<暴走するメディア― それを転がす者、それに転がされる者>
序 仮構の城砦を粉砕する突破力
この映画のシャープな切れ味と、そこに仮託されたメッセージの明瞭な語り口、更に、映像それ自身が放つリアリティの重量感に圧倒された。日本映画の小品の中に、これほどの毒気を含んだ挑発的で根柢的な問いかけを、仮構の城砦を粉砕する突破力を表出するが如く、ダイレクトに勝負してきた映像があっただろうか。本作は、私にそんな思いを抱かせるほどの作品だった。
加えて、盗聴マニアの金村役の浅野忠信、テレビディレクター岩井役の白井晃という俳優の、殆どそれ以外に考えられないと思われる、その極めつけの演技は、絶品だったと言う以外にない。
1 獲物の如き被写体を舐めるように捕捉して
―― この70分足らずの、かくも鮮烈なる映像のストーリーラインを追っていこう。
一台のテレビカメラが、様々なアングルから映し出されていく。
「ソニー」製の文字が見える大型のカメラは、まるで一つの生き物のように、それが本来の獲物を捕らえる利器の役割を逆転させて、自らが被写体となって晒されていく姿は異様ですらあった。
そのモンスターの如き利器は、今度は本来の存在様態に復元して、獲物の如き被写体を舐めるように捕捉していく。
その間、「Focus」というキャプションがさり気なく挿入され、映像の展開は繋がっていく。
今、獲物の如き被写体になっているのは、一人の青年だった。
眼鏡をかけたその青年は、自分を絶えず捕捉するカメラを意識して、自分の顔にモザイクをかけてもらえるように、傍らのテレビディレクターに繰り返し念を押していく。
青年はディレクターの前に、小さな携帯用の無線機をカメラに映るように差し出して、取材を受けていく。
「職業は?」とディレクター。
「今はフリーターです」と青年。
「アルバイト?」
「ええ」
「どんな?」
「ええ、ガソリンスタンドとか、警備員とか・・・」
「今、景気悪いんでしょ?」
「まあ、不況ですから・・・」
「あのね、そのバイト先にその無線機とか、持って行ったりするわけ?」
「これは持っていきます」
「バイト先の人にバレたりしない?」
「バイト先では、聞いてないですから。ただ行き帰りの電車とか、そういうのでは聞いています」
「あのう、その電車の中なんかでねぇ、例えばどんなものが入ったりするわけ?」
「JRの無線とかで、例えば、事故とかがありますよね。そうすると事故の情報が入ってきて、何かこう、ここで事故があったのかって・・・」
「でもそういうのって、聞いてて罪にはならないのかな?」
「聞いている分には罪にはならないと思います。それをこう、誰かにペラペラ喋ったりしたらまずいと思うんだけど・・・」
「他には?」
「電車の中とかで、ですか?・・・僕の場合はボーダレスフォンとか、自動車電話とかが殆んどです・・・」
ここで一旦、ディレクターはカメラを止めさせて、今度はその無線機をアップで撮っていく。
その無線機から他人の会話の声が入ってきて、明らかに、それが盗聴器としての役割を果たす利器であることを示したのである。
ディレクターは、「他にも何か聞けるかな?」と青年を促して、青年はその要求に答えていく。
今度はテレクラでの会話の様子が聞こえてくる現実を目の当たりにして、ディレクターは青年に、より強い関心を抱いていくのである。
青年の名は、金村。ディレクターの名は、岩井。
その岩井が金村に、質問を繋いでいく。
カメラは金村青年の顔の下半分をのみを映し出していた。
この映像は、どこまでも向こう側にあるカメラの目線で動いていくのである。
「無線マニアになったきっかけとか?」
「中学の頃に・・・」と話し始めた青年は、友人が警察無線を盗聴していることに影響を受けて、興味半分から盗聴マニアになっていったことを話した。
「自分が警察になった気分」が、「快感」であると漏らしたのである。
「いつ頃から、本格的にのめり込んじゃったって感じ?」と岩井。
金村青年はその問いに対して、高校時代にお金を貯めて、広い範囲を聞き取れる機器を購入し、一日中聞くようになって以来、と答えていく。
どんなものが聞き取れるかという岩井の問いに、金村は、コードレス、自動車電話、パーソナル無線、盗聴器、航空無線などが盗聴できると答えたのである。
「そういうの聞いていて、得することってあるのかな?」と岩井。
