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2008年12月15日月曜日

ウンベルトD('51)     ヴィットリオ・デ・シーカ


 <物を乞う老人の右手が裏返されて>



序  「人間ドラマ」としての完成度の高さ



その1 「奇麗事で塗りたくった映画」(例えば、「半落ち」、「鉄道員(ぽっぽや)」、:聖人のような男がいて、聖女のような妻がいた。いつから人間は、これ程気高くなったのか。その抑制の効かない情緒の洪水に反吐が出る)

その2 「スーパーマンが疾駆する映画」(例えば、多くの昔の西部劇、「アルマゲドン」:この手の映画がハリウッド映画に集中するのは、「サラダボウル」としてのアメリカという国が、まさに「強靭な大統領」に象徴されるスーパーマンを必要とするからだ)

その3 「泣かせることを狙った姑息な映画」(例えば、「世界の中心で愛をさけぶ」、「いま、会いに行きます」、「ALWAYS 三丁目の夕日」:観る者を泣かせて、観る者の「感受性」を保証させることで、リピーターを作り出すことを狙った狡猾なムービー群)

その4 「殆ど起こり得ないと思われる奇跡や偶然性に、不必要なほど頼った映画」(例えば、「人間の証明」:単純な娯楽作品の多くがこの中に含まれるが、サスペンスにも集中的に見られて、殆ど最後まで見るに耐えられない。偶然性の助けを借りなければ成り立たないという、倒錯的な一連のムービー群である)

その5 「人間理解の浅さを露呈する『ハートフルムービー』や『感動作』」(例えば、「生きる」:癌宣告によって、初老の男が全く正反対のキャラクターに変貌することなど、とうてい信じ難い。「ゴンドラの歌」の過剰なまでの感傷、しかしよくよく見れば、死期が迫った老人の孤独な日常を描いたわりには、その内面的世界の漂流する描写があまりに表面的で、浮薄だった)

その6 「独りよがりの観念のゲームに遊ぶ映画」(例えば、「メメント」:映画をジグゾーパズルにしたことで、観る者が手に入れられる快感は、そのパズルを数学的に解いたという達成感のみ)

その7 「大人は判ってない、という小児病的映画」(例えば、「スタンド・バイ・ミー」、「E.T」:大人の、大人による、大人のための自己欺瞞的なノスタルジーといっていい映像群で、しばしば観ていて、憤りの感情を抑えられないほど)

その8 「『過剰』なプロパガンダ映画」(例えば、マイケル・ムーアの一連の作品。「青い山脈」:後者は、GHQによる民主主義の宣伝映画。しかも、役者の多くが恐ろしいまでに下手なのに、その年のキネマ旬報1位とは驚き。他に多くの国策映画や、「絶対反戦」のためのメッセージ至上主義の映画など)

その9 「ハッピーエンドに流れることを、露骨なまでに観る者に対して約束する映画」=観る者もそれを分っていて観に行くから、それはそれでいいのだろうが、私には耐えられないということだ。(殆どのハリウッド映画)

その10 「面白いだけの映画」(現代の殆どのヒットムービー群)


以上、縷々(るる)列記したが、これは、私が映画を観る際にひどく厭悪(えんお)するポイントを順不同に列記したものである。

これを見ても分るように、私は奇麗事満載で、情緒過多なヒロイズムに流れる映画を最も嫌っている。

勿論、私の主観だが、このようなフラットな映画が市場で需要の高さを示しているのは理解できるが、その度に私は、なぜ日本人はこれほどまでに、「感動」や「酩酊」を求めて止まないのかについて、この国の「文化の現在」の把握を通して分っているようで、その実、分りたくないという気分が、どこかで先行しているようにも思える。

二十代の前半、確かに私も、「感動」を求めて映画梯子を繰り返していた。

私の場合、その「感動」は主に社会派の作品によってもたらされた。

埴谷雄高
何しろ全共闘時代の映像文化は、社会派や東映ヤクザ映画の独壇場の感があったのだ。ヤクザ映画はともかく(実は、これは殆ど観ている)、社会派の作品に至っては、映画を観ることで社会的感性を高め、それを高橋和巳や埴谷雄高、黒田喜夫、吉本隆明、更にはサルトル、カミュ、ポール・ニザン、ノーマン・メイラー等々の文学で反体制的なメンタリティを補完するという態度を貫くことで、どこかでナルシズムの温床ゾーンの枠内に定着する程の存在感を持っていたのである。

例えば、「豚と軍艦」(監督今井昌平)に代表される反米・反戦映画は、今でもギリギリに許容範囲にあるが、「日本の夜と霧」(監督大島渚)に至っては、殆どプロパガンダ映画そのものと言っていい。

当時の私の映画鑑賞のスタンスが、極めて偏向的であったことは間違いなかった。

時代の気分に乗って、私も一端の「革命家」を気取っていたことも事実だった。

その過去の全てを、私は、「若き日々の純なる青春放浪」などという自己欺瞞に居直るつもりは毛頭ないが、少なくとも、映画に「感動」を求めた私の心情を解析すれば、恐らく、「時代と繋がり得る気分の高揚」を手に入れること以外ではなかったように思えるのだ。

翻って、昨今の若者たちが求めるようにして、「泣かせる映画」を漁るのは、「柔らかな癒しの気分」の獲得にあるに違いない。

時代の気分がその時代の映像文化を作り出すが故に、現代シネマは、「閉塞感」(必要に応じて自らも使用するが、私の最も嫌いな言葉の一つ)をマイルドに包み込んでくれる映像が求められているということか。

