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2009年1月9日金曜日

名画短感⑨  ヴェラ・ドレイク('04)


マイク・リー監督


ヴェネチア国際映画祭金獅子賞に輝く、マイク・リーの「ヴェラ・ドレイク」(2004年)について一言。

1950年代のロンドンを舞台にした一人の家政婦の物語だが、人助けの気持ちで堕胎を繰り返す女の「罪と罰」について、いつものように作り手は、顔を見ただけでその出身階級が判断できる、描写の圧倒的なリアリズムによって、これもいつものように、特別なプロット展開の大袈裟な筆致を駆使することなく、あまりにも感動的に描き出してしまった。

とりわけ、イメルダ・スタウントン演じる主人公の信じ難き表現力は群を抜いていて、その「善意なる者」の、恬淡とした振舞いに観る者は落涙するに違いない。

一人の家政婦と、その家族を巻き込んでの人間ドラマの秀逸性については、殆ど非の打ち所がないほどに完璧だった。

いつものように、殆ど予定調和の肯定的な人間ドラマの括り方に、ペシミスティックな私としては、正直、馴染みにくい思いもあるが、それ以上にマイク・リーの演出の力技に、ただ脱帽する限りでである。

そんな秀作への私の感懐は、以下の把握に尽きる。

それは即ち、夫に聖女の如く信頼されるに足る善意さ故に、非合法の危険な行為に手を染めた主人公の無知振りを非難するのは容易だが、しかし本作のテーマが、「善意なる者の無知の所業は、果たして赦されるか」という文脈にはなく、恐らく、「不完全な人間たちが、不完全なままに受容されるべき、あるがままの人間の優しさ」を表現しようとして、それをほぼ完璧に具現したからこそ、「ヴェラ・ドレイク」という名の作品は一代の傑作足り得たということである。そう思った。

(2008年6月)

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