有名な「元型」とは、「集合的無意識」のカテゴリーの中にあって、時空を超越するイメージの表出の母胎になる存在のことで、溢れる夢のイメージの象徴性を持つ源泉でもある。

このユング心理学に深く傾倒した芸術家が多いのは、彼らの自由な想像力を掻き立てるからだろう。

とりわけ、前世紀を代表する芸術思潮の一つであるシュールレアリスムが有名だが、サルバドール・ダリ、アンドレ・ブルトン等々、ユング心理学の「アクティヴ・イマジネーション」は、当時の芸術家の心を鷲掴みにし、表現意欲を掻き立てている。

当然、映像作家もその例外ではなかった。

 フェデリコ・フェリーニ監督
そのような映像作家の一人に、フェリーニがいる。

彼は書いている。

「ユングの本を何冊か読み、彼の人生の見方を発見したことは、私には一種の喜ばしい啓示だった。自分でもその一部分を前から考えていたある思想が、予期しない時に、素晴らしい形で確認ができて、私は熱狂した。ドイツの精神療法家ベンハルト教授のおかげで、私はこの刺激的で魅力的で幸運な出会いに恵まれることになった。ユングの思想が『81/2』以降の私の作品に影響を与えているかどうか分らない。ただ彼の本を何冊か読んだことは意識の深層との接触を容易にし、空想力をかきたてる刺激になった、と言うことはできる。私は以前から、何ごとにも全体的な考えを持てない、という自分の限界を感じてきた。好み、趣味、欲望を、部門や範疇に分けて組織する能力は、私にはまったく無縁のものだった。だが、ユングを読んで、こうした限界のために抱いていた罪悪感や劣等感から解放され、自由になったと思う」(「フェリーニ、映画を語る」フェデリコ・フェリーニ、ジョヴァンニ・グラッツィーニ著 竹内博英訳 筑摩書房)

フェリーニもまた、ユング心理学を必要とした芸術家であったということだ。

なぜなら、「ユングを読んで、こうした限界のために抱いていた罪悪感や劣等感から解放され、自由になったと思う」ような、高度な人間の想像性に富んだ構築力を要求される映像表現世界の只中に、彼もまた捕捉されていたからである。

「私はもう一度作りたいとは思わないね。撮影開始の直前に、私は何がなんだか分からなくなって絶望状態に陥り・・・(中略)最後の何週間か、私は不安にせめたてられながら、その映画の構想を得た過程をさかのぼろうとした」(前掲書)

「カビリアの夜」より
これが、「」(1954年製作)、「カビリアの夜」(1957年製作)、「甘い生活」(1960年製作)などの作品で世界的な映画監督の地位を得ていた、フェリーニ自身の述懐である。

そんな男が苦悶した「その映画の構想」の逢着点は、以下の述懐で、より明瞭になるだろう。

「その映画には題名さえつけられなかったから、メモを収めた紙ばさみには、その時までに作った映画の数をかぞえ、仮に『81/2』と書いておいた(中略)確かある男の何の変哲もない一日を描きたいという、漠然としたあいまいな考え方があった。私は心の中で言った。そう、矛盾し、ぼやけた、捕え難い、様々な現実の総和の中で、ある男を描くのだ。その中では、日々の考えや意識の深層など、男の存在のあらゆる可能性が透けて見える」(前掲書)

そして彼は、ここまで追い詰められていた当時の心境を語るのだ。

「私は作ろうと思った映画がどんなものか分からなくなってしまった映画監督だった。するとちょうどその時、全てが解決された。私は不意に映画の確信に踏みこんだ。今、自分自身に起きていることを語ればいい。どんな映画を作ろうとしていたか分からなくなった映画監督の話を映画にすればいいのだ」(前掲書)

世界に衝撃を与えたその作品の名は、「81/2」。

無秩序な印象を与えるその映画のプロットラインを、以下、フォローしていこう。



2  「“閃きの危機”が、このまま続いたらどうなる?」



渋滞の街路で、人々の視線を受け、充満する排気ガスの車中から脱出しようと足掻く男。

沈黙の画面であるのは、車中でフロントガラスを叩く男の内側から映像が構成されているからだ。

男を囲繞する車中の者たちは、本作の登場人物である。

彼らは唯、男を凝視するだけで、救いの手を差し伸べない。

苦闘の末に、車中から脱出した男は、大空を飛翔する。

しかし男は、地上から巻きつかれたロープによって引っ張られ、敢え無く落下するに至った。

男の名は、グイド。

著明な映画監督であり、フェリーニ自身でもある。

以上のファーストシーンの中に、「私は作ろうと思った映画がどんなものか分からなくなってしまった映画監督だ」と作り手が述懐する、本作の主題の全てが凝縮されていると言っていい。

グイド
ともあれ、このとき悪夢から生還した男は、鉱泉水を飲むようにアドバイスする医師の助言で温泉に行く。

鉱泉水を飲みに来た男に、美女がコップで手渡しするが、幻想だった。

この美女の名は、クラウディア。

本作の重要な場面で登場するが、彼女のイメージは「聖女」に近い。

物語を続ける。

温泉に愛人のカルラが来て、「鉄道ホテル」に宿泊し、情事に及ぶが、男にとってこの女が情欲の対象以外ではないことが判然とする。

ここで突然、画面が静謐になり、死んだ父が出現するのだ。

死んだ父は息子を心配するが、地中に潜って去ってしまう。

グイドは墓参の母と再会し、抱擁するが、突然、妻のルイザの顔になる。

映像の中にしばしば現出するルイザの存在は、一応、夫の良き理解者であるが、保護・監視の役割を担っているようだ。

そして、変転著しい画面は、映画関係者たちからの質問攻めやオファー、批評や注文、更にキャスティング、脚本の問題等々、騒がしいシークエンスが続く。

湯治場での過剰なクロスは、結局、映画監督の男に安寧の地がないことを示唆するものである。

「“閃きの危機”が、このまま続いたらどうなる?才能のない嘘つきは、最後はどうなるんだろう・・・完全な誠実とはどういうことか?純粋とか、無邪気さを描くのはもう古い」

