このブログを検索

マイブログ リスト

  • 覚悟の一撃 2 ―― 人生論・状況論 - イメージ画像(日比谷公園) 価値は表層にあり ―― 表層を嗅ぎ分けるアンテナだけが益々シャープになって、ステージに溢れた熱気が、文明の不滅なる神話にほんの束の間、遊ばれている。表層に滲み出てくることなく、滲み出させる能力の欠けたるものは、そこにどれほどのスキルの結晶がみられても、今、それは何ものにもなり...
    4 年前
  • 「私たちは強い」 ―― 国旗を掲げる最強のアスリート - *船上パレードで笑顔を見せるウクライナの選手たち* *1 一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ* ウクライナ侵略を続け、今なお暴虐の限りを尽くすロシアの戦争犯罪を追及する人権関連の国際法律事務所「グローバル・ライツ・コンプライアンス」が、報告書を発表している。 そ...
    2 週間前

2008年11月25日火曜日

ボスニア('96)   スルジャン・ドラゴエヴィッチ


<憎悪の共同体の爛れ方―― 挑発的なる映像の破壊力>



序  「チトーの国家」としてのユーゴスラビアとボスニア内戦



かつて「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」という名の国家が、バルカン半島の西部に存在していた。「モザイク国家」と称されたこの国には、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、マケドニア人、更に多くのムスリムが共生していて、巨大なる民族統合国家を成していた。

その成立は、第一次世界大戦を終結させたベルサイユ体制(注1)に淵源する。

当大戦でドイツに戦勝したセルビア王国が、敗戦国家のクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナ等を併合する形で、終始国権をリードしていたため、人工的な統合国家であるユーゴスラビア王国は民族間の相克を本質的に内包せざるを得ず、バルカン半島からオーストリアとトルコの勢力を駆逐したとは言え、セルビア的な中央集権主義と各地域の自主独立を求める連邦主義との矛盾は決して小さくなかったのである。


(注1)第一次大戦を終結させたベルサイユ条約(パリ講和会議の結実)によって、戦後の体制を定めた。この条約の苛酷な条件がドイツを追い詰め、後のナチスの台頭を招来したと言われる。


そんな「モザイク国家」としての内部矛盾を抱えたユーゴスラビアは、ドイツのポーランド侵攻によって、否応なく第二次大戦の嵐に巻き込まれていく。

軍事大国、ドイツの電撃的侵攻によって、ユーゴスラビアは同盟国であったチェコの併合、更にフランスの降伏という事態に直面し最大の危機に襲われた。

一旦はドイツとの同盟関係を構築するが、反独クーデターによって傀儡(かいらい)政権が崩壊するものの、独伊軍の侵攻によって降伏するに至る。

ユーゴ解体によって出来した事態は、まさにユーゴ国内下での民族的な対立の顕在化であった。

チトー大統領
こんな最悪の状況下で、一人のカリスマ的指導者が出現した。本名ヨシップ・ブロズ。

後に、「チトー元帥」と称されるコミュニストである。

父親がクロアチア人である彼は、若くして激烈な活動家であり、ユーゴスラビア共産党員でもあった。

そんな男が連合軍の支援もあって、ドイツ占領下の母国で反独パルチザンを組織し、甚大な被害を蒙ったものの、第二次大戦後にユーゴを解放したという史実は良く知られている。

当然の如く、チトーは戦後ユーゴの支配権を握り、その圧倒的な求心力によって、連邦国家の国家内の本質的な矛盾を稀薄化させたのである。

彼は連邦内の共和国の自主性を守り、ソ連と決別したその独自の社会主義的政策に於いても、一定の経済的成功を生み出した。

まさに、「チトーの国家」としてのユーゴスラビアだったが、1980年の彼の死によって、カリスマ性が剥奪された連邦国家の矛盾が噴出したのは、蓋(けだ)し必然的だった。


第3代 大統領・ミロシェビッチ(ウイキ)
とりわけ、ミロシェビッチ(注2)政権下のセルビア・ナショナリズムの強化は、スロベニアの連邦離脱を出来させ、更にクロアチアも独立を宣言するに至り、それを阻止すべく連邦軍の侵攻によって内戦が勃発した。

まもなく両国は独立するが、その後ボスニア・ヘルツェゴビナ(注3)の激しい内戦が勃発し、まさにユーゴは最も危険な状況を、全世界の耳目を集めるべくして炙り出してしまったのである。


(注2)ベオグラード大学卒。1988年、セルビア大統領に就任。1992年のボスニア-ヘルツェゴビナ独立運動に軍事介入し、ボスニア内戦が勃発。本作はこの内戦を映像化したものだが、ミロシェビッチ本人は、その後のコソボ紛争での弾圧(アルバニア系住民虐殺)の容疑によって、「人道に対する罪」で起訴され、国連ユーゴスラビア国際戦犯法廷での裁判中に病死。

(注3)バルカン半島の北西部にある共和国。1992年にユーゴスラビアから独立後に、セルビア系正教徒とローマ・カトリック教のクロアチア人、スラブ系イスラム教徒の間で激しい内戦が起こり、1995年、国連の調停で和平に調印。首都サラエボ。


そのボスニア・ヘルツェゴビナには、ムスリム系の人々が半分近くいて、3割強のセルビア人や2割弱のクロアチア人を上回る人口構成を示していた。

因みに、ムスリムとはイスラム教徒のことであるが、ここでは、オスマン帝国時代(13世紀末から20世紀初めまで続いた大帝国)下にイスラム教に改宗したスラブ系の民族を指している。


ボスニア内戦は、まさにこのムスリム系の人々の独立志向を含む覇権争いだったのである。

その結果、この内戦は死者20万、難民200万とも言われる被害を出した最悪の戦災となってしまったのだ。

「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家 」と称されたモザイク国家の悲劇が、そこに集中的に顕在化してしまったのである。

映像は、このボスニア内戦下で、セルビア人とムスリム人の友情が無残なまでに破壊されていく物語を基軸に描き出されていた。



1  “友愛と団結”トンネル(1)



―― そのストーリーを、映像の展開に合わせて詳細に追っていこう。


1971年6月27日。その日、“友愛と団結”トンネルの開通式が行われた。

ピオネールの子供たち・ブログより
「“自然には抗い難し”とは、誰の言葉か。またもや我が建設者の技術が岩に勝ち、我が社会主義国ユーゴスラビアの経済的、文化的な結合を強めました。ジェマル・ビエディッチが到着し、歓迎されるところです。共産少年団(ピオネール)が歌います」

“英雄チトー元帥に率いられ 我ら地獄の苦悩にも必ず打ち勝つ・・・・”

「全てのトンネルは、光り輝く出口を象徴します。ボスニア・ヘルツェゴビナも30年前の今日、社会主義と民族協和の道を歩み始めたのです。労働者たちに声をかける同志ジェマル。同志チトーへのメッセージを預かりました」

このトンネル開通を祝う儀式の国営放送は、やがて、モノクロからカラーの映像に移り変わって、その儀式の現場をリアルに再現させていく。

ジェマルが開通式のテープカットを行うとき、誤って大きな鋏で自分の左手の指を切ってしまった。」

鮮血の赤が画面一杯に映し出されて儀式は中断するが、応急手当によって大事に至らず、すぐに儀式を祝うダンスが楽団の伴奏に乗って、開通式の形式は繋がったのである。

しかし、この小さなテープカットのミスが、この国の近未来の暗黒を不気味に象徴する出来事であることを、そこに参列した様々な民族の顔を持つ民衆の誰が予想したであろうか。

場面はここで、映画の原題を大きく映し出した。

「LEPA SELA, LEPO GORE」―― その意味は、「美しい村は美しく燃える」というもの。

ここから、時系列を交叉させて進行する、多分にブラックユーモアを交えつつも、しかし、本質的にはとてつもなく苛烈で、重苦しいドラマが開かれていく。



2  廃墟と化したトンネルの前で(少年時代の回想)



