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    4 週間前

2008年11月30日日曜日

幻の光('95)     是枝裕和


 <「対象喪失――その埋め難き固有性を吐き出して、拾い上げて>



1  「何であのとき、ちゃんと引き止められへんかったんやろ」



12歳の少女がいる。ゆみ子という名である。

そのゆみ子が走っていく。

鉄橋の半ばまで来たとき、一人の老婦にようやく追いついた。ゆみ子は祖母を追っていたのである。

「お父ちゃんに叱られるから、家(うち)帰ろう。なぁ、帰ろう」
「祖母(ばあ)ちゃんな、宿毛(すくも・注1)で死にたいよって、四国へ帰るんじゃ」
「まだ死んだら、あかん。それに四国ゆうても、船乗らな行かれへんで。そんなお金持ってないやろ?」
「宿毛で死にたいよって、四国へ帰るんじゃ」


(注1)西に愛媛県宇和島市、北東に四万十市、南部は土佐清水市(共に高知の観光名所)に隣接する、高知県南西部の町。四国八十八ヵ所の39番札所(延光寺)があることでも知られる。

因みに、宿毛市HPによると、以下の通り。

「林業では、温暖な気候を生かした野菜の露地栽培、ハウスを使った施設園芸、海に面した南斜面での果樹栽培などが盛んに行われ、宿毛の特産品として市場に流通している野菜や果樹が多くあります。(略)豊後水道に面した宿毛湾は、魚のゆりかご・天然の養殖場、といわれるほど魚種の豊富な海で、ここで取れる魚の味は絶品です」(宿毛市HP等参考)                      


ゆみ子の制止を振り切って、祖母はそのまま橋の向こうに歩いて行った。

その夜、ゆみ子の家では、未だ帰宅しない祖母のことを話し合っていた。

「毎度のこっちゃ。心配することないやろ」と父。
「帰ってけぇへんかったら、どないしよう・・・」とゆみ子。
「アホなこと言わんとき、ゆみ子のせいやない。また、誰かに連れられて、ひょっこり帰って来るわな。なあ?」と母。

話の内容からすると、どうやら祖母の家出は常習的らしい。

しかし、ゆみ子には心配でならない。少女は夜の道を探しに行く。

そこに、自転車を転がした少年が一人、こちらを向いて立っていた。

「郁ちゃん・・・」

寝言だった。

25歳になったゆみ子が叫んだ言葉は、夫の名である。正確には、郁夫。

夫の名を呼んで目覚めたゆみ子は、傍らの夫に呟いた。

「また、あの夢見た。最近しょっちゅうやわ。何でやろう・・・」

ゆみ子は、12歳のときに経験した祖母の失踪について、今でも拘りを持っていた。

夫は眠い眼を擦りながら、若妻を彼なりに労わった。

「・・・前のお祖母ちゃんの生まれ変わりちゃうで・・・寝や。夢の続きで、お祖母ちゃん、戻って来るかも知れへんで」
「そやねぇ、けど、何であのとき、ちゃんと引き止められへんかったんやろ」


「幻の光」―― ここでタイトルが映し出されてきて、映像は自転車を漕ぐ郁夫を追っていく。

彼はガードレールのところで自転車を引き返し、自宅のアパートに戻って来た。

「お帰り。どこまで行って来たん?」
「同じ盗むんやったら、金持ちのを盗んだれと思て、甲子園まで歩いたった」
「これ、ホンマに盗ってきたん?」
「そう言うたん」
「郁ちゃんの自転車盗んだ人も、誰かに自分の盗られたんかもね」
「盗られたら、盗り返せや」
「郁ちゃん、これに味占めて、ホンマの泥棒になってしもたりせんといてや」
「アホか」

郁夫は自転車を盗まれて、その代りに他人の新車を盗んできたのだった。

隣の部屋のラジオの音が平気で侵入してくる、貧弱なアパートの6畳一間の狭い部屋で、若い夫婦はそれなりに充たされた生活を送っていた。

夫婦には生後3ヶ月目になる男の赤ちゃんがいて、貧しいながらも、庶民が願う程度の夢を持っているように見えた。

ゆみ子と郁夫
盗んだ自転車を夫婦で磨きながらの、二人の会話

「何考えてるの?甲子園まで歩いて、疲れたんちゃうの?何や、ぼうっとしてんで・・・」
「ううん・・・」
「ううんってなあ」

夫はそれに答えず、話題を変えた。

「得意先の運送屋に、相撲取りが入ったんや」
「へぇ、お相撲さんがか?」
「相撲取りゆうても、見込みがのうて廃業して、トラックの助手に雇われてきたんや。もう30過ぎてるやろ。まだチョンマゲ結うたままで、それが18か9の若い運転手に顎で使われとった。・・・あんなチョンマゲ、何で切ってしまえへんねんやろなぁ・・・あのチョンマゲ見てるとなぁ、何や元気がのうなってくるんや」
「でも郁ちゃんには、ほれ、チョンマゲなんてないで。それにまだ、30まで間があるし・・・」