ようやく解放された男は、「聖女」のイメージを持つ、鉱泉水を手渡ししたクラウディアが現れ、自分の煩悶を吐露していく。

ところが、「鉄道ホテル」のカルラから電話が入り、鉱泉水を飲んだことによる気分の悪さを訴えられ、日常性というカオスへ逆戻りしてしまう。

「作ろうと思った映画がどんなものか分らなくなってしまった映画監督」の苦悩は、延長されるばかりなのだ。

行き詰まりを打開するため、グイドは枢機卿に教えを請いに行く。

「主人公はカトリックの教育を受けて育ち、そのせいで一種のコンプレックスに悩みます。そこで枢機卿に会い、教えを請い、天からの啓示を受けるのです」

そんなことを聖職者に吐露する。

「そもそも映画で宗教を表現するのは難しい。魂を汚すのも、浄化するのもあなた次第です」

聖職者は、それ以外の答えを持たない。

聖職者の案内で、枢機卿に教えを請うグイドだが、鳥の囀(さえず)りを聞かされるだけ。

枢機卿の話を聞いていたとき、坂道を下る肥満の中年女を視認したグイドは、少年時代を回想する。

少年時代のグイドたちは、金を与えて、サラギーナという名の巨乳の女のダンスを愉悦していた。

ところが、その一件が発覚して、映像は聖職者に連れられ、存分に説教されるグイドの少年時代の苦い思い出を映し出す。

「恥を知れ。地獄に堕ちる」という大人たちの非難に交じって、「恥知らず」と嘆く母の嗚咽が拾われた。

「少年時代を回顧しても、イタリアの宗教を表現できない。論理的に迫らねばならない」

結局、少年時代の回想に耽るグイドの甘さは、辛辣な批評家のドーミエに酷評されるだけ。

「教会にこそ救いがあるのだ」

この説教は、枢機卿に呼ばれたときのもの。

いよいよ追い詰められる映画監督が、そこにいた。



3  「追い詰められる映画監督」の「現在性」



「核戦争で壊滅した地球から、映画は始まる。現代のノアの箱舟で、我々は地球から逃れる。ロケットで他の惑星へと脱出する」

グイドが語る、このSFファンタジー作品が、彼の次回作品の簡単なプロットだ。

いかにも、「追い詰められる映画監督」の「現在性」を象徴する作品だが、撮影は全く進まず、不安と焦燥感だけがグイドの自我を支配するばかり。

宇宙船の発射台の足場は完成しているにも関わらず、グイドには、納得し得る“閃き”が全く思い浮かばないのだ。

「本気でこんな映画を作るの?」

姉から批判される映画監督の独言は、“閃きの危機”を増幅させるもの。

「単純な映画だ。正直な気持ちを描きたかった。何も難しいことを語るつもりはないんだ。皆の役に立つ映画さ。過去を葬り去るための作品だ。だが、肝心の僕が葬れない」

また、浮気を監視する妻のルイザを横目に、グイドは感情的に反応する。

「僕にどうしろと言うんだ。悪いことをしていないぞ。君は僕を分っていない」
「隠しているからよ」
「僕が何を隠した。言ってみろ。善人ぶって何が分る」
「何年も夫婦仲が危ないのは確かよ。やり直そうとするのは、いつもあなただわ」
「やり直す気などないね。君の望みは何だ」
「じゃあ、なぜここに呼んだの?何が目的なの?」

反応できない夫。

二人は離れたベッドに潜り込むだけだった。

ハーレムの夢
ワーグナーの楽劇、「ワルキューレの騎行」をBGMにした、女たちとの「ハーレム」の描写の中で、グイドは願望に満ちた世界に身を預け、一時(いっとき)の解放感に浸っていた。

このシークエンスは重要である。

本作の中で、グイドが唯一、彼を囲繞する状況を支配し切っているからである。

中でも、年齢がオーバーすると、不要になった女たちが2階に捨てられるというハーレムのルールの故、この日、老いた踊り子のジャクリーヌが犠牲になったエピソードは、ハーレムを支配するグイドの権力を検証する場面であった。

ところが、ジャクリーヌに同情する女たちが反乱を起こし、彼女たちに鞭を使って、女たちを諌める男がそこにいた。

グイドである。

明らかに、このような「男冥利」に尽きる夢を見るほど、彼の心は鬱屈していたのである。

一転して、女たちに、以上の「ハーレムの物語」を、映画のシーンとして説明するグイドと、彼に対する女たちからの冷眼視がクロスして、ここでも状況を完全に支配し切れない男が置き去りにされた。

「ハーレム」への夢の脱出も儘ならなかったグイドは、「少女のようで大人の女。男の救世主」と言わしめる、謎の美女、クラウディアとの再会が待っていた。

グイドは温泉の前で車を止めた。

「自業自得よ。他人に頼り過ぎている」

ところが、クラウディアからも辛辣な酷評を受けるグイドに、もう的確な反応すらできない。

「君も他の女と同じだ」とグイド。
「あなたは、愛が何かを知らない」とクラウディア。

グイドの観念系は、殆ど自壊寸前だった。

「君の役はないし、映画自体が存在しないんだ。僕の映画はここで終わる」

そのとき、「発射台で記者会見するぞ」とスタッフの声を合図に、拉致されるようにして、グイドは連れ戻されてしまう。

様々な声が飛び交う中、「僕はどうしたらいいんだ」と嘆き、グイドの自我は混乱の極に達していた。

「製作中止だけは許さんぞ」

一蓮托生で仕事を共にしてきたプロデューサーから圧力を受け、グイドは逃走を図った。

「グイド。一体、どこに逃げる気なの?」と母。

その直後の映像は、人も疎(まば)らな発射台のセット現場で、「製作中止だ」と言い放って退散するグイド。

「追い詰められる映画監督」の「現在性」には、もう状況を突き抜けていくパワーを喪失していた。



4  「人生は祭りだ。一緒に生きよう」



「この世に駄作が毎日のように生まれる。それを葬り去るのが批評の使命さ。君はそんな駄作を完成させるところだった。そうなれば、経歴に汚点を残す」

ドーミエの車で「前線離脱」しようとするグイドへの、批評家ドーミエからの厳しい指摘である。

車内で延々と続くドーミエの忠告の向こうに、白装束を纏(まと)った人々が姿を現し、目的地を持った歩行を繋いでいた。

それは、サーカスの道化の、「用意ができた」という合図で開かれたのだ。

クラウディア
白装束を纏った人々の中には、ルイザがいて、クラウディア、サラギーナがいて、枢機卿や両親もいた。

「君の間違いだらけの人生を描いた作品だろ。君のぼんやりした記憶や、愛せなかった人たちを寄せ集めて作ったとして何になる」

相変わらず辛辣なドーミエの忠告は、その瞬間、力のない何かになり、グイドの内側に大きな変容を齎(もたら)していった。

「急に幸せな気分になり、力が漲(みなぎ)る。許してくれ。僕は分っていなかった。君を受け入れ愛するのは、何て単純なんだ。ルイザ、僕は自由になった。全てに意味があり、真実だ・・・しかし、何もかも元通りに混乱している。だが、混乱こそ僕さ。望みとは違うが、ありのままの自分だ。分らないことはあるが、もう真実を恐れない。そうすれば、生きていると実感できる。人生は祭りだ。一緒に生きよう。ルイザ、このままの自分を受け入れて欲しい」