ユーゴスラビア、ボスニア。1980年のことだった。

そこに二人の少年が、既に廃墟と化したトンネルの前に立っている。

少年の名は、ハリルとミラン。前者がムスリムで、後者がセルビア人。

「ミラン、中に入ってみよう」とハリル。
「嫌だよ」とミラン。

それでも少年たちは、恐る恐るトンネルの入り口に近づいていく。

「人食い鬼が眠っている」
「それ、悪魔?寝てるの?」
「そうだ。起きたら村を喰い尽くして、火を放つ」
「ハリル。父さんのナイフを・・・」
「ナイフじゃ駄目だ。銃を持ってこないと」
「よし、武装して、また明日来よう」
「今は、そっとして置こう」

少年たちは結局、トンネルの中に入らず、そのまま立ち去ったのである。



3  ベオグラード陸軍病院で(1)



ベオグラードのシンボル・ポベドニク(勝利者)
1994年、ベオグラード陸軍病院(セルビア)。

そこに一人の青年が、頭にグルグル包帯を巻かれた状態で搬送されてきた。

大人になったミランである。

彼は担架の中で、2年前のことを回想していた。その顔には笑みが零れている。



4  村の長閑なカフェで(1) 



1992年、ボスニア戦争の初日。

成人となったミランとハリルは、美しき自然の村の一角で、バスケットに興じていた。

遊び疲れた二人は、村の長閑なカフェで酒を酌み交わしている。スロボの店である。

そのスロボが読む新聞では、サラエボのきな臭い事件を伝えていて、二人は内戦間近な予感を何となく感じていた。

彼らの村から家族が離脱していく光景を目の当たりにして、二人は否応なく内戦の渦の中に巻き込まれていくのである。

まもなくミランは、セルビア兵として従軍することになった。

親友のハリルはムスリム故に、家を破壊され、略奪された挙句、村を出ることになった。

今や二人は、共存不能な民族の無残な展開の中で、敵味方となって対峙することになったのである。


“セルビアを東京まで拡大せよ”

セルビア軍の侵攻の中、その一部隊に属するミランは、敵陣営の家屋の壁に落書きされた鮮烈な文字に、一瞬眼を止めた。

まもなく、ミランは自分の生まれた村に立ち寄って、スロボの店を訪ねた。

彼はそこで親友のハリル隊によって、自分の母が殺害されたことを知ることになる。

それがどこまで真実であったか判然としないが、母を守れなかったスロボをミランは深く憎悪した。

“ボスニアを東京にまで拡大せよ”

親友だったミラン(左)とハリル(右)
ミランは破壊された自宅の壁にその言葉を視界に収めるが、今度はもっと鮮烈な文字を眼にした。

“セルビア人の母”と書かれた血文字と、矢印の下には、殺害された母の頭の部分の血糊の痕跡があったのだ。

恐らく、ムスリムを憎むミランの心情は、そこで決定的に形成されたに違いない。観る者にそう思わせる、あまりに凄惨な描写だった。



5  闇のトンネルの中での激しい戦闘(1)



ミランの部隊は敵の空爆によって、最大の危機に晒されていた。

ミランはその昔、ハリルと立ち寄った、例のトンネルの中に部隊の生き残りの者を伴って、避難することになった。

それ以外の選択肢のない状況下にあって、ミランは恐怖の余り最後まで入れなかったそのトンネルに、初めてその身を預け入れたのである。

しかし、ミランが味わった恐怖のリアリティは、まさにそこから開かれていったのだ。

生き残ったミランの部隊はムスリムの部隊に包囲されて、今や出口なしの状況に置かれていたのである。

暗い闇のトンネルの中で、激しい戦闘が開かれた。

全く援軍を当てにできない状況下で、ミランたちは、トンネルの向こうの見えない敵に対する恐怖感だけを膨らませていくのである。

そんな中、トラックで突入して来た部隊の仲間のブルジが、予期しない二人の女性を随伴して来てしまった。

一人はナースだが、既に死体になっていた。

もう一人は、CBCテレビのアメリカ人のジャーナリストである。その名はリサ。

リサは英語が分るブルジに、自分が違反してトラックに乗ったことを謝る旨を通訳してもらった。

リサのその手には許可証が握られていたが、仲間以外を信頼しない男たちに自分の荷物を点検され、それを抗議したら、殴打される始末だった。

「それじゃ、楽しかったけれど、もう行くわ」

恐怖感に駆られたリサの背後から、汚い言葉が追いかける。

「売女(ばいた)を行かせてやれ。どこも同じだ」

意味の分らないセルビア語に悪意を感じ取ったリサは、一人で脱走しようと試みる。

「セルビア人が女に、何をしたか知っているわ」

このとき、リサは明らかに、「民族浄化」(注4)の名で、他民族の女性たちをレイプするセルビア人たちの悪業が、世界中のメディアのネットワークに流れていた情報を想起したのである。

彼女はトンネルの向こうに出ようとするが、彼女を待っていたのは、トンネルの向こうの他の民族からの銃砲だった。

彼女は男に捕捉され、連れ戻されることになった。こうして出口なしの戦慄の世界に、一人の異文化の女が加わったのである。

トンネルの中の男たちと一人の女には、コカ・コーラのペットボトルに入った水だけが命を繋いでいた。

そんな密閉化した絶望的な空間に、時々、トンネルを包囲するムスリムから挑発的な言葉が流されてくる。

「殺戮フェスティバルを始めるぞ」

その放送の中で、かつて、男たちの同志であった一人の青年の悲鳴が劈(つんざ)いてきた。

その状況に痺れを切らした兵士のラザは、遂に臨界点を越えてしまった。

「奴らめ。もう我慢できない」

そう言って、彼はトンネルの外に飛び出そうとした瞬間、銃弾の嵐がラザの体を貫いた。

それが彼の最後になったと同時に、トンネル内で生き残った者たちの最初の犠牲者になったのである。


(注4)セルビアが他民族の女性たちに対して、レイプや強制妊娠などの蛮行を通して、「同化政策」を遂行した民族抑圧的な行為。因みに、2007年5月の現在、スーダンでのダルフール紛争に於いて、政府のサポートを背景にした、ジャンジャウィードによる(民兵組織)非イスラム系住民に対する「民族浄化」の問題が指摘され、国際的非難を浴びている。



6  ベオグラード陸軍病院で(2)



しばしば映像は、1994年、ベオグラード陸軍病院の現在に戻ってくる。

その病棟にはミランと教授、そしてブルジが同室に入院している。

その向かいの部屋には、若いムスリム兵が搬送されて来ていた。

ミランは彼に激しい憎悪を抱いているが、今は何もできない。全く動けない体なのだ。

しかしこの夜は、病院の外から反戦団体の激しいアピールが、入院する全ての者たちに投げかけられていた。

「これは意味のない戦争だ。我々の息子を殺した体制を打倒しよう!我々は救済と平和を欲している!我々に平和を!」
「戦争で不当に利益を得る者たちに、命を預けるな!愛と寛容を!」
「騙されてはいけない。犠牲を正当化するような大義名分はない。自分を欺くのがオチだ!」
「愛ほど大事なものはない。愛にチャンスをあげて。この無意味な戦争で、傷つく若者を尻目に、安らかに眠れる人間が果たしているでしょうか」

ジョン・レノン
ジョン・レノンの反戦歌を交えるメッセージが、彼らのアピールに重なって病室に流れ込んでくるが、その偽善的なアピールに反発するミランは、「ランボーだ」と叫んで、点滴の瓶を窓に投げつけた。

その瓶はガラスを破砕して、街路で群れる団体の下に落ちていった。ミランは、秩序的なるものに逆らい続けたランボーを真似たのであろうか。

彼は団体の演説に辟易する思いの癒しを求めて、隣のベッドで横たわる教授が読む、戦火で拾った詩集に聞き入っていく。

「・・・そして空高く上がった炎が雲を焦がした」

彼は詩の一節に出てくるその言葉に、村を焼いた戦場の光景を思い出していた。

「美しい村は美しく燃える 醜い村は燃えても醜い」

これは、部隊の仲間であるヴェリャが、ミランに語った言葉。(スルジャン・ドラゴエヴィッチ監督自身のポエムの一節である)

