<「非日常」の「現実」の風景と被膜一枚で隣接する、「回想」の柔和な風景の壊れやすさ>
1 異質の二つの風景の交叉の中で露呈された、「非日常」の「現実」の風景が内包する怖さ
この映画は、二つの風景によって成っている。
一つは「日常性」の風景であり、もう一つは「非日常」の風景である。
前者は「回想シーン」で、後者は「現実」の風景である。
そして、この二つの風景の人格主体である少年の「視線」は決定的に乖離しているのだ。
前者の「回想シーン」は一貫して柔和であり、子供らしさに溢れた「innocence(無邪気)」を表現し、後者の「現実」の風景は、特定国家に対する憎悪の炎に燃え盛っている「wicked(邪気)」を表現している。
前者を象徴するのは、ファーストシーン。
上半身裸の少年が、真夏の煌(きら)めく陽光が降り注ぐ、美しい野原で蝶を追い、森の中でカッコーの鳴き声を聞きながら、間断なく笑みを振り撒いている。
そして少年は、顔を拭うために、バケツに入った冷水を持って来てくれた、眼の前の母に無垢な言葉を結んだ。
「母さん、カッコーがいる」
笑みを返す母親。
その瞬間だった。
少年の視線が、突然、変化した。
少年は、「非日常」の「現実」の風景に戻されたのだ。
従って、その視線は、その直前の柔和な視線と完全に切れていた。
なぜなら少年は、「非日常」の「現実」の風景の中で、ソ連軍の斥候兵の役割を担い、ドイツ領に潜入していたのだ。
ここから、少年の脱出行が開かれる。
少年は銃声の響きで覚醒した水車小屋から外に出て、丘を駆け上り、そこだけは湿地帯と化している、透明度が低い沼の中を這うようにして進んでいく。
対岸に構えるソビエト陣地への行程は、まさに、延長された「非日常」の「現実」の風景の危うさの中で、命懸けの脱出行を身体化したものだった。
この映画は、少年の人格主体が見せる異質の二つの風景を交叉させることで、本来そこに延長されているはずの風景を、完膚無きまでに壊した果てに分娩された、「非日常」の風景が撒き散らす「現実」が内包する怖さを、映像のみで勝負した芸術表現のうちに昇華させた秀逸な一篇である。
2 喪失の衝撃と怒りの感情を、憎悪に成長させてしまった少年の疼きの極点
イワン |
更にこの映画には、少年の他に4人のソ連の将兵が絡んでいる。
そのうち3人は、いずれもイワンの身を案じる者として描かれている。
イワン少年が切望して止まない、斥候兵の仕事の危険を感じているからだ。
中でも、指令本部付きのグリヤズノフ中佐は、イワンの親代わりとなっていて、幼年学校に預けようという配慮をする。
対独戦の後も、イワンの面倒を看るつもりでいたのだ。
危険な斥候の後、イワンを預かる身となった若いガリチェフ中尉に、イワンのことを聞かれたホーリン大尉は、少年の家族について説明した会話がある。
「母親と妹は生死不明と聞いた。国境警備隊員の父親は戦死らしい。奴がどんなに苦労したか、お前には分るまい。愛国隊でもひどい目にあった」
「彼の将来は?」とガリチェフ中尉。
「母親が見つからなければ、中佐か、カタソーノフが育てる」
中佐とは、グリヤズノフ中佐のこと。
カタソーノフは、イワンが親しんでいる古参兵。
そして、ホーリン大尉はガリチェフ中尉と共に、イワンの安全に関わるる将校として、物語で最も重要な役割を果たす存在である。
「母親と妹は生死不明」というのは伝聞情報だが、映像は、母親の死のシークエンスを、悪夢にうなされるイワンの回想描写の中で描き出していた。
ホーリン大尉 |
イワンを取り巻く大人たちの中で、唯一、イワンと対立的に描かれていた誠実な青年将校である。
戦争の怖さについて、イワンが中尉を馬鹿にする印象的な会話があった。
「お前には幼年学校が一番いい。お前の性格では・・・お前は散々戦ったんだ。今度は休んで勉強だ」