そんな会話が気になったのか、翌日、妻は郁夫の勤める製螺子(せいねじ)工場に顔を出した。

ガラス窓の外から剽軽(ひょうきん)な表情を覗かせる妻。

その妻、ゆみ子を見たときの夫の反応には、優しい笑みが小さく作られていた。

二人はその帰途、行きつけの喫茶店に寄った。

未だ初々しさの残る年若い夫婦は、その後、盗んだ自転車を二人乗りして帰途に就いたのである。

夫の郁夫はその日、勤務時間中にも拘らずアパートに寄った。雨が降りそうなので、自転車を置き、妻から傘を受け取って、再び歩いて工場に向ったのだ。

その後姿を、妻はいつまでも見送っている。

夫の体が次第に小さくなって、妻の笑みだけがそこに残された。ゆみ子は生後まもない勇一をベビーバスに入れて、それを至福と感じる母親になり切っていた。

しかしその夜、夫はいつまでも帰って来なかった。

妻が暗いアパートの部屋で転寝(うたたね)していたら、玄関の戸を叩く音で起された。

扉を開けると、入って来たのは一人の警官だった。

警官は、先刻電車に轢かれた男性がいて、それがゆみ子の夫であるかを確認しに来るように、丁寧な口調で促したのである。

直ちにパトカーに乗り込んだゆみ子は、警官から諸事情を聞かされて、明らかにその表情を暗鬱なものに変えていた。

警察署に着いたときの、担当官の話では、その男性は線路の真ん中を進行方向に歩いていて、警笛の音にも、ブレーキの音にも振り返ることなく、真っ直ぐに歩き続けていたとのこと。

ゆみ子は、遺品の中に自転車の鍵と靴を見て、夫の死を確信したのである。



2  「しっかりせにゃあかんで」



―― 夫の死後、ゆみ子は埋めようがないほどの喪失感に捉われていた。

親子三人で慎ましく暮らしていたはずのアパートの部屋は、喪失感に捉われた者の荒涼とした空気に澱んでいて、そこに呼吸をする身体の自律性をも著しく劣化させているようだった。

彼女の母が、そんな娘を悪気もなく責め立てる。

「・・・あんた、泣いてる子ほっといて、ぼうっとしてるんやって?後追いで、ガス管でもくわえへんか、案じてるのや・・・こんな小っちゃい子残して、郁夫は何で死にはったんやろ・・・あんた、ほんまに何にも気い付きへんかったんか?子供産まれて3ヶ月くらいゆうたら、男が一番張り切る時期やないか。何も理由もないって、何や謎かけられたみたいやな・・・」

娘を思う母の気持ちに、娘は「ありがとう・・・」と小さく反応するのみ。

「しっかりせにゃあかんで」

そこに全く悪意を含むことのないこの類の励ましは、励ます者の気遣いの心情とは無縁に、喪失感に打ちのめされている者には、却って重荷でしかないのだ。

しかし、娘を思う母にはそれ以外に寄せる言葉がないのだろう。

線路沿いの道を、夫が残した自転車を引いて、ゆみ子は力なく歩いていく。

それは彼女の中の「不在感」が、いつまで経っても埋まらない現実の悲哀を象徴するような情景描写だった。



3  「今日からあたしが、お母ちゃんやで」



5年後。

ゆみ子はアパートの大家さんの紹介で、能登に住む男性と再婚することになった。

まもなく、小学校に入る年齢を迎えていた勇一を連れて、ゆみ子は母に送られながら、馴染んだ最寄の駅のプラットホームに立っている。

近づいて来る列車の音が妙に優しく奏でられていて、それは恰も、孤独なる母子の再出発を後押ししているようだった。

誰もいない静かな車両の中で、母と息子は言葉を交さないが、そこに確かな心の繋がりを刻んでいた。

母子が能登の駅に着いたとき、まだ相手の男性は迎えに来ていなかった。

暫く待合室で待つ母子のもとに、中年男が娘を連れて走って来た。相手の男性の名は、民雄。娘の名は友子。父娘共に、誠実そうな印象を映し出していた。

「えらいすいません。仕事でゴタゴタあって、段取り悪うて、泡食いました・・・」

この民雄の飾り気のない挨拶の後から、「来てくれて、ありがとう」という、友子の静かな優しさが追い駆けてきた。

それだけの挨拶の中に見え隠れする、父娘の素朴な人柄の片鱗に触れて、孤独なる母子の心が溶かされゆく小さな伏線が、抑制的な描写を通して遠慮げに張られているようでもあった。