彼はそのとき、一人の詩人として、燃えていく村を眺めていたのか。

村を焼くことに既に精神が鈍磨した自我の群れが、そこにあった。

―― 病室でのブルジの死が医師らによって確認され、室内は教授とミランの二人だけになった。二人はまだ、仲間の死を確認できないでいる。



7  闇のトンネルの中での激しい戦闘(2)



トンネルの世界では、状況はいよいよ苛烈になっている。

そこでは、元気だった頃のブルジが自らの履歴を語っていた。

「だが、俺はついている。ヘロイン中毒になって、めでたく除隊になった。ヘロインは89年には安価で手に入った・・・」

彼は隊長であるグヴォズデンの許可を得て、リサにビデオカメラを回してもらって、自己紹介を繋いでいく。

「名前はブルジ。重度の麻薬中毒で、戦場で転地療養中というわけさ。親父は旧ユーゴ軍の元大佐でのんべえだ・・・」

ブルジの告白を恥じるグヴォズデンは、それを中断させて、僅かに残る隊内での秩序を守ろうとした。

それにヴェリャは異議を唱え、その偽善性を告発した。

「あんたの正直なんか、クソ喰らえだ。あんたの正直ごかしの世代もな。何が正直だ。皆、クソ喰らえだよ。あんたらは・・・」

グヴォズデンはこの言葉に激しく反発する。一応、まだここでは指揮官なのである。

「怪我してなきゃ、ぶっ殺す」
「かすり傷だ」とヴェリャ。
「減らず口を」とグヴォズデン。
「冗談ですよ」とブルジ。彼は関係の尖りを中和しようとした。
「うるさい」とグヴォズデン。
「二人とも勝手にしろよ」とブルジ。

ここで、ラザの義兄が割って入って来た。

「いいか、ニュースに出るなら言いたい」

彼はこう言って、リサのビデオカメラの前に立った。

「最近テレビで見た話だ。お前、知ってたか?セルビアは世界一古い民族だ。600年前のドイツ人やイギリス人は、まだ手掴みで豚肉を喰っていた。一方我々は、堂々とフォークを使っていた。そうさ。セルビアの宮廷ではフォークで食べていた。ドイツ人は指だぞ。指で喰ってた。最古の民族だ・・・」

彼は右手にフォークを翳(かざ)しながら、自民族の偉大さを叫ぶのだ。

アメリカの女性ジャーナリストのビデオカメラに向かって。そこまで言い切った男は、フォークをトンネルの闇の地面に叩きつけた。

それを拾った教授が一言。

「このままじゃ、こちらが料理されちまう」

そのとき、トンネルを包囲するムスリム軍の放送が流れてきた。

「おい、聞け!逃げ道はないぞ。降参しろ。命を助けてやる。私、ムスリムヴィッチ大尉が命は保証する」

その大尉の名を聞いたグヴォズデンは、すぐに無線機で反応した。

「私と一緒に兵舎にいたろう?当時は軍曹だったマクシモヴィッチだ」
「お互い偉くなったな、大尉殿」
「恥を知れ!」とグヴォズデン。
「どれだけ村を燃やせば、大佐に昇進できる?」
「出て来い、この逃亡兵め!」とグヴォズデン。

隊長は、銃を片手にトンネルの中枢に立った。

するとトンネルの向こうから銃が乱射されてきて、そこに小さな銃撃戦が起った。

グヴォズデン隊長は、「知り合いか?」とミランに聞かれて、「義弟だ」と一言。かつての仲間同士、血縁者同士が相食む争いを常態化した戦争の無残さが、そこに露呈されていた。

トンネルの世界では、生命限界点に近づいてきた者たちの嘆きだけが、力なく捨てられていた。

そんな中、既に空になったコカ・コーラのペットボトルに、ミランは自分の排尿を溜めて、それを口に含んだ。

思わずそれを吐き出すミランは、残りの尿を仲間に与えようとする。

「次は誰が飲む?」
「してはいけないことよ」とリサ。
「俺はいい。ビールは5日前に飲んだ」とヴェリャ。
「飲み水を入れる容器だぞ」

そう言って、今度はブルジがミランの尿を受け取って飲んだのである。

我慢してそれを飲み込んだ後、ブルジは笑って見せた。それに反応するかのように、次に尿ボトルを教授が飲み、更にヴェリャまで飲み込んだのである。

ヴェリャは隣に坐るリサにそれを渡し、飲むように促した。あれほど拒絶的だったリサは、自分の鼻を摘みながら、他人の尿を口に含んだのである。

飲み終わった後、この5人の中で、尿を飲み交わした者たちの共有感からか、自分たちが置かれる異様な状況と馴染まない明るい笑い声がトンネル内を反響した。

この現実を外にいる敵軍に知らせて、彼らを揶揄(やゆ)した返礼からか、そこに突然爆音が響いた。トンネルの入り口から、何人かの兵士の銃砲が乱射されてきたのである。

それに応戦するトンネル内の部隊との激しい戦闘が出来した。ブルジが被弾したのはそのときだった。

一時(いっとき)、小康状態を保っていた。そのとき、包囲軍からの放送が流れてきた。

「諸君、素晴らしいプログラムを用意した。皆の青春の歌だ」

ここで、かつて青春を共有していた者たちのノスタルジーを掻き立てるような音楽が、トンネルに反響した。男たちはそれを素直に受容し、音楽を聞き入っていた。

ミランはかつてハリルと共に、大人たちのセックスを目撃した長閑な丘陵で、まさにその男女の傍らのラジオから流れるその音楽を思い起こしていた。

思えば、セックスの最中に音楽が中断し、それを流したラジオから、チトーの逝去を伝える放送が聞こえてきたのである。

ミランが、そんな子供時代の回想に思いを巡らせているまさにそのとき、傍らにいたヴェリャが突然銃を持って立ち上がり、その歌を口ずさみながら、トンネルの入り口に向かってゆっくりと歩き始めたのだ。

かつて青春を共有した懐かしき歌が、前線の最も険阻な状況下で、拳銃をマイクに仕立てて歌われていく。

ヴェリャ(左)とグヴォズデン隊長(右)
しかし、その歌が歌い切れないところで、男は見えない敵の乱射によって倒されてしまったのである。男は仲間に介抱されて、何とか命を繋いでいくことになった。

トンネルの向こうの敵は、今度はかつての国歌を流し、その後で、一人の女をトンネルの中に送り出した。女はフラフラに歩行しつつ、トンネルの中に入って来る。その女は体中血だらけで、着衣も裂かれていた。その眼は虚ろで、殆ど夢遊病者のようである。

「よろよろだ。きっと爆弾を」

ブルジはそう叫んだ。他の者も銃の照準を合わせていた。

「何なの?どうしたの?」とリサ。

彼女だけが、未だに状況から距離を置いている。

「だから女だよ。腹に爆弾を持たされているんじゃないかと。俺たち皆死んじまうぜ」

ヴェリャはセルビア語でリサに説明するが、その意味は通じない。それでもトンネルの中に既に閉じ込められた女が、今また別の未知なる女を迎えることの恐怖感だけは理解できたようだった。女が彷徨いながら近づいてきたとき、ミランは早々と彼女の素性を特定できていた。