「人が知らない情報を自分だけ知ってるじゃないですか。そういう部分の優越感とか、そういうのありますね。あとはまあ、電話だと皆、聞かれてると思わないじゃないですか。それで結構、滅茶滅茶言ってたりしてるんですよ。それで何か、ウチの近所のおばさんだと思うんですけど、僕のこと、変質者だと言って・・・言ってやがったりして」
「君のこと、知ってる人?」
「近所のババアですよ、多分。それからもう、ウチではコードレス聞かなくなりましたけどね」
金村が既に近所から変質者っぽい青年であるという噂が立っていて、それを本人も認めていることを岩井は確認した。
青年は近所の者と没交渉になっていながら、「だから会ってもシカトですよ」と開き直って、現在の生活を維持していたのである。
「疚(やま)しいと思わない?」
「でも、それはないっすよ。勝手に皆電波流していて、勝手にこっちが電波キャッチするだけですから。聞かれたくなかったら、だって流さなきゃいいんだもん」
更にディレクターは、金村の盗聴の体験などを聞いていく。
青年は無線機を使って悪用した経験がないと答えつつも、一つの印象的なエピソードを話した。
それは、青年のアパートの真向かいに住む女子大生らしき居住者のところに盗聴器が仕掛けられていたという話。
勿論、自分が仕掛けたのではないことを強調するが、岩井の「じゃあ、誰が仕掛けたのかな?」との質問に、金村は女子大生の父ではないかと答えたのである。このような出来事が日常的に起こっていることを、青年は示唆したのである。
テレビクルーは、今度は金村をバスに乗ってもらって、そこでの取材を試みる。
ところが、その取材に気づいた中年男が執拗に絡んできて、取材の継続が困難になった。
その中年男は腹いせからか、他の乗客に絡んで殴られる始末。クルーらは金村を伴ってバスを降り、取材車に乗り換えた。
「警察が来るまでいた方が良かったんじゃないですか?」とADの女性。
「いいよ。あんなのに関わったら、後々面倒なんだって。大したことないって、あれくらい」とディレクター。
どこまでも、この男は自己本位的である。彼には金村の盗聴取材のみにしか関心がないらしい。
金村の盗聴器の具合が悪いことから、家にある別の盗聴器を取りに帰ろうとする金村に、岩井は青年のアパートの取材を申し出た。自宅を撮影されることを嫌がる金村を強引に説得し、彼をアパートまで車で連れて行ったのである。
金村のアパートの前に、岩井とADの女性がいて、まだ映像に顔を出さないカメラマンが、金村と彼のアパートを勝手に撮り続けている。
岩井の本当の目的は、金村の部屋の中にカメラを入れることだった。
車載式パーソナル無線機(ウイキ) |
2 暴走する車内を混沌に陥れて
クルーらは金村の運転する車に乗り込んで、その中で取材を継続することになった。
まもなく金村の無線機に、とんでもない情報が飛び込んできた。
どうやら、暴力団のチャカ(拳銃)の取引の情報のようであった。そこで指定された取引現場は、新宿西口のハルク前の電話ボックスということ。
それを知った金村は、「ヤバイですよ」と尻込みするが、岩井は絶好のチャンスとばかり、新宿に行くことを決断したのである。
その間、岩井は金村から、このようなケースがたまに起こることを聞き、それでも警察に連絡しないという金村の話に驚いた。
しかし、本当に新宿に行こうと決断した岩井の行動に、金村の方がもっと驚いたのである。
さすがにADは、「警察に知らせた方がいいんじゃないですか」と自制を促すが、それがいたずらかも知れないと言い張る岩井に同調する以外になかったのだ。
新宿西口のハルク |
そして、その鍵をカメラの前に向けて、岩井は自らレポーターとして放送用のコメントを残していく。
「電話の内容通りの場所に、本当にキーがありました。これがそうです」
そんな岩井の行動に批判的な金村に対して、彼は成り行き的な説明でお茶を濁した。そして彼は、今度はその鍵を持って、ロッカーに拳銃を取りに行く緊迫したレポートを繋いでいく。
「果たしてこのキーの番号のロッカーに、本当に拳銃が入っているのでしょうか。私は今から新宿西口地下にありますコインロッカーに向かうことにします」
このレポートは、百貨店前の通りでのレポートに繋がっていく。
一つ一つのレポートに、レポーターの感情が存分に込められていて、如何にもそこに、些かの作為が媒介しないかのようなリアリティに満ちていた。
「・・・私は今、体の震えが止まりません。本当に拳銃があったらと想像すると、心臓がドキドキします。しかし、とにかく行ってみることにします」