母子は、民雄の運転する車に同乗して、目的先である民雄の実家に到着した。

民雄の実家
荒々しい能登の海と、野鳥が舞う素朴な漁村の風景が広がる辺りに、民雄の実家は凛として構えていた。

民雄はその足で勤務先に引き返し、母子は民雄の父が寛(くつろ)ぐ居間の炬燵(こたつ)で、居心地が悪そうに過ごしていた。

民雄の父はそんな空気を察知して、ゆみ子に優しい言葉をかけていく。

「近所の挨拶は明日にして、今日はゆっくりしい」
「さっきも言うたやんか。もう三遍目や」

これは、勇一の無邪気な反応。

この子は物怖じしないのか、それとも民雄の父の醸し出す雰囲気がそうさせたのか。

そんな男の子を自分の膝に呼び寄せて、民雄の父は無言の優しさの内に包み込む。

それに反応するかのように、ゆみ子は民雄の一人娘である友子に話しかけていく。

この女の子は、まるでそこが自分の家ではないかのように、部屋の隅に座っていたからだ。

「今日からあたしが、お母ちゃんやで」

ゆみ子のこの一言に、友子は、「うん」と小さく頷いた。

朝市
その夜、ゆみ子は一人で、夜の潮騒の海を見つめていた。そこに民雄が近づいて、静かに語りかける。

「えらい騒ぎやろ。最初はうるそうて、寝られへんかも知れへんなぁ」

そんな言葉に、ゆみ子を気遣う民雄の優しさが滲み出ていた。

翌朝、民雄はゆみ子を連れて、近所に挨拶回りした。

その後、彼女を車に乗せて、朝市での知人への紹介。

そして親戚縁者を囲んでの披露宴が、民雄の自宅で開かれたのである。



4  「何や、夢見てる気分やった」



まもなく春がきて、既に人見知りしなくなった勇一は友子と親しくなり、二人で家の周りの自然を駆け回る映像が印象的に映し出されていく。

美しい海、雪の残る丘陵、広大な水田。

能登の風景(1)・ブログより
其処彼処(そこかしこ)に展開される能登の素朴な自然の只中を、無邪気な少年と繊細な少女が、殆どそこに溶け込むようにして身を預けていく。

少年の無邪気さに、少女のナイーブな心が溶かされて、少女は少年の母のゆみ子とも、親しく口を聞くようになっていったのである。

「あたし、中学に入ったら、髪伸ばすんよ」と友子。
「もっと、べっぴんさんになるわ」と義母。

彼女は友子の髪を優しく切っている。

その二人の耳に、風呂場から民雄と勇一が思いを合わせて、元気よく数を数える声が漏れてきた。

「お父ちゃん、のぼせてはんのんちゃう?」

義母が義娘にそう語る風景は、血の繋がらない他人がようやく一つの家族を形成したイメージを優しく映し出していた。

夏になって、更にその風景に民雄の父が加わったとき、既に穏やかな家族の営みを継続する親和力が、そこに自然に発露されていたのである。

五人は長閑な縁側で庭に向って並んで座り、静かにスイカを食べている。

会話はないが、ゆみ子の笑みが満面に零れ出ていて、誰もその風景を不思議に思わない力がそこにあった。

まもなくゆみ子は、二人の子供を連れて、尼崎の母のもとを訪れた。

弟の結婚式に出席するためである。気丈な母は変わらない。相変わらず元気で頑張っている。

その後、ゆみ子は喫茶店を訪ねた。

それは、彼女が郁夫と最後に寄った喫茶店だった。

ゆみ子の明るい表情を見て、マスターは安堵したように言葉をかける。

「元気やった?」とマスター。

その明るさに自信を持ったのか、マスターはゆみ子の知らない事実を語り始めた。

「あの日、何時頃やったかな。ひょっこり顔出して、コーヒー飲んで帰ったんや」
「あの日って?」
「あの・・・死んだ日やがな。仕事終って、帰りに寄ったんやろ。別段、何の変わったこともなかったから、明くる日新聞見たら、びっくりしたわ・・・そこ座って、わしらのバカ話、ニヤニヤしながら聞いて帰って行った・・・」
「ここまで、帰って来たんですか?」
「うっかり、金持って来るの忘れて、来たんやろ。すぐ取りに帰るわっちゅうてな。わし、いつでもええねんって。ほんならマスター済まんな、明日まで借りとくわって言うて、笑って帰ってった。何や、夢見てる気分やった」

それが、マスターの話の全てだった。

ゆみ子は、郁夫が働いていた工場まで足を伸ばし、あのときと同じように、外から工場の中を見た。休日だから、そこで働く者を見ることはできない。

彼女はその足で、二人が共に生活していたアパートに向かった。

階段を上り、その部屋の前で立止まった。

映像は、過去にタイムスリップしてしまった女の険しい表情を映し出し、そこに外から差し込む鈍い陽光を照らし出した。



5  「沖の方に綺麗な光が見えるんやと」



―― その夜、ゆみ子は能登の自宅で沈み込んでいた。

その表情を感じ取った夫の民雄は、静かに語りかけていく。

「疲れたか?勇一も友子もスーと寝てしまいよった。お母さん、元気やったか?いっぺん落ち着いて、挨拶に行かんとな」

この間、ゆみ子は黙って頷くのみ。夫はそれ以上、何も言わなかった。

その日以降、ゆみ子の表情から笑みが消えていった。

彼女は夜の床で、窓を開けて、じっと外を見ている。

既に妻の表情の変化に気づいている夫は、そんな妻になお語りかける。その言葉は、優しさに満ちていた。

「何見てんねん?どないしたんや?早(はよ)う窓閉めな、家(うち)の中に、ツララができてしまうがな・・・里心でもついたんか?何や、ぼんやりしてるがな。尼崎へ帰りたぁなったんちゃうか?」
「そんなこと、あらへん。ちょっと夢見て、眼が覚めたんや」