「撃てない。俺の学校の先生だ」
「彼女を撃って!」

思わず、リサはそう叫んだ。

「ダメだ」

教授は銃を引っ込めた。

「ここまでおいで。アメをやるよ」

体中に銃丸を浴びてもなお生き延びているヴェリャは、状況を楽しんでいる。

「彼女を殺して!早く、早く撃って!」

リサは三度(みたび)、絶叫した。

「ひどい人生だ」

泣きながらそう呻いて、ミランは発砲しようとした。しかしその優柔不断な行動を詰るように、ガラスの向こうから、ラザの義兄が銃丸を放った。

「バカやろう!俺たちが死ぬところだぞ。そうはさせるか」

ミランのかつての女性教諭は、一人の男の銃の乱射を受け、そのまま倒れた。

トンネルの向こうから、キリスト教を嘲る放送が流れてきた。

「セルビア正教徒よ。そっちにやった女を殺したな。お楽しみがなくなったぞ」

放送の最後に、ムスリムたちの笑い声が渦巻いた。

「チクショー」とブルジ。
「もう、がっかりだよ」とヴェリャ。
「彼女、爆発しなかった。最悪だな」とミラン。

近づく女が爆弾を抱えていなかった事実を知って、ミランの思いは絶望を深めながらも、せめて自分が撃ち殺さなかった安心感に、ほんの少し逃げ込めたようだった。

「俺も皆も撃つ勇気がなかっただけだ。勇敢だった」

ミランはラザの義兄に近づいて、孤立感を深めつつあった相手を励ました。それは明らかに、最も嫌な仕事を引き受けてくれた者への感謝の念でもあった。

「家に帰る。うんざりだ」

ラザの義兄は、極限の前線から離脱することを覚悟して、既に死体となって横たわる義弟に別れを告げた。 

銃を置いた彼は口笛を吹きながら、裸足でトンネルの外に身を晒したのだ。

ほんの暫く解放感を味わった彼に、トンネルの上から銃丸が乱射された。トンネルの中にいた部隊の僅かな者たちから、新たな死者が加わったのである。

隊長のグヴォズデンは、残りの仲間に向かって、初めて自らを語り出した。

「聞いてくれ。俺は同志チトーの葬式のため、350キロも歩いた。テレビ局も取材に来た・・・頭のいい奴だった。同志チトーは嘘を沢山ついた。だが愛された。徒歩で350キロ。私もまだ若かったからな。散歩くらいにしか感じなかったよ」

隊長は自分を語った後、皆に覚悟を求めた。

「皆、出て行く潮時だ」

この一言で、全てが決まった。

それは、隊長の権力性が初めて形になった瞬間である。

トンネル内での篭城が10日間に及んだその日、彼らは死を決意した恐怖突破を図ることを決意したのである。



8  ベオグラード陸軍病院で(3)



―― 1994年、ベオグラード陸軍病院の現在。

いよいよその状況が際立ってきた。ミランの内的状況のことである。

彼の中のムスリムに対する憎悪感情は、もう抑制できない状況を炙り出していたのである。彼は自分の体を縛っていた点滴のチューブを破り捨てたのだ。



9  闇のトンネルの中での激しい戦闘(3)



映像は、トンネル内の極限状況の描写と交叉させながら進行していく。そのトンネルの中で、生き残りの部隊は完全武装しつつあった。

その中で、ヴェリャはミランに、その指に嵌めていた指輪を取り出して、頼み込んだ。

「ミラン。これをお袋に。生き残るとすれば、お前だろう」
「何、言ってる」とミラン。
「俺は嫌な予感がする」とヴェリャ。
「俺の葬式に来て、女が列を作って泣いているのを見れば、俺の凄さが分る」
「バカ息子めが」とブルジ。
「アメをやっておいたから・・・時間があったら会いに来てくれよ・・・」

ヴェリャの眼から、一筋の涙が零れて来た。

彼はリサに「お別れのキスを」と求めて、リサはそれに応えた。

ブルジが二人の睦みをビデオに納めた後、いきなりヴェリャは自分の口に拳銃をくわえて、発砲したのである。彼は既に手負いの体であって、もう回復の見込みがないことを自覚していたのだ。

ヴェリャの自殺にブルジは叫び、他の者たちの心も凍てついた。

映像はその直後に、考古学者を志望する弟の身代わりに、兵役の徴集に応じるヴェリャの男気の振る舞いを映し出した。そんな男が、ムスリムとの最終決戦の前に、極限的な闇の空間で自壊してしまったのである。

「騙すなんてひどいじゃないか」

ブルジの嗚咽も束の間、トンネルの外からの攻撃が開かれた。

ミランはトンネルの外で待つハリルとの最終決戦に、強い覚悟で臨んでいくのだ。



10  ベオグラード陸軍病院で(4)



―― 映像は同時に、ベッドから這い降りたミランの病室内の匍匐(ほふく)を映し出していく。

その先に待つのは、その名も知らないムスリムの青年。彼はその青年を殺すために、病室を匍匐していく。それに気づいた隣の教授もベッドから這い降りて、ミランを追っていく。共に匍匐する異様な風景が、俯瞰されて映し出される。この圧倒的な映像は、まさに憎悪の鬼と化した一人の若者の自我の爛れ方を、暴力的に描き出したものだ。



11  闇のトンネルの中での激しい戦闘(4)



トンネル内で、隊長のグヴォズデンはトラックに乗って、果敢な脱出を試みる。

力強い革命歌の演奏をバックミュージックに、隊長のトラックはトンネルを出たところで自爆した。覚悟の上の決死行に、それを称えるミランの笑みが重なっていく。

自爆の後の回想の映像は、チトー元帥の遺影を翳(かざ)して行進する隊長の凛とした表情に繋がっていった。

トンネル内では、次々に犠牲者が生まれていた。ブルジが敵弾に倒れた後、自分のビデオカメラを拾いに戻ったリサが射殺されたのである。



12  ベオグラード陸軍病院で(5) 



―― 病院を匍匐して、遂に辿り着いたムスリム青年の部屋に、狂気と化したミランが教授を振り切って、ベッドに横たわる青年の枕元にまで近づいて、這い上がろうとする。



13  闇のトンネルの中での激しい戦闘(5)



一方、トンネルを抜け出たミランを、トンネルの上に一人の男が待っていた。ハリルである。

彼はあれほどトンネルを恐れたミランに尋ねた。その口調は激しいものではなかった。

「トンネルの中に?」
「入った」とミラン。
「なぜ修理工場に火を?」とハリル。
「なぜ母を?」とミラン。
「誰も殺してない」とハリル。その言葉に嘘はなかった。
「俺も火はつけていない」とミラン。

その言葉にも嘘はなかった。

確かにミランは、セルビア兵がミランと共に共同経営するハリルの工場に火をつけた現場にいたが、彼はそのセルビア兵たちへの怒りから、彼らの足を銃撃したのである。

恐らく、その報復の目的もあって、ハリルの仲間のムスリムは、ハリルの母を殺害したに違いない。

しかし、その事実を、ミランとハリルは未だ確信的に信じ切れていないのだ。

内戦によって炙り出されてしまった「敵対民族」という概念の内に、形成的な憎悪感情が既に噴き上がてしまっていて、二人の人格の間にとてつもない距離を作り出してしまっていたのである。

この距離が、この決定的な局面に於いても軟着陸不能な様態を晒していたのか。

「じゃ、誰が?トンネルの鬼か?鬼がやったのか?」

ハリルがそう詰問した瞬間、その背後で爆弾が炸裂した。



14  ベオグラード陸軍病院で(6) 



―― 病院のベッドでは、ムスリムの青年が、一言答えた。

「やれよ」
「お前が」とミラン。



15  少年時代の回想 



映像はここで、少年時代を再現する。ハリルとミランが取っ組み合いの喧嘩をした後、草むらの上で、なお意地を張り合っていた。

「降参か?」
「嫌だ」
「なぜ?」
「降参しろ」
「そっちが」



16  闇のトンネルの中での激しい戦闘(6)



トンネルの上から、爆弾に吹き飛ばされたハリルが落下した。ミランの手によるものではなかった。

「久しぶりだな」

それが、かつての親友の最後の言葉になった。



17  ベオグラード陸軍病院で(7) 



―― ムスリムの青年のベッドに辿り着いたミランは、武器の代わりに握っていたフォークが力なく戻されて、「お前がやれ」と一言放った後、その場に倒れ込んだ。

「鬼め、このおぞましい奴・・・」

これが、ミランの最後の言葉になったと思われる描写だった。



18  廃墟と化したトンネルの中で  



映像はその後、遂に恐怖突入したトンネル内で死屍累々としたおぞましい状況を目撃した、少年ミランとハリルの立ち竦む姿を映し出す。

二人の少年がそこで目撃した死体は、本作の登場人物を含めた、この内戦に於ける死者たちの累々とした負のラインであった。

そして、そのラインの最後には、遂に絶命したミランとハリルの死体が横臥(おうが)していたのである。この象徴的な描写に込められたメッセージはあまりに鮮烈であった。



19  村の長閑なカフェで(2)