岩井はこのレポートの後、ロッカーから赤い箱を素早く取り出して、それを持って構内を駆けて行った。彼は慌てるように車に乗り込み、いよいよその箱を開ける瞬間を演出していく。
「先程、私が行きました地下のコインロッカーの中に、本当に箱がありました。この箱が、そうです。この箱の中は、本当に拳銃なんでしょうか。それでは、開けてみます・・・開けます・・・もう一つ箱がありますね。二重になっています。これですか、重いですね。ずしっとします・・・ありました!ありました!拳銃ですね。本物なんでしょうか?どう思いますか?」
岩井はそう言って、隣にいる金村に、突然、コメントを振っていく。
それに反応できない金村に、岩井は驚くようなリアクションを求めるが、金村はなかなか演技ができず、岩井を苛立たせていく。
この間、カメラマンの男は色々アドバイスしていくが、未だその顔を見せることがない。ようやく3度目になって、岩井からOKサインが出て、何とかこの収録は完了した。
無理やり演技をさせられた金村も安堵するが、明らかに、自分の思いからどんどん離れていくテレビマンたちの身勝手な行動に対して、彼の中の不満が膨らんでいくようだった。青年の不満が頂点に達しつつあったのである。
そのきっかけは、岩井から拳銃を持っている映像を撮らせて欲しいと要請されたことにあった。
「拳銃持つの?嫌ですよ、そんなの持つなんて」
「だからさ、君がね、その無線盗聴したんで、それで出てきた訳でしょ?」
「自分でやればいいじゃないですか、だって・・・俺関係ないっすよ。取って来たの、岩井さんだし」
「ちょっと待ってくれよ。逃げてんの、それ」
「別に逃げるも・・・」
「今さら無関係だって言えないでしょ!だって、今までのこと全部テープの中に入ってるんだから、何言ってんの!」
「汚ねぇの。いきなりそんな、そんなんなら、最初からやんないっすよ」
「一言でいいの。一言だけでいいから」
二人の埒が明かない会話に不満を持つADは、もう終わりにして、警察に届けた方が良いと口を挟むが、一人、感情を暴走させていた岩井は怒りを露わにして、黙らせた。何かが少しずつ変わろうとしていたのである。
屯するチーマー(イメージ画像)・ブログより |
彼らに対して、岩井は怒りの感情をダイレクトにぶつけて追い返した。
その間、岩井は拳銃を金村の手に押しつけたのである。無論、テレビ撮影のためだ。
事件が起きたのはその直後だった。
車は収録を中断して発車したが、追い返されたチーマーの一人が車のフロントに飛び乗って、バンパーの上でフロントガラスを蹴るなどして、激しく暴れ始めたのである。
いよいよ、チーマーたちの暴力が加速して、それを止めるべく真っ先に金村が外に出て行って、彼らの暴行の集中攻撃を受けたのだ。
その瞬間だった。
拳銃を押しつけられた金村が発砲し、一人のチーマーが路上に仰向けに倒れたのだ。更に金村は、逃走するチーマーを追い駆けながら発砲を続けていく。
金村は完全に常軌を逸していた。彼の中の抑制機構が崩れてしまったのである。
彼は一人で暴走する狂犬の如く、その状況の中で吠え続けた。
「おめえら、映してんじゃねぇよ!早く車止めろよ!何やってるんだ、グズグズ、車に乗れってんだよ!カメラ切れよ!どうすんだよ、バカやろう!おめえらのせいだよ!ふざけんなよ!」
そこにもう、誰にも止められない男の感情が噴き上がっていた。
「警察へ行こう、警察・・・だからさ、正当防衛だよ、こんなの。暴発したってことにすれば・・・」と岩井。
「おめえらのせいだよ!他人事みたいに言うなよ!マジ、何だよ、あんなダニみたいな奴、殺したってろくでもないのによ」
「それ差別だろ、お前」と岩井。
この男も状況に全く対応できないでいる。
「関係ねぇんだよ!・・・撮ってんじゃねぇよ!大体、お前見てるだけで止めなかったじゃねぇか。やんなきゃ、こっちがやられたんだから、そうだろうがよぉ!」
「そうだけどさ・・・」と岩井。
打って変わって、完全に逃げ腰である。
「何で、俺がこんな眼に合わなきゃいけねぇんだよ!いきなりよ!・・・大体、お前がピストル取りに行こうって言ったんじゃないかよ!そんなこと言わなきゃ、こんなことになんないのによ!俺に持たせたのもお前らだしよ!全部おめえらのせいだよ」
「分った、分った、分った。じゃあさ、拳銃海に捨てよう。そしたらさ、何もなかったことになるだろ」
「そんなの、おめえらが喋ったら何にもなんねぇだろうがよ!」
「約束するって、君がやったこと、誰にも言わないからさ。それにテープ全部捨てる」
「当たり前だろ!・・・俺はもうおめえらの指図受けねぇんだよ!」