夫は、妻の心の世界に侵入したいのだ。

しかしそれを拒む何かが、今の妻にはあった。夫にはそれを把握できない辛さがあり、そこに作られた距離感にたじろぐしかなかった。

夫が酩酊して帰って来た夜、妻は密かに隠し持っていた自転車の鍵を引き出しから取り出した。

酩酊した夫はコタツの中に潜り込み、半睡状態。

夫が車で帰宅したことを心配し、妻はその思いをソフトにぶつけた。

「遅うなるんやったら、電話くらいしてぇな。心配するやんか」
「うん・・・それ何や?今、隠したもんや」

夫は自分のことよりも、妻の心の世界が依然として気になってならないのだ。

「別に隠してへんがな。古い自転車の鍵や。鈴だけ取ってしまおうか思って・・・」

妻の言葉は、なお繋がっていく。

「嘘つき。あんた大分前にウチに言うたな。お父さん一人にできへんから、嫌々こっちに帰って来たって。ウチはとめのさんに聞いたで。あんた、前の奥さんと結婚したくて、大坂からこっちへ帰って来たんやて。恋女房やったんやてな・・・そんな大事な奥さん死なして、何でまた、ウチみたいな女、後添いにしたんや。何でや?」
「何がや?」
「あんた、嘘つきや」

ゆみ子は夫に、思いもかけないことを言い出した。

彼女の寂しさなのか、それとも夫に対する嫉妬感の表れなのか。

夫は、そんな難しい話は明日にしてくれと答えるが、突然沈黙の世界に潜り込んだ妻の思いを捨て切れなかった。

立ち上がろうとした夫は、再びコタツの前に座って、言葉を加えた。

「どないしたんや?急に大人しゅうなったら、気味が悪いがな。この家が嫌になったのか?」

首を横に振る妻。言葉はない。

そんな妻を夫は見つめるばかり。夫も、それ以上言葉を繋がなかった。

その日、ゆみ子は一人で能登の海岸に誘(いざな)われるように、雪が舞い始めた初冬の荒涼とした風景の中を歩いている。

そこに長い葬列が一本のラインを形成し、人の死による葬送の儀式が、まるでその風景の中に溶け込んでいて、そのラインの切れた辺りに、ゆみ子は彷徨していた。

まもなく、夫が運転する車が妻を迎えに来て、女の方に近づいていく。

夫が立止まり、今度は妻の方から夫に向って、その歩みをゆっくりと進めて行った。

二人は等間隔の距離を保ちながら、海岸線を歩いていく。

「ウチなぁ、ウチ、分らへんねん。あの人が何で自殺したんか、何で線路の上、歩いてたんか。それ考え始めると、もうあかんようになるねん。なぁ、あんたは何でやと思う?」
「海に誘われる、言うとった。親父、前は船に乗っとったんや。一人で海の上におったら、沖の方に綺麗な光が見えるんやと。チラチラ、チラチラ光って、俺を誘うんじゃと言うとった。誰にでもそういうこと、あるんちゃうか?」

これが、夫婦の会話の全てだった。

全てだが、その中に内包されている親和力の強靭さは、明らかに、グリーフワーク(対象喪失による悲嘆の過程)を軟着陸させていくに足る分だけ用意されていたと言えるだろう。

翌日、陽光を浴びて、父が二人の子供と戯れる描写が印象的に映し出された後、いつものように、縁側で外を見る祖父に寄り添うようにして、二人の子供の母が静かに語りかけた。

「ええ、陽気になりましたねぇ」
「ええ、陽気になったなぁ」

そこには、決定的なラインを乗り越えつつあるかのような、一人の女の落ち着いた振舞いが映し出されていた。


*       *       *       *



6  転移の中の喪の仕事



これは、「悲哀の仕事」を通して、長い時間をかけて、緩やかに対象喪失によって苛酷にも空洞化された自我を、殆んどそれ以外にない流れ方の内に、ようやく、その自我がギリギリに再生し得るに足る分だけ補填することができた、固有なる魂のその切実なる記録である。

従って本稿は、映像の主人公の内面の振幅についての心理学的な分析が基本テーマになるだろう。

本稿の表題が、〈「対象喪失」―― その埋め難き固有性を吐き出して、拾い上げて〉という把握に落ち着いた所以である。

―― その魂の記録への言及に入る前に、まずここで、精神分析について一般的な把握を押さえておこう。

「人間心理の理論と治療技法の体系」(「ウィキペディア」より)とされる精神分析学という、巷間に知られたフィールドについて私は門外漢なので、以下、心理学の専門家の知見を活用させていただく。

本稿の基本テーマは、「悲哀の仕事」(「喪の仕事」=モーニングワーク)である。

「悲哀の仕事」とは、フロイトによって提示された概念である。

人間は自らの愛情や依存の対象を喪失したとき、そこに名状し難いほどの深い悲しみが発生する。喪った対象への強い思いが残れば残るほど、そこに心を奪われ、様々な感情が絡み合って、一見して、他人には想像がつかないような自我の破綻が生じ、しばしば、日常性の秩序を破壊するようなパニック現象に襲われたりもする。

そこに生じた自我の危機が恒常化するとき、人はその危機を乗り越えていくための心理過程が媒介されていないと、極めて辛い現実に翻弄された挙句、精神病理に捉われたり、しばしば自死するに至るような最悪な事態に流れ込んでしまうことがあるだろう。

「悲哀」を深めれば深めるほど、それを解決していくための自然な精神的営為が切に求められるのである。

以下、小此木啓吾の著名な「対象喪失」(中公新書 1979年刊)という著書に基づいて言及していく。


フロイト(ウイキ)
フロイトによれば、「喪の仕事」は二つの特徴を持っている。

第一の特徴は、「亡き父親に対する自分の気持ちを、知的に洞察し整理する作業によって、その体験を昇華しようとした点にある。死者に対する自分の気持ちを、回想録、伝記、或いは物語や詩歌に託す営みは、フロイトの自己分析の営みと共通した精神的意義をもっている」(同上より)。

即ち、これは自己自身が悲哀の対象と対峙し、克服していく強い精神的過程である。現にフロイト自身は、彼の父の死の衝撃をこのような方法によって乗り越えたと言われている。

第二の特徴は、小此木啓吾自身が、「転移の中の喪の仕事」と名づける心理的過程である。

これは同著によれば、以下の文脈に整理されるものである。

「愛する人、頼っていた対象を失ったわれわれは、ただ一人、自分の心の中だけでその思い出にふけり、心を整理しようとすればするほど、その思慕の情はつのり、対象がいま、そこにいない苦痛は耐えがたいものになる。絶望と孤独、さみしさでいっぱいになる。

そしてこの苦痛から救われる一つの道は、死者への思いを誰かよい聞き手に語ることである。悲しみをともにし、怨みつらみを訴え、死者への自責やつぐないの気持ちをわかち合ってもらいたい。こうした喪の仕事の伴侶となることこそ、古来からの宗教家の基本的な天職であった。

小此木啓吾
そしてこの喪の仕事をともにする人物に、人は、幼い子どもにとっての親のような存在を見だしたり、亡き父母の生まれ変りを発見するようになる。現代社会では、かならずしも宗教家でもない家族・友人をはじめ、誰かがこのような転移の対象となって、『転移の中の喪の仕事』をともにする」(筆者段落構成)

以上の指摘で判然とするように、「悲哀の仕事」を遂行するには、その現実から永久逃避する世界に潜り込んでしまう限り、対象喪失によって空洞化された自我の再生の可能性は極めて困難であるということである。

それは、自我が刻んだ記憶を様々な心理的処理によって封印することで、自らがそこに安らぐことが可能な時間を所有できないということに尽きるだろう。

逃避する限り、時間はある一瞬で固まってしまって、時間をそれより先に動かせなくなってしまうということだ。そのことによって、「受動的ニヒリズム」(注2)やペシミズムに搦め捕られた挙句、抑鬱の世界を日常化し、自死に向う確率を高めてしまうだろう。

決定的な対象喪失の危機に陥ったとき、私たちには「悲哀の仕事」、或いは、「グリーフワーク」と呼ばれるものの遂行を不可避とせざるを得ないのである。

禁じられた遊び」より
因みに、映像作品の中で例を挙げれば、「禁じられた遊び」(ルネ・クレマン監督)の幼女ポーレットは、両親を空襲で喪っても「死」の観念を理解できないまま、無意識的に十字架集めという「悲哀の仕事」を、周囲の大人の眼を盗んで続けていたが、遂にそれが完結し得ないまま、更にそこに大きな対象喪失(ミシェル少年との別れ)の危機が加わって、最終的に施設送りにされてしまったのである。

映像は、幼女の再生の困難さを暗示して閉じられたのである。


(注2)ここでは、自らの自我が拠って立つ価値が崩壊することで人生の希望を喪失し、絶望的になる内的状況という風に使用している。



7  自己完結されていなかった「悲哀の仕事」



―― ここで、「幻の光」の主人公の場合を考えてみよう。


本作の主人公、ゆみ子はその人生の中で、過去に二度、決定的な対象喪失の危機を経験し、その自我に埋め難いほどの空洞感を作り出してしまった。

深甚な対象喪失によって作り出された名状し難い空洞感を埋めるには、彼女の場合、別な新しい人格との遭遇を介して、その人格的他者を愛情と依存の対象に据えることで、そこに過剰な思いを預け入れていく以外になかった。

それは、彼女の最初の対象喪失の深甚な経験が、12歳の難しい年齢期において、未だ定まらない自我を急襲してしまったことと多いに関係するだろう。認知症の祖母の死出の旅路に向う現場に立ち会った経験を、少女は何か特別な時間の記憶として、その自我に深々と刻印してしまったのである。

少女はそのとき、自己の存在性を、「祖母の死を食い止められなかった孫」という認知によって固めてしまったに違いない。

このラベリングは思春期を経て、やがて、「祖母の死を後押しした孫」という不合理な把握の内に流れ込むことによって、その自我に不必要なまでの贖罪意識を形成させるモンスターになってしまったように思われるのだ。