一転して映像は、内戦勃発日のあの田舎のカフェに戻っていく。

「すっかり酔っ払ったな。教えてくれ、戦争が起きるのか?」

ハリルのこの問いに、ミランは「何の戦争だよ?」としか答えられなかった。



20  “友愛と団結”トンネル(2)



“赤い星 映画ニュース”1999年7月4日。

「戦後の復興には時間がかかると誰が言ったか。21世紀を目前に“平和のトンネル”が記録的なスピードで、本日開通しました」

これが、映像のラストシーン。

映像は未来のイメージを存分に皮肉って、同じように28年前の鮮血のテープカットの場面を再現したのである。

鬼が棲む闇のトンネルに凝縮されるこの国の歴史の負の遺産が、1999年という、文字通りの世紀末の近未来に於いても繋がっているというメッセージは、アメリカ独立記念日のその日に、テープカットの鮮血が流れ込むブラックユーモアをイメージさせるものであった。


*       *       *       *



21  「安全な国々の心地良い椅子でぬくぬくと映画を楽しんでいる君たちに」



本作は戦慄すべき映画であると同時に、極めて挑発的な作品でもある。

前者は、本作それ自身が実話の再現ドラマの性格を持つ、その圧倒的な映像表現で語られるべき秀逸な人間ドラマであるということによって、そして後者は、作り手自身が直裁に語る言葉によって検証されるだろう。

ネットサイトの「シネマ・トピックス・オンライン」で紹介された作り手自身の言葉がある。

「この映画で私が目指すのは、戦火から遠く離れた安全な国々の心地良い椅子でぬくぬくと映画を楽しんでいる君たちに惨めな思いをさせることだよ・・・」

これ以上、挑発的な言葉があるだろうか。

まさに、現代史の最悪なる内戦下で出来した、一つの無残なる共同体の崩落によって、そこに拠って住む隣り合う者たちの相食む殺戮の記録を、そのような極限状況とは全く無縁な場所に住む者たちの、その視界の被膜を剥ぎ取るようにして切っ先鋭く突き刺す悪意が、そこにどっぷりと垂れ流されている。そう思った。

厄介な作り手による厄介な映像的表現が、そこに狂おしく踊っていたのである。この点については最後に言及する。



22  美しい村は、燃えるときも美しい



千田善氏
ところで、ここに千田善氏による、本作に関わる一文があるので引用させていただく。


「セルビア映画『ボスニア! ボスニアを東京まで拡大せよ』(プレスリリース・パンフレットより)


幼なじみがなぜ殺しあったのか     千田 善

筆者がこの映画を知ったのは、南ドイツ・テレビのニュースでだった。『ボスニアでのセルビア人による蛮行を、セルビア人の若手映画人が正面から取り上げ、市民にショックを与えている』という報道だった。ドイツの報道だから少し割り引いて受け取るべきかもしれないが、この映画は実際に大きな反響を呼び、観客動員記録を塗り替えた衝撃の問題作となった。

なぜ、それほど多くの人びとを捕らえたのか。それは、旧ユーゴでは誰もが知っているのどかな日常生活から、不本意ながら戦争に巻き込まれていく幼なじみの姿が、自分や家族の記憶とだぶり、深い共感や追憶、あるいは反発を引き起こしたからにほかならない。

旧ユーゴでは、いまでも数百万人の難民が自分の家に帰れず、あるいは友人や家族、親戚と別れ別れに暮らしている。そうした彼らにとっては戦争はまだ終わっていない。ベオグラードの薄汚れた映画館の堅いいすに座り、鋭利な刃物で体をえぐられるように感じながら、この映画を見つめていたかもしれない。

映画の舞台になった『諸民族の友愛と団結トンネル』という名は、第2次大戦でのナチスドイツに対するレジスタンス運動(パルティザン)のスローガンだ。ベオグラードにも同じ名の橋があった。全国各地に『友愛と団結通り』などの地名があった。お役人は自慢したが、第2次大戦の記憶が風化するにつれ、どこにでもある陳腐な地名として、偽善的ニュアンスが混じりはじめていたのも事実ではある。

第2次大戦では旧ユーゴ王国軍が1週間で降伏、ドイツ軍の占領下で、ユーゴの兄弟民族が敵味方に別れ、殺し合った。血みどろの兄弟殺しをやめ、多民族が団結してドイツ軍を追い出そう、と呼びかけたのが『国父』故チトー大統領だった。そして旧ユーゴ王国にかわり、『諸民族の友愛と団結』を国是とするユーゴ社会主義連邦共和国(戦争直後は連邦人民共和国)が誕生した。

3民族が混在するボスニアでは、異なる民族の結婚が普通におこなわれた。映画のミラン(セルビア人)とハリル(ムスリム人=イスラム教徒)のように、幼なじみが共同で店を持つのも当たり前の光景になった。

生家近くに建てられたチトーの銅像(ウイキ)
80年にチトーが死んだとき、何万もの人間が心から泣いた。映画の『隊長』のように、葬儀に数百キロ歩いて参列した者がいたのも実話である。ベオグラードのチトーの墓には数百万人が訪れている。共産党支配時代に戻りたくはないが、平和だった時代の記憶は、初恋の思い出のように、切なくいとおしい。

軍の部隊が使われていないトンネルの中に閉じこめられ、一部だけが生還する、というストーリーは、92年以降のボスニアで実際に起こった戦闘をもとにしたもの。監督やスタッフが当事者から取材し、制作した『セミドキュメンタリー』と呼んでも差し支えないだろう。

ボスニアの3民族は、外見も言葉も同じである。宗教的な祝日など、いくつかの風俗習慣が異なっているに過ぎない。それが悲惨な戦争に巻き込まれたのは、利権のためには悪魔にも魂を売るような政治家が民族主義をあおった結果である。経済が破綻し、明日の展望が見えにくいとき、政党への支持を広げ、選挙に勝つために、手っ取り早いのは民族主義に訴えることである。

民族が違うからという理由で、だれも親友と殺し合いなどしたくないのは当然だ。しかし『民族』や『民族主義』というものは、無関心な者さえも『誇り』や『伝統』で魂をくすぐり、あるいは、いやいやでも強制的に周囲に従わせる。

それがいやなら、国や家や仕事や友人をすべて捨てて別の遠くの土地に逃げ、一生裏切り者の汚名を背負って生きるしかない。多くは『民族の大義』という強制力に従わされてしまう。個人の意志など軽く吹き飛ばしてしまう、目には見えないが巨大で気まぐれな怪物、それが民族主義だ。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で破壊された橋
原題は『美しい村、美しい炎(美しい村は、燃えるときも美しい)』。監督のドラゴエビッチは3冊の詩集を出版している詩人でもある。かつての多民族国家への、ユーモラスで悲しいレクイエムである。

(ちだぜん・ジャーナリスト。本映画字幕監修。著書に『ユーゴ紛争』=講談社現代新書など)」(千田善HPより/筆者段落構成)


以上の解説文は、この厄介なる映像への本質的言及には届いていないと思われるものの、映像のバックグラウンドを了解する文面としては、極めて説得力を持つものである。



23  密室化された絶対状況下での、裸形の人間ドラマの小状況性=歴史的大状況性の象徴的表現



さて、本作に寄せる、私の評論へのキーフレーズ。それを三点に集約させてみた。

その一つは、「密室化された絶対状況下での、裸形の人間ドラマの小状況性=歴史的大状況性の象徴的表現」であり、二つ目は、「憎悪の共同体の爛れ方」。そして三点目は、「欺瞞なるものへの告発の破壊力」についてである。

それぞれについて言及していこう。


―― まず、「密室化された絶対状況下での、裸形の人間ドラマの小状況性=歴史的大状況性の象徴的表現」について。

これについての基本的把握を要約すると、本作は、トンネルに始まって、トンネルに終始する絶対状況下での裸形の人間ドラマであったということだ。

生存の可能性を求めて、生き残りの部隊が辿り着いたトンネルの世界こそ、かつてムスリムの親友ハリルと共に、そこへの恐怖突入を果たそうとして成し得なかった、“友愛と団結”トンネルの廃墟だったのだ。