それもまた良い。

「気分の高揚」も「柔らかな癒しの気分」も、大して差異がないからだ。観たい映画を観たいときに、存分に観ればいいのである。

「日本の夜と霧」より
しかし私は、昨今の映像群を最も嫌うから、それを観なければいいというだけの話なのだ。

思うに、社会派作品を好んで漁っていた数多のムービー群の中で、今なお私の心を捉えて放さない作品がどれだけ残っているのかということを、最近、「ゲーム感覚の乗り」で考えてみた。

すると、皆無ではなかったのである。

それどころか、意外にも相当数の作品が、私の中でその映像的生命を保持していることが確認できて、正直、安堵した。

精神史に凹凸があっても、人はやはりそこに確かな脈絡を確保したいと思うのだろう。

私の場合は紛れもなく、ドストエフスキーの影響が一番強いと思われるが、それがどのようなジャンルの映像であっても、私がそこに求める要素はただ一点である。

「人間ドラマ」としての完成度の高さである。

人間をきちんと描けていないと考える一切の作品を、それがどれ程心地良く、評価の高い作品であったとしても私は拒絶する。

結局、私はこの視座によってのみ、映像を舐めるようにして観る。これは絶対に変わらない、私の映画との付き合いの基本スタンスであると言っていい。

さて、昔観た「私の中の秀作」が、今なお、その生命を保持している作品の代表的なものを拾い上げてみる。

すると、その大半がリアリズムで勝負した作品であったことが確認されたのである。

それを今、海外の作品に限定して、いくつか列記してみよう。

それらは、「スケアクロウ」であり、「真昼の決闘」、「ジョニーは戦場へ行った」、「狼たちの午後」、「質屋」、「ラストショー」等々。

全てアメリカ映画であり、その多くはニューシネマに属する作品であった。

しかし、その作品のフィールドをヨーロッパまで広げると、やはりそれらも厳しいリアリズムに徹した作品だったのである。

中でも、最も尊敬して止まない一連のベルイマンの作品群を敢えて除けば、「居酒屋」や「自転車泥棒」等々のヌーベルバーグ以前の作品が、私の中で鮮烈な輝きを、今も放っている。

やはり私は、リアリズムに徹した厳しい人間ドラマが好きなのだ。

ドストエフスキー
因みに、そこに形而上学的なメッセージを嵌め込んだ難解な映画も大好きだが、これもやはり、ドストエフスキーの影響としか思えないのである。



1  老境の悲惨



前書きが長くなった。

―― ヴィットリオ・デ・シーカの「ウンベルトD」。

これは、イタリア映画のリアリズムの頂点とも思える傑作である。

今観ても、その出来栄えの見事さに嘆息する。

「孤独なる老境の悲惨」を、ここまで描いた映像が他にあっただろうか。

これは殆ど現代的課題と重なって、観る者に、とうてい他人事とは思えない切迫感を与えて止まないのである。

この映画をビデオにとって繰り返し観るとき、私は過去の映画三昧の日々が決して無駄に終わらなかったことを確認できて、心の底から安堵する思いである。

何か無理をして背丈を伸ばそうと、そこに流行の思想や勇ましいマーチを取り入れても、それを取り入れた自我の素顔の内実と乖離するとき、やがてそこから余計なものが少しずつ削り取られていって、そこで最後に残ったものこそ、私自身が真に求めていた映像表現だったという話である。

「ウンベルトD」は、そんな作品の一つだった。



2  物を乞う老人の右手が裏返されて



以下、この孤高の老人の、生活と誇りを賭けた戦いの物語を再現していこう。


現在のローマ(ウイキ)
アレッサンドロ・チコニーニの叙情的な音楽に乗せて、陽光照りつけるローマの大通りを、力強い行進が突き進んでいく。

「年金支給額を上げろ!」
「公務員として勤め上げた!大臣に会わせろ!大臣にこの苦境を訴えたいんだ!」
「納税者の権利だ!」

彼らは恩給支給額のアップを要求する、元公務員の退職老人たちの面々だった。

その集団の中に、70歳を迎えたウンベルトがいた。

彼は30年間も小官吏の仕事を勤め上げた末にリストラされ、今は僅かばかりの年金に頼って生活している。

しかし、その生活はあまりに厳しく、彼が身を寄せるアパートの女管理人は、満足に家賃を払わないウンベルトを追い出しにかかっているのだ。

ウンベルトとしては、せめてデモに参加して年金額の上積みを勝ち取ることしか方法がなかった。

「許可のない集会は認められん!」

退職老人たちののデモは、大臣護衛の官吏によって、当然の如く拒絶される。

警官隊の出動で無残にも蹴散らされた老人たちは、「元公務員に何という仕打ちだ!」と言い放つのが精一杯で、結局、四方八方に退散するしかなかった。

「ならず者め、なっとらん!・・・・来て損した」

大きな建物の陰に隠れた老人たちの一人が、不満をぶちまけた。

「年金支給額が上がらないと、溜まった家賃も払えない」

これはウンベルトの正直な嘆息である。老人たちは周囲の安全を確認して、建物の陰から広場に出て、家路を急ぐしかなかった。

「子供がなければ、兄弟もない。惨めな年寄りだよ」

ウンベルトはデモで知り合った、バレンティという名の老人に身の上話を続ける。

「月に年金1万8000リラ。なのに家賃が1万だ」

月収の6割近くを家賃に充てて生活するウンベルトには、他に全く収入の道がなかった。

そんな彼は、バレンティに時計を売りつけようとするが、相手に「高級時計を持っているから」と言われて、それも叶わなかった。

売り物が時計しかないウンベルトは、誰彼構わずそれを売ろうとする試みは、結局、全て失敗する。彼はアパートに戻る外なかったのである。

マリア
強欲な女管理人に、自分の部屋を時間で又貸しされたウンベルトを助けたのは、アパートでメイドをして働くマリアだった。

壁にアリの群れが張り付くようなマリアのキッチンで、ウンベルトは彼女の身の上話を聞くことになる。

彼女は17歳のとき、田舎からローマに出て来て、現在、ある兵士との間に3ヶ月になる子供を身篭っていた。

「何だって?簡単に言うな」

驚いたウンベルトは、それ以上何も言えずに、彼女を心配げに見つめるだけだった。

自分の部屋に戻ったウンベルトは、先程までアベックが占領していた自室の窓を開放し、ベッドを整え、そこにしかない自分の空間をリセットしたのだった。

そこにマリアがやって来て、先程の話の続きをした。どうやら彼女は二人の兵士と関係を持ち、そのいずれが自分の子の父親であるか判然としない事情を説明するのである。

話を聞くウンベルトは、ただ呆れるばかりだった。

彼はアリの這い回るベッドに潜り込んで眠りに就こうとした。

そこに三度(みたび)、先程貸した体温計を取りにマリアが入って来た。

そのマリアに滞納家賃の一部を手渡して、ウンベルトは領収書の受け取りを頼んだ。ところが、まもなく戻って来たマリアは、家賃の全納を督促する管理人の言葉を伝えて部屋を後にしたのである。

微熱で安眠を求めたかったウンベルトは、外套を着て街路に出た。

愛読書を金に替えるためだった。その金を加算して、再びマリアに手渡して、残りの家賃を年金で支払うことの伝言を頼んだのである。

「耳を揃えて払わなければ、立ち退いてもらうわ」

これが、女管理人の答えだった。

貧しい老人と、金持ちの未亡人の仲介に走るマリアの心は、どこまでも自分の立場を越えられない、限定的な関係世界で迷走するしかなかった。

そのマリアが再三、ウンベルトの部屋に戻って来た。何とか苦労して都合した老人の金を、女管理人の命によって返還しに来たのである。

ベッドの中で発熱で苦しむウンベルトの耳に、愛人を前で脳天気な歌声を高らかに放つ女管理人のソプラノが、アパートの薄い壁を突き抜けて侵入してきた。

苦しむ老人と、自分だけの世界しか見えない女管理人のコントラストが、モノクロの映像に刻まれる残酷さは、充分に映像の主題の在り処を物語っていた。


翌朝、ウンベルトは病院に自らの不調を訴えて入院することになった。

愛犬フライクの世話をマリアに頼んだ老人だが、病院のベッドで休むまもなく、巡回医から、「明日にはもう帰っていいよ」と言われてしまうのだ。

「ですが、先生・・・ここも痛いし・・・」

痛みの部位を示すウンベルトに、巡回医は取り合わない。

「熱も下がったし、お若ければ扁桃腺を切るところですが、その年で手術でもねぇ・・・」

担当医が去って行く後姿を見守るウンベルトに、隣の患者が忠告した。

「あれじゃダメだ、もっと粘らないと。諦めが良過ぎるよ」
「ここにいれば食費が浮く」とウンベルト。
「秘訣を教えるよ」と隣の患者。
「あと、一週間いれば助かるんだ」とウンベルト。
「ここはホテルよりいい」と隣の患者。

彼は巡回のシスターに、ウンベルトへの助け舟を求めたのである。

「この人、あと何日か休めばすっかり良くなるんです。今はやつれ果てて、犬の餌代にも困る年金暮らしだ」
「考えましょう」とシスター。 

シスターと入れ替えに、マリアが入って来た。

お見舞いに持ってきたのはバナナ一本。若いマリアも老人と同様に、時代の厳しさがもたらした貧しい暮らしを余儀なくされているのである。


元気を回復したウンベルトは、元のアパートに戻って来た。

あろうことか、彼が自分の部屋で視認した風景は改装中の現場だった。女管理人が自分を追い出す意図が現実化されつつあるその場に、ウンベルトは立ち竦む。

しかし彼には、部屋に愛犬がいないことの方が衝撃だった。

愛犬フライクを求めて、一人の老人が駆け回る。兵士に振られたマリアに会っても、愛犬の居所が分らないのだ。

ウンベルトと愛犬フライク
ウンベルトはタクシーを飛ばして、野良犬管理センターにまで足を伸ばした。

しかしフライクはなかなか見つからない。

不安気なウンベルトの視界に、遂にフライクの小さな姿が捕えられたとき、彼の表情は、その思いを爆発した者の輝きを映し出していた。

ウンベルトにとって、愛犬と生活の確保こそが最も緊要なテーマなのだ。

このときは、フライクの安全確保という一点にのみ、ウンベルトの関心が奪われていたのである。

そのフライクを連れて散策するウンベルトは、路頭で物乞いをする者が目立つ大通りの一角で、デモの際に知り合ったバティスティーニと再会した。

彼に自分の厳しい現実を話し、それとなく借金を求めたが、さり気なく逃げられて、老人は路傍にその寄る辺なき身を晒すばかりだった。

沈鬱な気分を抱え込んで、なお煩悶から解放されないウンベルトは、遂に、物乞いの行動に移ろうと意を決した。

通行人に右手を差し出すリハーサルの後、一人の紳士がウンベルトの前を通りかかる。咄嗟に右手を差し出し、紳士もそれに反応する。

しかしウンベルトは、その紳士が財布から紙幣を取り出して、老人の右手にそれを添えようとしたとき、ウンベルトの右手は裏返された。彼は物乞いを、ギリギリのところで自己否定したのである。それは、観る者の胸を深く抉(えぐ)る悲哀極まる描写だった。

自分ができない物乞いを、ウンベルトは愛犬フライクに代行させようとした。

街路の端っこに帽子を咥(くわ)える仔犬が、前足を上げて立っている。それを、建物の陰に隠れた老人が懸命に指図する。

「じっとしてろ」

飼い主の指示を守って、健気に仔犬はそこで頑張っている。

その前を通り過ぎる市民たちは、興味深げに一瞥するものの、そこで足を止める者はいなかった。

そのとき、ウンベルトの知り合いの紳士が通り過ぎようとして、慌ててその紳士に近づいたウンベルトは、自分が愛犬に物乞いをさせている現実を糊塗すべく、彼に話しかけていく。

「先生どうなさいました?」とウンベルト。
「フライクは何を?」とその紳士。
「遊んでるんですよ」とウンベルト。
「お利口さんだな。可愛いな」
「コーヒーでも?」とウンベルト。

彼は懸命に状況転換を図ろうとしている。

「用事があるのでね」
「一杯だけ」
「バスが来てるんだ」
「酒でもいい」
「そうしたいところだが・・・」
「ではバスまで」
「喜んで・・・今は何を?」
「この通り、無為に過ごしてます。年金暮らしで」
「気楽でいいな」

こんな会話の流れの後に、いつものような儀礼的な別れの挨拶が待っていた。

ウンベルトの内側では、何とか「先生」と呼ぶ紳士から助けを借りたいという思いが、明らかに見え隠れしている。

しかし、これもいつものように、老人との関わりを回避する肩透かしが待っていただけだった。

カンピドリオとローマ市庁舎(イメージ画像・ウィキ)
結局、何も手に入れることなく、ウンベルトはただ空しさだけを存分に味わって、帰途に就いたのである。



3  死への決定的一歩



改装された自分の部屋に戻って来たウンベルトに、マリアがケーキを運んで来てくれた。元気のない老人に、マリアは心配そうに寄り添っていく。

「ウンベルトさん、ケーキ食べて」
「いや、いい」

その声は、殆ど生気なく澱んでいる。老人の声としての僅かばかりの力感すら、そこにはなかった。

「どうしちゃったの?」
「疲れたよ」
「奥さんのこと?」

マリアは、ウンベルトが自分の雇い主である女管理人に対して、深い恨みを抱いていることを知っている。

しかし老人の答えは、それを遥かに越えた絶望感に満ちていた。

「何もかもに・・・」
「施設の方が、ここよりましよ」とマリア。

少女には、他に反応しようがなかったのだ。

老人は力なく頷くだけだった。

マリアは静かに部屋を出て行った。

彼女には、暮らしの内実を知悉する老人に対して、せめて同情する思いを寄せることだけで精一杯だったのである。

薄暗い部屋の寂寥感の中で老人は静かに立ち上がり、窓際に近づいて、そこだけが人工灯で照らされてるかのような街路を覗き見た。

明らかに、老人は自死を図ろうとしている。

一瞬、後ろを振り向いて、愛犬のフライクを確認した。

それでもう、老人は自死に向かえなくなってしまった。彼は静かに窓を閉ざして、自分の荷物をまとめて、薄明の朝をひたすら待ったのである。

フライクを伴って、ウンベルトは自分の部屋を後にした。

そこに戻るつもりのない老人の覚悟の出立に気づいたマリアは、心配そうに声をかけた。

「行くの?出て行くのね?」
「そうだ」
「行き先は?」
「探すさ」
「この近くで?」
「そうだな」
「また会えるわよね?」
「君もよそで仕事を探せ。ローマなら勤め先もあるさ」
「どうせ妊娠が知れたら追い出される」
「故郷に帰っては?」
「いい顔されないわ。たまには会いに来てね」
「残した荷物は君にあげるよ。それじゃ」
「さようなら」
「フィレンツェの男とは別れることだ」
「そうするわ」

映像を通して、唯一、ウンベルトに寄り添った者との最後の会話は、こうして閉じていった。


路面電車に身を預けたウンベルトの、目的のない旅が始まった。電車の中から見えるローマの町の風景は威圧感に満ちていた。

電車を降りて、ウンベルトは愛犬を預ける場所を訪ねた。

しかしそこは、フライクが安楽に過ごせる場所とは縁遠かった。彼は愛犬を預けることを断念したのである。

ウンベルトは、ある町の公園のベンチに座っていた。

そこで彼は、ボール遊びに興じる一人の女の子に話しかけた。自分の愛犬をその子にあげようと言うのである。彼は先程からの観察で、この女の子の家が豊かであることを確かめていたのだ。

女の子は即座に、「欲しいわ」と反応する。

ウンベルトも「だったら君にあげよう」と答えた。しかし女の子のメイドは迷惑がって、ウンベルトに近づき、きっぱりと言い切った。

「犬は家を汚すでしょ。掃除するのは私よ」
「私がするわ」

女の子は未練を口にするが、メイドは、「お母様も、犬はお困りになるわ」と拒絶するのみ。
ウンベルトは、なおも督促する。

「言うことはよく聞きますし、面倒はかけません。可愛いですよ」
「面倒だわ」とメイド。
「あげるんですよ。こんな可愛い犬を」とウンベルト。
「じゃあ、放せば?」

そう冷たく言い放った後、メイドは強引に女の子の手を取って、ウンベルトの前から去って行った。

ウンベルトの中に、それ以外にないような思いが噴き上がってきた。

彼は自ら姿を消した。フライクとの別離を決断したのだ。

踏み切り近くの植木の陰に隠れたのである。しかしフライクが、自分の飼い主の匂いを忘れる訳がなかった。すぐに飼い主を見つけて、走り寄っていく。ウンベルトにはもう、究極なる決意を実行する以外の選択肢を持ち得なかった。

踏み切りに近づいていく。

愛犬を抱いたウンベルトの前で遮断機が降りた。

彼はその遮断機を潜り抜けて、線路上に立った。列車が警笛を鳴らして近づいて来る。

彼は死を決意しているのだ。フライクを道連れにしたくなかったから、彼は愛犬を他の誰かに預けようとしたのである。

その警笛の音に、フライクはその小さな体を懸命に揺さぶって、鳴き声をあげた。

愛犬の激しい反応に、ウンベルトは死への決定的一歩を踏み出せなかった。全て終わったのである。

フライクは、飼い主から離れて去って行った。

「フライク!フライク!」と叫ぶ老人の悲痛な声が、辺り一面を支配する。フライクはそれでも逃げていく。

それを追い駆ける老人。その老人から離れ去る仔犬。大きな木の傍で、仔犬は止まった。

近寄る老人。

彼は松ぼっくりを拾い上げ、それを「取ってごらん」と言って仔犬を誘導する。

近づいて来る仔犬。仔犬がフライクに戻った瞬間だった。

それは老人が、愛犬フライクの飼い主であるウンベルトに戻った瞬間でもあった。


*       *       *       *



4  孤独と絶対依存の残酷さ



老いは残酷である。歳月を重ねるごとに、その残酷の様相が深まっていくという意味で、老いは極めつけの残酷である。

「老いの残酷さ」の根柢には、生きとし生ける者が必ずそこに至る「死の普遍性」という現実と、常に隣り合わせにあることに起因する。

その「生」をこの世に刻んだ全ての生命は、その香りの心地良さに一時(いっとき)酩酊できる初々しいばかりの春を迎え、それも束の間、成熟の夏を通過し、自分の身体のコントロールに狂いが生じる秋を経て、他者への依存によって保証される「生」を、ギリギリのところで生きていかねばならない季節に拉致されると言えるのか。

そして、それまで未知の時間でしかなかった「人生の冬」を、これまでの観念的なイメージでしか把握できなかった自我能力の眼に見える劣化の内に、累積化された経験だけが頼りの知恵によって、柔和な光線を浴びて破綻なく突破し得るか否か。

そんな緊張含みの冷厳な現実と対峙するとき、人は恐らく、生まれて初めて一人の人間の人生の、そのあまりのちっぽけな宇宙に溜息を洩らすのだろうか。

生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し

弘法大師
これは、空海(弘法大師)が残した私の好きな言葉の一つである。

この言葉と出会ったときの深い感動を、私は決して忘れない。

その意味は恐らく、人生という辛苦に満ちた旅の中でどうしても辿り着けない悟りの境地の艱難さを表現したものであろうが、私には、「人は暗い世界の中から一人ぽっちで生まれてきて、暗い世界の中に一人ぽっちでで死んでいく」という意味のようにも受け取れるのである。

その一人の人間の「生」の軌跡に、どれ程の凹凸があろうとも、最終的には皆、土に還っていく。

哀しいかな、人はそのシビアな終末の時間を、まさにその時間に侵入することによってのみ実感するのである。

「死」は普遍的現実だが、当然の如く、誰もそれを経験できない。死んだときは既に自我が死滅しているから、その経験を記憶に留めることができないのだ。「死」は、人にとって常に観念でしかないのである。

私たちはその観念をイメージすることができても、その現実の極相を絶対的に経験できないのである。

老いることによって迫り来る「死」のイメージの異常な膨張は、老いることによってしか感じ得ない究極の現実であるに違いない。

脊髄損傷者としての私にも、他人よりも恐らく、数倍、「死」のイメージが定まっているものの、しかし、それはあくまでも観念の漂流でしかないのだ。それが観念でしか生きられない、私たち人間の運命(さだめ)であると言っていい。

一切は幻想であるかも知れないのだ。幻想であって欲しいと思うのだ。或いは、幻想ではなかったと信じたいのだ。

「老いの残酷さ」をよりリアルにしてしまうのは、そこに「孤独」の問題が張り付いているからである。孤独こそ、人間にとって、老いにとって、最も残酷なる現実である。

恐らく、多くの老人は、孤独の恐怖をイメージできているだろうが、その恐怖に自我が拉致されたときの仮想危機トレーニングによって充分に学習できてはいない。学習できようがないのだ。

イメージトレーニングを幾ら重ねても、ほんの僅かな現実の尖りの侵蝕によって、それは簡単に崩れてしまう何かでしかないのだから。

孤独の闇が深まって殆ど身動きできず、劣化した自我の幾許かのサポートもなく、時間を繋げずに、ただそこに存在するだけの「生」を無残に晒すとき、人は却って観念としての「死」に誘(いざな)われていくであろう。

孤独の圧倒的現実は、「死」を恐れる者に、その「死」の恐怖のイメージを稀薄化させてしまうのである。周囲の者が健康で、饒舌に人生を謳歌すればする程、老いたる者の凄惨さは極まったと言うべきか。

しかし、「死」を願うときに、その「死」に簡単に辿り着けない現実がこの社会に存在する。

人は誰でも、そこに眠るように辿り着きたいのだ。

延命医療について・ ブログ・「高齢社会対策」より
だが、右の表が示しているように、約80%の人が望まない延命医療の発達は、眠るように辿り着きたいその場所に、尊厳死を願う者の安楽な終末を保証させなくしてしまったと言ったら、些か誇張があるだろうか。

私たちは老いてなお苦しみ、より自由を奪われて更に苦しみ、その孤独の闇の継続を固められてしまうのである。何という倒錯か。

老いの残酷のもう一つは、他者への依存を不可避とするということである。

身体器官の衰弱は、生命あるものの運命(さだめ)である。

生態寿命の臨界点に近づくにつれ、老いの身体は、自己防衛の意志と、その能力に於いて決定的乖離を生み出していく。

身体防御の思惑とは裏腹に、その恒常的保持の体内機構に狂いが生まれても、その修復がままならないことを痛感するのが、老いの現実である。

自我による自己像堅持の思惑と、ホメオスタシスの保証が困難になった体内機構の絶対的劣化の乖離。これこそ、老いの残酷の極相の一つの様態なのだ。

それでもなお、医療的サポートによって物理的生命を手に入れた老いにとって、もはや他者への依存なしには「生」の確保は困難であるという外はない。

老いとは、「絶対依存」によってのみ成立する人間の固有なる存在様式なのである。

前近代社会にあっては、老いの知恵が有効な輝きを放っていて、その知恵の提供の報酬として、「尊ぶべき者への感謝の奉公」が暗黙のルールにもなっていた。

知恵と交換された感謝の奉公という合理的関係のシステムの内に、「絶対依存」なる事態のイメージは殆ど稀薄化されていたのである。村落共同体の社会の中で、「長老」の存在とは最も尊ぶべき知恵の権化だったのだ。

ブログ・「共同体社会と人類婚姻史」より
然るに、近代社会の目眩(めくるめ)く進化を通して、村落共同体の崩落が極まったとき、そこに何が起こったか。

豊かさの獲得が自由の枠を大幅に拡げ、私権の加速的なる定着化に伴って、価値相対主義の思潮が世俗の基幹イデオロギーとして、ごく普通の感覚で受容されるようになったのである。

「人は人、自分は自分」という感覚は、今では無前提に認知された思考傾向であると言っていい。

それを誰も疑わない社会があって、そこに依拠して暮らしを営むごく普通の人々がいる。

そんな社会にあって、家族の役割は、その核家族性の内に情緒的集合体としての価値付けをいよいよ固めていく傾向にある。

思えば、近代の都市化社会では情緒的集合体としての家族の役割の重要性が増してきている。

その社会において、人々は概して他者の不幸に鈍感になり得る事態(逆に言えば、共同体社会の中では他人の不幸が自分の不幸と直結してしまうので、他者の不幸に敏感に反応してしまうのである)と反比例するかのように、家族という小宇宙の中で、個々の自我を裸にして情緒的な結合を強化しているように見えるのだ。

そこでは、家族成員の不幸が自らの不幸に直結する関係にあるが故に、当然のように、成員の不幸に敏感に反応せざるを得ないのである。

つまるところ、家族成員の不幸の芽を不断に摘み取る振舞いの中に、共同体社会の崩壊で失った絆の代償的機能の負荷を潜在裡に果たしてしまうということだ。

然るに、近代社会の家族で最も重要視される関係様態は、権力関係の濃度を稀薄にさせた分だけ、どうしても子供中心の情緒的な繋がりを形成しやすいので、子供の意識・感情傾向から隔たった位置にいる祖父母の存在意義は、育児文化等の伝承を不要とする高速化社会の中で、何某かの役割性をも持ち得ず、孤独を深めやすくなるという現実から解放されにくいであろう。

従って、その家族が三世代同居という形式を装っていたとしても、その家族の基本様態は、どこまでも子供中心の核家族的な性格傾向の濃度を深めてしまうのである。

そんな核家族の中に遠慮げに身を寄せる祖父母の存在は、後の世代に届けるべき知恵もなく、ひたすら介護の対象としてのみ家族の枠内に留まっているばかりとなる。

延命医療によって保障された彼らの「生」は、それを継続させる度に厄介視される視線に晒されて、「絶対依存」の人生を絶対的に捨てられなくなってしまうのである。

彼らは情緒的集合体としての核家族の枠内で、例外的に認知された何者かでしかないのだ。

その事実は、彼らの重篤な疾病化によって顕在化されるだろう。

彼らがたとえ、思いを込めた息子夫婦の、「呼び寄せ老人」としての存在感を束の間放ったとしても、彼らの身体の崩れを修復させる役割を負うのは家族外の医療機関であるか、或いは、その補完的な職務を担う民間機関である。

介護福祉士・ニチイ まなびネットより
彼らは結局、血縁なき者たちの介護を受けて、なお「生」を継続させていかねばならないのである。

「世話が大変になったら機関に任せる」―― これが「絶対依存」の構造の中枢を支える観念であるということだ。



5  ウンベルトが鈍走できる可能性




些かテーマを膨らませた言及をしてきたが、ここでウンベルトの場合を考えてみよう。



彼は低額年金にのみ頼って生きる、孤独な老人である。

頼むべき伝手(つて)を全く持たない彼が、年金による生活保障を確保できなくなったら、その「生」の継続すら断たれるのだ。

彼こそ、「死」と隣合わせに生きる典型的な老人と言っていい。

アパートを追い出された彼が向かう先には、何もない。自死の決断だけである。

同時に彼は、絶望的なまでに孤独な老人であった。

愛犬フライクのみが彼の支えになっているが、その愛犬との「心中」を図ったとき、彼は束の間、愛犬からも見捨てられてしまった。

彼の孤独が極まったとき、彼は必死に愛犬を追った。愛犬なしに生きられない程の孤独の凄惨さは、激しく観る者の胸を突く。

人はやはり、「これだけは失いたくないもの」を手放すことはできないのである。

「絶対依存」の状況に終始晒されたウンベルトにとって、年金と愛犬だけが、「これだけは失いたくないもの」の全てだった。

マリアの親切は限定的だし、彼の昔の知己も、彼との関係の継続を望んでいないようだった。

それでも、彼は生きる。今、死んだら困るからだ。愛犬を捨てられないからでもある。

だから生きるために、彼はその愛犬に物乞いをさせた。当然成功しない。

自分でそれをやる訳にはいかないのだ。彼にも官吏として生きてきた自負と、一定の自立自尊の誇りがあったからである。

Nanapi HPより
しかし、しばしば老いは残酷である。

彼から仕事を奪い、体力を奪い、関係を奪っていく。

恩給生活者として駆け抜ける人生プランに破綻が生じたとき、彼にはそれを復元させていく能力の欠片すら残されていなかったのである。

現代家族とは、「パンと心の共同体」である、と私は考えている。

この時代に生きる個我の生命線も、パンと心の問題の確保にかかっていると思われる。

パンの問題をクリアした大抵の人々には、心=情緒の共同体の確保が切実に求められる。現代とは、情緒的繋がりを固めていくことを懇願する人々が日々に呼吸し、癒し癒される何ものかを不断に求めて止まない時代であると言っていい。

ウンベルトの場合はどうだったか。

彼が生きた時代の不幸も手伝って、彼にはパンの確保という絶対的要件を充たすべく、日々苦闘する日常に翻弄されていた。彼にとってパンとは、年金の支給以外ではなかった。

かくて彼は、年金の上積みを求めて行進の輪に入るが、その要求の実現も叶わなかった。

彼の月収を上回るアパートの家賃の値上げを突きつけられ、それまで依存せずに生きてきた男が、まさに「絶対依存」の状況に拉致されたとき、その依存すべき対象の崩れに直面した男には、もはや死の選択しか残っていなかったのだ。

しかし彼には、心の共同体のパートナー(愛犬フライク)がいることで、最終的に自死の決断を放棄するに至ったが、なお彼の未来は、恐ろしいまでに絶望的である。そこに、状況の改善の余地がイメージされないからである。結局、彼は自死に向かうのかも知れない。愛犬の死が、彼の自死を決定づけるのか。

哀しいかな、彼の自我に僅かに繋がっている愛犬との、その情緒的結合の継続力は確固たるものではないのだ。

愛犬を喪った彼に、襲い来る孤独の恐怖を突き抜ける腕力は乏しい限りである。

パンの問題の解決も、彼が生きた時代のイタリアの経済状況の中では、全く保証の限りではない。パンと心の問題を埋められずに、果たして、ウンベルトという老人が、その余生を柔らかく鈍走できる可能性は皆無と言っていいかも知れない。


   ヴィットリオ・デ・シーカ監督
この映画は、かくまでに残酷な主題を突き放すような筆致で抉り出した、デ・シーカの傑作である。

50年前のこの作品が全く色褪せないのは、ここで問われた問題の深刻さが、21世紀を越えた世界がいよいよ切迫するテーマ性を持って、そこになお厳しくも立ち塞がっているからである。

老いることの残酷さを、ここまでシビアに描き切った作品は他にないであろう。

老いとは悪であり、唾棄すべき厄介事であり、そこに辿り着かねばならない運命を一様に抱えながらも、大抵の人々は他人事のように振舞うことで封印し、それと直接的に対峙しないで済む心地良きイメージに自らを流していくしかないような、邪悪なる人生の現実それ自身なのである。

ウンベルトは明日の貴方であり、私であるかも知れないのだ。

愛犬フライクは、貴方や私が、そこに存分な思いを仮託すことによって辛うじて守られる、ちっぽけな幻想の欠片でしかないかも知れない。

それでも幻想を捨てられない私たちは、愛犬フライクのような存在が絶対的に求められる。

決して、失ってはならないものを失う怖さを知る者だけが、ちっぽけな幻想を大切にし、愛犬フライクを、時には命を賭けてまで守ろうとするのである。

50年前のウンベルトの戦いは、21世紀を生きる私たちの似たような戦いに繋がって、限りなく心の共同体を求めて止まない人生をなぞっていくに違いない。

結局、私たちの人生とは、いつの時代でも大して変わりがなく、どこの世界でも大して変わらない時間を、うんざりするほど累積させていくしかないのだろうか。



6  自己像の破綻の危機に陥って



稿の最後に、些か繰り返しになるが、ウンベルトの精神世界を検証してみよう。

この映画で最も胸を打つシーンがあった。

そこにこそ、ウンベルトの精神世界が凝縮されていたと言えようか。それは、いよいよ窮地に追い込まれたウンベルトが、煩悶を重ねた挙句、それだけは絶対回避したかったであろう、物乞いの行動にその心が振られていく哀しいまでに切ないラスト近くの描写だった。

彼にはもう、頼るべきいかなる伝手(つて)も奪われてしまっていて、万事休す。

それでも必死に、老人はアパート代の捻出に動いた。

動いても動いても、それでもなお届かぬ、僅かな資金の調達。アパートの女管理人にとって、遊び金でしかない家賃を滞りなく支払うには、細(ささ)やかな年金受給者の老人にとっては、とてつもなく高いハードルであったのだ。

このハードルを自力で越えられないと観念したとき、老人は「物乞い」の挙に打って出たのである。

それは彼にとって、まさに決死の覚悟による行動だった。

なぜならば、その挙に出ることによって彼が失うものは、彼がそこで手に入れる一回的な泡銭(あぶくぜに)を遥かに越えるだけの、重くて痛切な何ものかであった。

それは、ここまで努力して積み上げてきた自分自身に対するある種の肯定的なイメージであり、そこに内包される様々な自尊の感情それ自身だったからである。

「物乞い」とは、果たして誇りを捨ててまで、そこに流れていく程の価値ある行為なのか。

しかし、そこに踏み切らなければ、自分の暮らしが成り立たない。自分の生命の保障すらない。そんなとき人は、大抵のことは何でもできるであろう。

盗みもするだろうし、平気で自分の体を売ることを厭わないだろう。それが人間であるとも言えるし、或いは、それが簡単にできないのが人間であるとも言えるのだ。

ウンベルトは、後者の人間だった。

彼は恐らく、それを失ったら自己像の破綻の危機に陥って、もうその精神世界の再構築が困難になってしまうような、ある種の頑なさを抱く種類の人間だった。

彼のそんな不器用で見栄っ張りな性格が、何か寂寥感の漂う人生の軌跡を決定付けてしまったのか。

しかし、彼は自分ができない物乞いを、愛犬のフライクにさせたのである。

結局、知人との出会いによって、彼がギリギリの思いで決断したその行為を中断することを余儀なくされた。もし知人との出会いがなかったら、果たして彼は、その行為を愛犬に代行させたであろうか。

客観的に言えば、「仔犬の物乞い」という話題が一時(いっとき)市民の間に広がって、一定の成功を収めた可能性は考えられるが、しかしそのことは同時に、「愛犬に物乞いさせる男」として、ウンベルトの汚名が、世間の嘲笑含みで喧伝されることになることを意味するだろう。

その時点で、ウンベルトの物乞い稼業に終止符が打たれることはほぼ間違いない。なぜなら、それは彼の思惑を遥かに越えてしまうばかりか、彼の精神世界を根柢において蹂躙することになるからである。

元々、恥ずべき行為としての物乞いを自らの手で為しえないという自我の抑圧が、彼の内側で、そこだけは理性的に機能してしまったことで、老人はフライクを利用したに過ぎないのである。

またウンベルトは、愛犬のフライクの物乞いを継続させる悲哀な現実に耐えられないであろう。

そこにも、彼の自尊に関わる自己像が関わってくるのである。

「仔犬の物乞い」を成功させるには、それなりのリハーサルや準備が必要である。

当然彼には、フライクに物乞いポーズを継続的に訓練させる覚悟が必要となる。この覚悟は、それを上手に実行できないフライクを叱責する覚悟でもある。ウンベルトにその覚悟を求めるのは、恐らく無理であるだろう。

なぜならフライクは、彼にとって最もかけがいのない唯一のパートナーなのだ。

それはラストシーンでの、ウンベルトのフライクを求める必死の行為を見れば瞭然とする。

ウンベルトにとってフライクは、殆ど自分の分身であると言っていい。

だからこそ彼は、フライクと「心中」を図ろうとしたのであり、その挫折によって味わったフライクの離脱的アクションに、必死の形相で反応したのである。

フライクを失うことは、自分を失うことに均しいのだ。

彼はそのとき、改めて、「失ってはならないもの」との離脱の恐怖を経験するに至った。

フライクが動物的な本能によって、飼い主の行動に否定的な反応をした以上、老人だけが自死に向かう選択肢は失われてしまったのだ。

自死に向かってはならないのである。自分だけが死に向かうことは、残されたフライクを野犬センターで処理することを認めることになる。それを恐れたからこそ、ウンベルトは一度は愛犬を安心して預ける場所を捜し求めたのである。

しかし、それも成功しなかった。

愛犬を死の道連れにすることを回避したいが故に、束の間、愛犬から身を隠した老人だったが、それもまた成功しなかった。

結局、それ以外の方法がないと考えたウンベルトは、愛犬との「心中」を図ったが、フライクはそれを拒んだのである。そのとき老人もまた、自死への思いを放棄するしかなかったのだ。

まさにウンベルトとフライクは、少なくとも、老人のイメージの中では、一心同体なる繋がりを持っていたという外ないのである。

ウンベルトの精神世界は、まさに、「老いの残酷さ」の様相を冷徹なまでに晒していた。彼の殆ど全人格的な「絶対依存」とその孤独の現実は、このような立場に置かれた者たちの悲惨を象徴して、あまりに苛烈であり過ぎた。

然るに、ウンベルトが差し出す物乞いの右手が裏返されたとき、彼は覚悟の人生に這い入っていくより外になかったとも言えようか。

全てを、社会のせいにする訳にはいかないだろう。

彼は明らかに施設に入ることを拒んで、アパートでの年金依存による限定的だが、しかし、一定の自律性と自在性が確保された生活を選択しているのである。

それは単に、愛犬との別れを恐れたのではない。恐らくそこには、一過的な病院生活なら許容できても、自由が奪われる老人の墓場のような施設での生活を、激しく厭悪(えんお)する思いが根強くあったと考えられる。

そのような生活は、ウンベルトの自尊心を傷つけるものでしかなかったに違いない。彼は借金の直接的な申し入れもできない男でもあった。だからいつでも彼は、自分の愛用の時計や本を売ることで換金化しようと動いたのである。ウンベルトは、そのような生き方しかできない男だったということだ。

そんな彼が、彼の生活を規定する厳しい社会の現実の中で、最低限の誇りと自己への尊厳の念を捨てずになお生きていこうとするならば、相当の覚悟を括るべきであると言えなくもないからである。

老人の孤独(イメージ画像・ブログより)
ある意味でこの映画は、内なる自己像を守るために括ったであろう覚悟に、束の間の破綻を見せてもなお、「生」に挑もうとする一人の老人の孤独なる闘いの記録でもあったのだ。


―― ウンベルトの前身は、映像の中で殆ど語られない。ただデ・シーカの父親が、この主人公のモデルになっているらしいことは知られている。

ウンベルトがそうであったように、デ・シーカの父親も、ちっぽけな誇りを捨てられないばかりに苦労した、不器用な真面目人間だったのかも知れない。

確かに映像では、ウンベルトのキャラクターは、決して愛嬌のある人物として描かれていない。それでも作り手は、主人公の取り巻く厳しい現実を容赦なく描きながらも、それでも突き放すような冷酷さで固めることをしなかった。

ただ、厳しい環境に置かれた老人の残酷のさまを、そこに特別な思い入れを含ませることなく、そのありのままの現実を写し撮っただけだった。

だからこそ、この作品が現在でも、普遍的な問題提起を持つ傑作としての成功を収めたのである。

奇麗事に流れることを徹底して拒んで、誰からも愛されるような外見やキャラクターを持つ訳でもない、一見して、貧相な素人俳優を主役にした映画の出来栄えは、その厳格なリアリティによってのみ成功を収めたと言えるのである。

(2006年4月)

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