映像で初めて見せる、グイドの力強いモノローグに、ルイザも真摯に反応した。

「納得できないけど、あなたを信じてみるわ」

夕暮れの発射台跡に照明が灯り、道化の楽隊が現れ、律動感溢れる演奏が開かれた。

4人プラス1人(グイド少年)で構成された道化の楽隊の先導によって、物語の全ての登場人物が発射台から降りて、撮影現場に集まって来たのだ。

 「人生は祭りだ。一緒に生きよう」
「皆、一緒に手を繋ぐんだ」

出口の見つからない絶望的なカオス状況から脱し、解放感に満たされたグイドが、メガホンで指示している。

人々は手を繋いで、大掛かりな撮影現場のセットの周りを回っていく。

その輪の中に、ルイザを伴ってグイドが加わり、全ての登場人物が手を繋いで、セットの周りを回るのだ。

やがて夜になり、人々も照明も消えていった。

ラストのカット。

最後に、一人残ったグイド少年にスポットが当てられて、フルートを弾きながら歩き去って行った。

サーカスに憧れていた少年期を想起させるこのカットこそ、本来、自分が最も表現したい世界をイメージさせて、自分の原点に戻ったことを宣言する決定的な構図になったと言えるだろう。

それは、フェリーニの映像マジックの記念碑的開示を記録したと同時に、それを切に求めた映像作家の画期的な作品が自己完結した瞬間だった。



5  「フェリーニ美学」の爆轟(ばくごう)の内実



これは、「映像作家」としての「あるべき自己」を必死に模索し、「創造前線」での「新しき地平」を構築しようと足掻き、生身の人格を晒しつつ、それを加工する手品を披露した男の物語である。

本作は一貫して、「作ろうと思った映画がどんなものか分らなくなってしまった映画監督」としての「意識の流れ」をフォローし、情動や願望、不安、恐怖、等々、内側で抑圧した複雑な心理を、自前の経験的技巧によって繋ぐことで、抜きん出た映像構成を成立させている。

カール・グスタフ・ユング
現在と過去、現実と虚構、希望や幻想が複雑に錯綜し、主人公の心的世界が映像に記録され、作り手の独創性の力技の内に表現されてのだ。

ユング心理学の甚大な影響を受けたフェリーニは、本作によって明瞭にリアリズムと決別するに至ったのである。

その真実を言い当てた一文を、以下に引用する。

「かつての詩的レアリズムは、いまや断乎として幻想的かつシュルレアリスト的な表現に道を拓いた。中途半端な態度、慎重さ、適当な賢明さといったものはもはやない。フェリーニの美学はここに爆発し、そのすさまじい燃焼は見る者をして茫然自失せしめる。フェリーニはこの突然の変化をじっくりと準備していたのだろうか」(「現代のシネマ7 フェリーニ」ジルベール・サラシャ著 近藤矩子訳 三一書房)

」より
「道」に代表されるような「詩的レアリズム」から、本作に止めを刺す、「幻想的かつシュルレアリスト的な表現」への一大転換。

「フェリーニの美学」が噴き上げて、「そのすさまじい燃焼は見る者をして茫然自失せしめる」に至ったのである。

「この突然の変化」が、実は相当に難産だった事実は、前述したフェリーニの言葉によって確認できるだろう。

私が思うに、この地平に達するまでに、2つの問題を突き抜けることが枢要な課題であったと思われる。

1つは、「情報」の整理であり、2つ目は、「自由」の使い方である、というのが私の把握。

以下、簡単に言及する。

「情報」の整理とは、本稿の2の冒頭で言及したことに集約されるだろう。

渋滞する街路で車内に閉じ込められたグイドが、必死に車外への脱出を試みるが、中々成功しない。

グイドを囲繞する無数の車には見知りの者たちが乗っているが、彼らはグイドを救出する手立てを講じることをしない。

車内で足掻くグイドに対して、彼らは一方的に尖った視線を差し込むだけだ。

視覚情報を一身に被浴する男の孤独が、狭隘な文明の利器のスポットでのた打ち回っていた。

何とか自力で、排気ガスの充満する車から脱出したグイドは大空を飛翔するが、彼の足首に繋がれたロープが地上から引かれて、敢え無く落下するに至る。

この震撼すべき悪夢から、物語が開かれたのだ。

妻のルイザ
以降、グイドの周囲に群がる無数の映画関係者は、一応、功なり名遂げた彼に対して様々な要求、質問、陳情、相談、批評、等々を、まるで集中的に狙い撃ちするかの如く、嵩(かさ)にかかって加圧していくのである。

グイドは、その「情報の群塊」を、43歳の体躯を持つ全神経網の内に一身に受容するのみ。

彼は形而下に形成された〈現実〉の〈状況〉の〈前線〉で、彼にとって末梢的とも思える「情報の海」の中に搦め捕られていくばかり。

まさに「情報の海」に呑み込まれた男が、現在、抱懐している次回作のプランを建設的に構築しようとするが、〈世俗〉によって幾分汚濁された「情報の海」に沈没しかかっていて、映像作家としての生命線の恒常性の保持が揺らいでいるのだ。

その現象のリアルな実感が不安や焦りを生み、遂に、“閃きの危機”という深刻な恐怖感に翻弄される始末。

新しい〈創造前線〉での地平を切り開こうとする男にとって、男の内側に最大の危機が直撃してきたのだ。

彼を襲う「情報の群塊」は、今まさに、映像作家としての拠って立つ基盤を済し崩しにかかっていたのである。

表現に関わる新たな地平を構築するには、それまでのスタイルに因らなければ尚更、「情報」の整理という厄介な問題を、より以上の相当の覚悟で突き抜けていくことが枢要であること。

まず何より、その一点が無視できないということだ。

ともあれ、映画監督という仕事は、結局、不断に襲いかかる「情報の群塊」を合理的に整理するという中枢の役割を負わされているということ。

そのことを、切に実感する映像でもあった。

次に、二つ目の、「自由」の使い方について。

前述したように、「情報の群塊」に囲繞されていたにも関わらず、グイドは映像作家としての自在性を確保していた。

彼は製作者や脚本家、批評家たちによる創造上の制約に捕捉されているが、それでも、彩色のない作品に様々な色彩を加え、それを自在に加工していく本来的自由が存在するのだ。

それ故にこそ、“閃きの危機”という厄介な問題が、不断に「作家」を襲うのである。

一切は、「作家」の「映像構築力」に拠っているからだ。

「作品」の内実へ評価は映像構成それ自身の評価であり、それこそが作家性を担った映画監督の生命線になっていく。

厖大な「情報の群塊」に搦(から)め捕られながらも、映画監督はその作家的能力の総体によって、そこで構築された「作品」の内に「作家」としての真っ向勝負を挑み、その「前線」を勝ち抜かねばならないのだ。

「前線」での敗北者は、無能な表現者として、「市場」から駆逐される運命にあるだろう。

映像作家の生き死にの問題は、過去の栄光とは無縁に、常に新しい「作品」の表現の質によって決定付けられてしまう運命から免れないのである。

フェリーニはそのような危機感をもって、本作の前でたじろぎ、慄き、身震いしたのだろうか。

なぜなら、かつて印象派革命を担った一群の新進画家がそうであったように、彼は「詩的リアリズム」から「シュールレアリスム」への大胆な飛翔を試み、それまでの自分の栄光を捨て去る覚悟をもって、新しい地平を拓くに足る、時代の画期をなす創造に挑んだのであろう。

だから彼は懊悩し、“閃きの危機”という恐怖感を内側で必死に抑え込むことで、半歩でも前進する表現者であろうと括ったに違いない。

その意味で、本作の映画史的価値は決して低くないが、多くの表現者がそうであったように、「天才の自慰」という酷評に晒されつつも、決して後戻りしなかった「作家」精神を貫徹し、その精神の所産である巨大なセットをスタジオ内に作り上げ、且つ、他に類例がない自在性に富んだ表現宇宙を構築したことで、「魔術師」の異名を恣(ほしいまま)にしたのだろうか。

微差の誤作動リスクに恫喝されることなく、何よりフェリーニは「自由」の使い方を能動的に駆使し、自らの総体によって、その濃密な時間の経緯を検証する果敢な営為を通して、自分の分身である本作の主人公に、以下の覚悟を語らせた「作家」であったということ。

「混乱こそ僕さ。望みとは違うが、ありのままの自分だ。分らないことはあるが、もう真実を恐れない」

これこそが、本作の生命を貫流させた、「フェリーニ美学」の爆轟(ばくごう)の内実だったのだ。

アカデミックで、生身の身体性を具有しない「知性」を象徴するに過ぎず、車内で空疎な弁舌を垂れ流すだけのドーミエの「批評」に対する、この確信的拒絶こそが、本作の基幹テーマであった所以である。

「真実を追求する芸術家の苦悩を描いた」

この短い言葉は、モスクワ映画祭での、フェリーニの受賞の言葉である。(「フェリーニ」ジョン・バクスター著 椋田直子訳 平凡社 参考)

本作と丹念に付き合っていけば、この言葉が素直に信じられるであろう。

この言葉以上でも、それ以下でもない真実が、そこに凝縮されていたからである。



6  ラスト7分間によって変容する映像風景の突破力



それにしても、これ程までに楽天的な映像作家を、私は知らない。

人間は自分の中になくて、自分が欲しいと思うものを相手の内に見い出すとき、その相手を羨望し、時には、過剰なまでに高く評価する傾向を持つだろう。

生来的な私のペシミズムは、恐らく、生来的なフェリーニのオプチミズムとクロスすることで、眩暈すら覚えるほどである。

それでいいと思うのだ。

それにしても、この「81/2」。

白装束を纏(まと)った人々の出現の描写から、ラストシーンまでの映像の決定力は、一人フェリーニの独創性の爆発だった。

ラスト7分間に凝縮された、フェリーニの映像世界全開のシークエンスには、正直、完全にお手上げだった。

何度観ても涙が止まらないほどに、震えを覚える7分間だった。

このラスト7分間によって、根本的に変容する映像風景の抜きん出た決定力、突破力の凄味。

後にも先にも、こんな映画は見たことがない。

それ程の映像だった。

観る者に「生きる勇気」を与える作品とはこういう映像だと、切に感じ入った次第である。

これこそが「映像だ」と、確信して止まないのだ。

フェリーニのアマルコルド」(1974年製作)と共に、私の中では、この2作こそが至宝である所以である。

(2010年3月)

2010年3月1日月曜日

道('54)    フェデリコ・フェリーニ


 <「闇夜」、「浜辺」、そして、「神から遠き者」の嗚咽>



 1  「相互の共存性」を求める者の心情世界に近づいて



 「『道』は非常に根深い対立、不幸、郷愁、時の流れ去る予感などを語った映画で、一つ一つが社会問題や政治的責務に還元できるわけではなかった。だからネオリアリズムの熱狂に支配されていた時代に、退廃的で、反動的な否定すべき映画とされてしまった」(「フェリーニ、映画を語る」フェデリコ・フェリーニ、ジョヴァンニ・グラッツィーニ著 竹内博英訳 筑摩書房)

 このフェリーニの言葉に端的に表れているように、この「La Strada」(道)という原題を持つあまりに著名な映画は、イタリアに起こったネオリアリズムの巨大な支配力と明らかに切れている。

 なぜならフェリーニは、そこに、「神に近き者」(以下、「近き者」、または「女」)と「神から遠き者」(以下、「遠き者」、または「男」)という人格イメージを造形しているからだ。

 「近き者」の名をジェルソミーナ、「遠き者」の名をザンパノと呼称し、この命名の内にも、彼らの人格イメージに即した象徴性を被しているが、本稿では固有名詞は捨てる。


 本来、出会うべきはずもない両者が、それぞれに抱えた事情(「パン」と「大道芸のサポーター」のトレード)によってクロスし、どこまでも続く「細々とした白い道」をアメリカ製の幌付きオート三輪に乗って、大道芸人の旅を続けるのだ。

 知的障害を持つ「近き者」である女は、涙を見せる母親から、「パン」の問題の故に、「大道芸のサポーター」の問題を抱える「遠き者」に対して「人身御供」(ひとみごくう)に出されるが、芸も食事も相手に満足させ得ない女は、「遠き者」のビジネスの強力なサポーターにはなり得ず、その度に、折檻される日常性が繰り返されていく。

 「遠き者」は確かに、たまたま宿泊した修道院から盗みを図る小悪党だが、それ以上に、自分の思いを相手に丁寧に伝えられない不器用な男だった。

 「私が何を言っても感じない」

 そんな男(「遠き者」)の粗暴さと勝手さに耐え切れず、「もう、私帰る」と言い放って縁を切った女(「近き者」)は、偶(たま)さか出会った「神の意を伝えるメッセンジャーとしての道化師」(以下、「道化師」)の二つの重要な助言によって、再び、「遠き者」との大道芸人の世界に戻っていく。

 危険な綱渡り芸人であるが故に、自分の近未来の死を予言していた「道化師」が、女に語ったこと。

 それは、二つの決定力のある言葉。

 その一つ。

 「多分、彼は君が好きなんだ。彼は犬と同じさ。話したくても、吠えるしか能がない。哀れな男さ。でも、奴には君がついている」

 もう一つ。

 「どんなものでも何か役に立っている。この石でも、何かの役に立っているんだ。神様だけが知っている。人がいつ生まれ、いつ死ぬか。この石もきっと、何かの役に立っている。無用のものなどない。君だってそうだ。そんな頭でも・・・」

「近き者」は、この言葉によって、「遠き者」は、単に自分の思いを相手に丁寧に伝えられない不器用な男であると信じたかったのである。

 映像は、感情表現する際にも、「話したくても、吠えるしか能がない」男の不器用さを、そこに特段の嫌みも被すことなく記録していく。


 「遠き者」は、何の役にも立たない「近き者」に対して、単に下半身の処理の相手としてではなく、「安らぎ」の感情をも抱懐していたが、そんな感情の認知も覚束ないような男は、当然、それを女に伝えることができないだけなのだ。


 「あんたといる場所が、私の家だわ」

 これは、旅先でトマトを植えようとするほどの状況認識力を持つ女が、「吠えるしか能がない」男に放った言葉。


 「遠き者」の荒々しい情感世界の、その本質的理解を得たと信じたいと願うばかりの、「近き者」の情感系もまた、「相互の共存性」を求める者の心情世界に近づいていったのである。



 2  「近き者」、「遠き者」、そして「道化師」の死



 物語の流れの上で殆ど必然的なその事件は、遂に出来してしまった。


 昔からの因縁もあって、「遠き者」は「道化師」を勢い余って、殺害してしまったのだ。

 事件を目の当たりにした「近き者」は「神の意を伝えるメッセンジャー」を象徴させる「道化師」を喪って、深い底なしの沼に沈潜していった。

 ショックのあまり、女は狂気の世界に最近接したかの如く情緒不安定となり、泣き過ごす日々を過ごすばかり。

 「近き者」は、事件によって「遠き者」との距離を決定的に開いたばかりか、「神」との距離をも相対的に開いてしまったように見える。

 そのことは、事件が出来する前に、より「相互の共存性」を増幅させる幻想をも踏み躙(にじ)ることによって、「安らぎ」の対象として求められていたはずの人格像の、そのイメージの根源をも砕いてしまったのである。

 「遠き者」は「安らぎ」の対象を希釈化させた時間の憂鬱の中で、明らかに「近き者」の本来的価値の実感を崩されて、遂に遺棄するに至った。

 女が転寝(うたたね)する間に、男は女を置き去りにしてしまったのだ。

 それでも、「近き者」に対する情愛にも似た感情の欠片が、「遠き者」に一つの小さな行為を選択させた。

 「遠き者」は、戸外で眠る「近き者」の傍らにラッパを添えたのである。

 数年後、海浜でのサーカス興業の中に男はいた。

 その日、己の分厚い胸に巻いた鎖を断ち切るというパワー芸のみで生きてきた、「遠き者」のシンプルな大道芸には殆ど生気がなかった。

 「遠き者」は、「近き者」の客死の事実を知ったからだ。

 「遠き者」は、「近き者」が神の言葉を受容する「聖なる場所」=「浜辺」で、「道化師」の死を嘆き続けながら、まもなく客死していった哀しい顛末を知ったのである。

 その夜、自らの体をアルコール漬けにした挙句、店の客たちと喧嘩をした「遠き者」は、「近き者」がラッパを吹いていた浜辺にその身を運び、言葉にならない動物の如き叫びを刻んだのだ。


 肉食動物のような男が天を仰いだとき、酩酊をすっかり溶かし切った野獣の号泣は、「聖なる場所」に身を横たえていた女の嘆きを捕捉しつつ、神の声を弄(まさぐ)る者のヌミノース(聖なるものとクロスする非合理的体験)を突き上げていたのか。(写真は、夜の浜辺のイメージ画像)

 それは、骨の髄まで孤独な男が、自我を裂くほどの孤独を極めた瞬間だった。

 孤独を極めた「遠き者」に叫びを刻ませたものは、恐らく、「近き者」の嘆きを体の芯で受け止める、「聖なる場所」の地鳴りが自らを貫いてきたからだろう。

 これは、孤独を極めた男の体の芯に、マキシマムに達した神との距離を最近接させる奇跡を描いた、殆ど寓話的な映像だった。

 或いはそれは、こんな男の中枢にも、神の声が届き得ることを信じる映像作家の祈念であったのか。

 しかし、孤独を極めた男に、浜辺で自我を裂かせるまでの時間に届くまで、二人の人間の生命を犠牲にしたという現実の重量感は、決して等閑(なおざり)にできようはずがない。

 そこだけは冷厳なリアリズムに預けたかの如き寓話的な映像は、なお男の未来を変容させていく全き可能性を保証しないのだ。

 私たちがどれほど祈念しようと、神の声が万民に届き得るという幻想について、マジックを操ると言われる作り手がどれほど肯定的であるか、私には分らない。


 しかし、「遠き者」と「近き者」との距離がどれほど開いていようとも、私たちはこの相対距離の自由の幅の中で、己が人生を構築しなければならないことを教示しているようだった。



 3  「闇夜」、「浜辺」、そして、「神から遠き者」の嗚咽



 幾度観ても、神経の中枢にまで食い入ってくるような、この映像の完成度の高さに驚かされる。

 何よりも、女の死を描かなかったことが一番良い。

 それを映し出してしまったら、観る者の主観が「聖なる『近き者』」への心象世界に引っ張られ過ぎて、勝負を賭けたラストシーンの決定的な絵柄が緩いものになってしまったはずだ。

 海岸線状に広がる「白い道」の一画に住む土地の者から、女の死の哀しい顛末を知らされるという巧妙な挿入によって、映像の客観性が担保されたのである。

 乱闘後、「一人で沢山だ」と叫んで、「浜辺」に踏みこんだ男の嗚咽を捕捉するカメラが引いていく。

 束の間、女が身を横たえていた浜辺で、神の声を弄(まさぐ)る者のヌミノースを突き上げたかも知れない男の情感が暴れ出すことで、多分に感傷の濃度の深い作品が、「神から遠き者」の魂の孤独を記録した映像であることが鮮明になったのである。

 「闇夜」、「浜辺」、そして、「神から遠き者」の嗚咽。

 この3つの要素が、映像の主題性を表現していたのだ。

 それは、ネオリアリズムから確信的に切れた映像の、それ以上ない鮮烈な立ち上げを意味するだろう。

(2010年3月)

2010年1月7日木曜日

フェリーニのアマルコルド('74)  フェデリコ・フェリーニ


<「相対経験」の固有の相貌と色彩感を放って>



1  総合芸術としての映像表現技法の独壇場  ストーリーライン①



風花のように綿毛が空を舞って、北部イタリアの小さな港町を白で覆い尽くす季節が、今年もやってきた。春の訪れを告げる綿毛の舞である。

冬を象徴する魔女の人形に火をつけ、それを燃やし、爆竹を鳴らす祭りに、町中の熱気が集合するのだ。

「ローマ人とケルト人の血が混じり、この町の住民は皆、雄弁で高潔で頑固なのです」

これは、「第四の壁」を突き抜けて、観る者に語るナビゲーター役の登場人物の説明。

時代背景は、第二次エチオピア戦争が勃発した1935年頃のこと。ファシスト党率いるムッソリーニの独裁体制が、猛威を振るっていた時代である。

「冬が死んでいく祭り」の中に、叔父夫婦を含めて、祖父、両親、弟、そして物語の主人公である15歳のティッタの7人も参加し、思い切り騒いでいた。

そんな血族同居の家族の中で、父親の威厳だけは形式的に保持されていた。

「一日中、働いて帰って来れば、出迎えるのは鬱陶しい顔ばかり」

祭りも終わり、忙(せわ)しない夕餉(ゆうげ)での父親の愚痴は、他人の頭に小便をかけた息子の不良行為が司教からの電話によって知らされたとき、途端に怒号に変わった。

「学校を中退させる。小遣いもやらん。働かせるんだ。こいつが自分の息子とはな」

そんな父親の荒れ狂う態度に呆れる母もまた、夫の激昂が乗り移っていた。

「あんたたち、皆、殺してやる。スープに毒を盛ってやる。こうなったら、私が死んでやる」

それを聞いた父は、「ふざけるな!俺が死んでやる」と言った後、自分の口を両手で開いて、死ぬ真似をしてみせたのだ。

一人、我関せずという態度で、いつもの騒々しい空気の中にいた祖父は、別室に行くや否や、「1、2、3」と声を出して、放屁するという飄々(ひょうひょう)さ。

これが、この血族同居の家族の普通の風景であるのだ。

映像序盤から、フェリーニ・ワールド全開のシークエンスが続くが、血族同居の家族の風景が登場し、頑固親父に追い駆け回される少年の反抗が描かれることで、物語の中枢に15歳の少年がいて、その思春期特有の逸脱性の様態をフォローしていく流れが、本作のテーマ性になっていることが把握されるだろう。

そのティッタ少年の思春期遊泳は、聖アントニオ(ポルトガルの守護聖人で、各地で祭りが開催)の日に、仲間たちと連れ立って、町の女たちのお尻を見に行く程度の悪戯ぶりになお留まっていた。

陽春の4.21は、ローマ誕生の祝祭日。

ムッソリーニ(イメージ画像・ウィキ)
歴史に名高い「黒シャツ隊」を発展的に継承したファシスト党の行進が、ムッソリーニの大きな顔の看板の戯画化に象徴されれるように、思い切り揶揄されるように描き出された映像展開が、突如、蓄音機で「インターナショナル」の曲を流した者たちを必死に捜索する、ファシスト党支部の暴力性の描写に暗転していく。

そして、「ムッソリーニが前進しようと知るものか」と放言したことを理由に、ティッタの父が拘束され、無理やり、特有の臭気を持つ下剤であるヒマシ油を飲まされ、拷問される描写が痛々しかった。

夕餉の際に喧嘩が絶えない一家だが、拘束された夫を路上で待ち続け、這う這うの体(ほうほうのてい)の夫を抱きかかえ、自宅に連れて行って、優しく介抱する母がそこにいた。

そして、血族同居の家族に夏がやってきた。

父の弟に当たる42歳のテオ叔父さんを、一家は毎月、入院中の精神病院から馬車で連れ出していたが、この夏に起こったエピソードは、一つの事件と言ってよかった。

男盛りの叔父さんの解放感が破裂したのか、いつの間にか、テオ叔父さんは大木の上に乗って、「女が欲しい!」と叫び続けて止まないのだ。

危険性と恥の意識からか、地上に戻そうとする家族たちに、テオ叔父さんは投石して反抗する始末。

家族たちは馬車で帰る振りをしても、テオ叔父さんの行動は変わらず、結局、病院に連絡して、再び連れ戻されたという笑えないような顛末だった。

その際、小人の看護婦さんが、「降りといで。遊んでやんないよ」と言っただけで、テオ叔父さんはニコニコしながら降りて来たのである。

この興味深い、いかにも通俗性を好むフェリーニらしいエピソードが語るものは、精神を病んだ42歳の中年男の生理と、その心の綾が経験的に理解できている者の在り処を示唆していたと言えるだろう。

そして、この年、北部イタリアの小さな港町に住む人々が、春の訪れを告げる「冬が死んでいく祭り」に次いで、大きく弾ける「祝祭事」があった。


町中で小船を出して、豪華客船を見送りに行くエピソードが、丸ごと個性的な映像に記録されたのである。

「現代が生んだ傑作、レックス号万歳!イタリア万歳!」

巨大なセットによる人工光線を利用した、この大仕掛けこそ、快楽装置としての映像の醍醐味であると言わんばかりの表現技法の極致だったのか。

好みの問題から言えば、筆者自身、特段に魅了されるべき何ものもなかったが、夜空に輝く豪華客船の見送りのシークエンスは、殆ど総合芸術としての映像表現技法の独壇場であると言えるのだろう。

映像展開において重要なのは、このシークエンスをピークアウトにしたかのように、その後の映像が拾いあげたエピソードは、構築力の持つ映像のイメージラインの豊饒感と、それと裏腹に展開するリアリズムのパラレルな流れ方だった。



2  「生と死のリアリティ」の世界に踏み込んでいくとき  ストーリーライン②



季節は冬。

深い濃霧が小さな港町をすっぽり覆って、散策に出た祖父が道に迷ってしまった。

「死とはこんなもんかな。ぞっとする。全て消えて。人間も家も鳥もワインもない世界…」

帰るべき家への道を失って、途方に暮れた祖父は、決して遠くない「死のリアリティ」を感受してしまったのだ。

ところが、祖父が道に迷った場所が自分の家の前であることを知らされて、「死のリアリティ」は観念の世界に押し込められてしまったというオチがつくエピソード。

本作で、このシーンを最も好む私は、このような絵柄を作り出すフェリーニの豊潤なイメージの氾濫に、ただ感嘆するのみである。

その後、映像は、モンテカルロ市街地を爆走するF1のモナコグランプリのように、「第7回1000マイル・レース」と銘打った、市街を走るカーレースを映し出し、港町の若者たちやレーサーに憧れる女たちを活気づけていく。


この季節の夜を彩る祭りの中に溢れた色気が、思春期のティッタ少年を、「性のリアリティ」の世界のとば口に誘(いざな)っていったのである。

いつも内緒でタバコを買う店の巨乳のおばさんに、「私を燃え上がらせて」と言われて、遊ばれるティッタ少年にとって、巨乳を押し付けられるだけの経験は、温もりがありながらも柔らかいボールによる触感は、無機物の圧迫による威圧感でしかなかったのだ。

ティッタ少年にとって、思春期の情動を騒がせる存在は、町一番の美女との呼び声高いグラディスカのみだった。そのことを改めて感じさせる、この「巨乳圧迫経験」だったということか。

そして季節が進んで、画面の色調は、本物の「生と死のリアリティ」の世界に踏み込んでいく。

何日も続いて、小さな港町を大雪が降り頻っていた。

雪明けの迷路の中で、グラディスカを追うティッタが、「性のリアリティ」の世界の扉を無理に抉(こ)じ開けようとするが、全く相手にされずに、今日もまた置き去りにされていく。

思春期彷徨を持て余しつつも、外部世界のみを見続ける少年に、突然、内部世界の「生のリアリティ」が襲いかかってきた。

母の病気入院という、予想だにしない不幸な事態との遭遇である。

その直後だった。

一つの不幸が、もっと大きな不幸を運んできてしまったのである。

再び大雪が舞う中で、グラディスカを交えてのティッタらが雪合戦を愉悦しているとき、伯爵の家の孔雀が、空から舞い降りてきたのだ。

「孔雀の飛翔は不幸の前兆である」という迷信があることを、少年たちは知らなかったようだった。


だからティッタは、孔雀が地上に舞い降りて、大きく美しい羽根を広げて見せたとき、「きれいだ!」と感嘆したのだろう。 (画像は映像とは無縁)

不幸の前兆であった孔雀の飛翔の直後、ティッタの母は不帰の客になった。

あってはならない事態を目の当たりにして、少年は部屋に籠って泣き崩れるばかり。

町中の人々の弔意の中で、葬列のラインが一時(いっとき)、あれほど闊達な空気感に溢れた空間を静寂にさせ、そこに荘厳なBGMの調べが追い駆けていく。

葬儀も終わり、中枢の欠けた家族の静寂さは、映像前半の些か乱痴気ムードの騒々しさとは無縁な、厳しいリアリズムの世界に捕捉されていた。

父が一人、伴侶を喪った家で悄然とする姿を見て、居場所を失ったティッタは海を見に行った。

暫く物思いに耽っていた少年の上空から綿毛が舞い、新しい春の訪れを予兆させていた。

映像のラストシーンは、憲兵と結婚したグラディスカの、野外での婚式のシークエンス。

婚式に出席したティッタを、この映像はミーハー的にフォローしていかないのだ。

小さく点景のように映し出された少年の心の風景を、観る者が理解できない訳がないだろう、という思いが沁みるような印象深いシークエンスだった。

思春期彷徨を繋いでいた時間を回顧する作り手には、踊り、舞い、弾けるカットを連射してきた自負もあって、単に情感的に流されるだけのフラットな感傷に預けたくなかったのだろうか。



3  「絶対経験」と「相対経験」  まとめとして①



フェリーニ映像の全開
経験には「絶対経験」と「相対経験」がある、と私は考えている。

「絶対経験」とは、経験主体の自我に奥深くに張り付いて、その主体のその後の人生に決定的な影響を与えるばかりか、PTSDのような精神状態を恒常化させてしまうほどの内部支配力を持ち得るケースの如き経験である。

それに対して、「相対経験」とは、どんな経験でも、しないよりはした方が良いと思われる類の経験である。

従って、「私はこの経験によって、勉強させてもらった」と後に回顧される経験は、主体の態度を修復させるほどの心地良い経験として自我に記録されていくだろう。

私たちの経験の多くは、その時々の、私たち自身の逢着点から相当の幅を持って評価される相対性にこそ馴染むのである。

経験の多くは、相対的なものであるということだ。

だから「相対経験」には、不必要な経験など決してない。「相対経験」は心に幅を作るトレーニングでもある。

心の幅が人生に構えを作る。

この構えがスキルになって、人の内側を少しずつ豊穣なものに仕上げるのだ。



4  「相対経験」の固有の相貌と色彩感  まとめとして②




「フェリーニのアマルコルド」という極めて個性的な映画を、初老期を迎える年齢になって再見していたら、前述した「相対経験」という概念を想起して、色々考えさせられたものである。

つくづく人間が、「少しドキドキして、未知のゾーンに踏み入れた辺りの自分史の発火点」であった頃、即ち、思春期を回顧するとき、そこに懐かしさの感情が湧き起こってきたら、大抵その主体は、自らの欺瞞性へのシビアな認知を回避させる程度において、自分史に関わる物語を上手に軌道修正させながら、現在の自我の内に貴重な棲家となるスペースを作り出していることを確認させられるだろう。

もとより私は、そのような人生スキルを非難している訳でも、或いは、茶化している訳でもない。

それが心理学的なダメージコントロールを弁えた、普通の人間の、普通の生存戦略であると考えているが故に、そのような人生スキルを確保することの大切さは否定するまでもないだろう。

「相対経験」の固有の相貌と色彩感は、経験主体の自己史に関わる物語の構築力によって支配されているということ、そのことを言いたいだけである。

だから大抵、人は自己史を語るとき、己の自我を決定的に傷つけないような配慮を含ませて語っていく。

物語を幾分膨らませたラインの中で、それを語っていくから、多くの場合、無傷では済まされないほどの相応の悲哀を挿入させつつ、それを相対化し得る多様な経験の累積を包含するノスタルジーによって包み込んでしまうのだ。