やがて、成人したミランはセルビア兵として、今や記憶の襞(ひだ)に張り付く闇の世界に他の将兵を案内して、その身を預け入れたのである。

しかし、その廃墟のトンネルは、まさに出口なしの闇の空間と化していた。トンネルをムスリム軍が包囲してしまったからである。

ムスリムの中に、少年時代の親友であるハリルがいた。彼もまた、憎悪の共同体の切っ先として「邪悪なる民族集団」のセルビア兵に対峙していたのだ。

民族相互の苛烈な相克が、単に廃墟と化しただけのトンネルという人工的な空間を、最も尖った前線に変えてしまったのである。

映像は見えないムスリムを描かず、ひたすらトンネル内の小さな集団を追いかけていく。その中枢にミランがいるが、彼以外にも極めて個性的な兵士たちが、そこで限定的な私的状況を作り出していたのである。

刎頸(ふんけい)の友の如きラザの義兄弟は、自分たちの関係の深さの中に安寧を見つけていたが、セルビア民族主義の傾向が強かった義弟のラザの戦死によって、義兄は極端に寡黙になり、ムスリムが送り込んで来た一人の女を射殺する役割を自ら担ってしまう。

他の誰も殺したくてもできない行為を敢えて遂行したのは、愛する義弟を失ったラザの義兄の中にペシミズムの投影が見られるが、それ以上に、「殺らなければ、殺られてしまう」という戦場のリアリズムが、状況を支配していたからである。

そんな男もまた、自爆するようにして、自らの意志でトンネルを出た瞬間に、敵の銃撃の集中的なターゲットにされて、そこで果ててしまったのだ。

それは、彼の中の追い詰められた内面世界の帰結であったと言えようか。

次に、麻薬中毒者のブルジについて。

前線での行動を支える、この若者の心理的基盤は脆弱である。

彼の自我の内に民族的ナショナリズムの刷り込みが完成される以前に、既にこの男は、ドラッグ漬けの日常性を常態化させていて、そこに狭隘なイデオロギーの侵入する余地がないように見えた。

そんな男が澎湃(ほうはい)する状況に搦(から)め捕られてトンネルの世界に闖入(ちんにゅう)して来た。旧ユーゴ軍の高級将校の父を持つブルジは、父子関係の歪み故か、兵役に就いてもヘロイン中毒となって除隊になり、戦場で転地療養する日々を送る始末。

ところが、自我抑制の効かないそんな若者が、トンネルの世界では、生存戦略の中枢である自我の崩落が殆ど見られないのである。

最後までナショナリズムに馴染めない振舞いを見せるこの若者は、トンネルの中で他者の死を最も哀しみ、自暴自棄的な行為に走ることがなかったのだ。

最後に被弾して、ミランと共に病院送りになった挙句、そこで病死する末路は哀れだが、結局、ドラッグ漬け故に免疫抵抗力を劣化させていたであろうことが容易に想像できる。それでも、ドラッグと無縁な世界に存在していたトンネルの世界の中に於いてのみ、この若者はその苛酷な現実と一定の折り合いが付けられたようにも見える。

それは、戦場のリアリズムによって復元を遂げた若い自我の悲哀を、より鮮烈に掻き立てるものだったと言えようか。

ヴェリャの場合はどうだったか。

彼は考古学者を志望する大学生の弟の身代わりで兵役に就き、前線に立った家族思いの男であった。盗みを常習とし、好色なるこの男は、戦争の欺瞞性を嗅ぎ取るレベルの客観的精神を保持していた。

男のその振れ方は、セルビア民族主義に最も凝り固まった隊長に対して、唯一の告発者の役割を果たした描写に集約されるだろう。

しかし、そんな男の強靭な自我も、極限状況下で遂に炸裂してしまう。

彼は拳銃をマイク代わりに歌いながら、トンネルの入り口に向かったのである。

そこで被弾した男は、結局、自爆という最も苛烈な手段によって、その短い人生を自己完結させてしまったのだ。最も家族思いの男の末路は、その思いを託した指輪をミランに預ける態度の内に、戦争の欺瞞性を嗅ぎ取る客観的精神の限界を示すものだったのか。

然るにそんな男でも、多くの敵を殺し、村を焼き、焼いた村を見ながら、「美しい村は美しく燃える 醜い村は燃えても醜い」というポエムを添えたのだ。

破壊されたサラエボの国立図書館で演奏するチェロ奏者 (ウィキ)
それは戦争と言うものが、このような理性的な判断を保持する男までをも、難なくインボルブしてしまう現実を冷厳に物語るものだろう。

また、セルビア民族主義に縁遠い者に、教授と呼ばれる男がいた。

彼の場合、その行動には特段の尖りがなく、その自我もトンネル内で壊れることもなかった。恐らく彼は、その国の平均的な知識人がそうであったような振れ方をしただけに過ぎないと思われる。

この男の武器使用はただ単に、自分の生存を保障するための手段に過ぎず、たまたま眼の前にムスリムが立ちはだかっていて、彼らを殺さねば自分も殺されるが故に状況突破を図ろうとしたに過ぎなかった。「敵は殺せ」という民族主義のイデオロギーが稀薄でも、眼の前の敵を殺すことができるという典型的な事例が、この男の人格に於いて表現されていたと言えるだろう。

それ故、眼の前に自分の命を脅かす者がいない病室では、彼はミランのように、「ムスリムは殺す」という憎悪の共同体の感情的文脈から解放されていたのである。そんな男がミランの凶行を止めようとして、憎悪の鬼と化したミランが振り払った一撃によって虫の息となる描写は、鮮烈であり過ぎた。

トンネルにこもったセルビア人たちの中で、最も民族主義のイデオロギーが堅固だったのは、隊長のグヴォズデンである。

彼の場合は、コミュニズムの戦士でもあり、そしてそれ以上に、セルビア民族主義を矜持とする愛国者であった。

しかしこの愛国精神は、ある時期までは、セルビア民族主義を自我の奥深くに封印することが可能だった。それがチトーの死によって、まるで冬眠していた巨熊が覚醒したかのような尖り方で、最前線の場に於いて炙り出されてしまったのである。

まだそのセルビア民族主義を激しく顕在化させる前の、そんな男の誇り高いエピソードが、本人の口によって語られていた。

「俺は同志チトーの葬式のため、350キロも歩いた。テレビ局も取材に来た・・・頭のいい奴だった。同志チトーは嘘をたくさんついた。だが愛された。徒歩で350キロ。私もまだ若かったからな。散歩くらいにしか感じなかったよ」

これが、男の振る舞いを180度旋回させていく岐路になった。

男の民族主義のメンタリティが一気に溢れ出て、元々頑強な軍人だった男の熱量は、「セルビア=共産主義」を守れという為政者たちのプロパガンダに吸収されてしまったのである。

そんな男だからこそ、その死に様も、決して捨てられない極めて観念的な美学によって自己完結させたのだろう。

因みに、この隊長が戦った相手は、何と彼の義弟であった。彼はまさに骨肉相食む戦争を遂行してしまったのである。

その点に於いても、トンネル内の小状況で現出した争いが、歴史的大状況性としての「ボスニア内戦」の縮図であったことが検証されるのだ。


以上見てきたように、10日間に及ぶトンネル内の男たちの生き様は、まさしく、彼らの裸形の自我を際立たせるものだった。

その状況は彼らの小さな私的状況の集合だったが、しかしその極限状況こそ、彼らの小状況の内に凝縮された歴史的大状況性の象徴的表現であると言えるだろう。鬼が棲む闇のトンネルは、出口なしの絶対状況に置かれた、当時のボスニア・ヘルツェゴビナの閉塞性そのものだったのである。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
その限定された狭隘な空間の中に炸裂したのは、ただ一つ。「戦場のリアリズム」である。

圧倒的な「戦場のリアリズム」の中で、セルビアの将兵たちはギリギリの人間ドラマをダイレクトにクロスさせ、「それでもまだ、味方と呼べる仲間がいる」という、それ以外に心情を収斂させられない物語に拠って立つことで、自我の加速的な崩壊の危機を何とか繋いでいたのだ。