少年が最も嫌う「幼年学校」について、旧知の間柄でもない男に言及されたことが余程癇(かん)に障ったのか、「wicked(邪気)」を有するイワンの感情は小爆発を噴き上げていた。
「戦争中に休む奴なんて、役立たずだけさ」
恰も、ガリチェフ中尉が「役立たず」の将校であると断じるかの如く、毒気を含む「wicked(邪気)」を捨てても、イワンはガリチェフ中尉指揮下の隊の傘下に入った。
ガリチェフ中尉もまた、少年の身を案じる包容力を持っていたのだ。
しかしイワンは、頑として、独軍への斥候の役割の継続を切望して止まないのだ。
そんなイワンの、独軍に対する深い憎悪を象徴するシーンがあった。
借用した軍隊ナイフを右手に持ち、独軍兵との戦闘のシュミレーションを、僅か12歳の少年が凄まじい形相で試行するシーンである。
「あいつを生け捕りにするんだぞ」
そんな言葉を吐いて、味方に指示して匍匐(ほふく)前進する少年兵士。
「出て来い!隠れる気か!そうはさせない。震えているのか?自分のしたことの責任を取るのだ!分ったか!許すもんか!裁判にかけてやる。僕はお前を・・・」
相手のドイツ兵に向かって、少年兵士は叫ぶのだ。
子供らしさに溢れた「innocence(無邪気)」が、もうそこに入り込む余地など全く存在しなかった。
このとき、少年兵士は自分の村が襲撃される過去を回想しながら叫んでいくが、最後には嗚咽に変っていた。
それは、喪失の衝撃と怒りの感情を憎悪に成長させてしまった少年の、その歪んだ自我の疼きの極点だった。
3 激しい憎悪の形相を見せる少年の最期の写真
夜の闇の中、少年の死を招く最も危険な対岸への斥候に、ホーリン大尉とガリチェフ中尉、そしてイワンの3人が出発した。
ガリチェフ中尉は、敵襲で命を落としたカタソーノフの代りだった。
ホーリン大尉とガリチェフ中尉の2人は、独軍によって沼地に晒された斥候兵の死体を埋葬するため、再会を約束した上でイワンを先に行かせた。
しかし、遺体回収に成功した2人は、無事に自陣営に戻ったが、イワンとの再会はならなかった。
そしてベルリン陥落。
ホーリン大尉とガリチェフ中尉の2人は生き残っていた。
捕虜収容所での記録を調べるガリチェ中尉。
彼はどこかでイワン少年の身を案じていて、資料をリサーチしていたのである。
そして彼は、独軍が遺した記録の中に、イワンのファイルを見つけるに至った。
凄まじいまでの敵意の形相を見せるイワンの写真は、少年の処刑状況の生々しさを想像するに余りあるものだった。
イワンが死に至る状況を、ガリチェ中尉が想像するシークエンスが開かれた。
イワンはドイツ兵に見つかり、捕捉され、処刑されたのだ。
首吊りの紐がガリチェ中尉の視界に収まると、「首を吊るぞ」と叫ぶドイツ兵の声が想像され、ギロチン台が眼に留ると、刎ねられたイワンの生首が処刑室に転がるという凄惨な想像に結ばれたのである。
4 「非日常」の「現実」の風景と被膜一枚で隣接する、「回想」の柔和な風景の壊れやすさ
そして、この最も凄惨な「非日常」の「現実」の風景が極点に達したとき、映像は一転して、「回想」の柔和な風景にシフトした。
その風景はファーストシーンにリンクしているが、「森の中で零れる少年の笑み」と異なって、今度は海辺での「家族の融合」のシークエンスだった。
そこでもまた、母がバケツに水を持って来て、それで顔を拭った少年は、友人らとの浜辺での隠れん坊に身を投げ入れていく。
少年が鬼となってゲームを開くが、当然の如く、浜辺には誰もいない。
しかし、そのイメージは、遊戯による「鬼の視界からの遮蔽」ではなく、「物理的不在」に近いのだ。
観る者に、もう浜辺には誰もいなくなったと印象付けた瞬間、少年の妹が笑みを零して、映像に現出した。
最初の一人目である妹を視界に収めた少年と、逃げる妹。
兄妹の表情には、満面の笑みが弾けていた。
ところが、妹を追い抜いた少年は、なお浜辺の疾走を止めないのだ。
少年が手を伸ばした先に、すっかり腐朽し、形が崩れた一本の黒い老木が立っていた。
その黒い老木が、少年の意志的な流れを切らない疾走を遮断するや、唐突に映像は閉じていった。
それは、「死に急いだ少年の悲哀の物語の終焉」をイメージするのか。
妹が無邪気な笑顔を返し、少年もまた、そのゲームの中で愉悦の笑みを振り撒いていた直後の、「疾走の遮断」という、このラストシーンのシークエンスの閉じ方こそ、凄惨な「非日常」の「現実」の風景と被膜一枚で隣接する、「回想」の柔和な風景の壊れやすさの極点を露わにするものだった。
この衝撃的な、一連のラストシーンの構図の連射。
僅か12年に満たない少年の人生の、その全てを凝縮させたこのシークエンスは、作り手の強烈な「反戦」への問題意識のうちに、二つの風景が見せた少年の「視線」の決定的な落差の提示によって、あまりに叙情的な「回想シーン」の時間を未来に繋げなかった凄惨さを強調することで、柔和で子供らしさに溢れた「innocence(無邪気)」の「日常性」の風景を略奪した時代状況への、鮮烈なメッセージを鏤刻(るこく)した決定的な構図だったと言える。
5 少年の二度にわたる凄惨な死を描き切った映像の凄み
ここに、本作に対するジャン=ポール・サルトル(画像)の批評があるので、以下に紹介する。
「イワンは狂っています。怪物です。小さな英雄です。ただ実際は、最も無垢で、最も痛ましい、戦争の生贄なのです。つまり、この愛さずにはいられない少年は、暴力によって鍛えられ、それをみずからのうちに宿してしまったのです。ナチスは、彼の母を殺し、彼の村の住人たちを虐殺した時、彼を殺してしまったのです。とはいえ、彼は生きています。しかし、他処において、自分の隣人たちが倒れるのを見た、この取り返しのつかない瞬間において生きているのです」
「少年はほんの少しの徳も、ほんの少しの弱さもありません。この少年は、その根源からして、歴史が作りだしたものなのです。意に反して戦争の中に投げ込まれた彼は、そのままそっくり、戦争向けにできているのでした。しかし、彼が自分の周りにいる兵士たちを恐れさせるとするなら、それは、彼がもはや決して平和の中で生きることがないだろうからです。彼のうちにある、不安と恐怖から生まれた暴力は、彼を支え、生きるのを助け、そして偵察という危険な任務を要求するように仕向けます。
しかし、戦争が終わった後、彼はどうなるのでしょうか。彼が生き延びたとしても、彼のうちにある赤熱した溶岩が冷えることは決してないでしょう。ここには、肯定的主人公に対する、言葉の最も厳密な意味における、重要な批判がないでしょうか。
映画は、悲痛であり、かつ堂々たる、彼のありのままの姿を見せ、悲劇的な、あるいは不吉な、彼の力の源を示し、この戦争の産物が、戦争の社会に完全に適しており、まさにそのことのために、平和な世界においては反社会的にならざるをえないことを露わにします」(「タルコフスキーの世界」アネッタ・ミハイロヴィナ・サンドレル編 キネマ旬報社)
イワンが、彼の母の死と共に死んでしまったが故に、戦争が終わった後も、「彼のうちにある赤熱した溶岩が冷えることは決してない」ので、「もはや決して平和の中で生きることがないだろう」という把握は、心理学的に言えば当然過ぎることである。
ここで重要な把握は、イワンが二度死んだという由々しき認知を、観る者が決して捨ててはならないことにあるだろう。
そこにこそ、本作の真の怖さがある。
母の死と共に死んでしまったのは、なお母の抱擁力を必要とする、思春期前期にある少年の揺動する自我である。
母の抱擁力を必要とする、揺動する自我の死によって生き残された身体に宿ったのは、それまでの柔和な自我と連結しない適応限定的な奇形の自我である。
それは、「戦場」にしか生きられない狂気の自我である。
狂気の自我を象徴するシークエンス ―― それは、軍隊ナイフを右手に持ち、匍匐前進しながら、独軍兵との戦闘のシュミレーションを挿入したシーンに尽きるだろう。
それは同時に、平和な社会にあっては、適応不全の狂気の様態を晒す自我と言っていい。
その狂気に充ちた奇形の自我もギロチン台の露に消えることで、二度も死ぬに至ったのだ。
しかしその死は、狂気の自我を包括する身体の死でもあったが故に、三度(みたび)の死を迎えることなく、それ以上の狂気の氾濫を、それ以上ない苛酷な人生の行程の始動のうちに封じ切ったのである。
少年の二度にわたる凄惨な死。
それを描き切った映像の凄みに、只々圧倒されるばかりである。
6 境界を超えていく芸術表現の理念系の仮想体験性
このような映画を鑑賞した後、観る者の心を騒がせる情感系が、その勢いを借りて、「絶対反戦」というような理念系に瞬時にワープする経験は、恐らく、一度は誰でも持ったに違いない。
まさにそれこそが、このような表現媒体による決定力とも言えるものだ。
思えば、芸術表現の凄みは容易に様々な境界を超え、現実を超え、時間を超えていくところにある。
だから、一切のバリアを超えた芸術表現による跳躍力は、簡単にリアリズムを壊してしまう凄みであるのだ。
しかし、その凄みが厄介なのは、簡単に境界や時間を超えた勢いで、現実の政治の世界に侵入してくることだ。
現実の政治の世界は、寧ろ境界を作り、境界によって策定された内側に規範を作ることで、境界の内側にあるものを守り切っていくことにある。
それ故、境界に侵入してくるものを排除し、時には外交的、或いは、軍事的戦争を招来するに至るのである。
政治の世界は、リアリズムによってしか構築できないものなのだ。
芸術表現と政治の世界を観念のゲームの中でクロスさせ、そのゲームを愉悦するのは構わない。
しかし、簡単に境界を超えていく芸術表現の理念系を、政治の世界に安直にリンクさせ、恰もそれが「人間の最高善」であるがの如く錯誤し、しばしば、それを「革命」などと幻想し、無理な理想の具現を全人格的に開こうとする、一連のプロセスの運動系が分娩されてしまう事態の怖さに、私たちはもっと自覚的にならねばならない。
そう思うのだ。
芸術表現と現実の政治を、安直にクロスさせてはならないのである。
そのような自覚を抱懐して芸術表現と向き合うことで、境界を超える芸術表現の価値を認知し、そこで語られる人間の生きざまを仮想体験していけばいいだけのことだ。
私にとって、テオ・アンゲロプロスやダルデンヌ兄弟、更にタルコフスキー(画像)らが、その固有の表現世界の中で、境界を超えた思いや叫びを、完成度の高い作品のうちに昇華する営為を尊重する気持ちが強いのは、それらがどこまでも、芸術表現の力学の枠内で自己完結し得る達成を示していると主観的に把握しているからに他ならない。
それ以外ではないのだ。
―― 本稿の最後に、【余稿】を添えておく。
当局の検閲を意識してか、タルコフスキーは、憎悪の炎を燃やす少年を囲むソ連の将校たちの人格造形を、決してこの国の倫理規範を崩さない範疇で描いていた。
未だこの国では、「戦争の狂気で歪むソ連の将兵の凄惨さ」という、どこにでも出来しそうな人格破綻者を描き出すことができなかったのだろう。
しかし同時に、「狂気のナチス兵」を、より強調するシークエンスをも映し出すことをしなかったのも事実だった。
(2010年11月)
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