人は自分を不断に告発し、断罪し、苛め抜くことによって、「ここまで責めたから許しを与えよう」という浄化の観念に、束の間潜り込んでいく。

それを私たちは「良心」と呼んでいるが、その本質には、「自虐のナルシズム」という感情ラインが重厚に絡んでいることを否定し難いであろう。

この「良心」の獲得は、人間の自我形成の枢要な達成点であると考えられるが、その自我が内側に刻んできた記憶が深甚なほどの負性を内包していれば、当然の如く、「良心」の機能はバランスを欠いて、過剰に自己攻撃的な内面世界を作り出してしまいかねないのである。

まして、思春期の自我は過剰に流れやすいのだ。その精神が繊細であればあるほど、その自我の自己攻撃性は不合理な様態を晒すことになるであろう。

では、そんな思春期の少女の自我が負った裂傷が、痛々しく継続力を持ってしまうとき、その自我はどのような振れ方をするのであろうか。

思春期という名の難しい時を経て、その自我が辿り着いた軟着点は、新しい愛情と依存の対象の獲得であった。

ゆみ子は、郁夫という全く異なる人格の内に、あろうことか、祖母の生まれ変わりの人格性を見出してしまったのである。

これは映像の中で印象的に描き出されていたが、悪夢から覚めた新妻のゆみ子に、夫の郁夫が自分が妻の祖母の生まれ変わりであることに、些か当惑する思いを小さく表現し、既にその歪曲された想念に夫の諦め切った心理的文脈の所在が検証されていた。

それはまさに、小此木啓吾が言うところの「転移の中の喪の仕事」であった。

彼女は成人してもなお、「喪の仕事」を切に必要とする存在であったということである。

宮本輝
映像は、ゆみ子の一人称小説の形式を取る原作(「幻の光」宮本輝作)のように、この若い夫婦の馴れ初めを描かないが、それでも二人の関係の内に潜む、感情の微妙な落差のようなものを想像させるに充分なイメージを映し出していた。

映画表現とは、一切をでき得る限り表現する必要性を持つ文学作品とは全く異なる、一種の総合芸術の結晶である。原作のような詳細な情報を、観る者に与える必要がない分だけ、映像表現の固有なるイメージ喚起力によって勝負できるのである。

本作の表現力の卓抜さは、主人公の心象風景を極めてリアルに伝えることで、充分に検証されていたということだろう。

ゆみ子と郁夫。

この若い夫婦の会話は、映像の中であまりに少ない。

しかし、最も重要な部分だけは削られていなかった。

その最初の描写が、ファーストシーンの後の「転移の中の喪の仕事」を検証する場面であった。既にそこに、二人の関係が本質的に内包する微妙な落差感を映し出していたと言えるであろう。

まさに郁夫の存在は、12歳以降埋められなかった少女の自我の空洞感を、限りなく埋めるに足る何ものかであったと言えようか。

ゆみ子にとって郁夫の存在は、深甚な対象喪失によって作り出された負性の観念を中和するような、絶対的な何ものかでなければならなかったのである。

そして若い夫はその役割を彼なりに果たすことで、若き妻の自我の、その拠って立つ安定的基盤になり得たのである。

その絶対的な何かを、ゆみ子は喪失してしまったのだ。

夫である郁夫の死。

それは、若妻の自我を激甚なまでに砕いてしまう慄然とすべき何かであった。

郁夫の死によって、ゆみ子の自我の安定の、その拠って立つ基盤が決定的に崩壊し去ったのである。

確かに、ゆみ子には生後3ケ月の勇一という一人息子がいたが、しかし、彼女にとって勇一の存在は、郁夫という絶対的な愛情対象の喪失を十全に補填する何ものかにならなかったのである。

然るに、そんなゆみ子の思いを知るはずの郁夫は、なぜ死なねばならなかったのか。

実はこの根源的問いこそが、その後のゆみ子の時間を決定づける感情になってしまったのである。

恐らく彼の死は、映像の中で語られたものの内に見出せるであろう。それは、盗んだ自転車に郁夫がペンキを塗る描写の中にあった。

そこでの夫婦の会話。

相撲取りの挫折の話をしたとき、郁夫はこのように語っていたのだ。

「相撲取りゆうても、見込みがのうて廃業して、トラックの助手に雇われてきたんや。もう三十過ぎてるやろ。まだチョンマゲ結うたままで、それが18か9の若い運転手に
顎で使われとった。・・・あんなチョンマゲ、何で切ってしまへんねんやろなぁ・・・あのチョンマゲ見てるとなぁ、何や元気がのうなって来るんや」

この郁夫の言葉の中に、ゆみ子は何かを感じた。それでも彼女は、このようにしか反応できなかった。

「でも郁ちゃんには、ほれ、チョンマゲなんてないで。それにまだ、30まで間があるし・・・」

郁夫が勤める工場
彼女は郁夫のこの言葉に、ある種の拘りを持ったからこそ、翌日、夫を工場まで迎えに行ったのである。

その後、二人は行きつけの喫茶店に入ったが、そこでの会話には、乳児を育てる立場にある者の闊達な能動的交叉の片鱗もなかった。

郁夫はもうこの時点で、自分を誘(いざな)う「幻の光」に導かれていたのであろう。

ゆみ子は、夫の内面世界の最も深い辺りまで侵入できなかったのである。その侵入を、郁夫が意識的に拒んだのかも知れない。ゆみ子は、そんな風に考えてしまったのだろう。

だから彼女にとって、夫の死は「自殺」であって欲しくなかったはずである。

もし夫が、「自殺」を選択したことを認めるならば、それは夫が、自分と生後間もない息子を遺棄したことを認めざるを得なくなるのだ。そのことは、ゆみ子にとって、その存在の否定に繋がる事態の認知以外の何ものでもないということになる。