そんな人間ドラマが交叉する小状況もまた、セルビア民族主義に凝り固まって、常に暴走の危うさを内包した、当時の歴史的大状況性とオーバーラップするものであったに違いない。

トンネル内の将兵たちが織り成す極限下の人間ドラマは、生きるためには尿も飲む、「生存のリアリズム」によって貫徹されていた。

彼らは口に入れる食料は疎(おろ)か、生命維持にとって絶対的な飲料水の補給も切れて、今まさに、自壊のメカニズムのカウントダウンに踏み込んでいたのである。

そんな連中にとって、生存を揺さぶるリスクの累積は、絶対に回避されねばならなかった。当然である。人間は生きるためには何でもするし、味方以外の全ての存在が殺害の対象になっていく。それもまた、シビアなる「戦場のリアリズム」以外ではなかった。

ところで、「戦場のリアリズム」には、「敵」と「味方」という二つの概念しか存在しないのである。「敵」でなかったら「味方」であり、「味方」であると特定できなかったら全て「敵」なのだ。それ以外ではない。「敵」は殺す以外にないのである。

まさにトンネルの状況こそ、「味方」であると特定できない者を殺さなければ、「味方」であると特定できる自分たちの命を喪う危険性のある、決定的な絶対空間だったのだ。

そのことを端的に物語る描写がある。

トンネルの入り口から、絶対的な敵であるムスリム兵によって送り込まれた一人の女が、その身元が途中で判然としたにも関わらず、腹を抱えて彷徨う姿に恐怖を覚えるセルビア兵たちは、彼女を狙撃しようとするが中々踏み切れず、最後に義弟を喪って、完璧なる戦場のリアリストに成り切っていたラザの義兄の手によって、女は射殺されたのである。

トンネル内に出来した「戦場のリアリズム」は、「哀れな女かも知れない者を簡単に殺せない」という、極めて人間的な感情を隠し切れない人格性を、各自がナイーブに晒していて、それ自体、痛々しいまでに人間的でもあった。

そのような不徹底さを晒すのもまた、私たち人間の偽らざる様態なのである。本作が秀逸なる人間ドラマであったことを認める所以がそこにある

因みに、女を殺したラザの義兄は、その直前、極限状況下で敵に対する怒りの感情を、リサのビデオカメラを前に、激しく叫んでいた。

「最近テレビで見た話だ。お前、知ってたか?セルビアは世界一古い民族だ。600年前のドイツ人やイギリス人は、まだ手づかみで豚肉を食っていた。一方我々は、堂々とフォークを使っていた。そうさ。セルビアの宮廷では、フォークで食べていた。ドイツ人は指だぞ。指で食ってた。最古の民族だ・・・」

この文脈の中に、若きセルビア人たちを苛酷極まる内戦に突入させた民族主義のメンタリティが集約されていたのである。このメンタリティをバックボーンに持つことで、そこに「戦場のリアリズム」が状況化されれば、人間は味方以外の全ての「敵」を殺害するのはそれほど難しくないということだ。

かくして、私的状況が交叉した小状況下の人間ドラマ=歴史的大状況の集約的表現を、本作はその苛烈極まる描写によって鏤刻(るこく)してしまったのである。



24  憎悪の共同体の爛れ方



―― 二点目。「憎悪の共同体の爛れ方」について。

憎悪の共同体」とは、私の造語である。

それは、自らが拠って立つ民族的ナショナリズムを堅持し、それを強化するために、敢えて目立った仮想敵を作り出し、その敵を特定的に攻撃することによって、自らの民族的アイデンティティを確保することで得られる尖った共同体のことである。つまり、「敵」と「味方」という対立概念を、特定的、且つ恣意的に作り出してしまう負の共同体を、私は「憎悪の共同体」と呼んでいる。

至近な例を挙げれば、「世俗の輩」を敵にして、それを排斥して止まなかった「オウム真理教」や、「資本制国家権力」を打倒すべき究極の敵にした挙句、自らの内部に「敵」を作り出してしまった「連合赤軍」などという狭隘な共同体が、まさに、「憎悪の共同体」としての性質を具備していたと言えるだろう。

アドルフの画集」より
もう少し概念的に説明していく必要があるが、「アドルフの画集」の評論の中で、それについて詳細に言及したが、ここではその簡単な引用で留めることにする。

「憎悪の共同体」は必ず、その内部に「味方」という観念を強固に立ち上げて、それをいつしか、「同志」という概念の内に集合させていく。

因みに、同志とは、敵の仮構によってのみ成立する相対的概念である。敵を作ることによって同志が生まれ、その同志の連帯の強化は、強大なる敵の実在感によって果たされる。

この実在感は、「我々が憎悪し、警戒し、身構えるという期待された反応を示すことで、敵の意識の中で集中的に高まっていく。敵のこうした反応なくして、「憎悪の共同体」の勇ましい立ち上げは困難なのである。共同体の同盟性の推進力は、仮想敵の反応こそを、そこに作り出してしまうのだ。

人々の憎悪が集合することは、個人の確信を一段と強化させるから、仮想敵に対する攻撃のリアリティを増幅させていく。そこに集合した憎悪は何倍ものエネルギーとなって、大挙して仮想敵に襲いかかる。

そこに快楽が生まれる。この快楽が共同体を支え切るのだ。だからこの負性の展開に終わりが来ないのである。

「ボスニア」という、極めて刺激的な映像で展開された関係の極端な振れ方こそ、まさに「憎悪の共同体」をなぞるものであった。

「憎悪の共同体」という観念が、既に刷り込まれてしまったミランの現在性。

それは前線で傷つき、幸いにも一命を取り止めたミランが、全く動きを封じられたベッド上で、その観念のうねりを遂に爆発させていく、映像終盤に於ける描写の中で集中的に表現されていた。

彼の内側では、味方=セルビア人、敵=ムスリム・クロアチア人という対立の構図が完璧なまでに固まっていて、そこでは彼の憎悪の対象は、向かいの部屋に横たわる一人の若きムスリム以外ではなかったのだ。

彼にとってムスリムとは、内戦によって形成された敵対的な概念であり、しかもそれは、打倒されるべき民族の象徴的観念でもあった。

思えば彼の人生は、ムスリムという何の変哲もないフラットな概念を、最も敵対的な概念にシフトしていく決定的転回点を持つことによって、その青春の時間が完全に二分された軌跡を検証する流れ方を刻んで見せていた。これは素朴な郷土愛(パトリオシズム)と異なって、民族的ナショナリズムというものが形成的に強化されていくものであることを示唆するものだ。

元々、彼の中では、ハリルという親友の人格像の内に、ムスリムという自分の出自とは異なる民族の特定的で危うい存在性があり、且つ、そこに、関係を分ける民族精神の文化的落差のイメージが殆ど意識化されていなかった。まさにその事実の重量感の方にこそ、自然な観念形成を見ることができるのである。

ところが、この自然な観念形成が、ボスニア内戦の勃発によって決定的に炸裂してしまった。実母を殺害されたミランは、その下手人であるムスリムに対する決定的な憎悪感情を、自らの自我の内側に堅固に鏤刻(るこく)してしまったのである。

ミランが入院する病棟は、彼の中では一貫して、憎悪の共同体を再現する空間でしかなかった。

この時点で、実母を殺したのがハリルでないことを知っているミランにとっては、全てのムスリムの存在性こそ破壊され、殲滅すべき敵になっていたのである。

だから彼は、セルビア人が誇り得るフォークという食器を武器に仕立てて(勿論、その設定は象徴化されたイメージである)、向こう側の病室に横たわる、その名も知らないムスリムの青年を殺害することによってのみ、自分の現在の存在論敵意義を見出していたに違いない。

彼は自らを縛る点滴のチューブを切って、匍匐(ほふく)する。ムスリムを殺しに行くための匍匐である。

匍匐し、匍匐し、なお匍匐するその歩みの破壊的推進力は、ムスリムそれ自身に対する激しい憎悪の感情以外ではないのだ。

そして遂に、ムスリムのベッドに辿り着いたミランは、自分の殺害意志を激しく露わにした。しかし彼は青年を殺せない。殺せないのだ。身体能力の限界もあった。それだけではない。殺すべき相手のムスリムの青年の態度があまりに清冽で、堂々としていたからだ。