「約束するからさ。こうなったらもう拳銃さ、どっか捨てよう」
「お前、絶対言わないかよ、本当によぉ」
「絶対言わないって」
「お前ら嘘ばっかりついてるから、信用できねぇよぉ」
金村青年 |
3 有機体と化したカメラに促されるように
まもなく、彼らは金村のアパートに戻っていた。
その狭い一室で、彼らは暗転した状況を曝け出すことになった。金村は少し落ち着きを取り戻し、却って、確信的な暴走者に変身したかのようであった。拳銃を手にして、岩井らを支配し切っていた金村は、カメラマンを指示して、自分を映さずにクルーの二人を映すことを促した。
「上着脱げよ」と金村。
その声には、先程までの絶叫調のトーンではなく、明らかに覚悟を括ったかのような凄みがあった。
「何で?」と岩井。
まだ、それほど怯えていない。
「口答えするなよ」と金村。
彼はベッドに座る男女に、服を脱ぐように命じた。岩井は命じられたように、上着を脱いでいく。
「ベッドに入れよ。お前ら喋らないように証拠撮るんだよ。当たり前だろ、そんなの」
「ちょっと待ってよ・・・」と岩井。
「早くやれよ。それやったら、帰してやるよ。早くしろよ、早く!」
「絶対言わないからさ・・・」
「バカじゃん。もう俺は自分のことしか信用しねぇんだよ」
それ以上の命令に従うことに躊躇する岩井に、金村は強い口調で促した。
「何やってんだよ!」
「止めようよ!お前だって、人生あるんだからさ」
「おめえに言われたくねぇよ、そんなことは。早くしろよ・・・やれよ!質問しなくていいから、やれよ。何すんだって、考えなくたって分るだろ!」
なかなか動かない二人に、金村は号令をかけた。
「ヨーイ、スタート!」
それでも動かない岩井の胸倉を掴んで、今度は叫ぶように命じた。
「言われたことやれっつうのが分んねぇのかよ、おい!おい!早くしろよ!ズボン脱げよ!お前、男が脱がなきゃ、女だってできねぇんだから!」
拳銃を突きつけられた岩井は、ここでようやくズボンを脱いだ。
金村はADの女性に命じて、服を脱ぐことを促した。岩井は不承不承、女の体に手をかけた。
「止めてよ!」
女は、上司である岩井に激しく抵抗した。
「嫌がってるよ」
岩井は金村に気弱そうに告げるが、金村の強い表情は変わらない。岩井は再び女に手をかけた。
「止めてよ!」
「だから、しょうがねぇってんだよ!」
今度は、岩井の方が切れてしまった。
その切れた勢いで、岩井は女に向っていく。それはもう、一匹の猛獣のようだった。
激しい女の抵抗と、その抵抗を砕いていく男の感情が噴き上がっていって、男は半ば本能的に動いていく。一気に情動の勢いで乗り切って、凄惨な時間が虚しく完結した。
「何か、すげぇ寒いな、これ」
この金村の一言が、今そこで展開されていた事態の空虚感を的確に表現していた。命令を言われるがままに遵守した岩井に向って、金村は鋭利な言葉を放っていく。
「お前、脅されれば、何だってやるんじゃん、なあ。テレビなんて思い上がってるだけだよ。いい気になってよ。なあ?俺、絶対におめえらの見世物なんかならねぇよ。おめえらが全部でっち上げてよ。なあ?俺にも言い分あるよ、こんなのよ、そうだろう?おい!」
金村はテレビクルーに対する不満を爆発するように、拳銃を岩井のこめかみに押しつけて、男のギリギリの抵抗を抑え込んでいく。
「お前さ・・・世の中敵に回すぞ、お前・・・」
岩井の弱々しい言葉の抵抗に、金村はその怒りを再び身体化した。
「何でお前が、いきなり世の中になるんだよ。おめえが世の中を動かしてるのかよ!そしたら簡単に動くじゃねぇか!こうやりゃぁよう!俺が動かせるじゃねえかよぉ!」
金村は逆切れしたかのように岩井を突き飛ばし、殴打した。
「なあ、お前、何だ!怖いんだろ!こうやってやられりゃ!言うこと聞くだろうがな!頷けや!」
金村の感情のうねりは、殆ど止めようがない地平にまで達していた。
そんな男の耳に、突然警察無線の情報が飛び込んできた。チーマーを殺害した事件の報告が、既に容疑者をある程度特定できる情報を含んでいて、金村は絶望的な心境に追い詰められてしまったのである。
自分の逮捕を切り抜けるために、テレビクルーの男女を強引にセックスさせたのだ。その行動が何の意味も持たなくなってしまった事実に、彼は呆然とするばかりだった。
まもなく、金村は意を決したように行動を開始した。
テレビマンたちを再び車に乗せて、夜の街を無表情に走り抜けていく。車内では、金村の盗聴無線に次々に他人のプライバシーが入り込んできて、その軽快な語り口の連射は、車内の陰鬱な空気とあまりに対照的であり過ぎた。
盗聴の情報を取材しに来たテレビクルーの本来の目的は、そこではもう解体されていたのである。
朝焼けの浜辺(イメージ画像)・ブログより
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金村は風景に対する新鮮な感動に酩酊するかのように、暫く車内から朝焼けの光景を満喫していた。
そして彼は、カメラマンを促したのである。
「ねえ、これ撮れる?これちょっと、綺麗だから、撮っておこうよ・・・」
カメラが朝焼けの映像をアップで引いてきて、それを見ながら金村は、右手に持った拳銃をシートの上に置き、代わりに自販機のコーヒーを口にしようとした。
その瞬間だった。映像は突然暗くなり、叫び声が刻まれた。
それは、金村が置いた拳銃を奪い合った物音のようにも見えた。
映像が再び明るさを取り戻したとき、そこに既に動かなくなった金村が、そのままの姿勢で座り込んでいた。絶命したのである。
それは金村の自死を意味するのか、それとも拳銃を奪い合った反動で、その引き金が金村を襲ったものであるのか、観る者には特定し難い状況描写だった。
「今の撮った?」とADの女。
「いや、撃ったところ分んねぇ」とカメラマン。
「おい、どうすんだよ・・・」と岩井。
「何か言うなら早く!急いで!」とカメラマン。
「えっ?な、何言うんだ・・・」と岩井。
「早く!」とカメラマン。
恰も、有機体と化したカメラに促されるように、岩井はレポーターに復元して、思いつきの言葉を切り出していく。
「え、金村は・・・いや金村青年は・・・ああ!」
この瞬間、カメラのバッテリーが切れて、映像が闇に呑み込まれていった。それは、あまりに鮮烈な物語の幕切れとなったのである。
* * * *
4 有機的身体の自我能力の脆弱さを嘲笑って
ファーストシーンとラストシーンの象徴的な繋がり方を見るまでもなく、本作の主役は紛れもなくテレビカメラである。
テレビカメラという、現代メディアの最大の利器の一つである無機物が、恰も、自立的な有機体の如く連動するさまを通して、それによって特定的に切り取られた状況と、その状況を商品化した価値を消費する不特定多数の視聴者の感情傾向を支配し得る、人間の身体能力を圧倒的に拡大させたモンスターのような利器であるということ。
だから、それが無秩序な方向に暴走してしまったら、その利器を操る有機的身体(人間)ですら制御し得ない危険な感性に嵌り込んでしまうということ。
その辺りが、辛辣なまでにリアルな筆致で描き出された稀有な傑作、それが「Focus」だった。
そして、テレビカメラという圧倒的な利器の前で、二つの異質な近代利器が、それを意識することなく踊らされ、それぞれに自立的で特権的な能力を声高に主張することで、まさにジグゾーパズルの嵌り方の如く、三つの利器が極限的な展開を見せていく。
テレビカメラと接合した二つの利器、即ち、盗聴器と拳銃という異質の表現力を発露する無機物が、ここではそれを操作する有機的身体の、その制御能力の欠如の露呈によって止め処なく暴走し、それを本来的に操作できない有機的身体の自我能力の脆弱さを嘲笑(あざわら)っているかのようだった。
5 文明の利器の支配能力
ここで、それぞれの文明の利器の支配能力について考えてみよう。
電池式小型無線式盗聴器(ウイキ)
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これは、それを操作することで愉悦する者の範域が極めて限定的であることを把握しておこう。即ち、それを操作することによって受容する情報の価値は、操作されていることを知らない不特定他者の被害者意識をも作り出さない匿名の世界で、単に「覗き見趣味」を充足するだけの快楽の内にあり、その狭隘な時間で自己完結するという支配能力に於いて限定的なのである。
ところで、拳銃の支配能力は、盗聴器のそれを逸脱する危険性を本質的に孕んでしまっている。
盗聴の快楽が、それを他者に誇示するという支配力の拡充にまで及ばない限り、どこまでも限定的な悦楽の自己完結に終始するものであるのに対して、拳銃の場合は、それを単に自己防備の役割に限定して、机の奥に秘匿し続けることによってだけでは、必ずしも快楽的な利器の実感を手に入れる何かではないのだ。
それは常時携帯し、いつでもその能力の誇示によって、自己の圧倒的な攻撃性を保証していかない限り、殆んど、その存在価値を有するものではないということである。
従って、その支配能力は、それを携帯する者への恐怖感を抱かせる他者の介在を絶対的に必要としているということなのだ。
もう一つの利器であるテレビカメラの支配能力については前述した通りだが、本稿の括りの中で、更に後述していくことにする。
ここでは、それ以外の二つの異質な利器が、それを操作する有機的身体の意識圏で濃密に介在してしまったときの制御能力の欠如について言及する。それこそが、本作のブラックジョークの凄みの一つでもあるからだ。
本作の主人公である盗聴マニアの金村にとって、その脱法行為ギリギリの盗聴行為によって手に入れた愉悦は限定的であり、且つ、自己完結的なものであった。
そんな孤独然とする青年の前にテレビメディアが侵入してきたとき、彼の内側に変化の兆候が見られたが、それでもその異文化なる世界とのコンタクトは、青年の抑圧的な自我を少しいじくり回しただけの刺激の枠内に収まっていた。
ところがそこに、予測し得ない事態が出来してしまったのである。
金村の車の無線の中に様々な盗聴音が侵入してきて、その中に暴力団と思しき者たちの会話が唐突に紛れ込んできたのだ。
M1911(イメージ画像・ウイキ) |
当然、金村は強く反発する。
盗聴オタクの金村の内面世界には、彼なりの一定の規範が成立していて、その規範を明らかに逸脱するメディア特有の好奇心の過剰さとの矛盾とに、自己完結的な青年の愉悦の消費感覚が、漸次裂かれてしまうのである。
それまで自覚的に回避してきたであろう未知のゾーンとの不協和なコンタクトに、青年の自我の秩序は崩されてしまったのである。
そして岩井もまた、テレビマンとしての好奇心のみによって、未知のゾーンに踏み込んでしまうのだ。その行為に暴走の危惧を抱いたADの女性は、消極的に行動制止を求めるが、取材対象の刺激の直接的な魔力に憑かれた岩井の暴走を止めるほどのパワーを持つことはなかった。
終始不気味なのは、一貫して客観的スタンスを変えない、カメラマンの成り行き主義の凄みである。
カメラと一心同体となったかのようなこの「有機的身体」の存在様態は、最後まで獲物を捕捉する映像ハンター以外の何ものでもなかった。
テレビクルー(イメージ画像)・ブログより |
そして、拳銃とクロスすることを拒み続けた金村の手に、異質の能力を持つ利器(チャカ)が与えられ、そこにチーマーの身体的介在という、もう一つの異文化が唐突に侵入してきたとき、既に崩壊の予兆を示していた金村の規範感覚が解体してしまったのだ。
彼の抑制的自我は、二つの異文化(テレビメディアとチーマーの世界)からの強制的な圧迫によって、遂にその統御能力の臨界点を超えてしまったのである。
臨界点を超える間接的な契機は、人間の身体的攻撃力の増幅を保証する、異質の利器(チャカ)を自在に使用し得る自由を手にしたことにあるが、その自由を自己防衛のために行使する手段として、一丁の拳銃を必要とせざるを得なくなった事件の勃発こそが、まさに直接的契機であると言っていい。
未知のゾーンにインボルブされた挙句、未知の文化の侵入を受け、そして異質なる利器が内包する甚大な攻撃能力の支配力に、それに対して全く免疫性を持たない自我が搦め捕られてしまったとき、単に「覗き趣味」の小さな世界で遊んでいただけの青年は、まるで、その内側に封印してきた無尽蔵の攻撃性を解き放ったかのようにして、一個の暴走する狂気の肉塊と化してしまったのである。
6 支配の幻想が破綻したとき
青年をそこまで追い込んでしまった者は、紛れもなく、視聴率ゲームの最前線に呼吸を繋ぐテレビディレクターの存在それ自身である。
そんなテレビディレクターにとって、金村という盗聴マニアの存在は、少なくとも、刺激的な消費に飢えた不特定多数の視聴者に届ける、一つの商品価値以外の何ものでもなかったのだ。
今や、テレビメディアに象徴される情報産業の構造性の枠組みは、「特定他者」を特定的に切り取っていくことによって成立する、一つの巨大なビジネスとして表現される何かである。
そこに付加価値を付けるために、一個の商品として特定的に捕捉される存在を発掘したり、創造したりすることで手に入れる経済的利益こそが、彼らの真の存在理由である。
彼らによって発掘されたり、創造されたりするものは、そこに視聴者が喜ぶような価値様態として受容されたとき、それは「特定他者」を消費する構造性の内に組み込まれた商品それ自身でしかないのである。私はそれを、「特定他者の消費の構造」と呼ぶが、それについての言及はここでは避ける。
要は、私が指摘するまでもなく、メディアが自らの役割を殆んど欺瞞的に美化して、様々に歯の浮くようなフレーズを連発することを止めないその厚顔無恥さ。それ以外ではないのだ。
例えば、「真実の追究」とか、「権力の横暴の抑止力」とか、「社会的正義による使命感」、或いは、傲慢にも、「人類の普遍的な平和の実現への貢献」などという、如何にも奇麗事のフレーズのオンパレードが声高に飛び交っている事実は、殆んど言わずもがなのことだ。これは、インターネット全盛時代下にあっても、テレビメディアの存在価値の重要さをなお認めるが故に、視聴者の一人としての私には看過できないことなのである。
本作のテレビディレクターの存在こそが、そんなメディアの、ある種の典型的な申し子のような人物造型だったと言っていい。
しかし、状況を支配したつもりのこの男もまた、状況に支配され、翻弄された、一個の「有機的身体」でしかなかった。
彼は金村という盗聴マニアの青年に商品価値を見出して、それを消費の俎上に乗せるべく、テレビカメラによって捕捉し続けるが、取材対象に対するその恣意的な特定的切り取りが難局に乗り上げるや、そこでたまたま捕捉した刺激的情報に乗り換えることで、商品価値の対象を拡大的にシフトさせ、本来のテーマ性の追求から大幅に逸脱させてしまったのである。
元々、この男には、「テーマ性の追求」などという問題意識など微塵もなかったのだ。
この男の意識を常に縛るものは、不特定多数の視聴者の消費の対象となる「特定他者」を発掘し、それを面白可笑しく膨らませて、「上等の商品」に仕立て上げていくことだった。
そして、拳銃の取引という犯罪現場に強引に介在し、あろうことか、それを盗み取って、今度はそれを商品価値として番組に仕立て上げ、不特定多数の視聴者に消費してもらうための「ニュース」を創造しようとしたのである。
その現場の只中に、「ギョーカイ」とは無縁な一人のオタク青年がいる。
彼はテレビディレクターに、箱から拳銃を取り出したときの「驚愕のリアクション」を要求され、嫌々ながらそれに応じた。この辺りが、青年の抑制的自我の臨界点であったのだろう。
その後、チーマーという異文化の暴力的侵入によって、遂にアウト・オブ・コントロールの状態を晒すことになった。
しかし、全ての問題の根柢にあるのは、テレビディレクターの恣意的で、欺瞞的な取材行動であった。それ故、テレビディレクターのそんな欺瞞が集中的に露呈されたとき、金村の逆襲が始まったのだ。
欺瞞的な権威を被せた「第4の権力」と、それに翻弄され続けた小権力の逆転が、そこに発生したのである。
この逆転の描写は、ブラックユーモアの極北と言っていい。
テレビマンとしての立場で状況を仕切った男の、無残なまでの情けなさ。こんな男に犯される女の苛立ちが金村に向けられたのは勿論のこと、それ以上に、上司である岩井自身に向けられていたように思われる描写の凄みは、既にリアリズムの極相を示すものだった。
テレビマンの職業的バイタリティすらも削られるこの描写のシャープさは、蓋(けだ)し圧巻だったと言えようか。
拳銃を手にした金村によって状況が支配されるに及んで、テレビクルーの男女は金村の命令下で操作され、いたぶられ、それを最後まで客観的に動くことを止めないテレビカメラが捕捉していく。何とも不気味な描写である。
その描写がまもなく、決定的な状況で、決定的に顕在化することになった。
金村もまた状況を支配するものではなかったのだ。支配の幻想が破綻したとき、そこに無残な結末が待機していたのである。結局、誰も状況を支配できなかったのだ。
たった一個のテレビカメラという、「有機的身体」と化した無機物以外に。
テレビカメラマンは、本篇に於いて最後までその姿を現さなかった。
その姿を現す必要がなかったからである。
カメラマンの身体からの鼓動が、テレビという無機物に濃密に伝播して、既に二つの存在体は一個の「有機的身体」と化していたのである。
カメラはカメラマンそのものであり、カメラマンもまた、一個のカメラ以外の何ものでもなかった。その「有機的身体」が、本作で展開される状況の全てを捕捉し、支配し切ったのである。
青年金村が意識したのは一人のカメラマンではなく、そのカメラマンに同化した一個のテレビカメラそのものであった。岩井もまた、カメラだけを覗き見て、それが捕捉する特定的他者の表現様態に拘って、そこから消費されるものとしての価値を必死に切り取っていこうとする。
一切は、テレビカメラが捕捉する特定的他者の表現様態が放つ、それ自身の価値の重量感によって決定づけられるのである。
圧倒的なカメラの捕捉能力を認知する岩井が、まさにそれ故にこそ、唯一そこから解放されようと願う時間があった。ADの女性を犯すことを命令され、それを嫌々ながら実践しようとしたときである。
彼はこのとき、テレビマンとしての衣裳の一切を剥ぎ取られ、一人の無抵抗な男としての存在性を晒すばかりだった。
しかし、そんな男の醜悪さをも、テレビカメラが丸ごと捕捉してしまったのである。
映像の主役は、有機的な身体と化したテレビカメラであった。
それを捕捉するものは、現実それ自身というより、現実の中の特定的状況である。
特定的に切り取られた状況が様々に加工されて、それが商品価値を持つと認知されたとき、消費の俎上に乗せられていく。テレビカメラが捕捉した特定的状況が消費の俎上に乗せられるや、それは既に「現実」の衣裳を被された人工的な映像であり、そこで受け取るリアリズムは、視聴者の状況感性のレベルに擦り寄って、それを自分たちが望む方向に誘(いざな)いつつ、ほぼ特定的に収斂されていくであろう、その印象やイメージの一定の許容域の内に濾過された何ものかでしかないのである。
一切が幻想であるとも言えるし、しばしば予定調和に流れ込む情報流通のゲームの、約束されたキャッチボールであると言えようか。
テレビカメラはその役割媒体の本質的な性格から言って、既に現実それ自身の捕捉なのではなく、特定的状況の特定的切り取りによって、そこに誘導路が設(しつら)えているかのような「見えないシナリオ」をなぞって、実に様々な物語を作り出す、最強の利器の一つであることを認知すべきなのである。
7 本作の映像自身の虚構性をも映し出して
そして映像は私たちに、大真面目なほどに深甚なるメタ・メッセージを残してくれた。
それは本作で登場する顔のないカメラマンが、本作で中枢的役割を担うディレクターの指示による、特定的な画像の切り取りを遂行するカメラマンであるばかりか、本作自身のカメラマンでもあったということである。
作り手はそこに、映像の中で語られた「盗聴マニアの暴発」の一部始終を捕捉するカメラが、同時に本作の映像自身の虚構性をも映し出す役割をも担っていたという、強烈なブラックジョークの凄み。
それは恐らく、車内での不謹慎な会話や、ホテルでの強制されたセックスを捕捉した場面など、不都合な映像などをカットした上で、「盗聴オタクの暴走とその死」というテーマ設定で、充分に商品化し得ると目論んだかも知れないテレビクルーのエゴイズムを、まさにそのクルーの一人のカメラが捕捉するという凄み。
更に、その瞬間にバッテリーが切れて、突然括られていった画像それ自身が作品化されるという凄み。
加えて、私たちが、それを劇場で観るというブラックジョークの凄みでもあった。
それはまさに、「暴走するメディア ―― それを転がす者、それに転がされる者」というテーマに集約される、稀に見る傑作だったと言えるだろう。
本稿の最後に、この鮮烈なる映像の作り手(井坂聡監督)の言葉を紹介しておこう。
それはデビュー作となる本作ではなく、その後に作った、「破線のマリス」の記者会見での作り手自身の言葉である。
「質問:この映画は、ある種、TV界に何かを訴えたいというご意思があって作られたのでしょうか。
井坂: TVを一方的に批判するということではなく、何か必ず媒介があるということで、必ず、送り手と受け手がいるんで、その両方に対して、メッセージがある映画を作りたいというのがありました。
もちろん、TVというのは強い力を持っております。
井坂聡監督 |
ですから、簡単に言いますと、もっと知ってほしいというのが動機になっていますね。知らないということは、人の言いなりになって生きるということになってしまうので、それだけは避けたいなと思います。そのことを訴えたかったと思います」(WERDE OFFICE HP:第12回東京国際映画祭「破線のマリス」記者会見より/筆者段落構成)
そこで語られた内容は、本作に於ける作り手のメッセージと同質のものであることを確認したかったが故に、ここに引用させていただいた次第である。
ゆめゆめ、メディアの特定的に切り取られた加工情報をそのまま受容しないこと、この問題意識に尽きるだろう。
(2006年10月)
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