それ故、それを認めることを拒む心理の根柢には、夫の死が紛れもなく、「自殺」であることを感受してしまう負性なる思いが横臥(おうが)しているのである。恐らく、この心理の把握は極めて重要であるだろう。

この負性なる思いが記憶の澱に深々と沈殿した状態のまま、ゆみ子は人生を再出発せねばならなかった。彼女にとって、このあまりに生々しい対象喪失の危機を乗り越えていくことは、あまりに艱難(かんなん)なる人生のテーマであったと言えるだろう。

勇一の存在が、彼女の自我の決定的破局を、ギリギリのところで食い止める役割を果たしたであろうことは否定し難いが、しかし先述したように、母である女がこのとき、息子の存在を愛情対象の決定的な何ものかに据えられなかったこともまた、残念ながら否定し難いのである。

と言うより、それ以上に、郁夫を喪失した心理的空洞感の大きさが圧倒的だったということだ。

それも二度に亘って自我を襲撃した対象喪失の経験は、一つの脆弱な自我の内に精神的後遺症となって、彼女のその後の人生にへばり付いてしまうほどの粘着力を持ってしまったということである。

だから彼女にとって、深甚な喪失感を埋めるに足る別の対象を発見し、そこに身を預けることで、自我の決定的崩壊を防ぐ必要があったと言えるだろう。それもまた、彼女の自我の生存戦略であったに違いなかったのだ。

5年後、彼女は再婚した。

それは求めるべくして求めた彼女の心の、その見えない叫びの結実でもあっただろう。

思えば、彼女は心の澱みを少しでも浄化するために、郁夫と暮らした街である尼崎を捨てたと考えられる。その決断は、少しでも風景の異なる世界に身を預ける切実なる思いの必然的帰結でもあった。

能登の風景(2)・ブログより
ともあれ、民雄との出会いは、能登という大自然との革命的な邂逅をも随伴するものであった。彼女の心は、この風土の中で確実に溶かされて、慰撫されていった。

間違いなく、異次元の世界のような風土との邂逅は、彼女の心の澱に沈む負性の感情、即ち、不必要なまでの贖罪意識や抑鬱感情、更には、自己否定的なペシミズムといった感情を継続的に中和化させるに足る、柔和なる時間の獲得を具現化したのである。

寡黙な夫は、その持ち前の包容力によって彼女を心理的に庇護し、身体的にも、そのストレートな愛情表現を出し入れすることに全く逡巡しなかった。

そして、民雄もまた先妻を喪失した辛い過去を持っていた。先妻との関係も、睦み合う至福の時間を共有するほどの繋がりが存在していたらしい。

その意味で、ゆみ子と民雄は似た者同士なのである。

しかしそれでも、その関係の流れ方には決定的な違いがある。ゆみ子は先夫を、「自殺」という、あってはならない事態によって喪失した、心情的には、「置き去りにされた寡婦」であったということだ。

ゆみ子にあって、民雄になかった深甚な現実。

それは、ゆみ子の内面世界の中でのみ、「悲哀の仕事」が自己完結されていなかったということである。

ゆみ子の尼崎行きによって、そのことが露呈される不可避なる事態が発生したとき、ゆみ子はもう、「悲哀の仕事」の自己完結なしには済まない、痛ましい自我の呻吟から逃避できなくなってしまったのである。彼女の自我の呻吟が、いよいよ収拾がつかない辺りにまで噴き上がってきてしまったのである。

そんな妻の異変に既に気づいていた夫の民雄は、まさにそのときを逃したら、その関係の根底を崩されるかも知れないという決定的な局面に於いて、決定的に動いたのである。

能登の風景(3)・ブログより
葬列のラインの後方に誘(いざな)われるようにして、その心を捨てようとする妻の危うい彷徨に立ち塞がって、夫は妻の究極の呻きを全人格的に受け止めた。

常に心の奥深いところに封印し続けた一人の女の自我の叫びを、夫は能動的に受容したのである。

そのとき、夫はこう言ったのだ。

「海に誘われる、言うとった。親父、前は船に乗っとったんや。一人で海の上におったら、沖の方に綺麗な光が見えるんやと。チラチラ、チラチラ光って、俺を誘うんじゃと言うとった。誰にでもそういうこと、あるんちゃうか?」

妻は必ずしも、夫のその言葉に抱擁されたのではない。

自分を迎えに来て、自分の封印し続けてきた思いを受容してくれた夫の優しさの中に抱擁されたのである。

映像がその後に映し出した描写は、夫の父との何気ない会話であった。

それは、ゆみ子の自我が決定的なところで溶かされて、それが本来あるべき日常性の内に復元していくという確かなメッセージでもあった。物語はそこで括られたが、彼女のそこからの日常性が、恐らく、それまでの何かと違う新鮮な時間を作り出すであろうことを暗示して、観る者に一応のカタルシスを保証するものであっただろう。

要するにこれは、重苦しい人生の記憶が長くその自我に貼り付けられていた、一人の女性の曲線的な展開を通して、それが最終的に「転移の中の喪の仕事」の自己完結によって初めて、それが本来向かうべき安寧の場所に辿り着いたことを、ある意味で典型的になぞっていった物語であったのである。

まさに本作は、「悲哀の仕事」が持つことの意味の重要性を、かくまでに説得力を持たせて象徴的に映像化した作品だった。


最後に、「対象喪失」(小此木啓吾著)から、以下の文章を引用することで、この稿を括りたい。

その内容はとても簡潔で、分りやすいものだが、しかし人間が経験する不可避な「悲哀」の現実の様態を理解する上で、とても説得力のある文章になっている。

「また悲哀の苦痛は、もはや対象が存在しないことがわかっているのに、対象に対する思慕の情がつづく、みたされぬそのフラストレーションの苦痛である。

『悲哀の仕事』は、この対象とのかかわりを一つ一つ再現し、解決していく作業である。『悲哀の仕事が完了したあとでは、自我は再び自由になって現実にもどる』。死の必然と和解し、死を受け入れるということは、失った対象(または、失う自分)を心から断念できるようになるということである。『悲哀の仕事』は、そのような断念を可能にする心の営みである。

しかしながら、あくまでもそれは断念であって、悲哀の苦痛を感じなくなるという意味でもない。失った対象に対する思慕の情は、永久に残り、この対象と二度と会うことのできないこの苦痛は、依然として苦痛として残るであろう。

しかしそれをどうすることもできないのが人間の限界であり、人間の現実である。大切なことは、その悲しみや思慕の情を、自然な心によって、いつも体験し、悲しむことのできる能力を身につけることである。しかもこの真理は、かならずしも死についてだけあてはまるものではない。愛する人との別れや、住み慣れた環境との分離にも、そのままあてはまる普遍的な真理である」(同上より/筆者段落構成)



【余稿】  〈辛い自我の再構築を果たす可能性を提示して〉


私たち人間はどれほど奇麗事を言ったり、強がって見せたりしても、所詮、自我によってしか生きられない存在なのである。

私たちが通常、自我と呼ぶ高度で、理性的な生存・適応戦略を司る羅針盤を持つか否か、それこそ、私たち人間が他の動物と別れるところである。

岸田秀
岸田秀によれば、本能を殆ど持たないでこの世に送り出されてきた人間にとって、親が作ってくれる自我の様態如何で、その人格の骨格が決まってしまうのである。

自我は本能の代用品なのだ。

その自我をどれ程強靭なものにできるか、尖りの少ない抑制的な能力に設(しつら)えることができるか、或いは、広角的な視野を持つ豊かな理性的能力によって、打たれ強さを兼備した堅固な免疫細胞の城塞に結実させることができるか、一切はDNAと関わる気質的、知的な要素をベースにして、それをより高度なレベルで合理的に束ねていく、その自我能力の形成の様態にのみかかっていると言えるだろう。

人間はそのまま放っておくと、愚かさを継続させる人格にしか収斂されないのである。

人間とは自我なのだ。

だからその機能を、少しでも安定的に展開させていく環境こそが求められるということなのである。

本作の主人公の場合、その自我の形成期に受けた裂傷を癒すプロセスを経ないまま成人期を迎え、そこでより深甚な対象喪失の危機に捕捉されてしまった。

彼女の自我は、「悲哀の仕事」を媒介することなしに、時間を先に進めない深刻な内面的危機に追い詰められてしまったのである。

そんな辛い自我の再構築を果たす可能性を提示した辺りで、映像は余情を残して括られていったが、誰もがその人生を通じて経験する「対象喪失」の問題を、かつて、多くの映像作家が真摯に主題化してこなかったことが不思議に思われるほど、ここまで繊細な筆致で映像化した作品を、私は知らない。

その振幅の大きさにおいて、原作よりも遥かに抑制的に表現することに成功した本作には、映像表現の持つ多様な利点を生かした底力の発露のようなものが窺えたのである。

是枝裕和監督
―― 本作に対する、以上の私なりのオマージュを否定する気は毛頭ないが、それでも敢えて付言する。

是枝和裕監督のデビュー作となる本作は、殆ど理念系の暴走でしくじった感のある「誰も知らない」と比べると、そこに全く説得力を持たない通俗的な社会派的感覚を削り取った分だけ、充分に安定的で、静謐な人間ドラマの秀作に結実させることができた、と私は考えている。

しかし常々思うのは、映像作家は、その最も映像化したいと思うテーマを特定的に選択することで、デビュー作にその思いを結晶化させるのであろうが、しかし、そのデビュー作に渾身の魂を込めた作品を映像化したことによって、爾来、それを超える作品が生まれにくい現実が往々にして見られるということ。

独断的に言ってしまえば、この監督もまた、この秀逸なデビュー作を超える作品を未だ映像表現化していないように思われるのである。

蓋(けだ)し残念な次第である。

(2006年9月)


【本稿の幾つかの画像は、ブログ「GoogleMaps@映画板」より拝借致しました。感謝しています】 

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