青年は、自分を殺しにきた一人のセルビア傷兵に向かって、言い放った。

「やれよ」

もうそれで、ミランの殺害意志は劣化してしまったのだ。

「お前がやれ」

ミランはそう言った後、「鬼め、このおぞましい奴・・・」という最後の言葉を刻んで自壊したかのようであった。

しかし仮にこのとき、彼が生き残っていたとしても、彼のムスリムに対する憎悪感情の焔(ほむら)は、簡単に消滅するものではないであろう。相手が自分の殺意を掻き立てるほどのムスリムであったなら、彼は恐らく、その者を本気で殺すに違いないのである。

映像を通して、最も苛烈とも思えるこの戦慄すべき描写の迫力は、或いは、このような感情を実感的に共有し得る者でないと、とても理解できないだろうが、しかし、その描写を通して作り手が殆ど挑発的に訴えかけてくる激しい文脈は、観る者の多くの内側に突き刺してくる、切っ先鋭い棘であることは否定し難いのだ。

少なくとも、ミランという映像の主人公が内包する感情の在り処については、誰しも普通の想像力によって届き得る尖りであることだけは理解できるだろう。

この描写の本質は、一人のセルビア人の自我に深々と刻印された感情の文脈、即ち彼の中に澱む、大状況を貫流する憎悪の共同体の構図が、全人格的に表現されていたという文脈に尽きると言えようか。

それはまさしく、一つの人格の内にべったりと張り付いてしまった、「憎悪の共同体の爛れ方」のさまを露呈するものだった。

そこにこそ、映像の作り手の、際立って挑発的なる破壊力を感じ取ってしまうのである



25  欺瞞なるものへの告発の破壊力



―― 三点目。「欺瞞なるものへの告発の破壊力」について。 

くどいようだが、明らかに作り手は、本作を娯楽ムービーのノリで観る者たちに対して、激しいまでに挑発的である。

娯楽のノリで観る者たちの大半は、自分の身が安全圏にあることを継続的に保証される者たちであるに違いない。私もまた、その一人である。

作り手の本来的な創作意図が、恰もその一点にあったと思えるような描写の連射に、正直、違和感を覚えたのは否定し難い事実である。

そして、その作り手が告発したいと思われる、欺瞞なるものの最大のターゲットとなっているのが、娯楽大国アメリカであると容易に想起されるのは、本作の女性ジャーナリストの振舞いの描写を見れば瞭然とするであろう。

リサと称する女は、頼まれもしないのに、能天気な感覚で最前線に侵入してきた挙句、セルビア兵の「民族浄化」を告発するものの、もうトンネルから脱出不能になって、結局、自分の生命の保障を絶対状況下のセルビア将兵たちに依存する以外になかったという始末なのだ。

その欺瞞性が、トンネル内の描写の中で剔抉(てっけつ)されていくさまは悲哀ですらあった。

アメリカを象徴するコカ・コーラのペットボトルに、セルベア兵の排尿がたっぷりと溜められて、その女性ジャーナリストがその尿を飲み込む描写を挿入するという具合なのだ。

そればかりではない。

女は自分の命を守るためだけに、トンネルに彷徨って近づく見知らぬ女への殺害を、セルビア将兵に頼むのである。そんな中でも、平気でビデオカメラを回した挙句、最後はそのカメラを取りに行こうとして、無残にもムスリムの手によって射殺されてしまうという落ちまでついていた。

まさにそれは、娯楽大国アメリカを徹底的に扱き下ろす描写であった。

そして、そのアメリカに、自国の安全を委ねる我が日本もまた、映像の作り手の集中的なターゲットになっていたように思われる。

“セルビアを東京まで拡大せよ”
“ボスニアを東京にまで拡大せよ”

西新宿、東京タワー、レインボーブリッジ、渋谷、国会議事堂
作り手には、「平和ボケの経済大国」の明るい照明灯の下で、ぬくぬくと、スペクタルなハリウッドムービーと付き合う娯楽感覚で本作を鑑賞するであろう、その能天気な者たちの蕩尽のさまが、どうしても許容し難いものであったのだろう。

そんな作り手の挑発に対して、正直、些か独善的な視線を見てしまうのも事実である。

作り手の挑発的なメッセージに抗うべく、「勇敢なる戦争より、腐った平和の方が遥かにいい」と言いたいところだが、残念ながら私は、本作の作り手の挑発に確信的な異議を突き付けられないでいる。「世界の警察を自称する大国に、自国の安全を丸投げする屈辱感」に関しては、どうしても否定し難い感情があるからだ。

この「平和ボケ」した、虚構の安全神話に身を委ねる意識の巨大な塊が、恰も、「平和日本の絶対的な物語」として定着している決定的な欺瞞性について、あまりに不感症となった文化的状況の現在性を厭悪する感情が消えない限り、忸怩たる思いで、時代と付き合う居心地の悪さだけは常にまとってしまうのである。

そんな居心地の悪さと共棲する私のちっぽけな自我にも、当然の如く、郷土愛を中枢にして膨らんだ、一定のナショナリズムが形成的に存するのもまた否定すべくもない。言わずもがなのことであった。

ついでに言えば、病棟内のナースたちの淫乱のさまを含めて、あらゆる欺瞞性を告発して止まない本作は、自国の腐敗した現実をも厳しく指弾する圧倒的破壊力を見せていた。

全ての面で怒って止まない作り手は、一切の欺瞞的な物語をも認めるつもりはないのである。

ここまで諧謔的で、喜劇的である以上に悲劇的で、そして何より、重量感溢れる毒気を含んだ表現が確信的に連射されていて、殆ど突き抜け切ったような破壊力を目の当たりにしてしまうと、観る者の虚栄含みの抵抗力は、しばし絶え絶えになってしまうのだ。

観る者を黙らせるに足る本作の破壊力の根柢に、精緻なまでの、その映像的完成度の高さという決定的な裏づけが担保されているからであろう。


稿の最後に、トンネル内で頑迷なコミュニストを自認する隊長を揶揄する、ヴェリャの言葉を引用しておく。

「いいかい、隊長さん。俺たちが燃やしちまった家は、正直に働いた金で建てた。・・・だとしたら、ああ簡単に燃やすものか。チトーは借りたドルを使い放題。“友愛だ 団結だ”と戯言を並べ続けた。そのツケが回ってきた・・・だが、もっと前にやるべきだった。50年も高級車を乗り回し、いい女を抱いといて、もう女を抱いても立たないから、今度は正直になるだと?あんたの正直なんか、クソ喰らえだ・・・」

ヴェリャは長く自分の中で鬱積させていたであろうその思いを、既にトンネル内の権力関係が劣化していた状況下で、それでもなお威厳を保とうと努める隊長に向かって、刺々しく吐き出したのである。

部隊を率いる隊長に対して、「軍服の肩章を増やすために戦っているくせに」と決めつけて、上官の欺瞞を告発して止まないそんなヴェリャも、「ドイツでビールをトラックごと盗む」悪行を止めない好色漢だった事実の認知を、当然、本作と付き合ってきた観客は織り込み済みであった。

また、映像の半ばには、平和を叫ぶ反戦主義者たちの欺瞞性までもが、主人公のミランを介して剔抉(てっけつ)されていた。この映像の作り手にとっては、世界に蔓延(はびこ)る欺瞞の一切が、指弾されて然るべき何ものかでしかなかったようである。

最後まで諧謔と痛烈なアイロニーを含ませながらも、本作は徹底的に挑発的だったということだ。それもまた、良しとしようか。

いずれにせよ、この映像が一貫して放つ強烈な毒気を、私は一級の人間ドラマの枠組みの中で了解する謙虚さだけは失っていないつもりである。

際立って戦慄すべき映像との出会いは、私にとって刺激的であったばかりか、その映像の完成度の高さに触れて、一定の緊張を孕みながらも、それとフィットし得た幸運だけは大切にしたいと思っている。

(2007年1月)

0 件のコメント: