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2011年7月5日火曜日

約束の旅路('05)    ラデュ・ミヘイレアニュ


<「ファラシャの悲劇」という歴史を借景にした、拠って立つ自我のルーツの物語>



1  「ファラシャの悲劇」という歴史を借景にした、拠って立つ自我のルーツの物語 ―― ①



「彼らは忘れられていた。エチオピア山中、ゴンダールの近く、エチオピアのユダヤ人は“ファラシャ”と呼ばれ、大昔から、聖地エルサレムへの帰還を夢みていた。

1984年、イスラエルと米国は、11月から3カ月にわたる大規模な作戦を展開。彼らをイスラエルに運んだ。ファラシャの帰還だ。ソロモン王とシバの女王の末裔という、彼らの立場が遂に認められたのだ。

作戦を指揮したのはモサド。人々は移住を禁じていた親ソ連政権の眼を盗み、徒歩でスーダンの難民キャンプに向かった。イスラム教徒の国だ。ユダヤ人と知られれば処刑されてしまう。

スーダンで、飛行機が彼らを待つ。途中、数百人が病気、飢え、疲労で息絶え、強盗に殺された。1980年代、スーダンの難民キャンプは人で溢れた。干ばつや飢餓に襲われた何千ものアフリカ人。キリスト教徒、イスラム教徒、隠れユダヤ教徒たち。

この秘密空輸作戦は、“モーゼ作戦”と呼ばれ、8000人のファラシャを救出。4000人がスーダンへの途上で死亡、殺害、拷問。飢えや渇き、疲労による死。大勢の子供が孤児となり、聖地に着いた」(筆者段落構成)

この長広舌が、冒頭のナレーション。

以上のナレーションを聞く限り、本作は「ファラシャの悲劇」の物語という印象を拭えないが、物語で描かれた内実を仔細に追っていく限り、「ファラシャの悲劇」に関しては、作り手の啓蒙的な意識の顕現が如実に窺えるが、しかし、そこに「ファラシャの悲劇」に関わる多くのエピソードを繋いだとしても、啓蒙的な意識の顕現以上の含みを感じることは困難である。

この映画で執拗に描かれているのは、主人公のシュロモが、自分の拠って立つ自我のルーツを求めてい止まない心理についてのエピソードであるからだ。

以下、その例証。

「今度、娘に会ったらただじゃおかないぞ」

これは、恋人であるサラの父から、シュロモが露骨に中傷されたときの言葉。

彼はこの直後、抑制困難な状態に捕捉され、荒んだ心を警察官に告白するのだ。

「僕はユダヤ人だと、皆に嘘をついていました」
「中傷など聞き流せ!連中は恥知らずだ。俺の知る限りではな。俺はルーマニア移民だ。エイズが怖いからと、採血も拒まれた。君の同胞は、月に12人が自殺。多過ぎる。これは俺たちの責任だ。元気を出せ!」

最近接している者なら吐露できない思いを、距離を置く警察官に告白することで、鬱屈した心情を吐き出したのである。

このシーンは、イスラエルにも、こんな警察官が存在することをさりげなく挿入することによって、「3人の母」を含む、「サポートする大人」が支える、屈折した青春の「救済譚」という物語の基本骨格を示していて、重要なエピソードになっていると言えるだろう。

ベタ・イスラエル=ファラシャの女性(ウィキ)
ともあれ、本作の内実は、「ファラシャの悲劇」という歴史を借景にした、拠って立つ自我のルーツの物語だったということだ。



2  「ファラシャの悲劇」という歴史を借景にした、拠って立つ自我のルーツの物語 ―― ②



以下、自分の拠って立つ自我のルーツを求めてい止まない心理についての、それ以外のシュロモのエピソード。

「俺は息子じゃない」

これは、リベラルな思想を持ちながらも、不良と怒り捲(まく)る養父に向かって放った、シュロモの究極の悪態。

彼の苛立ちがピークアウトに達しつつあることを、映像は思春期の炸裂のエピソードとして拾いあげていた。

「僕はユダヤ人じゃないけど、気持ちはユダヤ人だ」

これは、シュロモ青年が、ファラシャの娼婦に告白した言葉。

そして、極め付けは、既に青年期に達していたシュロモが、物分りの良い、宗教指導者のケスに吐露した告白である。

「僕はユダヤ人じゃない」

今まで封印してきた思いを、シュロモ青年の自我にとって最近接している長老に告白していくのである。

エリトリア独立戦争(エチオピア政府に対する、エリトリア分離主義者の武力紛争)における父の戦死。

更に9歳のとき、スーダンの難民キャンプに逃避した一家が、次々に命を落としていく。

姉の病死。

「缶一杯の水」のために、スーダン兵に殴り殺された兄。

シュロモの家族は、とうとう、母と二人のみになってしまったのである。

そして、その母とも別離のときがやってきた。

一家と同様に、エチオピアから逃れて来たユダヤ人たちが、トラックに乗せられている現実を目視した母が、息子に命じて、トラックに乗るように促したのである。

「行きなさい!泣かないの。生きて、立派になるの。そうなるまでは、戻ってはダメ」


母は、そう言ったのだ。

母と別れるとき、何度も後ろを振り返る息子。

走行するトラックの荷台から、母を見つめ続けるのだ。

まもなく、9歳の少年は、母に代って、二人目の「母」のハナに助けられて、イスラエルへの入国を果たし、そこで「シュロモ」という名をもらったのである。

ハナの病死。

そして、現在の養父母である、ヤエルとヨラム夫婦の養子となるという顛末だが、無論、ケスに吐露した告白の内実は、スーダンの難民キャンプでの不幸に関するものだった。

告白してもなお、感情的に理解し得ないのは、「戻ってはダメ」と命じた実母の言葉である。

理屈では分るが、冷酷な言葉であると感じてしまうのだ。

 それが、9歳の少年の心境の実相だった。

「じゃ、なぜ戻って来るなと僕に言ったんだ?」

ケスに吐き出すシュロモ青年の表情には、苦渋の色が滲み出ていた。

「お前を救い、生かすためだ」

嗚咽を結ぶ青年に、ケスは言い切ったのである。

このシーンは、映像総体の中で、極めて重要な会話であるのは言うまでもないだろう。

「私は養子にしたくなかった。他の子供たちのことを考えると。でも、ヨラムは大賛成だった。彼はブルドーザーなの。でも、今は幸福。彼のお陰」

これは、後にシュロモが、パリに医師留学に行く際、三人目の「母」である、養母のヤエルの告白。

「ユダヤ人なのに黒人?僕も根なし草だ。地方の生まれでね。パリに来て驚いたよ」

これは、パリ留学中に、シュロモの耳に過(よ)ぎった言葉。


シュロモ青年の葛藤は、サラが懐妊したとき、自分の過去を告白し、サラを憤怒させたエピソードの後、「大勢の母に愛されているのね」と、サラに言われたことで極点に達するに至る。

それは、実の母を捜しに、アフリカに行きたいと決意する思いが、シュロモの内側でピークアウトに達しつつあった瞬間だったのだ。



3  「ファラシャの悲劇」という歴史を借景にした、拠って立つ自我のルーツの物語 ―― ③



結局、シュロモが最後まで拘泥して止まないのは、スーダンの難民キャンプにおける9歳のときの「異常な経験」に収斂されるものである。

「異常な経験」の記憶の中枢にあるのは、「戻ってはダメ」と命じた実母の言葉である。

母が、異教徒に成り済ましてまで、自分だけをイスラエルに行かせた思いは理屈では了解可能だが、実母との「共存」によってのみ手に入るだろう、自我の安寧の基盤を壊すに足る「別離」は、9歳の少年にとって恐怖でしかなかったのだ。

なぜなら、全ての子供にとって、実母の温もりだけが、唯一の自我のルーツなのであるが故に。

唯一の自我のルーツへの扉をを閉ざされた児童にとって、その後の長く険しい人生の時間の中枢に据えられるテーマは、殆ど限定的であると言っていい。

児童期以降の自我の様態は、「自分とは一体何者か」という根源的な問いに占有されてしまうだろう。

この問いは、シュロモにとって最も根源的な〈生〉の問いであり、その問いに説得力を持った答えを手に入れられない限り、近未来に繋がる〈生〉の継続力は不安定になり、心の中枢に穿たれた空洞感をいつまでも埋められないのである。


浮遊する青春という、負のイメージだけが虚空に捨てられていくだろう。

そんな彼が、ケスに涙ながらに問いかけたとき、「お前を救い、生かすためだ」と言われても、それはどこまでも「他人の好意的解釈」でしかないのだ。

理屈では分る青年期に達していながらも、どうしても、9歳のときの母との別離の決定的な事態の根源にまで、心理的に辿り着かないのである。

しかも、少年に強いられた重いテーマは、「別の宗教を持つ別の民族」の一員として、まさに、「異なった人格」を引き受け、それを誰にも話すことなく、一人で背負い続けて生きていくということである。

そのような人生の重量感を背負って生きる者の懊悩こそが、本作の基幹テーマであった。

少なくとも、私はそう思う。



4  「母親の愛によって絶望的な社会からよりよい文明を発展させることができる」 ―― 「芸術表現者」の度し難き短絡性



「その人物が話してくれた体験談は、とても悲劇的であるにもかかわらず、それを話す彼の様子がとても活き活きとしていました。冗談も交えたその話しぶりに、聞いていた私自身も、涙を流したり笑ったり。エチオピアからの脱出の様子、イスラエルでの生活の様子など、感動しながら聞いているうちに、この話はとても現代的な要素をはらんでいて、とても意味のあるテーマだと感じました。ですから、まずは映画を撮ろうというよりも、この事実についてもっと知りたいというところから始まったんです」(「cinemacafe.net ラデュ・ミヘイレアニュ監督インタビュー」より)



以上は、ラデュ・ミヘイレアニュ監督(画像)自身のインタビュー。

繰り返し言及してきたように、本作は、「自分は一体何者であり、どこに向かおうとしても、それに相応しい価値を持つ人格であり得るのか」という、自我アイデンティティの根源をテーマにした映画であり、そこに、このラデュ・ミヘイレアニュ監督自身のインタビューでも確認し得るように、啓蒙的意識を持った作り手の歴史的テーマがベッタリと張り付いていて、この複層的な構造の中で構築された映像以外ではなかったということだ。

それにしては、異民族であろうと異文化であろうと、誰もが均しく生きていくべきだという訴えを、ダイレクトに表現する直接性は、あまりに感傷過多な映像構成であると言わざるを得ないだろう。

何より、およそ「予定調和」の「大団円」と睦み合うことが難しいテーマを含む本作を、ハッピーエンディングに流し込んでいった映像構成の安直さは、冗長な映画と付き合わされてきた観客に、単に、カタルシスを保証しただけの浮薄さを露呈した甘さ以外の何ものでもなかった。

実母を視界に入れ、靴を脱ぎ、裸足で歩いていく男には、もう、「別の宗教を持つ別の民族」の一員であってもなくてもどうでも良かった。

それは、靴を脱ぎ、裸足で歩く生活のみで繋がってきた実母との共通言語でしかなかったのだ。

「国境なき医師団」として、スーダン難民キャンプ場で働く、突き抜けた「コスモポリタン」という包括力のうちに、彼を終生、懊悩させてきた根源的テーマを収斂させていく男には、「奇跡のラストシーン」による括りは、「グリーフワーク」にも似た最後の「仕事」でもあったということか。

かくして、これがラストカットとなって、「予定調和のカタルシス」を保証する凡作と化したのである。

残念ながら、映画の完成度は極めて低い。

余分な描写が多く、ダラダラと、作り手のイメージの中でのみ輝いているかの如き、末梢的なエピソードまでもフィルムに張り付けていく冗長さには閉口した。

ただ、「世界には、こんなに深刻な現実があるんだぞ」という思いのみが前のめりになって、感動譚を特定的に拾うあざとさも見え見えで、物語構成がラフ過ぎているばかりか、「構築的映像」の高みに全く届いていないのだ。

ニコラエ・チャウシェスク(ウィキ)
以下も、「ルーマニアで生まれ育った監督自身、1980年にチャウシェスク政権から逃れフランスに移住した経験を持つ」(前掲サイト)と言われる、ラデュ・ミヘイレアニュ監督自身のインタビュー。

「彼らにとって、エルサレムに行くこと自体とてつもない話だったはずです。エルサレムがどこにあるのか、遠いのか近いのかすら知らず、そこへ行くまでにどんな危険が待ちうけているかすら皆目わからないまま、すべての財産を投げ捨てて故郷を後にしたんです。それはまるで16世紀の人々が旅に出たようなもの。その強い信念は、21世紀に生きる我々が失っているものではないでしょうか。飢饉、病気などを道中で経験しながらも、彼らは少しも絶望しなかったという。なぜなら、ユダヤ人にとってエルサレムという土地は地上の楽園である、そんな信念があったからです。少しナイーヴすぎると思う人もいるかもしれませんが、私はその美しくパワフルな信念に圧倒されたんです。私たちが住む社会はあまりにも退廃的な世界ですからね」

「私はその美しくパワフルな信念に圧倒されたんです。私たちが住む社会はあまりにも退廃的な世界ですからね」などという言葉を読む限り、本人の認知しているように、やはり、この作り手は、相当に「ナイーヴすぎる」御仁である。

「あまりにも退廃的な世界」である「私たちが住む社会」を、「その美しくパワフルな信念」を持つと信じる人々の世界によって相対化する思いは理解できるが、なぜ、その相対化の視座のうちに留まれず、「私たちが住む社会」を「あまりにも退廃的な世界」であると短絡的に決め付けてしまうのか。

数多見かける文化人の、この手の浮薄な物言いには、いつもながら拱手傍観(きょうしゅぼうかん)せざるを得ないのだ。

自己が拠って立つ「文明」の恩恵を存分に受けているにも拘らず、奇麗事と欺瞞の言辞に振れていく、この類の短絡性に対して、あまりに非武装なる、知性の劣化を感受せざるを得ないのである。

「今、世界には絶望感が漂っています。でも、この話を書きながら、メタファーのような感じで、素晴らしい母と子の関係を描けるんじゃないかと感じたんです。地球に生きる私たちが主人公のシュロモだと考えれば、シュロモが母親によって大人になるように、我々も母親の愛によって絶望的な社会からよりよい文明を発展させることができるのではないかと考えたのです。世界をより良くするためのキーパーソンは女性ではないのかと」(前掲サイト)

「やれやれ」としか言いようのない「世界観」の披歴に、私には反駁の熱量すらも消え失せるのだ。

でも、敢えて書く。

まるで、「深い思いやり、哀れみの気持ち」さえあれば、「母親の愛によって絶望的な社会からよりよい文明を発展させることができる」かのような口ぶりだが、私には寧ろ、このような「芸術表現者」の度し難き短絡性こそ問題であると考える。

果たして、今、世界には絶望感が漂っているのか。

絶望感が漂っていると言うなら、一体、絶望感が漂っていなかった時代というのは存在したのか。

それは、いつの時代なのか。

人々が心を一つにして、抑制的に殺戮を躊躇する時代や社会が、本当に存在したのか。

「シャリーア」(イスラム法)に基づいて、今なお、「名誉の殺人」(「不貞」を働いた女性を、家族の名誉を守るために身内が殺害する風習)が正当化されて いる一部のイスラム圏の現実に対して、行動派の人権団体が問題視しなければ、恐らく多くの人々は、同時代の他国の隅々で繰り返されてきた「蛮行」の現実を 知らなかっただろうし、或いは、先進諸国の形式的なクレームに配慮して、「石投げ刑」も減ることがなかったであろう。

どうやら、この作り手も、相当に勘違い監督の一人らしい。

「母親の愛によって絶望的な社会からよりよい文明を発展させることができる」と信じる映画を、今後も勝手に作って下さい。

それだけである。

(「『ユダヤ人』という定義の難しさ」というテーマについて、ここで言及しようと思ったが、本作の凡作性を目の当たりにして、気持ちが相当程度萎えたので、他の映画評論の場で書くことにした)

(2011年7月)

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