だからそこでは、ほろ苦い触感と大いなる親和性を持つ、「自分充分」の懐かしさだけが引き摺り出されてしまうのである。

それもまた、全く問題のない人生スキルであるだろう。

葛西善蔵・青森県近代文学館HPより
表現世界の中には、葛西善蔵(注1)や嘉村礒多(注2)等による、殆ど自虐的とも言える「私小説の極北」が散見されるが、既に自虐という偽悪趣味のスタイルの内に、「これだけの醜悪さを晒した自己」という認知によって、読み手の寛容さに甘えるメンタリティが透けて見えていると言ったら言い過ぎか。

また、その自虐性と対極に、人気抜群の「スタンド・バイ・ミー」(1986年製作・ロブ・ライナー監督)のように、過剰なノスタルジーへの自己投入によって、ズブズブのナルシズムを放射して止まない趣味を持つ表現者も跋扈(ばっこ)しているが、困ったことに、映像の作り手自身が、表現の繊細さをセールスする欺瞞性に気付かない愚昧さを露呈するケースもあるのだ。

この心地良き厄介さが、思春期を回顧するときに、その主体自我を蠱惑(こわく)するフェロモンを放射するが故に困ってしまうのである。


(注1)住む場所がなく、我が子を連れて彷徨う生活を描いた、「子をつれて」などの短編で有名な、大正末期から昭和前期の作家。

(注2)葛西善蔵の弟子で、大正末期から昭和前期に活躍。「崖の下」など、厳しい自虐的私小説で有名。



5  ズブズブのナルシズムに浸ることを拭い切った映像の余情  まとめとして③



さて、「フェリーニのアマルコルド」。

この作品でも、思春期の只中を快走する主人公を、当然の如く、無傷のまま物語を閉じることをさせなかったが、ここでもまた、観る者に反吐を吐かせるほどの不快なキャラ設定から解き放たれていたことは否めない。

思春期を扱った多くの映像作品がそうであるように、自己を投影した主人公に相当な無茶をさせながらも、観る者の寛容さの内に受容してもらえるという黙契を、本作でもまたなぞっていった訳だ。


フェデリコ・フェリーニ監督(ウイキ)

しかし、さすがにフェリーニは (画像はフェリーニ監督)、数多の愚昧な作家とは切れていた。

第一に、ズブズブのナルシズムに浸っていなかったこと。

第二に、その個性的な絵柄の創造によって、観る者に豊潤なイメージを喚起させる映像の、その抜きんでた表現力を全開することに成就したこと。

第三に、それらが単なる印象的な絵柄のパッチワークにならず、ストーリー性を希釈化させながらも、季節の変容の中で鮮烈な絵柄を描いて見せた、一つの家族の印象深い物語性の内に充分な映像構築力を持ち得たこと。

春から春への季節の流れ。

多くの場合、思春期の1年が、その後の長い人生の1年の何倍もの濃密さを持つように、本作でもまた、季節が一回転しただけの循環ではなかったのだ。

だからこそ、フェリーニはその年の1年を、自分の人生の大いなる記憶の宝庫から取り出してきて、虚構性を多分に加えつつ映像化したのだろう。

春から夏まではまだ、町全体が、そこで呼吸する多くの住民を束ねて動く一つの巨大な有機体となっていた。

その巨大な有機体を構成する生命細胞の中にあって、その家族は騒がしくも、頑固な父親の支配からも逸脱する自在性を転がしていたのである。


「性のリアリティ」に飢える少年の思春期彷徨は、柔らかいボールによる触感でしかなかった「巨乳圧迫経験」によって、無機物の圧迫による威圧感を受け止めただけだったが、それでも少年の心をときめかせる異性の対象人格は特定化されていて、殆ど破裂寸前の情動の氾濫を抑える術がない辺りにまで暴れてしまっていたとき、少年は内部世界の「生のリアリティ」に急襲されてしまったのだ。

その内部世界の「生と死のリアリティ」は、冬になってその相貌を表した。

母の発病と入院、そして病死という、あってはならない現実を目の当たりにして、外部世界のみを見続けていた少年は、「家族」という名の、内部世界の「生のリアリティ」が持つ巨大なパワーに丸ごと吸収され、求心力であった大切な肉親の非在性の決定力を初めて経験したのである。

そして新しい春の確かな足音が聞こえてくる頃、少年は外部世界の中枢にいた異性の対象人格を失うことで、内部・外部世界の決定的な求心力であった存在の芯を削られ、そこに生まれた心の空洞感を埋めるべき術がない内的風景を晒すに至った。

映像は、その辺りの繊細な描写を確信的に回避して、「性のリアリティ」の対象人格であった女の結婚風景を賑やかに映し出すことで、騒がしくも印象深い絵柄の洪水を満載した物語を、漸次、観る者に静音性を意識させる構図の切り取り方によって閉じていったのである。

ラストシーンの結婚風景において、「ティッタはどこへ行った?」という台詞の挿入の持つ表現力は、観る者に、少年の心の痛みを想像させるイメージ喚起力を決定づける映像的効果を保証したのだ。

母に次いで、「憧憬のマドンナ」すらも失った少年の心の痛みを、カメラが捕捉する説明的で、感傷過多な描写の上塗りなど全く不要なのである。 

少年の心象を余分なアップでフォローする、数多の情感系作家による映像感性の貧困と完全に切れた、フェリーニの映像世界の一つの頂点を極めた本作の構築力の素晴らしさに、私はただ息を呑む思いだった。

過剰なノスタルジーへの自己投入によって、ズブズブのナルシズムに浸ることを拭い切った映像の余情は、それ故にこそ、観る者の記憶の深いところに張り付き、なお小さくも消えない情報として生き残されていったのだ。

「少しドキドキして、未知のゾーンに踏み入れた辺りの自分史の発火点」であった思春期が記録した、特別な1年の濃密な時間は、どこまでも「相対経験」の固有の相貌と色彩感を放って、思春期の只中を快走する少年の自我を、「軽傷」の状態で残すことで、リアルな未来への未知の時間を超えていく通過儀礼としてなお延長され、継続力を持ち得たのである。

春から春への季節の流れは、ここでもまた、季節が一回転しただけの循環ではなかったのだ。

春の訪れを告げる綿毛の舞の規則性とは切れて、北部イタリアの小さな港町全体と一体となって行進した少年の濃密な時間は、まもなく独自の軌跡を描きつつ、様々な難所を突き抜けていくイメージを乗せて、単なる循環に帰することのない不規則だが、しかし内的秩序を堅固にした時間を構築していくという、言わば、「人生の絶対肯定のオプチミズム」を進軍していくだろう。

そう思わせる映像の余情が、そこに掬い取れたのである。

(2010年1月)